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娘の死に向き合った友人のストーリー


私の友人が
Facebookにこう投稿して
いました。

29歳の娘が
天国に行ってしまった。
もう会えない
涙が止まらない
大好きだったよ、と。

ほんの短い文章で
さらっと書かれていました。

これを読んだ人たちは
どう受け取るのだろうか?

その投稿にはたくさんの
コメントが書き込まれて
いました。

多くの人たちは

辛すぎますね。

涙が止まりません。

という。

私も
あまりにも辛すぎることだろう。

心の置き所が無さそう。


ふと、ここで気づきました。

私も多くの人たちも
こう受け取っているようです。

相手のストーリーを
自分のところに持ってきて
自分だったら?と
想像して感傷的になる。

もし、自分の子供が
亡くなったら
心が潰れてしまいそう。
生きていけないかも。
辛すぎて
心の置き所が見つからないかも。

こんなふうに自分に置き換えて
想像して、涙が出てくる。

その友人どのくらい
苦しいのか
哀しいのか
辛いのか
わかるわけがないのに。

普段会わないなら
なおさら親子関係が
どうであったかわからないから
察すること難しい。

私もそうですが
自分の息子だったら?と
自分勝手に想像して
哀しくなる。

そして
もし、私が友人の前で
辛いよねって言って
泣いたら

友人は
どう感じるのだろうか?

友人しか知らないはずの
哀しみなのに

「なぜあなたは泣いているの?」

と冷めてしまって
友人は泣けなくなりそうです。

相手のことはわからない。

相手は、その人のストーリーを
相手のステージで演じる。

それを私たちは客席から観る。

相手がそのステージ泣いたら
そうか、そうか、
涙が出るのね、と
温かく見守ってあげたいです。


友人へ

ご冥福をお祈りします。

どれほどの哀しみや辛さは
わからないけど
お心を察します。

時が、あなたの心を癒して
くれますように。

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