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休むことと社会性のいい塩梅で生きていたい

先週の木曜日ぶりに学校に行った。この数日は体と心を休めたほうがいい気がして、学校に行かず自分を休めていた。

学校という場所は、私が社会とつながるために大事な場所である。「ドイツ語を学ぶ」という共通した目的のもと、私たちはそこに集っている。

学校に通って4か月、やっとクラスに安定した仲間ができつつある。うちのクラスは入れ替わりが激しくて、固定のメンバーが極端に少なかった。

そんな学校で、私はいい塩梅をもっていたい。通うことを目的にしない、友達と遊ぶことを増やしすぎない、結局大事なのは私が無理をしないこと。


自分のために休むこと


毎日登校する、あるいは出勤するのが良しとされてきた私は、休むことに抵抗がある。ましてや、語学学校は自分でお金を払っているからなおさらに。

休むことに罪悪感を感じたり、「この授業には○円かかっている」と思ってみたり。休まない理由はたくさんある。

反対に、休む理由は無意識に消してしまう。そうして生きてきたから。でも最近の私は、積極的に休む理由を見つける。

「ちょっと喉が痛いから」「昨日寝るのが遅かったから」。頑張りすぎて心身を壊してしまっては本末転倒なので、積極的に理由を探す。


社会性には喜びを感じる


やっぱり私も社会性のある生き物だと思うのが、友人に気にかけてもらえたら嬉しいということ。

友人に食事に誘ってもらったり、元気だった? と聞いてもらったり、誰かの意識のなかに私がいると思えることはとても嬉しい。

でもこれも、余裕のある時でなければいけない。疲れている時に友人と会うことは、私には少し苦しく感じることでもある。

喜びを感じられる程度の塩梅で、友人たちには会いたい。ゼロは困るけれど、100も困る。ちょうどいいところで、楽しんで会いたい。


いい塩梅で生きていたい


この数日は学校を休み、友人にも会わずに過ごしていた。体はいくぶん休まったはずだけれど、心はまだ少し疲れていた。

この休み方では足りないのだろうかと思った。いっそ思い切って数週間休んでしまおうか、なんて真剣に考えていた。

だけど今日、友人と会って食事もしたら、そんな気持ちはどこかに行った。

やっぱり、ひとりで暇にしているのも考えものだ。私は定期的に誰かに会わなきゃいけない。


休むことと社会性のいい塩梅で生きていたい。今日は友人とメキシコ料理を食べて、本屋に行って帰ってきた。

ともに居すぎず、だけど今度の旅行の話をしたりして、程よい時間だった。こんな生活を大事にしたいと思ったのだった。

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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️