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てくてくおいものすけ7
2022.5月29日
前回あらすじ
巳年の女、大蛇伝説から逃走する。
屋良ムルチの入り口で「あいやー」となった私はそそくさと道の駅に引き返した。
沖縄ではさまざまなスピリチュアルな人々が活躍する。
その中で長い伝統と信頼があり、フリーダムな活動と思考が許される「ユタ」。
沖縄では昔から女性は神に近いと信仰されており「ユタ」は昔は女性の職業で男性の「ユタ」は少数であった。
現在は男女関係なくオールマイティな活動をしている。
もちろん資格試験などない事業だ。
「ユタ」は身近な存在。仏壇ごとやお墓のことから未来のことまで、少し前の世代だと何かと「ユタを買う」と言ってあの世とこの世の狭間のエキスパートに相談した。
今でもその名残なのか、「ユタムヌイ(ユタのような事を言う)」と言ってそういう人の言うことには口出しせず尊重する文化がある。
斎場御嶽の香炉が盗まれた事件もそういう「ユタムヌイ」する人が、聞こえた声の指示に従い行ってしまった事なので警察はどう処分すべきか随分と頭を悩ませた。
屋良ムルチで見た光景も、ある意味では沖縄らしい生活文化の一場面だった。
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初っ端から話が逸れました。
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道の駅に戻って羊を食らい。車を拾った。
私は最後にもう1箇所気になるところに行ってきた。
若干車で迷子になりながら私はあの偉人に会いに行った。そう、野國総管!!
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ok!Here we go!
野國総管公園に来た。
野国総管は沖縄にサツマイモを伝来した偉人だ。
当記事「おいものすけ」の何番目かでめっちゃ語ったあの人だ。彼がいなきゃ焼き芋はこの世に存在しなかった。(過言)
嘉手納町は実は、サツマイモの栽培はあまり行われておらず、農業分野で1番の収穫はさとうきびである。
それにもかかわらず、嘉手納町民は数多のスターを差し置いてこの偉大なる野國総管推しだ。
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伝説の残る屋良ムルチ、沖縄で初めてイノシシの骨が出土した貝塚群など狭い町内に見どころのある場所が多い中、1番の推しスポットは野國総管公園だ。
彼のお墓も名所として公開されているがこちらの方が気になってしまい野國総管公園に向かった。
この公園、なんと学校と隣接しており一部の道は学校と共用である。間違えて校内の駐車場に停めてしまった。
この日は日曜日。実に不審者…。すいませんでした。
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野國總管宮=野國總管公園
那覇市に神様としての野國総管を祀った神社があるが、こちらは伝来350周年事業で、当時の嘉手納村(現在嘉手納町)が分骨を祀ったお宮である。
1605年のお芋革命(命名私)から時を経た1955(昭和30)の事だ。みんなに愛されているんだねぇ。
今も小高いお宮から嘉手納町を見守っている。
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多分狛犬だろうがシーサーと言い張ろう。
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シーサーも狛犬も口が開いてるのと閉じてるので一対なのだけど、こちらのシーサーはどちらもお口が開いている。そのせいか朗らかな印象で微笑ましい。
中国の福建省からの寄贈。
そのため中国仕様。小物を抱えていたり、お子さんがくっついている。可愛いんじゃー!
約3キロ離れたお隣の読谷村には沖縄の誇る吟遊詩人の「赤犬子(アカインコ)」のお宮がある。
こちらも見応え抜群だったのでぜひぜひ。
生い立ちも功績も被るものがないものの、
同じ中部の基地を抱える町で没後も故郷を見下ろすお二方。なんとなくリンクするものを感じてしまう。
風にあたりながら見たこともない古の時代に思いを馳せ、このてくてくおいものすけはおしまい!
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ここまで見てくれて、ありがとっちー!!
(実は公式いもっちの語尾は「〜っち」である)
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