マガジンのカバー画像

ドイツワーホリの記録|フリーランス1年目31歳ギリホリの1年

177
ドイツワーホリの記録を始めます。ドイツに来るために、大手企業のマネジメント職を手放し、フリーランスのライフコーチになりました。やりたいことを妥協しないをモットーに、韓国留学を経由…
運営しているクリエイター

2023年3月の記事一覧

久しぶりに日本の仲間たちに会いたくなった

ベルリンに暮らして4か月。こちらの生活にも、もうだいぶ慣れてきた。 ベルリンに来る前には半年韓国に住み、その後半年は実家にも住んだ。会社員という生き方から少しずつ角度を変えて、いまここの暮らしがある。 前職は私には合わなかった場所で、後悔はないけれど戻りたくはない。 でも、前職で出会った仲間は多い。コロナも相まって3年くらい会えていないけれど、仲間たちに久しぶりに会いたい。めずらしい思いが湧いている。 日本、もとい前職の仲間たち 前職の仲間とは、私にとって戦友と同義

私に恋愛がうまくできるわけないと思う人格がいる

私のいままでの恋愛は、特にすごく悪いわけでもないのだけど、すごくいいものでもなかった。 理由は簡単で、私が自分に自信がなかったから。常に恋人にあわせてしまって、誰にも頼まれてないのに、一歩引いてそこにいるような彼女だった。 私らしさのままで、恋愛がうまくできたと思えたことがない私は、私の恋愛のことを否定する。私に恋愛がうまくできるわけがないと思う。 そんな私がいることを知っている。知ったままで、そっと見守っている。 私に恋愛がうまくできるわけない 「私に恋愛がうまく

休むことと社会性のいい塩梅で生きていたい

先週の木曜日ぶりに学校に行った。この数日は体と心を休めたほうがいい気がして、学校に行かず自分を休めていた。 学校という場所は、私が社会とつながるために大事な場所である。「ドイツ語を学ぶ」という共通した目的のもと、私たちはそこに集っている。 学校に通って4か月、やっとクラスに安定した仲間ができつつある。うちのクラスは入れ替わりが激しくて、固定のメンバーが極端に少なかった。 そんな学校で、私はいい塩梅をもっていたい。通うことを目的にしない、友達と遊ぶことを増やしすぎない、結

臆さず政治の話をしていてよかったと思った

正直に言って、私は日本の政治に不満がある。 もちろん、政治が100%完璧にうまくいっている国はないと思う。そんなことはわかっている。 だけど、特に女性である私たちにとって、日本の政治は正直ひどい。女性が人権を取り戻すことを、男性が生きづらくなることとしている思想も嫌い。 男性も女性も生きやすい世界に、なぜしようとしないのか。なぜ男性と女性の二項対立にしたがるのか。31歳女性の私は、すごく不満がある。 そんな話を、私はたびたびnoteに書いてきた。Twitterにもつぶ

表現を増やすには時間が足りない

最近の私は、もっといろんなことを表現したくなっている。 私の発信の枢軸といえば文字で、noteとTwitterをたくさん使っている。 Instagramも最近は楽しくて投稿を増やしていて、ここにも文字を使っている。キャプションは時間をとって必ず書く。 そのうえに、最近は動画にも手を出したくなってきた。このままではどう考えても時間が足りない。 いまの私は海外に住むフリーランスであり、語学学校生でもある。 語学学校の授業は1日3時間とはいえ、目的は「話せるようになること

皆勤が善だと思っていた私は休むトレーニングをしている

日本で働いていた時、私は長期休暇のたびに寝こんだ。 いつからか扁桃腺が腫れやすくなっていた私は、疲れを溜めこんでは長期休暇で爆発させ、40度の熱を年に6回出したこともある。 長期休暇中に苦しんで、終わる頃にはへろへろな体力で出社する。だけど、長期休暇にこそ体調を崩すことが、社会人の鏡だと思っていた。 会社員を辞めた私は、いままでよりは自由に休んでいる。でも、どうしても過去の意識が邪魔をする。 だから私は、休むトレーニングをしている。周りがどうとか誰がどう言うとかではな

3年3か国5つの家でリモートワークをした私は仕事環境が譲れない

コロナで初めて在宅勤務になった3年前。家にリモート用の設備はなくて、床に座りローテブルで仕事をした。 肩こりに耐えられなくなった私は、近くのニトリで急いでスツールを買った。だけどそれでは固くてもたず、上に低反発の座布団を置いて使った。 急に始まった在宅勤務から3年。フリーランスになっていまでも在宅で働き続けているとは、当時の私は思いもしなかった。 コロナが始まってから3年と3か国と5つの家を経て、私はベルリンでも在宅勤務をしている。そろそろ在宅のプロとも名乗れるかもしれ

ドイツの暮らしは好きだけど本当は家族とも一緒にいたい

今朝目覚めたとき、ふいな寂しさにつつまれていた。 私はどうして遠い場所にひとりでいるのだろう。日本を好きでいられたら、私たちの未来は明るいと思えたら、私も家族と一緒に日本に居たいのに。 そう思えて、急に寂しさを感じた。私は寂しい人なのだろうかと自分に問いながら、窓際の暖房を操作した。 ドイツは好き、家族も好き 私はいまのところ、ドイツでの暮らしに満足している。 家賃は高いけれど満足する家に住めているし、時差はあるけれど日本の方たちと満足にお仕事ができている。 ドイ

1年後の私は愛を循環させて生きるアートの一部

どうやら私は、アート的に生きたい。「レールに乗る」とか「安泰を大事にする」のではなく、自らの願いにしたがって、アートのように生きたい。 誰かがそこに価値を見出すかどうかは大事ではない。ただ私が大事だと感じ、愛おしく思い、私の願いが一番に叶えられる生き方ならそれでいい。 実際はそんなことはなかなかできない。だからこう思っているくらいがちょうどいい。私はアートのように生きて、私の人生の目撃者とシェアしたい。 私はストレングスファインダーでは未来志向が優位なので、未来を描いて

有料
0〜
割引あり

結局は私が楽しくあることを許すかどうか

ドイツで暮らしている私は、会社員の頃の私には信じられないほどに、日々が楽しい予定で埋まっている。 会社員という働き方は、1日のうちの大半を会社に明け渡すことだから、楽しい予定や遊ぶ予定というのは週に数時間〜十数時間しか取れなかった。 だけどいまの私は、時間を使うことの裁量をすべて持っているので、いくらでも楽しい予定を入れることができる。 とはいっても性格が邪魔をして、毎日遊んでばかりいることはできない。私が楽しくあれるかどうかは、結局は私が許すかどうかなのだと思う。

人生はきっと小さなアップデートのくり返し

いまの私は、どうやらつまずきのタイミングにいる。なんだか殻から抜け出しきらない、次のステージに行ききらないかんじ。 次のステージへのたどり着き方がまだわからない。だから何か行動をしたいのに、どうすればいいかがわからない。 かといって、しっかり休めるわけでもない。なんだか変だな、どうすればいいかなと気持ちだけ前のめって、変な夢をみたりする。 人生には、次のステージへとアップデートをする時期がある。必ずしも方法を持ち合わせて始まるわけではないので、こういう変な時期も過ごす。

願いは叶うと知っているから、叶う前に予祝をする

最近の私がやっていることとして、予祝をするというものがある。何かが叶ったと知る前に祝う。例えば引っ越しとか学校のテストは予祝をした。 会社員の頃、私の願いは叶わないものだと思っていた。願っても叶わないのなら、最初から願わないほうがむしろ楽。そのうち願いも持たなくなった。 だけどいまの私は、私の願いは叶うものだと知っている。私は叶え方を知っているし、運によるものも願えば寄ってくると体験している。 だから私は、叶う前に祝う。好きなものを食べたり、好きなドラマを見たりして、よ

憧れだった景色が帰り道になったから、やっぱり願いは叶うと思う

ベルリンに住むことは、10年前からの夢だった。その夢を諦めなかったから、私はいまベルリンに住んでいる。 何より仕事を優先したい私は、ひとり暮らしは譲れないと結論を出した。そう決めたから、家探しが激戦のベルリンでひとり暮らしができている。 ずっと私は、ベルリンの街中の景色が憧れだった。その景色が、私の生活の場所であり帰り道になっている。 願いは叶わないものだと、ほんの数年前までの私は思っていた。でも、私の願いは叶っている。願いは諦めさえしなければ、やっぱり叶うのだと思う。

私と友人は男女だから仲がいいのか

私の思考から切り離せないことの1つに、自分の性別のことがある。 別に私は、自分のことを男性だと思うわけではない。女性として生まれて、女性らしい服装が好きな私は、自分を男性と思うには抵抗がある。 だけど、女性と見られることには少しの違和感がある。特に、「女だ」と見られていると感じる時に違和感がある。 「女だ」と見られていると感じる時、私はまたそう見られているのかとガッカリする。 それなのに、私には男性だから仲良くできる友人がいるように思う。この矛盾は、何度も私に問いを投