未来志向が悲しさを呼びこむとき
私の住むドイツに、家族が遊びにきてくれて2週間が経った。父はもう帰国したけど、弟はまだあと半分ドイツにいる。
私は未来志向が強くて、イマココよりも未来に居てしまうことが多い。
未来を見立てるという点では、日常を過ごすうえで便利なことも多いけど、未来が気になりすぎてしまって不便なこともある。
そして、いまの私は、もう寂しさに足を突っ込んでしまっている。いや、足どころかすっぽり頭を突っ込んでいるかもしれない。
弟はまだあと半分ドイツにいる。それなのに、もう帰った後のことが寂しくて、お互いに満喫しきれたかと後悔しないかが怖い。
こういうところは、自分の嫌なところ。だから楽しい予定も入れたくないと思ってしまうほどに、私にとっては強烈に嫌なところ。
別れはいつだってやってくるよね。そんなことは気にせずに、イマココを楽しんでいれたらいいのだよ。
イマココと未来
私はどうしてイマココだけを楽しめないのだろうと思う。
たとえばどこかに出かけるとき、帰る時間までの段取りが気になる。誰かと一緒に出かけるとしたら、その人とのすり合わせが気になる。
ただその時間を楽しめばいいのに、終わりまでがクリアでないと楽しめない。帰る時間を気にしてしまって、その時間を心から楽しめない。
そんなことがよくある。それじゃあ本末転倒だと思うけれど、どう頑張ってもいつもこうなのだ。
私が余計なことを気にせず、イマココを心から楽しめたのだいつだったのだろうと思ったりする。イマココにあることは、私にとってすごく難しい。
未来志向が悲しさを呼びこむとき
弟のドイツ滞在は、あと半分ある。弟のドイツ滞在が、もう半分を切った。
どちらも事実で、違うのはただ捉え方だけだ。
私はどうしても、後者で受けとってしまう。
弟にとって一番にいい方法でこの期間が過ごせたと思えるだろうか、私は弟とちゃんと話をしたと思えるだろうかと、未来のことをもう心配している。
自分ひとりだと、何が起きても毎日に満足して生きれるタイプの人間だと思う。というか、ここ数年かけて、そうなったと思う。
いまの私はやっぱり、「誰かと生きる」ことを学ばされているのだと思う。そんな期間としての、この悲しさの立ち現れなのだろうと受けとめる。
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️