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結婚には向いていない

結婚してから2年が経つ。
中学生の頃、歴史の授業の課題として自分史を書くことがあった。
また自分史に加えて未来の自分、具体的には40代の自分について、想像の世界だけれど書かなくてはならなかった。

その時の私はまぁすごい想像をしていて…。

私は世界中を駆け巡るスーパーキャリアウーマンなのだ。
今となってはうろ覚えだが通訳でもあり、作家でもあり、女優でもあり、芸術家でもあり、歌手でもあり…みたいな?
とにかく有名人ですごいということ。
家庭の稼ぎ頭らしい。

子供が3人いてその子供もすごい。

長女はイエール大学で美術を勉強している。
次女は高校生で中国語、英語、日本語が話せるトリリンガル。
長男はまだ中学生のサッカー少年。

夫は地方公務員で基本的には家庭のことをやってくれているということだった。

この時から、全く家庭的じゃないじゃん…。
というか、家のことは夫に任せているし…。

実際現実とこの頃描いていた未来図は全く違う。

私はキャリアウーマンでも有名人でもないし、子供がいない。
多分今から3人産むことはないだろう。(多分だけれど。)

中学生の私が聞いたらとてもがっかりするだろうけど、ごめんね、私はただのおばちゃんよ。

でも、未だに主婦をしていることが信じられなかったりする。
主婦といっても料理はしないから、世の主婦達には頭が上がらないのだけれど。

私は本音を言うと、専業主婦になりたくなかった。
仕事がしたかったし、仕事をずっとしていたかった。
なんなら、私が稼ぎ頭になって夫を養ってもいいと思っていた。

専業主婦も立派な仕事なんだけど、外に出ることが好きだったから、家に閉じこもっている自分をイメージすることができなかったし、私は結構お金という対価を得られることが好きだったりする。
アメリカで育った影響か分からないけれど、契約を結んだ対等な関係を重視している。
だから、労働してちゃんとそれに見合ったお金という報酬をもらうのが好きなのだ。

あと、ゲームを作ることが好きだったから、やっぱりこれに関してはずっとブランク無しに続けて、実績を積みたかった。

だから、きっと今抱いているこの気持ちは「悔しい」なのかもしれない。
うつ病になることも、仕事をしないことも私の人生設計には入っていなかったから。

でも、そんな私は結婚には向いていないな、と思う。
私は家庭的じゃないから。
親は小さい頃に離婚していて、母も母性のかけらもない人だから、家庭というものがよく分からなかった。

うつ病だから基本的に心に余裕がない。
落ち込みやすいし、ちょっとしたことで傷つきやすい。
そんな自分に嫌気がさすことがあるけれど、何よりも夫に申し訳なくなる。
多分、いや絶対、私は扱うのにめちゃくちゃ面倒くさい女の子だ。

軽はずみに結婚した私たちだが、その後が結構大変で信頼関係を築くのに時間も体力もかかった。
お互い自分に自信がなくて何度も離婚の危機にあった。
実際は今でも、私よりもっと素敵な女の子はいると思うから、夫と釣り合わないなと思うことがあるんだけれどね。

うつ病の人が結婚するというのは、お互いにそれなりに覚悟が必要だと思う。
既に信頼関係が出来上がっているならいいけれど、そうでない場合は結構落ち着くまでに時間がかかる。(私の経験だけどね。)
それは相手にとっても結構しんどいことだから、うつ病の人ばかりがわがままになって、頼ってばかりではいけない。
結局はどちらも思いやりを持って歩み寄らないといけない。

私が結婚に向いていない一方、夫はとても家庭的で結婚に本当に適している人物だと思う。
料理もできるし。(そこかよ。)

しかしあまりにも家庭に向いている人だから、すごく、すごく辛い時がある。
あ〜、本当、贅沢なんだけどね…。
自分が惨めに見えてしょうがない時があるのよ。

夫婦関係に優劣なんて、ないのに。
どうしても、私なんかじゃ良い妻は務まらないと思ってしまうのです。

これが、私が専業主婦ではなく、仕事をバリバリやっていたら、変わったのかな。
いや、きっと変わっていないのだろうな。

こんな不甲斐ない私でどうしたらいいか分からない時があるけれど、とにかく今は病気を良くしていくこと、自分を成長させることが一番みんなのためになると思っている。
そう信じていないとやってられない。

夫は私の最悪な部分をたくさん見てきた。
だから、少しでも何か恩返しできることがないかなと思って、本当に不十分だと思うけれど、毎日掃除をしている。
特にうちは犬も猫もいるから、床掃除を毎日していないと毛がすごいことになるのです。

私と同じでODをして亡くなってしまったマリリン・モンローがこんな名言を言っていた。

“私は、わがままでせっかちで少し不安定。
ミスを犯すし、自分をコントロールできないときもあれば、扱いにくいときもある。
でも、もしあなたが私の最悪の時にきちんと扱ってくれないなら、私の最高の瞬間を一緒に過ごす資格はない。“

すごい。こんなこと面と向かって言えない。
でも、なんかこの言葉に救われる。

夫婦だから、最悪な時を乗り越えられたら、最高の瞬間も共にできるのかもしれない。
そう信じられたら、幾分か心が軽くなった。


私は昔から人から愛される人間だと思っていなかった。
もう、両親も含めて、誰からも愛されないと思っていた。

そして私も、人を愛することができなかった。
愛されることも、愛することも諦めた30代。
結婚も無理だと思っていた。

だけど夫に出逢って初めてそれがどんなに苦しいことだったかを知った。
愛されることよりも、人を愛せないことがどんなに苦しいことなのか。

愛することはその人を完全に信用するということ。

昔よりも今は少し信頼関係ができている。
私はせっかちでわがままで弱くて脆い女の子だけれど。

人から愛されること、愛することを知れた今を人生で一番誇りたい。

やっぱり結婚には向いてないけれどね。

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