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ひととしては好きだけど、思想は合わないと思う悲しさ

昨日、小田急線での事件について書きました。

ほんとうに、差別は至るところにある。

女性蔑視に基づくものの見方や攻撃は、実はたくさん日常に潜んでいる。例えば、少し前に書いた夫の仕事の都合で退職をした女性に「早く働け」と言った同僚の話も、女性蔑視が根底にある話だよなと思っています。


思想が合わないこと

最近またひとと話す機会があって、モヤモヤしたことをツイートしていました。


つい昨日見たツイートに激しく共感したのですが、女性差別に関する話は日常にたくさん転がっているけど、それをいちいち正す時間も労力も私たちはなかなかとれません。

想像してみてください。

「結婚で引っ越してもすぐに仕事を探さないとだめ」と言っているひとに、すかさず「それは言うべきでない」と言葉をはさみ、「なぜ言うべきでないのか説明をする」かつ「後ぐされのないようにその場をおさめる」ことにどれだけ時間とエネルギーがかかるか。

しかもこんな話は、月に1回とか年に1回出会うとかいう話ではありません。本当に日常に溢れすぎています。

そんな頻度で、私たち女性は声をあげ続け訂正し続けることは正直難しいのです。

だから結局「ひととして(同僚として)は好きだけど、思想は合わないからプライベートの話はしない」という選択をすることになります。

結果、女性の生き方を変えたいと思っているのに、目の前の女性蔑視すら変えられない自分にストレスを感じます。このループはこれからもたくさん出会うだろうなと思います。

社会を変えるためにできること


だけど、声をあげてくれるひとが増えたら話は変わります。

例えば10人のグループ内に声をあげるひとが1人しかいなければ、その1人がずっと正す活動をすることになります。

だけど、2人いれば活動は半分になり、3人いれば1/3です。また、声をあげるひとの人数が増えれば、「自分の考えには偏見が入っていたかも知れない」と本人が自ら気づく機会も増えるのだと思います。

「多数」を根拠にすること

だけど実際は、女性差別・女性蔑視を擁護する声がまだまだ多いです。とても悲しいことに、意識的にか無意識かはわからないものの、男性中心の社会が正しいかのような発言が溢れています。

それをよりどころにして、「やっぱり自分の考えは間違っていない」「多数がそう思っているから問題ない」と思ってしまう方がいます。


少し話はそれますが、私がセクハラを受けた時も「多数がそう思う」に傷つきました。

「この状況なら勘違いする男の方が多いと思うよ」という加害者側であるクライアントの言葉や、「(結果論的かつ客観的に見たら)誰が見ても危険なのに、なぜ断らなかったの?」という上司からの言葉。

それは確かに多数の意見であっても、本当に正しいと言えることなのか。正しいと言うと少し表現が違うような気もするので、ここでの正しいとは「誰かを傷つけない」と解釈いただきたいと思います。

その行動や発見によって、誰かが傷つかないか。無駄に誰かを攻撃していないか。発言や行動をする前に考えてみてほしいのです。

多数を疑い、行動を変えること


かく言う私も、もちろん最初から疑えたわけではありません。いまの知識量が完璧だとも思いません。だけど、なんとかしたいから、日常にある少しの違和感からフェミニズムを学び知識をつけてきました。

また、この記事では女性蔑視を象徴的に書いているものの、その他のマイノリティーに対する考えも基本的には同じだと思っています。

この発言や行動で、誰かが傷つかないか。傷つけてしまいそうなときは、一旦発言をしないようにする。どんな立場からの発言だと問題ないのか、自ら調べて学ぶ。

そんなふうに行動をしてくれる方が増えたら素敵だなと思います。


NotAllMenというハッシュタグ。私もこれに異論はありません。フェミニズムを理解してくれる男性は、私の身近にもたくさんいます。

だけど、差別は日常に潜みすぎているから。差別が常識のような顔をして、潜んでいるから。ひとりひとりが気づき、差別を排除していけると良いなと思います。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️