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英語ってなに?と考えています(自己紹介)

東京にある大学の若手の研究者です。
世界で、様々な形に変化して話されている英語と社会について日々
考えています。

「ネイティブ」という一つの英語の形にこだわりすぎて、それにたどり着かないと、私たちは「英語が苦手、できない、恥ずかしい」と人と気持ちを通じ合わせるという大切なコミュニケーションの役割を忘れてしまいがちです。でも蓋を開けてみれば、英語を母語として話す人たちは、世界の英語話者でいうとほんの少しです。大半の人は、自分たちの言語と共に英語を話し、そこにはカラフルな言語の形があります。人それぞれ、自分たちの英語があっていい。それに自信を持っていい。世界で、英語を、共通語/リンガフランカ(English as a Lingua Franca)として話す人たちについて考えています。

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<背景>
High School Musicalがとーっても好きで、「ザック・エフロンのような高校生活を送るんだ!」と、高校生の時に1年間アメリカのカリフォルニア州に留学しました。「ネイティブのようにかっこよく話せるようになりたい!」と、留学前からアメリカ発音やスラングなど、頑張って練習もしました。

そんな私の意識を変えたのは、その1年間お世話になったホストファミリーでした。いざ到着した初日のロスアンジェルス空港で、「アメリカ人=青い目のブロンド」という稚拙な考えを持っていた当時の私は、出迎えに来てくれたファミリーをさらっと通りすぎたことを覚えています。

私のホストママは中国系フィリピン人のハワイ育ち、
私のホストパパはプエルトリコ人で、20歳程で渡米したと同時に英語を話し始めたといい、黒い目で黒い髪のその二人は、英語を第二言語として話す人たちでした。その時に初めて私は「英語を話す人」というのがどれほど多様であるのかを知ることになるのです。家の中では、「ネイティブ」とはまた違う英語が常に飛び交っていました。
当然ながら彼らの娘で私のホストシスターは、中国系フィリピーノ・プエルトリカンというなんとも複雑なエスニシティを持ち合わせていることになります。彼女は第一言語として英語を話す人ではありましたが、結局私はその一年で、「アメリカ人」の定義も、「英語」の定義も、「英語を話す人」の定義も、もうなんだかよくわからなくなって、疑問がもくもくとわいたまま帰国することになりました。

れから5年ほど経って大学生になった私は、今度はアメリカのニューヨーク州にある大学に1年間留学をしました。

そこで私は、クイーンズ地区というところで一人暮らしをしたのですが、そこが世界でも一番と言われているほど、住民の人種が多様な地区でした。そこで話されている言語は計138ヶ国語!街を歩けば、英語以外の言語が飛び交い、電車に乗れば何語か検討もつかない本を読んでる人がいました。でもみな、ひとたび学校や仕事場につけばそこでは英語を話します。

複言語(Multilingualism)についても興味を持ったのも、そして、色々な言語背景の人が社会の中で英語を話す姿に興味を持ったのも、留学での影響が大きいのかもしれません。

「ネイティブ英語でなければ」と考えると、私たちは「自分たちの発音や語彙がへた・少ない」と、『足りない側』に自分たちの身を置くことになります。でもそれは逆に考えれば、二つ以上の言語を知っているということ。その分私たちは、語彙も発音もちょっと多くレパートリーとして持っているのです。むしろ『足りてる側』なのかもしれません。

多様な言語を知るということは、例えば「将来仕事で使うから」という理由とはもっと別に、個人としての表現や、語彙から生まれる新しい世界、価値観や考え方をもつことなのだと思います。そしてそのように多様な言語文化背景・価値観を持った人たちの話す英語でのコミュニケーションは、英語の形も多様であることはもちろん、そのコミュニケーションもまた新しい化学反応が起きたりと色豊かなものになります。

そんな風に、英語や言語そのものについて楽しく考えていければなと思います。


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