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特権があるということ

特権というものを、ここ数日はよく考えている。特権とは、持っている人には見えなくて、持たない人には見えるもの。スクールカーストのよう。

私に見える特権のなかで最も大きいものは、男性の持つ特権。例えば父に対して、その特権がよく見える。

特権とは、自分が持つものは見えない。だから、「見えてない」ことに気づいてふるまうことが大事。

私はどんな特権を持っていて、どんなものは持っていないのだろう。周りを見渡しながら考えている。


特権があるから言えること


特権がある人は、ない人が言えないことを言ってしまう時があると思う。

例えばうちの父からしたら、母や私が感じる女性の苦悩は理解ができない。だから例えば、平気で相手を傷つけるふるまいをすることがある。

私たち女性は、男性から見下されることをよく体験する。敬語を使われないことも見下されたと感じるふるまいの1つで、毎度私はむしゃくしゃする。

そんな話を家族でしたことがある。父はきっと、女性に敬語を使わないことに無意識なのだと思う。特段に理由はなく、そういうものとしてやっている。

でも、私たち女性は、そのことに毎度心を削られる。そんな話を、特権を持つ側の父と、持たない側の私と母でしたのだった。


特権があるということ


特権を持つ者は、それを持たない誰かの権利を守るために、行動をする必要がある。私はこの考えに大賛成している。

義務があるとまでは言わない。でも、行動してくれたら嬉しいし、私も行動をする側でいたい。

例えば、女性が女性の権利を主張していても、悲しいけれど聞き入れてもらえないことがある。

だけど、そこに男性が加わった瞬間に、聞く耳を持つ人がいる。だから特権を持つ側は、持たない誰かの権利のために行動をする必要がある。


昨日友人と話していて、ふいにトランスジェンダーの話になった。「MtFのトランスジェンダーが怖い」という男性の友人に、私はうまく話せなかった。

当事者でもない私が「それは違う!」なんていうのは、おこがましいだろうかと思ったりもする。昨日からずっと、このモヤモヤを持っていた。

それで、モヤモヤに向き合っていたら思い出した。特権を持つ人は、持たない誰かの権利を守る話をしていいのだ。

お互いに特権を持つ部分・持たない部分がある。誰かと補いあって、お互いの権利や立場を尊重して、敵ではなく味方で生きれたらいいのになぁ。


私には、男性であるという特権はない。でも、シスジェンダーという特権がある。

(と言いつつ、私は本当にシスジェンダーなのだろうかと疑問を感じたりもするので、ここでは見た目や立ち振る舞いにおいての特権とする)

そんなふうに、特権を補いあって生きたい。特権があるということを、これからも考え続けたいと思う。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️