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ヤチムン壺屋焼〜私のルーツ〜

沖縄も秋めいたかと思ったのも束の間。
太陽の下は灼熱やんけ〜ヽ(;▽;)ノ


今日は特に日差しが強く
太陽の下は焼けるように暑かった。。。


妹からのお誘いで
久しぶりに兄弟でお出かけ〜!


年子の妹と、末の弟と一緒に
親戚のおじちゃんが運営している
ギャラリーがある陶房へ遊びにいくことに!


母方の親戚はヤチムン一家
ヤチムンとは、沖縄の方言で、
焼き物つまり陶芸を表します。
我が家には当たり前のように
沖縄伝統の「壺屋焼」の食器や壷がある。
右脳派の私たちは
母方の血が色濃く残っているのだろう。
と、勝手に思ってます(´∀`)笑


沖縄で初めて
『人間国宝』になった金城次郎
弟の敏雄が私のひいじいちゃん。


今日は、そんな陶芸一家を親戚に持つ私の
ルーツのお話♪


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こんにちは、
「自分しかない経験(学び)は武器になる」

子どもの能力開発塾アイマナビー

髙良 佑合(たから ゆうり)です。

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ヤチムン

沖縄のヤチムンと言えば・・・
「壺屋」が有名ですね〜!
その壺屋にはかつて大きな登り窯があり
「壺屋焼(つぼややき)」として有名です。


ネット調べてみると

壺屋焼(つぼややき)は沖縄県那覇市壺屋地区及び読谷村その他で焼かれる沖縄を代表する陶器の名称。登り窯を中心に灯油窯やガス窯なども用いながら伝統の技術と技法を受け継いでいる。

Wikipedia引用

壺屋焼の特徴というと、
今にも泳ぎ出しそうな魚紋。
海老や、植物のつたような模様。
食器のまかい(お茶碗)や平皿に描かれている。


大きな壺や、花瓶、シーサーも有名です。



ヤチムン一家

上記でもお話しましたが、
沖縄県で初の人間国宝になった金城次郎
沖縄では有名な陶芸家です。
その弟・敏雄が私のひいおじいちゃん。

金城 次郎(きんじょう じろう、1912年(大正元年)12月3日 - 2004年(平成16年)12月24日)は那覇市生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」技能保持者(沖縄県で初の人間国宝)。

1925年、13歳で陶工として新垣栄徳に師事し、この年に民芸運動を展開していた濱田庄司と出会った。民芸運動の中心人物である柳宗悦の影響を強く受け、製作に反映させていった。太平洋戦争中は制作活動を中断するが、1946年に壺屋に自らの工房を開いた。

日常的な暮らしの中の日用品に「用の美」を見出そうという民芸運動に作品は合致し、数々の受賞をして名前を馳せていった。 1972年の沖縄返還の年に、都市化により登り窯から出る煙の公害問題が起きていた壺屋から、活動拠点を読谷村に移した。 1985年に沖縄県で初の重要無形文化財技能保持者(人間国宝)に選ばれた。 2004年に心筋梗塞のため死去。

作品は、素朴な作風の壺屋焼(上焼)で、壺、食器、酒器などの日用雑器が多く、また、魚や海老をモチーフにしたものが多い。笑っているように見える魚(笑う魚)などユーモラスな「魚紋」は金城次郎作品を代表する絵柄である。

3人の子はすべて陶芸家で[1]、一族には壺屋焼陶芸家が多く、次郎の弟である敏雄の血筋を含め「金城一門」と呼ばれる。

Wikipedia引用

Wikipediaにも載っているって凄い!!!
こんなに凄い人だなんて、、、
大人になってから知りました(笑)


沖縄のパンフレットで
ご覧になった方もいるかもしれません。
壺屋の風景、重要文化財にもなっている
新垣家住宅(あらかきけじゅうたく)
この赤瓦屋根の上に堂々と鎮座している
このシーサー。
このシーサーを作ったのが
私のひいじいちゃんなのです!!!
(すげ〜・:*+.\(( °ω° ))/.:+)





金城陶器 秀陶房

母の従兄弟である
秀義おじちゃんの陶房へ遊びに行きました♪

秀義おじちゃんはいつも気さくで
頭の切れる頼れる男!
というイメージ( ´ ▽ ` )笑


壺屋焼の伝統的な、
魚紋、海老などの
海の生き物をモチーフとした作品や、
伝統的な技術を継承しつつ、
人魚姫や、新たらしい作風もまた良くて!!!
壺屋焼にはない斬新さもあります♪


私は個人的に、
龍とか、舞魚紋が好き♡



ウチナンチュなら知っている
パレット久茂地(沖縄では有名なデパート)
で個展を開いたり、
京都は大丸京都店での個展もしたことがあります。


昨今は、
コロナ禍の影響で、
親戚で集まることもメッキリ減ってしまい、
中々集まることができていなかったので
久しぶりに会えて
近況報告ができました!


私の母も会いたそうにしていたので
私のスマホを使ってLINEビデオ通話!


最新の技術に戸惑いながらも
会話をする母とおじちゃんが、
照れ臭くも、楽しそうに会話をしていて
私たち兄弟もその光景を嬉しく見ていました。



にぃにぃ

金城一門の表に書かれていない
幻の陶芸家がもう一人います。


それは、母の弟。


私たち姪っ子、甥っ子を
すごく可愛がってくれた
にぃにぃ。


にぃにぃはもうこの世にはいません。


季節労働で出向いた土地で
亡くなった。
という知らせを聞いたのは
私が高校3年生の冬でした。


にぃにぃは、
宮城陶房という陶房で
長きに渡って働いてきました。


ちょうど、
沖縄サミットがあった
2000年。


にぃにぃはサミットで使用される
沖縄の名産物泡盛を入れる「盃」
を作るという大偉業を成し遂げました。


沖縄の文化が世界に渡った瞬間でした。


そのサミットの後、
社長が帰らぬ人となり、
陶房は閉じてしまいました。
そこから、
にぃにぃが輝ける場所がなくなり
それ以降、ロクロの前には
座ることはありませんでした。


にぃにぃが陶芸を続けていたら
まだ生きていたのかな〜?
とふと思うことがあります。


にぃにぃが結婚する姿とか見たかったな。。。


そしたら、私たちには従兄弟が生まれていたのかも知れない。


私が結婚した時も、
晴れ姿を見せてあげたかったな〜
と強く思いました。


今でも、夢に出てきたりして
会いたくなります。


別れがあまりにも突然だったので
現実には受け止めきれていません。


どこかで、
ふと現れたりするのかな〜
って思うけど、
棺桶に入って飛行機で渡ってきて
帰ってきた姿は
すご〜〜〜〜〜〜く
すご〜〜〜〜〜〜く
悲しかった。。。


そんなにぃにぃと
夏休みの自由工作で作った
シーサーの貯金箱が私の思い出です。


お盆の時は、
私が自宅療養でお墓参りに行けなかったので
近いうちに挨拶に行けたらと思います!



ルーツ

右脳教育の塾講師をやっていた私。
閃きや創作。想像、創造。
これが得意だったのは、
私の潜在意識の中に
そのルーツが関わっているのかも知れません。


ルーツを遡ることで
今のあなたのやりたいことに対しての
ヒントが見つかるかも知れません。


ぜひ、
ご家族のルーツを遡ってみてみるのを
オススメします!!!


そして、沖縄に観光に来る際は
ぜひ、『金城陶器 秀陶房』にお立ち寄りください♪
沖縄の海が一望できる素敵な場所ですよ〜!



本日の学び

♦︎自分のルーツを遡ってやりたいことのヒントを見つける

にぃにぃのことを思い出して
涙が自然と流れてきました。

大切な人との思い出です。



自分にしかない経験(学び)は武器になる♡


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アイマナビー
代表・髙良佑合

20歳の頃、家庭の経済的困窮により『教師』になる夢を諦め、挫折を経験しました。
自己啓発本、ビジネス書などで独学で学び、就職先である某携帯電話会社の受付販売員(約6年)時代は売上トップ社員に!家庭も安定してきたところで、教師になるのは難しくても子どもと関わる仕事に就ければと、働きながら子どもに関わる資格を次々と取得していきました。するとご縁があり某有名右脳教育塾の講師の先生からお誘いがあり、夢であった幼児教育の世界へ!

右脳教育塾では3年間で0歳〜小学校6年生の112組の親子のクラス担任になり、幅広い年齢層の子ども達の成長、発達を見守ってきました。その際大切にしたのは、子ども達のありのままを認める心のスキンシップ。潜在意識への働きかけ。自己肯定感の上がる声掛け。目の前の子ども達の興味関心を把握し、一人一人の個性に合わせた対応。保護者の方の喜びや、不安に寄り添う姿勢。発達段階での子ども達の「身体」や「脳」の仕組みの知識を解説。それによって保護者が安心して楽しくレッスンを受けてくれたようです。

この学び(経験)をもとに「マインド×潜在意識×身体×脳」に
アプローチした内容をお伝えしています。



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