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2か国に暮らすわたしの日常|ドイツと日本でフリーランス

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ドイツを拠点として暮らしています。10歳のころに憧れた国、ドイツ。大人になった私は、会社員を辞めて、フリーランスになってドイツに移ることにしました。ドイツに拠点を持つことに成功し…
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#一時帰国

ベルリンに住む私のことといまの暮らしのこと

私は普段メモを用意してからスタエフを録り始めるのですが、今回はなんとなく自由に話してみたくなったので、メモを作らずに話してみました。 結果的には最近の私の自己紹介、ベルリンの家探しで思っていることを話しました。 海外で暮らすことに興味のある方がいればお答えしたいなと思うので、よかったらコメントで教えてください☺️ ▼スタエフはこちらフォローいただくと、ひと足先に最新投稿の通知を受けとれる&倍速再生などができます☺️ ▼文字で読みたい方はこちらベルリンでの暮らしの話

コーチの私がコーチングを受けたら、一時帰国によって変化した私と出会った

月1で受けているコーチングセッション。私はライフコーチというあり方をお仕事にしているけれど、自分を調律するため、自分をもっと知るために、私も毎月セッションを受けている。 いまのコーチとのセッションは、これが7回目。次が一旦の区切りになる……ということはすっかり忘れた状態でこのセッションを受けた。 セッション中はそんなことは考えていなかったけれど、受け終わってみたらこの回数に意味があったように感じる。私は大きく変化をしてきている。 このコーチとのセッションが始まったとき、

恋人を待ちながら家

この数日は恋人が出張に行っている。私は恋人と住む家でひとり、生活を続けながら待っている。 恋人が家にいなくても、私の生活は普通に流れる。たぶん恋人が寂しがるほど、私は1人の生活は寂しくない。 予定が入っている時間は予定通りに仕事をして、入っていない時間は気分に合わせて何をやるか決める。午前休ということにした日もあれば、今日は朝の8時半からnoteを書いている。ひとりで朝ごはんを食べながら、ひさしぶりにドイツ語を学ぶ動画も見た。 この生活が、案外寂しくないんだよなと思う。

一時帰国を経ると私の世界は変わるようで

ドイツに帰国して5日目。時差ボケはそんなに気にならないと言いつつ、今のところ毎日たくさん寝ている。 昨日はたぶん21時には寝落ちをして、日付が変わった頃に一度起き、寝る準備をしてからまたすぐに寝た。たぶん9時間くらいは寝た。一緒に暮らしている恋人と2人で。 一時帰国って何かの力があると思う。国を越えること、飛行機に長時間乗ること、時差を行って帰ってすること。何が影響しているのかはわからないけれど、ここ数回の私の体験としては何かが変わる。 前の一時帰国は恋人と一緒だったか

過去の私に想いを送る

昨日ある方のお話を聞きました。少し前にアーカイブを買っておいて、この1週間ほどのバタバタのなかですっかり忘れ、昨日のお仕事がお休みの余白に思い出して受けとったお話。とっても素敵だ、大切だと思ったし、アーカイブのなかで話していいよと言ってくださっていたからここに書いてみます。 ちなみにそれがどなたかといえば、PSYCHEさんという方。毎週の星予報や、月ごとのタロットが好きでいつも聞いてます。元気をもらえる方なので、よかったらこちらからどうぞ。 私が見たアーカイブはもう販売が

高知のゆたかな自然を味わえるようになった30代

一時帰国をして2週間ほど。実家のある高知に滞在して家族と過ごしている。 私が学生だった頃、毎日片道1時間以上をかけて高知市内の学校へ通っていた。そのおかげで、住まいは田舎だったけれど、自然のなかでの体験は弟たちよりもずっと少ない気がする。 都会に育った人たちよりは、圧倒的に多いと思うけれど。子どもの頃なんて、例えば小学校から帰ったら、山とか水路とかをめぐって走り回って遊んでたし。 でも、中学生からは一気に自然との触れ合いが減った。私はこんなことも知らなかったんだなと、今

毎朝noteをやめてしまうほど濃い一時帰国の途中振り返り8項目

2週間前から一時帰国をしている。今回は予定していたものではなく、チケットを買って40時間後には飛行機だった。 スタートからイベント感満載で始まったこの一時帰国。まだ終わってはないけれど、あまりにも濃いので、私の記録用に一度ここまでのまとめをしたい。それぞれのイベントについてはまた後日noteにすることは諦めてない。 #愛食フェス へ行った まずは一時帰国1日目。飛行機から降りて、タブレットを忘れたことに気づいてカウンターへ寄ってから、ホテルに荷物を置いてここに向かった。

人との別れとは突然にやってくるのだと

先週末から、日本に一時帰国をしている。ここ3か月ほど学んでいた講座の仲間に会いたくて、仲間のおかげで帰国して(これはまた別の記事に書く)、この1週間ほどは実家に滞在している。 その間に、私が不定期で開催している #人生シェア会 も開催した。今回のテーマは家族との別れ、私はおじいちゃんとの話をしたところだった。 そんなときに、昔の恋人の訃報が届いた。今朝起きて、まどろんでいるときに聞いてびっくりして飛び起きて、どうもこの気持ちを消化できない。 ……なんてことは当たり前だよ

#愛食フェス にお邪魔して、会いたいひとにたくさん会えてよき時間でした🥰こんなちょうどいいタイミングで、こんな素敵なイベントをありがとうございます!なんて誰目線な感謝をなるみさんにお伝えしたら、それはもう運命だ!と返してくださってほくほくしています🫶

一時帰国前に家を引き払ったのでベルリンで家探しをしています

2023年の11月は、私にとってはなかなかヘビーな月だった。 まずはドイツでのビザ取得。ワーホリビザで来ていたから、切れる前にフリーランスビザに変更をした。一時帰国が迫っているタイミングでのビザ更新は、きっと大丈夫と思いながらもドキドキしたし、はねられないよう書類はできる限り完璧に揃えた。 そしてビザ申請同日の家の退去。家具付きの家だったから荷物が少ないとはいえ、ドイツによくあるスーパーのでっかい袋に7袋くらいと、段ボール3箱くらい詰めただろうか。恋人の家族に手伝ってもら

ドイツ移住の挑戦を経て1年ぶりの韓国

1年前、正確にいえば1年と2か月前、私はドイツへの移住の挑戦を始めた。その前に私は韓国に留学したけれど、それはドイツ移住への前哨戦のようなもので、本命はずっとドイツだった。 韓国への留学を経て韓国が大好きになった私は、韓国を経由してドイツに向かった。末の弟と韓国を1週間ほど楽しんで、そのまま空港で別れた。 あの日から約1年、一時帰国の最後に、私はまた韓国にきている。今回は弟ではなく、ドイツでできた恋人を連れて。私と知り合う前から韓国語を学んでいて、韓国の文化に興味のあった

一時帰国の最後に家族とハグができなかったこと

今日までが実家の滞在だった。その後の乗り継ぎの都合で飛行機の出発時間は早かったけれど、実家は空港から近いから、たかをくくって準備をしていた今朝だった。 私が頻繁に地元の空港を使っていた頃、飛行機が出る時間の1時間前に家を出たら、出発までの時間は余裕だった。そんな記憶があたまにあって、なおさら私はたかをくくっていた。 私は一時帰国の最後に、家族とちゃんと別れをしたかったはずなのに。どうしてその時間を考えなかったのかと、いまになって悲しくなる。 私たちの家族が大切にしている

新しいコーチとのセッションと愛と人魚

1月から新しくコーチングセッションを受け始めました。 私はいまドイツから一時帰国をして実家にいるのですが、コロナにかかったり、祖母の誕生日があったり、同じ日に大叔父が亡くなったりという出来事がありながら、また愛というものを学んでいます。 私の人生は29歳だった3年前から物語が新しく始まり、大きなテーマは「愛」なのだと受けとっています。その愛の物語はいま3章目まで進んでいて、これがいつ終わり4章に移るのかはわかりませんが、この物語での私は「人魚」なのだと気づいた今回のセッシ

祖母が86歳で生きていることと大叔父が亡くなったことと

祖母が今日、86歳になった。祖母が86歳になるということは、実は私たちにとってすごく重要なことで、私はこの日を待っていた。 私たち兄弟が幼い頃から、時には両親以上に私たちの世話をしてくれた祖母。いまは遠くに住んでいて頻繁には会えないけれど、祖母の存在はいつも大切に思っている。 彼女が86歳になって、私はホッとしている。そんな日の朝、目が覚めたら祖母の兄が亡くなった知らせが届いていた。こんなこともあるのだな、大叔父が祖母を守ってくれたのだろうかと思いながら、このnoteを書