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それでも私は

今日は午後に美容院に行ったらとても疲れてしまいました。
ほぼ毎日運動しているのにうつ病だから疲れるのか、もともと体力がないからなのかは分かりませんが、行動が制限されるのですぐバテる自分が恨めしいです。
今日の文章がいつにも増して下手になっていたらすみません。

昨日は夜22時半に寝て、今朝は5時半に起きました。朝は午後と比べて元気で熟睡できた感じがしました。その後愛犬と朝散歩して、掃除もしました。あと、シティーハンターのエンディングソングである岡村靖幸さんの「Super Girl」を聴いてテンション上がりました笑。シティーハンター懐かしい…。もう一回観直そうかなという気持ちにさせられました。

さて、アダルトチルドレンに関してですが、しょっちんパパ@うつ克服から社会復帰活動中さんがまたしても私が書いたコメントを取り上げてくださったので下記の記事をご紹介します。私のコメントを分析しながらアダルトチルドレンに関して教えてくださり、とても参考になりますので、まだ読んでない方は是非一度読んでみてください。

ここからは私の醜い部分をさらけ出すことになるので、不快になる方がいらっしゃるかもしれません。もしくは、ご自身の過去を思い出して傷つく方がいらっしゃるかもしれません。正直今このことを書いていていいのか、書く権利が私にはあるのか迷っています。
もし少しでも戸惑いがありましたら、遠慮なく、画面を閉じていただいて大丈夫です。

実は学生の頃一度友達に私の母親が毒親なのではないかと指摘されたことがあります。
しかし当時の私はあまり真に受けられませんでした。基本的な毒親やアダルトチルドレンといった知識がなかったというのもありますが、毒親はいわゆる身体的に虐待したり、精神的に子供を追い詰めて過呼吸や激しい動悸の原因になったりするものだと思っていました。

しょっちんパパさんのアダルトチルドレンと共依存のチェックリストをやってみて、やはり両方該当していました。でも今でもしょっちんパパさんには大変申し訳ないのですが、実感が湧かないのです。母の何気ない言葉で丸一日うつになったり、時には自殺を図ったりすることもありました。ですので、頭の中ではそうなんだろうな、と思うのですが心がぼんやりしていていまいち追いついていないのです。どうしてなのかは自分でも分かりません。ただ、昔から母親は声をかけるだけで睨んできたり、厳しい教育をしたりしてきました。公共の場で手を上げることはもちろん、お金の貸し借りをするにも契約書を書かされ、共に生活していても、誰がお前を養ってやっているんだと罵倒されることもありました。その度に私の心が少しずつ小さく欠けていったように思います。
母は私にとって恐怖の存在で、母の言動一つ一つで一喜一憂していました。
でもそれでも私は母が大好きなのです。大好きでもあり、大嫌いなのです。
母親が私の世界で、私の一番で、絶対的な存在でした。

でも、なんでしょう。私はそもそも別れというものに敏感なのですが、どうせ私がいない方がみんな幸せだという思い込みがあります。このせいで夫との夫婦生活に支障がきたすこともあります。これは自己肯定感が低いからなのかもしれませんが、大切な人に怒られている、大切な人が私のせいで傷ついている、もしくは大切な人から嫌われたと思い込むともう凄まじいくらいの拒絶反応を起こし、自ら離れようとしてしまいます。どうせ拒絶されるなら、こっちが先に拒絶してしまおう理論です。

どうして自分がこんな行動をするのか分かりません。分からなくて、悲しくて、辛くて、涙が出ます。

でも実際拒否されるとすごく怖くて、相手にすがってしまいます。私の夫は私を否定することはないので、本当にありがたい存在なのですが、私が以前付き合っていた彼は、私を支配したがる人でした。支配し、支配される関係が彼にとって理想の愛情の形で、それはとても歪んだ愛情表現でした。でも私は支配されれば愛されるんだと錯覚を起こしていたのです。
実際私が彼にとって気に食わないことをしたりすると、彼は私を拒絶し、完全シャットアウトしていました。私が泣きながら追いかけても、ドアを開けてくれることはありませんでした。
そんな醜くて、歪んだ愛情ですが、私はどこかで母性のような、父性のようなものを求めていました。ありのままの私を愛してほしい。そのためにはなんでもするから。お願い…!
ずっとそれが心の中で私を渦巻いていました。だから私はきっと、共依存しやすいのでしょうね。

私よりももっと辛い家庭環境を送っていた方達を知っています。ですから、私の家庭問題なんてそんなに大したことないのです。でも、私には母親も、父親もいなかった。父は私が小さい頃から不倫をしていたし、私はもう誰を信じていいのか分かりませんでした。父親が帰って来ないのは、子供ながらに自分のせいだと思っていました。私の心の支えになる人は、私の分身だけでした。

お母さんは知らなかったかもしれないけど、私はお母さんの幸せのためならいつだって笑顔でいたんだよ。でも、新しいお父さんと再婚する時、幸せそうな顔をしながら役所で愛を誓っていたあの日、私は泣きながら笑っていたのを知らないね。本当は離婚も環境の変化も全部苦しかった。本当はただ、私のそばにいてほしかった…。

3行ポジティブ日記:
・しょっちんパパさんが今度は私のコメントを取り上げて記事を書いてくださったのがすごく嬉しかったです!こんなに一生懸命考えてくださって、本当に感謝しています。
・通い慣れている美容院に行って夫以外の方達と話しをしました。2ヶ月ぶりの美容院なのに、なんだかすごく久しぶりに社会と繋がれた気がします。結局疲れて帰ってきてしまいましたが、お話ししている時はたくさん笑って楽しかったです。
・ニャンコとワンコの寝顔を見ると心が安らかになります。

私のうつの原因は紐解いていけばもしかしたら結構複雑で、時間をかけてうつになったから、逆に時間をかけないと治らないのかもしれません。今まで焦っていましたが、割り切ってゆっくり治すつもりでいた方がいいのかもしれません。

散々母親に傷つけられたことを申し上げましたが、それでも私は、それと同じくらい母親に救われてもきました。
救われては傷つけられ、傷つけられては救われの繰り返し。だからすごく複雑な感情と関係で成り立っています。

でも、私はいつでも母の幸せを願っています。
そして、形はどうあれアメリカへ連れて行ってくれた母に感謝しています。
今の私が存在するのは、今の私が私でいられるのは、今私が幸せでいられるのは、全て過去があったから。
そして、最終的にきっと私はそんな私が好きで、嫌いで、でも好きで。
だからもう癒されましょう。あなたは癒されていいのですよ。

ここまで読んでくださりありがとうございます。
今日という日が皆さんにとって優しくて温かい1日であったことを願います。
もし辛いことがあったのなら、そんな今日という日を乗り越えられた皆さんを素敵に思います。どうか、夜だけでも地球上のすべての皆さんが、花びらが身を寄せて集まるように、安らかに眠れる時が来ますように。

おやすみなさい。

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