気を遣う友人は親友ではないのか
最近気になることがあります。
どちらかが気を遣うことで成り立っている友情を、親友と呼んでも良いのかということです。
定義はひとそれぞれなので、思い悩むことではないとわかってはいる。だけど、親友を親友と紹介するたびに「私は本当に親友と呼んでもいいのだろうか」と考えてしまいます。
10年来の親友
私には大事な親友がいます。
ずっと女性の友人が少なくて、2人で会える友人はもっと少ない私。なぜなのだろうと思っていたのですが、スクールカーストの強かった中高時代のおかげで、女性には簡単に気を許さない習慣が身についているようです。
そんな私が10年以上付き合いを続けているのがこの親友。
2人でも会うし、特定のグループでもよく会います。私のことをよく知ってくれていて、いつも見守ってくれる大好きな友人です。
親友の定義とは
もともと友人が少ないからなのか、彼女についてふと思うことがあります。それが冒頭に書いた「気を遣う友情を、親友と呼んでも良いのか」ということです。
例えば、いつどんな連絡をしよう、どんなふうに伝えようということはとても気を遣います。なぜなら、嫌な伝わり方をして欲しくないし、嫌な思いをさせたくないから。
だけど、どちらかが素をさらけ出せていない、気を遣っている関係を、親友と呼んでもいいのだろうか。それにもしかすると、私も彼女に気を遣われているのではないか。
友人が少なく誰かとの友情に自信がないから、気にしなくていいとわかっていても不意に考えている私がいます。
私なりの結論
だけど、このように見ることもできます。
親友というくらい大事だからこそ、コミュニケーションの取り方を大事にする。これからも長く付き合いたいからこそ、伝え方には気を配る。
こう捉えなおせば、彼女のことをこれからも親友と呼んでもいいのかもしれない。こちらの考え方のほうが、私にとっては気持ちが楽です。
親友とは
大事だから、お互いのことを思いやるから親友なのか。それとも、お互いに素をさらけ出せる関係性が親友なのか。
みなさんはどちら派でしょうか。
きっと正解はないので、自分が心地のいいほうで定義ができればといいのだと思います。
私は圧倒的に前者で、たまに気を遣いすぎて遠慮してしまうことがあります。だけど、お互いのことを思いやれる彼女のことを、これからも親友と言いたいと思います。
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