共に生きる

聞いてびっくりした。胸の鼓動が高鳴るのを遠くで感じた。そのくらい、時がスローになったような一瞬だった。鼓動の音にさえ”速さがある”と感じた。席を立った。自らが作ったものがあった。「何はしゃいでバカなことしてるんだろう」と思った。でも、目に見えてそこには悪気がなかった。ダメなわけではない。素晴らしい。だからこそ、引っ張られないように、日常生活を回さなければならない。

人が危険な矢面に立たされていると知った時、自然と浮足立っていた自分を恥じ、気分は沈みこむ。「なにバカなことしてるんだろう」って。でも、よくよく考えてみると、それ自体、楽しいことをして過ごすのは悪いことではないし、ましてや、普通に日常生活をおくることが「悪いこと」なわけでもない。だからこそ、どちらも肯定する生き方を選びたい。誰かがつらい思いをしてふさぎこみたくなるような時こそ、隣にいて支える人もいれば、「こっちはまかせて!」と遠くでサポートをする人もいる。ひきこもりでも同じだ。

一人が家に閉じこもっても、家族までそれにひきずられてはいけない。なぜなら、誰かが外に出て稼ぎ、家事を回さなければ、あっという間に共倒れしてしまうからだ。

と、どこかで読んで、ショーゲキを受けたことがある。普通に生きている人たちも、「なんとかここで頑張って日常を回して、生活を守らないといけない」という思いで過ごしていたりするのではないかなと思えた。だから、自分にないものを持っている人たちがちょっと羨ましくなることもあるし、自分の事情を優先して、そっせんして、閉じこもれ、って言ってるわけではないけれど、「なんだよみんなばっかり」というのも筋違いなのだろう、と思った。

ちょっと緊張感あること書いたのでかるく息抜きします。
わっほいわっほい🌿


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?