小学校からの友人がベルリンを去ると聞いて
ついさっきこの知らせを聞いて、パソコンに向かっている。私がベルリンに来るきっかけとなった友人がベルリンを去ると聞いて、予想外にも大きく受けとった喪失感のようなものを書き残しておこうと思う。
私が初めてドイツに来たのは2013年。もう10年以上も前のこと。大学最後の夏休みを使い、初めての留学先にドイツを選んだのは、小学生の頃にドイツへ引っ越した友人家族の影響だった。
彼らの連絡先は知らず、もちろん会う約束もなかったけれど、共通の友人が繋いでくれて、私たちはベルリンで10年越しに再会した。というのも、彼らがちょうどベルリンに引っ越したばかりのタイミングだったから。
それがなければ私はベルリンに来る予定もなかったけれど、友人に会ったおかげでベルリンが大好きになり、2022年にベルリンへ引っ越してきた。
ベルリンへ来るとき、不安は大きかった。直前には韓国へ半年留学し、日本との距離の近さ、言語や文化の近さに安心していた。それが、ドイツともなると時差は8時間、移動には東京-フランクフルトのみでも14時間、物価が高くて言語も文化も大きく違う国に、自分で決めたとはいえ引っ越すことが不安だった。
それでも少し安心できたのは、この小学校からの友人が住んでいるということだった。実際には、引っ越してきてからの期間に2回しか会っていない。何か頼るということも少なかったけれど、ビザを取るときには推薦状を書いてもらった。
日常的に連絡をとっていたわけでもなければ、たくさん会っていたわけでもないけれど、私はやっぱりどこかで安心を感じていたのだと思う。いなくなるという知らせを聞いて、「ついに古くからの知り合いがこの街にいなくなってしまうんだ」「ここで一人になるんだ」という感じがした。家には恋人がいるのに。
この、私と私と恋人との出会いというのも、ある種運命的だと思っている。私たちはもともとベルリンにいたわけではなく、お互いに違う国からドイツへ、そしてベルリンへやってきた。
いまは偶然、恋人の家族もほとんどみんなベルリンにいるけれど、ここで私たちが出会えたのは奇跡で運命的なことだと思っている。私たちとお互いの家族の誕生日が同じとか、出会い方とか、それぞれの国で通った学校の関係性とか。運命だと気づかされるような共通点がいくつかある。
それで、私にとっては、この小学校からの友人がいなければ、ドイツにもベルリンにも来ることはきっとなかったわけで。私がここにきてもうすぐ2年。私のここでの定着を見届けたかのようなタイミングで、友人は遠くへ引っ越す。
もちろん、そんな意図があってのものではないとはわかっている。でもなんというか、神や宇宙のような大いなる存在がいるとするならば、あるいは意識の私たちではなく無意識の私たちしか知らないことがあるとするならば。タイミングがあまりにも完璧だと思った。大いなる何か、本当にありがとう。
ベルリンで恋人と暮らし始める直前に、お互いのカップル同士でこの友人と会った。ほんとうに素敵なふたりで、友人の恋人のハッピーな雰囲気に私は刺激をもらっていたから、簡単に会えなくなることは寂しいけれど。
縁があれば、この先もまた会えるのだと思う。というか、地球にいるうちは、みんないつでも会える。縁という私たちのタイミングをまた待ちながら、楽しみにしていようと思う。
友人がベルリンを去ることで、私はまたドイツに生きることの覚悟を1つ決めるような気がする。古くからの縁に感謝をしながら、新しい縁を自分の手で強くしていこうと思う。
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️