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娘と母の物語

こんにちは、愛音です

今日は母の誕生日です
お空ではきっと大宴会やってますね、参加したかったです
(注:まだお空に行きたいわけではありません)

母とはいろんな思い出があります。
いろんな言葉と愛を貰いました。
中でも、忘れないものとして残っているものが。

癌で入退院や検査を繰り返しながら生活している母の前で私は「死にたい!生きてるの無理!なんで私だけ!!」
なんて言葉を叫んでました。
すると母が鋭い声でこう言いました。

愛音は死にたくても、お母さんは悪いけど生きるよ
体にこんな管つけて、髪もないけど、
死ぬ死ぬ言ってる娘残して、
死ねる母親だなんて思ってるの!?

当時抗がん剤の影響で髪は抜け落ち、腰には尿を出すためにチューブが繋がっていました。
私はその母の前で「死にたい!」なんて言葉を吐いていたんですよね。
母は生きるために必死に闘っていました。
そうだよね。お母さんは優しいから死ぬ死ぬ言う私を残して、死ぬなんて出来ないよ。

ーーだけどその2、3年後母は空へ逝きました。

一生懸命闘って、家族のため、自分のため、闘い続けた。
でも先に空に逝った祖父(母の父)は優しいから闘う娘を迎えに来たと今でも私はそう思っています。

母の言葉を聞いてから私は声に出して死にたい、と言うのはどうしても辛い時、主治医の前だけ。
家族の前では絶対に言わなくなりました。
あの母の言葉が胸の奥にガツン!と刺さったんです。

死ぬ死ぬ言ってる娘残して、死ねる母親だなんて今も思ってないよ。
お母さんは誰よりも愛情深い人だものね。
今でもお母さんが死んだ、なんて思ってないの。
ちょっと空まで引っ越しただけ。うん。それだけ。
思い出があって、記憶に残ってて、笑顔も怒った顔も、沢山覚えている。

寂しくないよ。
だって私が空へ引っ越しして、またお母さんに逢えたときに
寂しくて泣いてばかりだった〜!
そんな話しか出来ないのはそれこそ寂しいよ。

今は精一杯生きて、迷って、失敗して、成功して、笑って、そして泣くんだ!て決めている。
その方がまた逢えたときにいろんな話が出来るもの。

私にも辛いことは確かにあったよ。
不登校とかひきこもりとか障害とか。
だけどそれら含めての私だから、胸張って生きています。

私はお父さんとお母さんの娘の愛音です!!!」

私は強くない、弱い、すぐに迷う。
そんな姿を見て、お母さんは微笑んでいる。
「死ぬだ、嫌だ叫んでたあの愛音がこんなに一生懸命生きてるじゃない」
そんな優しい笑みが私にも見えるよ。

お母さん、ありがとう。
そして誕生日おめでとう、愛してるよ。

*愛音*

2024/04/25
大切な人へ
愛が届きますように…

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