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2024年パリ五輪、競泳の歴史的な大惨敗、「競泳界はかつてない危機にある」と感じて欲しい、1ファンとしてこの現況は悲しい!【エッセイ】



 あ


 (時間の関係上、「書きかけの状態」で暫定的にアップさせて頂いてますけど、趣旨的なことはほぼ書き上げています。
 1人のスポーツファン、1人の競泳ファンとして、「いまの競泳界は、かつてない危機にある」ことを、どうしても伝えずにはいられないと判断したから、この想いが伝わればと正直感じてます。
 完成稿は、「16日金曜日の夕方~夜」を目標にしてます。)



 1人のスポーツファンとして、1人の競泳ファンとして、今回の2024年のパリ五輪、この歴史的な大惨敗、「声を上げずにはいられない」と判断したこと。
 競泳を、生観戦することは、まだ叶っていません。陸上だと、日本選手権が大阪(ヤンマースタジアム長居)でしばしば開催ですので、自分も2019年のセイコーゴールデングランプリ、2023年の日本選手権を、生観戦させて頂きました。
 ですけど、競泳の日本選手権は、基本的には東京(東京アクアティクスセンター。かつては東京辰巳国際水泳場での開催が多かった)での開催が多いです。
 いつかは生観戦を叶えたい(テレビ越しに、あの日本選手権の熱量は、陸上と同等以上と感じることを含めて)、と思っているのですがと。



 実は自分は、競泳はシドニー五輪(2000年。自分が高校1年生)のときから、観ることは大好きです。アテネ五輪・北京五輪での「黄金期」といえるメダルラッシュは、子ども心にとても感動でしたし。
 でも一方で、「する」ことは全くだめです。そう、いわゆる「かなづち」。
 自分の場合、「極度の怖がり」で、その1つが水です。頭では大丈夫とわかっていても、身体が恐怖心になってしまう。
 これに加えて、「息継ぎが全くできない」。イメージはできても、いわゆる「再現性がゼロ」なんですよね。

 でも、競泳や飛び込みを、「観る」ことは大好きです。リアルな人間ドラマを感じることができること。泳ぎは勿論、言葉や振る舞いの端々から、人間性を感じることができるからも、好きな理由の1つと感じてます。



 で、日本選手権は、2004年のアテネ五輪の選考会(第80回)から、現行の「世界一過酷な選考会」が導入されました。で、2012年のロンドン五輪の選考会から、(放映権料が恐らく上がった?と自分は想像してるが)NHK総合でのテレビ中継がより充実になり、現在に至ります。



 世界一過酷な選考会。競泳の日本選手権は、いままでいくつものドラマを生み出してきました。厳密には、今年(2024年)の五輪選考会は「日本選手権ではない、単純な五輪代表選考会」としての開催でしたけど。


 いままで、競泳は、「記録」「記憶」のそれぞれに(あるいは、両方に)残る、何人ものスター選手を生み出してきました。


 萩原智子(知性を併せ持つ、悲運の天才)
 田中雅美(最後まで諦めない、平泳ぎスイマー)
 山本貴司(現代の男子競泳の草分け。バタフライのエース)
 北島康介(平泳ぎのスーパースター。4つの金)
 松田丈志(恩師と二人三脚で歩んだ、4回の五輪)
 中村礼子(女子競泳界の良心。背泳ぎで2つの銅)
 柴田亜衣(日本版「水の女王」。アテネの女子800mで金)

 北川麻美(努力の天才の「記憶のスイマー」。現在は保育士)
 上田春佳(女子自由形を極める。アスナビで後進に道を)
 寺川綾・伊藤華英(永遠のライバル。女子競泳界の「華」)
 高桑健(自衛隊で競泳を、を世に広めた。個人メドレーが専門)
 宮下純一(現役時は背泳ぎ。当時もいまも「話術」が魅力)
 藤井拓郎(自由形・バタフライの鬼才。知性の持ち主でも)
 立石諒(平泳ぎで「next北島康介」。長身イケメンでも知られた)
 松島美菜(五輪出場→現在は薬剤師。とても素敵な生き方)
 大塚美優(個人メドレーでの「早熟の才能」。もっと見たかった)

 萩野公介(日本版「水の王者」。競泳版の鈴木亜由子)
 [「文武両道」「親はスポーツが苦手だった」ことから]
 瀬戸大也(記録にも記憶にも残る天才。萩野とは永遠のライバル)
 入江陵介(背泳ぎを超越で、人間性を含めて「競泳界のキング」)
 塩浦慎理(一直線的な「魂のスイマー」。夫人は「おのののか」)
 鈴木聡美(10年以上も平泳ぎの第一線。30歳を過ぎてなお盛ん)
 渡部香生子(天才少女にして「不屈のスイマー」。特大の潜在能力)
 今井月(華がある。その波乱万丈さも愛される1つ)
 金藤理絵(挫折を乗り越えて叶えた、リオでの金。飾らない人間性)
 星奈津美(難病を乗り越えての、2つの銅。専門はバタフライ)

 池江璃花子(競泳界のフラッグシップの1人。悲運からの復活)
 渡辺一平(平泳ぎで特大の才能。でも五輪だけはなぜか…)
 清水咲子(個人メドレーで息長い輝き。萩野の同郷でもある)
 寺村美穂(逆境に負けない、努力の天才。大橋悠依の永遠のライバル)
 五十嵐千尋(女子競泳界の名バイプレイヤー。芯の強さの持ち主)
 松元克央(閃光のような自由形のスイマー。でも五輪のメダルは…)
 本多灯(東京五輪でバタフライで銀。これからさらなる輝きを)
 大橋悠依(地道な努力で、東京で特大の花。裏表のなさも魅力)

 (カッコ内は、自分自身のその選手へのイメージです。基本的に、活躍した時代順に示させて頂いてます。)


 いま挙げさせて頂いた、競泳の名選手。現役選手も何人かいます。
 で、メダリストではない選手もいますが、「記憶に残る選手」「生き方として、後進に1つのロールモデルを示せた選手」も、ここに含んでます。
 例えば、北川麻美さん。五輪は北京の1回だけ(200m個人メドレーでの6位)、いわば「輝いた時間は短かった」でした。でも、地道にコツコツと努力を続けて、それが五輪の少し前からの2年ほどで、大きな花を咲かせた。
 引退後に、保育士の道を歩んだ(いまもそうとのこと。保育士は「いつの時代でも必要な仕事」にして、しかも「これからより一層必要な仕事」ですし、「人間の『成長』『いのち』に携われる、とても素敵な仕事」な意味でも、とてもリスペクトといえます。余談ですが、大学卒業後・あるいは社会人経験を経ての「学び直しからの挑戦」が、近年増加傾向の仕事でもあります)。自分は、北川さんは、現役時代とても好きな選手の1人でしたが、数字上の輝き以上に、「記憶のスイマー」とずっと感じてますし、薬剤師の道に進んだ松島美菜さんと共に、「生き方のロールモデル」として、どこかのメディアが(いまだからこそ)取り上げて欲しいなあ、と正直感じてます。

 (薬剤師に至っては、「いのち」に携われるので「いつの時代でも、そしてこれからより一層必要な仕事」といえますし、「誰かに感謝される仕事」とも思いますから、「五輪選手→薬剤師」、言ってみたいわです。
 正直、自分に理系の才能が少しでもあったら、薬剤師、とても素敵な道だよなあ、と感じますもん。
 そう、ですので、北川麻美さん、松島美菜さんは特に、「1人の人間として、とても尊敬できる」と感じてます。)



 あ





 【競泳、日本のメダル数の変遷(2000年以降)。】

                金   銀   銅   合計
 シドニー五輪(2000年)    0   2    2    4
 アテネ五輪(2004年)     3   1    2    6
 北京五輪(2008年)      2   0    3    5
 ロンドン五輪(2012年)    0   3    8    11
 リオ五輪(2016年)      2   2    3    7
 東京五輪(2021年)      2   1    0    3
 パリ五輪(2024年、今回)   0   1    0    1




 で、今回、こうして「日本の競泳が直面する、かつてない危機」を取り上げようと思ったのは、シンプルに

 「1人のスポーツファン、1人の競泳ファンとして、いまの競泳が直面している現況は、『受け容れたくない』けど『向き合わねばならない』。
 それに
いま、競泳が直面している『かつてない危機』とは、『メダル数の激減』だけではない、『裾野の危機』とのダブルパンチであること
 これに加えて、昨夏(2023年)の世界選手権(福岡。つまり自国開催であった)の直後に表面化した内紛(この内紛は、東京五輪の翌年からあったとも噂されている)も、今回の危機の大きな要因の1つ。
 いずれにせよ、
『かつてない危機』を乗り越えるには、恐らく『中長期的スパン』を覚悟せざるを得ない(特に『裾野の危機』は、恐らくこれから顕在化していくと考えてよいので)。そう考えると、少なくとも『いまのままの(連盟なり現場なりの)上層部の顔触れを、抜本的にがらりと変える』(勿論、現実的には「程度問題の壁」が出てくる訳だが)、これははっきりと明確に不可避ではないか?と。」



 いま、表の提示、及びリンク添付をさせて頂いたように、メダル数自体が激減の感じであり、それは上層部の失策も一因としてある(「会場の水深がとても浅い」こととか、もっと早くに把握できたでしょう?と)、の感じですけど、それだけではない訳です。











 2023年8月。ちょうど1年前、「日本水泳連盟」と、「現役のベテラン選手」との間で、内紛が表面化しました。というか、この少し前(2022年の夏あたり)から、「競泳界が同じ方向を向けていない、もしかして内紛になっている、あるいは冷戦状態になっているのでは?」の噂は耳にしてました。
 この、2023年8月。直前に「世界選手権」が、それも自国開催(福岡。マリンメッセ福岡)であって、それにもかかわらず、日本の競泳の結果は
 「2個(銅2。特に女子は、「メダル自体がゼロ」であった)」
 という、この時点で「歴史的な大惨敗」でした。

 そもそも実は、東京五輪のとき。大会自体は、「スケートボード」「スポーツクライミング」「野球・ソフトボール」とかのおかげで、プラスイメージで終われた感じでしたし、(いわば安定の)五輪が開幕したら、社会的な話題は「五輪のほぼ一色」といえる大盛り上がりでした。
 ですけど一方で、「期待を大きく裏切った(=失意に終わった)」種目もありました、それが特に「競泳」「バドミントン」です。

 バドミントンの場合は、「金メダルの大本命」といわれた女子ダブルスで、直前に大怪我になった「不運な面」の考慮はあります(福島・廣田組。廣田が直前に膝を負傷)。ですけど、このバドミントンも「内紛があった」ことも、後に表面化しました。
 そのバドミントンは、東京での失意の影響からか、今回はほとんど話題になっていませんでした。女子ダブルスが、全く注目されてなかった訳ではないですが、注目されてたのは「もう1組の方」(永原・松本組。通称「ナガマツ」ペア。東京五輪で8強、世界選手権で優勝2回の実績の影響が正直あった感じ)でした。
 そしたら、蓋を開ければ、




 「救世主」という言葉が「言い得て妙」である感じで、そう、「シダマツ」ペア、つまり「志田千陽・松山奈未」組が、銅メダルに輝きました。
 ですけど、大会前は正直、ほぼ全く注目されていなくてと。「世界ランキング4位」で、「ナガマツ」ペアを上回っていた(永原・松本組は6位。ちなみに今回は組み合わせに恵まれずなことも影響で、「GL敗退」でした)。恐らくですが、「日本選手権での優勝がゼロ」なことも、影響したかなです。

 ですけど、です。



 この記事が、3回戦(ベスト16。7月30日)のとき。
 これがきっかけで、特に志田さんが、一気に注目を集めることになります(「千陽」と書いて「ちはる」と読みます)。
 いわゆる「容姿補正」の感じが否めずで、相方(松山さん)にも注目して欲しいよ…、ではあるのですが、でも確かに、志田さん、「超絶かわいい」の感じで。
 ですけど一方で、相方の松山さんも、「故郷が、卓球の早田ひなさんと同じ、北九州(福岡県)」とのことで。とても素敵な「ご縁」だな、の感じです。



 あるいは、この別の記事。このとき、大一番の準決勝を控えるタイミングでしたけど(ちなみにこのとき自分は、同じ日にある「男子バスケットボール、GL第3戦、日本vsブラジル」のために、近くのスポーツバーでのパブリックビューイング[PV]を楽しんでました。結果は「84-102の完敗」でした)、もう正直、「優勝!」の感じでした。

 何が言いたいかと申しますと、そう、バドミントンの場合、「志田千陽という救世主の出現」で、「逆境から、一筋の光」を叶えた感じがあります。
 尤も、志田さんは、言葉や振る舞いの端々から、

 「相方である(松山)奈未さん、支えて頂いている所属企業(熊本の、再春館製薬所。『ドモホルンリンクル』等の化粧品会社です)や指導者や家族のおかげで、いまの自分がいる。だから、自分ばかりに注目するのではなくて、『シダマツ』として注目して欲しいし、それ以上に、『バドミントンという競技の素晴らしさ』を、1人でも多くの人間に知って欲しい。」

 それが、志田さんが望んでいることでは?と想像するのです。



 現実論として、バドミントンは、日本選手権さえ、正直話題になってません(直近である2023年大会は、フジテレビ系列で生中継であったと伺ってますが。でも個人的には、「NHKでの生中継」であって欲しいなあと。陸上・競泳・体操・卓球の日本選手権は、「NHKでの生中継」ですので)。
 部活動(中学校・高等学校)では、特に女子では盛んなスポーツの1つです。でもプロ・実業団レベルでは、ほとんど注目されてこなかった。
 で、東京五輪。最大のチャンスのはずが、起きた結果は最大の失意。

 そう、競泳は、メジャースポーツであり続けてますけど(後述で言及するかもですが、「生涯スポーツ」でもありますので)、バドミントンは、どちらかというと「マイナースポーツ」になる(同じ「ラケットスポーツ」でも、テニス、卓球の後塵であるのが現況)。「このままではやばい」が、正直とても強かった。
 それが、シダマツ(というか「志田千陽」)という救世主の出現(ただこれは、「銅メダル」を叶えたからこそといえますが)で、「志田さんのようになりたい」と、バドミントンの裾野の拡大に、一筋の光になったといえます。


 で、志田さんは確かに、「とてもかわいらしい」容姿の持ち主です。
 乃木坂46の熱狂的な大ファンとのことで、「自分たちの同志」という心理も、知名度的な大ブレイクの一助になったといえるでしょう。
 ですけど、自分が志田さんの立場ならば、「バドミントンって楽しいな、と思える人間が、1人でも多く生み出されること」「せめて日本選手権は、テレビ中継される・スポーツニュースで一定の尺が確保されるなど、注目してもらえること」であると思うんですよね。
 そう、志田さん単独を取り上げるでとどめずに、「バドミントンの1スポーツとしての特徴・魅力を知ってもらう」ことのきっかけになるとより望ましいよね、と自分は思うのです、1スポーツファンとして。



 …と、話を脱線させてしまいましたけど(激汗)、競泳もバドミントンも、「内紛があった」では共通ですけど、少なくとも競泳は、「内紛は、起こるべくして起きた」と、自分は感じてます(解釈してます)。



 自分は、大学で政治学を学んでたのですけど、政治学の名言の1つに、1887年の、英国(イギリス)のアクトン卿(ジョン・アクトン)の言葉で
 「絶対的な権力は絶対に腐敗する」
 があります。競泳が、東京五輪のときから、徐々にだけど確実におかしくなっていったと映るのは、

 「何らかのシステム・体制的なことが、おかしさをずっと抱え続ける感じになって、でも改善方法が全くわからない。」

 そのような感じに陥ってたのではないかな、と映っているのです。


 あの、2023年8月、表面化した内紛劇。
 客観的に見れば、塩浦慎理(男子自由形)、五十嵐千尋(女子自由形)の2人のベテラン選手の反乱、確かにそうかもしれません。

 塩浦さんは、若手時代から、「はあ?おかしいものはおかしいだろう」と、「裏表がない、物事をはっきりという」人間性の持ち主です。自分も、塩浦さんに近い性格と感じてますので、塩浦さんのような人間性は、実は大好きです。
 でも、五十嵐さんは、本来はむしろ、穏やかな雰囲気の持ち主、というイメージでした。そんな五十嵐さんが、「声を上げた」、いやより厳密には「声を上げなければいけなかった」のは、どれほど悩み苦しんでの行動であったのか、と想像です。



 実際、五十嵐さん自身、

 「投稿をするのにとても勇気がいりました。厳しい規制の縛りがあるせいで選手たちは何も言えない環境にあるのです。言っても無駄と諦めてしまっているのが現状なので、こうして発信することが変える一歩だと思いました。」

 と仰ってます。後に、(塩浦さんは現役続行の一方で、)五十嵐さんは10月30日に引退を表明しましたが(現在は指導者の道を始めてます)、既に引退を決断していたからか、あるいは内紛を表面化させた責任をとったからかはわからないですけど、自分は、塩浦さん、五十嵐さんは、このときの行動、

 「『正しいことをする勇気』ができた人間って、最高に素敵だと思う。
 塩浦さん、五十嵐さん、人間としてとても尊敬できる!」

 そう強く伝えたいのです。「何かがおかしい」、これをうまく言葉に落とし込めない(言語化できない)ことがとてももどかしいけど、「何かがおかしい」元凶が、連盟(日本水泳連盟。JASF)であることは、恐らく明確といってよい、この時点でそう感じていました。
 はっきりと述べれば、塩浦さん、五十嵐さんは、言葉こそ選んでいますが、

 「連盟(日本水泳連盟。JASF)が、腐っている。」

 いわば「内部告発」です。そしてそれは、「正しいことをする勇気」とはっきりといえます。

 そう、先述でも言及させて頂きましたけど、2021年の東京五輪で、「競泳」は「期待を大きく裏切った(失意に終わった)」でした。
 東京五輪のとき。全体が「3(金2、銀1)」と、実はリオデジャネイロ五輪(2016年)のときよりも減らしていて、実は入賞選手(8位以内。決勝進出だと入賞になる)も減らしていたんですよね。ですので、東京五輪の時点で、コアな競泳ファンは「やばい」と感じていた。
 ですけど、社会的には、「よくはないよなあ…」と漠然と感じていたではあったけど、でも正直「やばいという事実が、覆い隠された」感じでした。それはなぜかというと、「大橋悠依の2つの金メダル」が故であった。
 なぜ、大橋の2つの金メダルで、や「全体的なやばさ・危機感」を覆い隠せたかと申しますと、

 (1)大橋自身が「スター性」を持っていたから。いわば「華がある」。
 (メダリストでも、目立たない人間は徹底的にそう。「カリスマ性」とも表現できる。)

 (2)大橋は、リオ五輪は不出場であった、つまり「初の五輪」。
 25歳なので実際は中堅だが、「ニュースター」とみなされたこと。

 (3)大橋の2つの金メダルが「個人メドレー」であったから。
 競泳の「個人メドレー」は、陸上でいう「マラソン」。いわば「最大の『華』」といえる種目。

 (4)大橋の人間性。「裏表がない」「笑顔がとても似合う」。
 「いつだって等身大」「感謝の心を絶やさない」。
 (自分も大橋は、1人の人間として「とても尊敬できる1人」です。)

 (5)競泳界側が、(恐らくだが)特に「萩野の衰え」「瀬戸のスキャンダル」に触れられたくなかったから。
 (萩野、瀬戸が額面通りを出し切れていれば、もう少しメダル数が積み上がっていた可能性が高い。また女子も、特に期待された渡部香生子が個人では決勝進出さえゼロであったことも、ショックが大きいこと。)


 そう、大橋の2つの金メダルは、それ自体が「とても偉業、しかも最大の花形種目である『個人メドレー』」といえることですし、それに大橋の人間性が、「一緒に仕事したいと思える、とても素敵な人間性」の持ち主であると伝わることも、大きかったのです。
 陸上の桐生祥秀とは同郷(滋賀県彦根市。しかも同学年)とのことですけど、「よき友人だけど、それ以上ではない」を明確にするところも、「裏表のなさ」「打算のなさ」により説得力を持たせたと映ります。
 しかも、「自分がこうして泳げていることは、支えて頂いている人間、出会えた人間がいるから」と、感謝の心を絶やさないところも、なおさら応援したくなると。

 そう、ほんとうは、
 「大橋は確かにすごい偉業といえる。でも一方で、競泳の全体としては不本意な結果・内容であった。大橋だって、競泳のさらなる輝き(=復活)をより望んでいるはずである」
 の流れにできれば、より望ましかった訳です。でも、「失意の主要因」になった「萩野」「瀬戸」「渡部」の3人、特に瀬戸に触れられることを、競泳界は恐らく恐れていた。で、競泳は日本ではメジャースポーツの1つである訳で、競泳側はイメージダウンを最小限にしたかった(あるいは、報道側にそのような心理が作用した。いずれも可能性の域を出ないが、要は「事実上の惨敗が大きく問題視されなかったということ」)。
 (そもそもこの3人は、10代のときから「天才」の称号をほしいままにする感じで、全国紙[大新聞]や教育雑誌に取り上げられていたほどの、特大の才能でした。
 瀬戸のスキャンダルがどういうことかは、「各自で検索されたし」でも「知らぬが仏」でもあるかなです。自分は正直、「忘れられる権利」があって然るべきであると思ってますし、当時の瀬戸の行為は勿論よろしくないですけど、「罪を憎んで人を憎まず」の社会であって欲しいですし。)





 あとで言及させて頂きますが、このリンク添付の4つ目、「評議員・役員名簿・組織図」。恐らく、これだけが問題の全てではないかなですけど、拝読させて頂いて、漠然とではありますけど、「あーね…」と感じてしまいました。
 (「あーね」とは、「あー、なるほどね」の意味の若者言葉。元は福岡の方言とのことですが、2010年代前半に若い世代の間で爆発的に普及して、いつしか定着した言葉です。)


 で、これも後で言及させて頂きますけど、問題の本質は、「トップ」であるメダル数・入賞数云々だけではないです、「ボトム」、つまり「裾野のこと」も大きな問題として抱えてます。

 裾野のこともですけど、代表レベルのことに話を戻しますと、東京五輪とパリ五輪の間は、3年しかなかった訳です。で、東京五輪で、期待の若手がいなかった訳ではないですけど(男子バタフライで、本多灯が銀メダルになっている)、話題になっていたのは、ベテラン・中堅世代に集中でした(萩野、瀬戸、入江陵介、大橋、渡部)。ですので、この時点で、「3年後は、我慢の大会になることを覚悟だろうなあ…」と、漠然と感じてはいました(尤も競泳は、陸上以上に、10代の若手が突如「ポーン」と成長を遂げることも多くあるスポーツ特性でもありますが)。

 で、競泳界にとっての重要関心事は、2023年の世界選手権、これが自国開催(福岡)であったことです。これが、東京五輪から見て2年後であった。
 ここで、何か明るい話題がないと、厳しくなる。でも、中心軸は(よくも悪くも)安定のベテラン・中堅世代(このうち萩野は、東京五輪で既に引退していた)のまま。「明るい話題」=誰か「若い世代の台頭」を意味してました。

 そんな中で、2023年の日本選手権。ここで、
 「成田実生(女子個人メドレー。200m,400mの2冠。2006年生)」
 「三井愛梨(女子バタフライ。200mで優勝。2004年生)」
 と、2人の新星が登場します。2人共に「さわやかな雰囲気」であることも、期待感をより高めた感じです(しかも三井は、「ガチの文武両道」であることも話題になりました)。


 ですけど、福岡での世界選手権。大会がほとんど盛り上がらなかったこともですけど(野球や相撲ばかり話題になってた。ほとんど話題にならなかったこと自体が「とてもやばい」)、結果も、メダル自体が2つのみ(個人メドレーの瀬戸、バタフライの本多。いずれも銅)、女子に至っては「メダルがゼロ」でした。期待された成田、三井も「ノーインパクト」でした。
 塩浦や五十嵐さんが声を上げたのは、「やむにやまれず」と解釈するのがより自然。実際、選手側のほとんどが水泳連盟に何らかの不満を抱いていた、といわれていますし。
 この時点で、たとえ引退間際でも、入江、大橋と、リーダーシップを持つ選手がいるにはいました。塩浦もリーダーシップの持ち主です。でも入江たちをもってしても、それが届かないところまで、問題は根深くなっていたと解釈できます。



 で、2024年。3月下旬に、今回のパリ五輪に向けての選考会が開催されました(今回は「日本選手権」ではなくて、「五輪選考会」としての開催。例年通り、NHK総合で生中継でした)。
 ですけど、五輪選考会での要注目ポイントは、「長く日本競泳界を支えたベテランの、『負ければ引退』レース」、これに事実上収斂されてました。


 鈴木聡美(女子・平泳ぎ)         ◎
 渡辺一平(男子・平泳ぎ)         ◎
 入江陵介(男子・背泳ぎ)         ×
 渡部香生子(女子・平泳ぎ)        ×
 瀬戸大也(男子・個人メドレー)      ◎
 大橋悠依(女子・個人メドレー)      ◎
 塩浦慎理(男子・自由形)         ※

 (◎は「パリ五輪出場」、×は「選考会で敗戦→引退を決断」。
 なお、塩浦は現時点で引退表明はしていないので※です。)


 いま挙げた7人。競泳ファンは勿論、ある程度スポーツ面を(紙の大新聞であれ、webベースであれ)目にしている人間ならば、名前は知っている人間がほとんどと想像です、7人のいずれもが(少なくとも)リオデジャネイロ五輪の選考会のときから競泳シーンを湧かせ続けてますから。
 ですけど、裏を返せば、7人のいずれもが「『負けて、引退に追い込まれる可能性がある』と真顔で思われていた」、及び、「7人にとって代わり得る若手のスター選手がいるとみなされなかった」といえます

 勿論それは、7人が競泳界の「功労者」であるからこそですし、7人のいずれもが「スター性の持ち主」であったからこそです。
 入江のように、「自身がもうボロボロ」で、かつ「若手が要求ラインをクリアできたことによる、事実上の引退勧告になった」ケースもあります。
 ですけど入江も渡部も、「若手が功労者の壁を突破したから」というよりは、「入江・渡部自身がついに限界になってしまった」要素が正直大きいと映ってます。


 選考会自体は、2023年の日本選手権のときから有望株といわれていた成田、三井に加えて、女子バタフライの平井瑞希も、「将来性が期待できる」を感じさせました(平井は今回のパリ五輪で、少なくとも「爪痕は残した」「いまできる全力を出し切れた」といえる)。
 ですけど、選考会の中心戦線に立てたといえる若手は、本多・成田くらい。本多は東京五輪の銀なので「むしろ実績組」とみなせますし、成田は「天真爛漫さという人間性」の補正の面も正直あります。
 選考会自体は、ぎりぎり野球のオフシーズンであったこともあり、わりと盛り上がった感じはありますが、パリ五輪の本番、(前年の世界選手権[しかも自国開催で]が惨憺たる結果であったことを考えると、そもそもある程度厳しい結果は覚悟せねばならないだろうとはいえ、)1つでも多く希望を見出せる内容・結果であればいいけど、恐らく「厳しい大会」になりそうだなあ…の感じでした。

 正直自分は、申し訳ないけど、「大橋悠依、瀬戸大也の最後の雄姿を、この眼に焼き付けよう」が、今回のパリ五輪の競泳、自分的なメインテーマになってました(勿論これは、自分的な贔屓目の要素も大きいですし、今回のパリ五輪は「時差の問題」がそもそもあったこと、それと「仕事面や体力面で、絶対的な時間をかつてよりもとれなくなっているから」も正直ありました)。



 あ






 で、パリ五輪の本番。正直「銀1」のみに終わるとは、さすがに想像できなかった(「金ゼロ」は既に覚悟ではありましたが)。結果もですし、内容も(爪痕を残した種目も勿論あったとはいえ)「ほぼノーインパクト」。

 塩浦、五十嵐さんの「心の叫び」は、「届かなかった」と解釈してよいでしょう。
 そう、いま、野球(NPB)の埼玉西武が「100敗ぺースの危機」、MLBのシカゴ・ホワイトソックスが「2000年代以降ではシーズンワースト(の勝利数)の危機」といわれてますけど、

 「いまの競泳界・水泳連盟のやばさは、『野球の埼玉西武のやばさと同等以上』といってよい。」
 (西武のやばさの本質も、リンク添付の記事のように[松井監督でも渡辺GMでもなかった「諸悪の根源」とは、のリンク添付を特に参照]、最大の問題の本質は「上層部こそ、諸悪の根源」であること。
 水泳連盟も、埼玉西武も、この「上層部こそ、諸悪の根源」で恐らく共通している、といえます。
 まさしく、先述で言及させて頂いた、アクトン卿の「権力は腐敗する」を地で行ってる、といえます。)




 この、パリ五輪の開幕前。「共同通信」「デイリー新潮(週刊新潮)」の2媒体で、「韓国のスポーツ界が岐路にある」の記事が出てました(論じ方は異なるが、趣旨は似ている)。
 今回のパリ五輪、韓国は、特に球技がとても危機的状況で、出場を叶えたのは「女子ハンドボール」の1つのみ。ほぼ常連であった「サッカー」「バスケットボール」を、いずれも失ったのです。
 そうなった理由は、「スポーツ(身体を動かすこと)を楽しむ『裾野』が減ったから」。これは「純粋な人口減少、これによる少子化」も大きいけど、これと共に「スポーツに親しむことを『自分ごと』として向き合える人間(国民)が減った」からも大きい、とのこと。



 いま、この7月クールのテレビドラマで、『スカイキャッスル』が話題になっていて(自分も観てます)、この作品、もともとは韓国の作品なのですけど、日本と韓国って、「悪い意味で、社会システムが似ているよなあ…」と、改めて感じる作品と感じてます。



 そう、日本と韓国に特有の特徴として、「受験戦争がすさまじい」ことがあります。自分自身、「中学受験」「大学受験」を経験していて、いずれも実は「第3志望校」の結果でしたが(受験については、はっきりと明確に「トラウマ」です)、近年こそ、こつこつと地道に積み上げて進学を勝ち取る「総合選抜型」(推薦入試の1つ。かつての「AO」)が普及しつつありますけど(自分の時代には、ほとんどなかった。ちなみに自分の大学受験は、「2003年初頭」です)、自分は、数学・理科が全くできなかったこともあって「学校の評定平均」に頼れなかったので(実際、高校2年生のときに数学で「0点」に2回なっています)、一般入試しか方法がなかったと。

 「受験戦争で、人間の人生が大きく影響される社会」、これって絶対におかしいよ!と自分はとても強く感じていますけど、そう、

 「『人間として大切なこと』を、1つでも多く学べる・感じるができる社会、その先に受験があるはずでは?」

 と、自分は感じているのです。でも現実論は、いまの日本は、そのような社会には正直なっていない。現実に社会に出れば、「『学歴(厳密には学校歴ですが)』と、『仕事能力』は、全くの別物」、少なくとも自分はそう感じています。
 そう、スポーツだって、「『現役時代の能力』と『指導者としての能力』は、全くの別物」であるように。



 一例ですけど、バスケットボールの「エリック・スポールストラ(2008年から現在までずっと、マイアミ・ヒートのHC)」、サッカーの「ジョゼ・モウリーニョ(イタリア・セリエAのインテルミラノで、監督として3冠を達成経験。後にスペインのレアル・マドリードでも監督を務めた)」。この2人は、選手としては成功できませんでした(というか、スポールストラは、プロ選手の経験がゼロです)。実際、外国では、「選手としてと、指導者としては、全くの別物」がほぼ定着しています。

 ですけど、日本では、特に野球・相撲で、「『選手時代の能力・成績』が『指導者として就けるポスト(地位)』に、大きく影響する」傾向が強い、これと「学歴至上主義的な社会」って、リンクしているように感じてるんですよね。


 何を伝えたいかと申しますと、「日本や韓国の社会」って、「閉鎖的な社会」「一面的な社会」だよなあ、と強く感じていて、
 「過度な受験戦争(及び、これを基礎とする社会システム)を、一向に改善しようとしない社会が、スポーツの裾野を狭めるという、『悪循環(負のループ)』になっているのでは?」
 と、自分は映るのです。



 特に、米国(アメリカ)の野球のMLB(あるいはバスケットボールのNBA)では、選手経験自体がゼロであるGMが、普通に存在してます。でも日本のNPB(野球)、Bリーグ(バスケットボール)では、選手経験がないGMは、いまだに少数派である(というか、GMあるいはこれに近いポスト自体を置かない球団も少なからずあります)。
 「『選手上がりのGM』『背広組(選手経験がゼロ)のGM』の両方がいる」感じであって欲しいと自分は思うのですけど、そう、自分は、いまの日本のスポーツ界の「いびつさ」を感じてるんですよね。


 そのように感じるのは、自分自身が、生まれ変わることが叶えば(「輪廻転生」。そう、生まれ変わっても日本人に生まれたい、日本って、学ぶ環境自体は充実している部類ですし、内戦社会とか銃社会とは真逆ですので)、

 「『研究者』(好きな1つのことを通して、社会に貢献できるから)
 『スポーツチームのGM』(バスケットボールあるいは野球のGM。この2つは、数字・統計によるデータが充実してきているので、科学的なチーム編成がよりできるから)
 のいずれかになりたい。」

 と思っていることの影響が正直あります。…って、話が結構脱線してきているように映ったりですけど。



 話を戻しますと、いま韓国で起きていること、つまり「スポーツの裾野が小さくなりつつある傾向」は、日本にとっても「自分ごと」であると伝えたいんですよね。
 一口に、スポーツといっても、いろいろなスポーツがあります。特に近年は、「アーバンスポーツ」(スポーツクライミング、スケートボード等)の台頭が目覚ましいですけど(そしてこの「スポーツクライミング」「スケートボード」が、いわゆる「スポーツマンシップ」「オリンピック精神」を最も体現していることも、とても興味深いです)、「eスポーツ」「マインドスポーツ」が、今後より注目度を増してくる、といわれてます。
 そう、自分も「スポーツ・運動を『する』資質能力自体がない」人間ですけど(それでいて「観る」はとても大好きな訳ですが)、「eスポーツ」「マインドスポーツ」の台頭は、正直、とても強く感じてます(これ自体は、個人的にはむしろプラスなこと、と感じてます)。
 ここ2年ほどでいえば、「競技かるた」(いわゆる「マインドスポーツ」に該当)のニュース・話題が増加傾向であることは、とても興味深いなと。





 実際、自分が(時折ですけど)楽しみに観ているYouTubeの1つに、「声優e-Sports部」があるのですけど、「eスポーツ」が、日本人の特性(個性。あくまでも傾向としてですが)と親和性が恐らく高いことを、漠然とですけど正直感じてます。余談ですけど、この「声優e-Sports部」、ゲーム(技術レベル)がとても上手い声優さん、何人もいるんですよ(一例ですけど、「前田佳織里さん」「相良茉優さん」「村上奈津実さん」等。あっ、自分が大好きな「ラブライブ関係」ばかり挙げてしまってますが…)。






 改めてリンク添付をさせて頂きますけど、いま競泳が直面している「かつてない最大の危機」は、「トップ(強化)」「ボトム(裾野)」の両面で深刻なレベルで起きている、と述べました。では、いまの競泳で、「ボトム的な危機」とはどういうことか。








 そう、「ボトムのこと、4重苦」。「トップの強化のこと」以上に、この「ボトムのこと」こそ、これから競泳界はほぼ確実に苦しむことになる、自分は正直、そう読んでいます。


 (1)「全中の縮小。競泳は廃止の対象にされた」
 (「全中」とは、「全国中学校体育大会」のこと。競泳の場合、陸上の「都道府県対抗駅伝」のような存在がないので、「全中」がなくなることは大ダメージになること。)

 (2)「部活動の地域移行」
 (競泳の場合、民間のスイミングスクール・スイミングクラブの存在・影響が大きい傾向ではある。とはいえ、特に地方部の子どもにとっては、部活動が「きっかけ」になってくる訳で、これから「社会全体で子どもを育てる・育む」意味で、あるいは「教員の負担軽減」(部活動が精神的負担になっているという指摘は、2000年代後半の時点で既にあった)のことを考えると、「恐らくやむを得ない」とはいえるが、「スポーツの裾野を狭める」リスクは正直大きいと自分は読んでいます。)

 (3)「7月に起きた、高知の小学校での水泳の事故」
 (これは後に改めて言及ですが、「教育面」「競泳面」の両方の視点で、大ダメージになることは恐らく不可避、と自分は読んでいます。4重苦の中でも、最もダメージが大きいと。
 後で言及させて頂きますが、2012年12月に、「調布(東京都)での、給食アレルギー死亡事故」が起きて、これが「教員の権威・影響力の大幅な低下」のきっかけになりました(「アレルギー対応に優しい社会」のきっかけにもなった感じではありますが)。今回の事故は、水泳・競泳が「リスク」と親御さん目線でだと受け取られる可能性が恐らく大きいと。そうなると、「競泳に親しむ裾野」の面で、中長期的に「とてつもない大ダメージ」になる可能性が高いと、自分は正直恐れてます。)

 (4)「教員採用試験(小学校)で、水泳(25mを泳ぐ)の試験をなくす自治体が、急速に増加傾向であること」
 (これも後述で。実は自分は、2回大学で学んでいますが[大学→社会人→大学]、2回目の大学[通信制ですが]は、小学校教員を視野に入れるためでした[もともとは中学校社会科教員を志望で、そちらが本命であったが、「小中連携教育」に強い興味があったからと]。ですが、小学校教員になるためには、「25mを泳がねばならない」、自分の場合は、この障壁を克服できませんでした[断念して別の道を決断の理由の1つになった]。
 ですけど、「教員採用試験で25mを泳ぐがなくなる」ことは、「競泳の裾野を拡げる」と明らかに逆行といえる訳で[そもそも「泳ぐに親しむ」が絵空事になるリスクが]、これって競泳界の目線でだと「とてもよろしくない」といえるんですよね。)



 いま挙げた、「4重苦」。1つ1つ、どれをとっても、それ自体が「競泳界にとっての、大きなダメージ」といえます。






 かつて、寺川綾さんが、2013年12月に、
 「水泳は『生涯スポーツ』である」
 という理由で、「卒業」という表現をしました。自分は、この考えに、とても強い共感を抱いてます。この「生涯スポーツ」、言い換えれば「大人でも楽しめるスポーツ」「レクリエーションスポーツ」といえるかなです。

 いま、「大人のスポーツ」が徐々に普及してきていて、自分も、年に数回程度ですけど、「大人のバスケットボール」を楽しませて頂いてます(尤も、それを楽しめる体力も、あと数年かなっぽい感じですが…。ちな自分、あと少しで40歳です)。
 あるいは、自分自身、いまは利用してないですが、かつて、一時期ですけど、スポーツジム(フィットネスクラブ)に通っていた時期がありました。
 そう、「スポーツジム」だと、よくある形式なのが、
 「トレーニングジム」(ランニング等を含む)、「トレーニングスタジオ」(ピラティス等)、「室内プール」
 この3つです。これに加えて近年では、都市部で増えつつありますが、「室内のフットサルコート」。あるいは、「室内の3x3コート」がある地域もあったりします(3x3とは「3人制バスケ」。フットサルは「5人制サッカー」とそれぞれ解釈して頂ければです)。
 あるいは、「テニス」も然り。自分が子ども時代に住んでいた西宮では、徒歩で10分近くの場所にあった大きな公園がありましたけど、そこに
 「体育館」「屋外プール」「テニスコート」
 の3つがありました。この場合は屋外ですけど、プールは夏場は特ににぎわっていたと記憶です。

 そう、いまは、「大人になってもできるスポーツ」、言い換えれば「レクリエーションスポーツ」が増えています。ですけど、その中でも「水泳(泳ぐこと・スイミング)」は、「陸上(走ること・ランニング)」と共に、「レクリエーションスポーツ」の最たるものと自分は思うのです。
 実際、自分のいま住んでるマンションの同じフロアで、特に懇意にさせて頂いてる人間がいますが、その人、御年80歳近くの、いわば「後期高齢者」ですけど、時折ですけど近くのスイミングクラブに通っているとのこと。自分以上にもう「バイタリティに満ちる人間」で、とても刺激になってますけど、「スイミングの存在」が、元気の秘訣の1つかも、と正直映ってます。




 で、ここまでで既に想像以上にとても長くなっていますけど(激汗)、そう、先述のリンク添付の、特に「評議員・役員名簿・組織図」を参照されたしですけど、連盟(日本水泳連盟)に直接的にかかわりを持っている有力なOB・OGが、全然いないんですよ。明らかに、例えば陸上(JAAF。日本陸上競技連盟)と比較すると、負の意味で全然違うと。
 水泳(競泳)の場合、連盟にがっつりかかわっているOB・OGは、
 「鈴木大地(会長)、岩崎恭子(評議員の1人)」
 あとは、アスリート委員で伊藤華英さんが関わっているだけです。
 萩原智子さんが、東京五輪の前後にアスリート委員として連盟に関わっていましたが、それも短期間で離れてしまったとのこと。

 それに対して陸上は、連盟に関わっている有力なOB・OGだけでも、
 「瀬古利彦、高岡寿成、有森裕子、高橋尚子」
 など、どんどん挙がります。これだけではなくて、陸上連盟(JAAF)は、中長期的な将来という意味でも、例えばですけど、
 「福士加代子」「小林祐梨子」「福島千里」「桐生祥秀」「鈴木亜由子」「田中希実」
 等、それこそ潤沢な選択肢を持っています。選手としてはあまり有名どころではなかったかもだけど、知性を併せ持っている人間がもともと多くいて、連盟・指導者・選手が、同じ方向を向ける(マラソンでMGCが創設されるなどがあり、連盟・指導者・選手の間での「いざこざ・トラブル」はかつてに比してほとんど表面化しなくなったと正直映ってます。それと特に、中長距離・マラソンでだと、男女の「都道府県対抗駅伝」の存在はとても大きいように、自分は映ってます)。







 そう、いまの競泳は、「仕組み的な変化」がいろいろと突き付けられているのでは?と自分は正直感じていて、例えば、「都道府県対抗駅伝」のような存在を設けることは、現実的には恐らく不可能と映りますけど、陸上には、「日本グランプリシリーズ」、これは
 「兵庫リレーカーニバル(神戸)」「織田記念(広島)」「静岡記念(静岡)」「木南記念(大阪)」
 といった大会が、これに該当する感じですし、もしかしたら、いま挙げた4つの大会のうち、せめて1つとかでも、「あっ、聞いたことはある」(どんな内容の大会かまでは知らなくても)という人間(読者さん)、いらっしゃるかも?の感じです。
 この、(例年GW前後の)「織田記念」「静岡記念」等を経て、例年6月の「日本選手権」本番へと突入していく、打から陸上の日本選手権は、少なくとも「まったく盛り上がらない、にはならない」んですよね。

 でも、競泳には、この「日本グランプリシリーズ」に該当する存在が、恐らくないのです。よくいえば、例年4月の「日本選手権」は必ず話題になるけど、視点を変えれば、国内大会で「日本選手権」以外で話題になる大会が全くない、が現況である訳です。





 いまリンク添付させて頂いたように、「ジャパンオープン」(例年11月)、「日本短水路水泳競技大会」(例年10月)と、この2つの大会は、原則毎年あります。ですけどこの2つの大会、正直、新聞のスポーツ面でもまともに話題になってません。
 その上、ジャパンオープン等のこの2つの大会、いずれも会場は、基本的に「東京」(アクアティクスセンター)である、つまり「日本選手権の本番と会場が同じ」なんですよ。
 確かに、「東京アクアティクスセンター」自体は、世界に誇れるすごい会場であると、映像越しにですけどとても伝わってきます。でも視点を変えれば、「結局、生観戦できる環境って、東京だけじゃん…」になってしまう。

 日本選手権の本番の会場を、1つに固定すること自体は、自分はむしろとても共感です、つまり
 「東京アクアティクスセンター」=「競泳の聖地」
 そうわかりやすく位置付けられますし、「あの会場での、決勝のステージに立つんだ」、これ自体が「心の大きな目標になり得る」ですのでと。
 (ちなみに、日本選手権の本番の会場を1つに固定することは、むしろ陸上もそうして欲しいが、1スポーツファンとしての正直な本音です。これが陸上の場合でならば、「ヤンマースタジアム長居(大阪)」こそ、「陸上の聖地」に最も適任であると。何故ならば、長居はサブトラックである「長居第2陸上競技場」も、普通に立派な施設なんですよ。ですので、
 「ヤンマースタジアム長居」=「陸上の聖地」
 と明確に位置付ける[「大阪国際女子マラソンの発着場所」でもあるので、なおさら聖地と位置付けるに適任ではと]、この想い、陸連[JAAF]に伝わって!が正直な想いです。)



 そう、「日本選手権本番の開催時期の見直し」も、要検討事項の1つと自分は感じていて、例えば「5月のGWの時期」に日本選手権の本番にする、これは1つの有意義な方法では?と正直感じてます。
 GWの時期ならば、社会的な注目をより高確率で見込めますし(「せっかくだし、自宅にいるから、テレビで観ようか」とできやすい)、東京アクアティクスセンターで、ライブ(コンサート)の開催は現実的とはいえない意味でも、「支障は恐らくほとんどないでしょう?」と自分は映るのです。

 これに加えて、「日本選手権の本番の前の時期(つまり、4月上旬頃?の時期。『学校が春期休暇中の時期』のイメージでもあります)」に、「前哨戦的な位置付けの大会」を設ける。


 大会を開催できる「50mプール」のある会場は、日本でいくつかある訳です。例えばですけど、
 「大阪府立門真スポーツセンター」(かつては「なみはやドーム」と呼ばれていた)
 「日本ガイシアリーナ」(名古屋。コンサート会場で有名なメインアリーナとは別に、屋内プールが設けられている)
 あくまでも候補地ですけど、「日本選手権の本番前に、前哨戦的な大会を設ける」ことで、「日本選手権の本番へと、盛り上げる雰囲気を生み出す」工夫は、これから必要になってくるのでは?と自分は強く感じてます。
 (尤も、いまは多くの50mプールが、冬季は「スケートリンク」として使用されることが多くなっていると伺うので、いわゆる「関係各所との調整」が必要になってくると想像ですが…。)



 …と、また話を脱線させてしまった感じかなですけど(汗)、話を戻しますと、日程のこと1つをとっても、いまの競泳界は「何かを抜本的に変えないと、恐らくよろしくないのでは?」と映りますけど、そう、いまの水泳連盟、有力なOB・OGで連盟の一員といえるのが、「鈴木大地」「岩崎恭子」の2人だけであると、先述しました(伊藤華英さんをカウントしても3人のみ)。
 このうち、岩崎さんは、恐らくの域を出ませんけど、連盟の末席の域を、正直でないでしょう(表現がよくないですけど、はっきり述べれば「お飾りに近い」と)。

 で、鈴木大地さん。現役時代の輝き・栄光は、映像越しにですが存じてます、当時(1988年のソウル五輪)は世界的にとても衝撃であったことを。
 で、いま、日本水泳連盟のトップ(会長)で、かつては「スポーツ庁長官」(2015年10月~2020年9月。初代の長官)でしたけど、少なくとも、自分の周りではですけど、評価は「最悪にほぼ近い」でした。
 で、後任(第2代)のスポーツ庁長官は、「室伏広治さん(陸上。ハンマー投げの名選手。現任で、任期満了は2025年9月)」ですけど、自分たち市民(国民、スポーツファン)と同じ目線が伝わることもあって、少なくとも自分の周りでは「良好」の感じです。




 というか、申し訳ないですけど、自分の中で「鈴木大地」といえば、「野球選手の鈴木大地」なのです(現在は東北楽天。かつては千葉ロッテに所属していた。今季、「1500安打」に到達した一塁手/三塁手)。いま、ここで「連盟会長としては、御世辞にもよろしくない、鈴木大地さん」とはいわば真逆で、「ガチの人格者」なんですよね。自分の中では、(昨季で引退したけど)元ソフトバンクの松田宣浩さんと共に、「一緒に仕事ができれば、どれほど素敵だろうと思える、とても素敵な人間」と思ってます、いわば「ザ・キャプテンシー」なんですよ。
 (惜しむらくは、鈴木大地、キャリアを通して優勝が未だにゼロなのです。年齢的に衰えとの闘いですけど、現役の間に「優勝の景色」を叶えて欲しい、と思ってるんですよね。尤も東北楽天は、今季から「再建モード」に突入している感じですけど…。)



 で、どういうことかと申しますと、そもそも、2023年8月の、「競泳界の内紛の表面化」(勃発ではない、表面化以前から内紛はあったと考えるのがより自然)。そもそも、この内紛、連盟・現場・選手が「同じ方向を向けている」「同じ目線にできている」「コミュニケーションができている」であれば、内紛にはなっていなかったはずなのです。
 そう、少なくとも、会長である鈴木大地さん、「選手上がり」であるはずなのに、「選手と同じ目線になれていない」、いわゆる「内紛」「惨敗」の理由・原因の全てではないかもですけど、でも、「内紛」「惨敗」の理由・原因の大きな1つでは?は、正直否めないと映ってます。


 話をより進めましょう。そう、連盟(日本水泳連盟)にかかわりを持っている人間が、「黄金期(アテネ・北京・ロンドン・リオデジャネイロ)の世代のOB・OGの選手上がり」で、1人のみ(伊藤華英さん)であること(あとは、萩原智子さん[黄金期の少し上のシドニー世代ですが]が短期間かかわりを持っていた程度)、これって絶対におかしいでしょう?と。
 そう、「黄金期のOB・OGの選手上がり」で、「知性を併せ持つ」「人間性が素敵・魅力的」といわれてきた名選手。

 「萩原智子さん」「田中雅美さん」「中村礼子さん」「柴田亜衣さん」
 「松田丈志さん」「金藤理絵さん」「星奈津美さん」

 いま、7人のOB・OGを挙げました。この中には、中村礼子さん、柴田亜衣さん、星奈津美さんのように、指導者の道を既に歩んでいる人間もいらっしゃいます。でも、中村さん、柴田さん、星さん、3人共に、東京五輪のときから、競泳界の現況への危機感の趣旨の言葉を(ニュアンスの程度はともかくとして)明確にしつつも、でも一方で、「連盟の上層部とは、明らかに距離を置いている」、これが明確に伝わります。
 あるいは、松田さん。現役時代は、競泳ファンならば理解して頂けるかなですが、強烈なリーダーシップ・キャプテンシーの持ち主でした。「自分に厳しく、他者に優しい」を地で行く人間性で、自分も松田さんは「人間としてとても尊敬できる・見習いたい」と思える1人です。





 だけど、中村さん、柴田さん、星さん、松田さん。4人共に、「人格者」といえる人間と思ってますけど(中村さんや星さんは、負傷や病気との戦いに打ち克った歩みの持ち主でもあります)、4人に共通するのは、「競泳界の現況への危機感」を、東京五輪の少し前から明確に示し続けている一方で、「連盟の上層部とは、明らかに距離を置いている」
 恐らく、4人共に、「いまの競泳界を救う一助になりたい」「このままでは破滅へと向かってしまう」とは、心の中でずっと思っている(はず)、でも一方で、だからといって、「いまの連名の上層部とは、できるだけ直接的な関係を持ちたくない」、これがとても伝わるのです。


 それに、連盟の上層部が「最大の病巣」である、これははっきりと声を大にして叫びたいですけど、問題(病巣)の根源は、これだけではない。
 悲しくなるので名指しはここでは避けますが、「複数の名選手のOBが、いかがわしい新興宗教にがっつりかかわっている」(勿論、思想・信教の自由は最大級に尊重されて然るべきとは思いますが)、これも自分は、正直とても心を痛めていることです。



 これのことですね。というか、リンク添付という形で、名指しをしたも同義な訳ですけど、自分は特に、萩野公介さんは好きな選手の1人でしたので、この報道を耳にしたときは、「嘘だといってよ!」と、とても激しく深い落胆を抱きましたから。





 で、松田さん、星さんら4人と共に、いまリンク添付させて頂いた、萩原智子さんも然りです。萩原さんが、(松田さんと共に、)いまの競泳界と明らかに距離を置いている現況は、競泳界に、いわば「闇」(それも恐らく「根深い闇」といっていい)があることを、想像せざるを得ません。


 人格者といえる、「萩原智子さん、松田丈志さん、中村礼子さん、星奈津美さん」等の有力なOB・OGが、誰1人として連盟の上層部と「距離を明確に置きたがっている」現況なこと。
 2023年8月の「内紛劇」で、(もともと物事をはっきりという傾向である塩浦慎理はともかく、)本来は穏やかで優しい心の持ち主と伺う五十嵐千尋さんが、「声を上げざるを得なかった」こと。
 (というか、冒頭に示させて頂いたように、)黄金期メンバーのOB・OGだけでも20人以上いるにもかかわらず、現況として連盟にかかわりを持っているのが「わずか1人のみ」であること。


 現実論として、連盟の仕事内容は、「強化(トップ)のこと」以外にも、多岐に及ぶでしょう。というかむしろ、「普及・教育(ボトム)のこと」こそ、より大切・重要なことといえる訳で、そう考えるとなおさら、連盟の上層部の顔触れという意味で、「選手上がりでない人間」(これは「教員・研究者関係を含めて」です)が多く入っていること自体は、むしろ当然ではあるのです。
 ですけど、これを考慮しても、いまの競泳界の「かつてない危機」の「諸悪の根源」は、「連盟の上層部(の姿勢・顔触れ)」であることは、もはや明らかでしょう?と伝えたいのです。

 黄金期メンバーが、「いまの競泳界を、なんとか救いたい。でも、だからと言って、いまの連盟の上層部とは、関係を持ちたくない」、そうならざるを得ないなんらかの理由(それも「根深い理由」)が恐らくあるのだと。
 あるいは、五十嵐千尋さん。声を上げると決断するまで、恐らく数日間、どれほど悩み苦しんだだろう…と。「声を上げることも、このまま黙って自分のことに専念するのも、どちらの道でもつらい」という気持ちだったのかなと。
 だけど、これははっきりといえます。


 五十嵐さん。あのときのあなたは、「正しいことをする勇気」をしたのです。あのとき、あなたの勇気があったから、いま、競泳・水泳界は「かつてない危機にある」がより明確になった、この現況をなんとかしたいと思っている人間は、少なくとも確実にいるんだよ、五十嵐さんは決して1人ではないですよ、と伝えたいです!



 はっきり述べます。いまの連盟の上層部が、「OB・OG選手」「現場側の人間」から、いわば「クーデター」になっても、自分は1人の競泳ファンとして、「むしろ当然」「因果応報」と、正直感じます。
 言い換えれば、パリ五輪終了後、「クーデター」が勃発しても、理解を示す競泳ファンは、恐らく一定数いるのでは?と正直映るのです。


 (←勿論この場合は、「比喩的なクーデター」のニュアンスです。ですけどいえることは、いまの「日本水泳連盟の上層部」と「野球の埼玉西武の上層部」と、どちらも「むしずが走る」レベルでの「諸悪の根源」、その意味で「クーデターされても、因果応報」というニュアンスです。)



 そう、いま、競泳界が直面している、「トップ(強化)」「ボトム(普及)」の両面を総合しての「かつてない危機」を乗り越えるには、

 「連盟(JASF。日本水泳連盟)は、会長の退陣は勿論、上層部自体を大幅に刷新を決断して、連盟・代表現場スタッフの主導権を、『萩原智子さん、中村礼子さん、松田丈志さん、星奈津美さんら、黄金期メンバーを中心とする中堅・若手世代の複数人のOB・OGを中心とする集団指導体制』へと、バトンを渡すことの決断が絶対に必要であると、声を大にして伝えたい。
 そう、『中堅・若手世代による集団指導体制で、強化・普及の諸問題の解決のための、知恵・叡智を持ち寄る・結集させることが、いまの競泳界にとっての最重要命題』と強く考えるから。
 ↓
 だけど、『中堅・若手世代の複数人のOB・OGを中心とする集団指導体制』による新政権は、少なくとも『8年間』(2032年のブリズベン五輪まで、つまり五輪2回分)の時間を与えて欲しい。
 なぜならば、第1に、いまの若手(有望株)の顔触れやレベルを考えれば、4年後(2028年のロサンゼルス五輪)である程度の結果を見込むことは、あまり現実的とはいえないこと。第2に、「水泳教育の減少に歯止めをかけること」「学校のプール、屋内の公共プールの老朽化の改修を進めること」のためには、相応の時間が確実に必要になるからなこと。
 そう考えると、物理的に相応の時間がどうしても必要になる、だから「8年間の時間を与える」が必要になるイメージということ。
 ↓
 少なくとも、(繰り返しになるけど、)連盟の運営の主導権を、『萩原智子さん、中村礼子さん、松田丈志さんら、黄金期メンバーを中心とする中堅・若手世代の複数人のOB・OGを中心とする集団指導体制』へと、バトンを渡すことの決断が絶対に必要である、と強く伝えたい。強化の面で『墜ちるところまで墜ちた』こともだし、普及の面で『泳ぐことの意義・大切さ・素晴らしさ』を知ってもらう意味でも、


 いま、自分は、「今回のnote記事で最も強調して伝えたいこと」として、

 「連盟・代表現場スタッフの主導権を、『萩原智子さん、中村礼子さん、松田丈志さん、星奈津美さんら、黄金期メンバーを中心とする中堅・若手世代の複数人のOB・OGを中心とする集団指導体制』へと、バトンを渡すことの決断が絶対に必要である」
 「中堅・若手世代による集団指導体制で、強化・普及の諸問題の解決のための、知恵・叡智を持ち寄る・結集させることが、いまの競泳界にとっての最重要命題」

 と述べました。具体的な再建策は、「まずは萩原さん、松田さんら、黄金期メンバーの世代に全権を与えてから」のイメージですけどと。
 勿論、「名選手は名監督にあらず」という言葉が、スポーツ界の格言・言い伝えとしてあることは、よく存じてます(「日本の野球」「日本の相撲」は、いわば「例外中の例外」というか「とても異質な世界」)。実際、例えば日本の男子バスケ。いま、指導者として中心的な存在と言っていい3人はそれぞれ、

 安齋竜三さん(ほぼ専ら、第2PG)
 大野篤史さん(代表経験あり。尤も、さほど有名ではなかった)
 [「その道ではまあ有名」ではあったと伺うが]
 桶谷大さん(選手経験自体がゼロ)

 そう、これって示唆的で、安齋さんや桶谷さんは、いわば「選手としては成功できなかった」部類になります。でもむしろ、だからこそ、「試合に出られない人間の気持ちが理解できる(=なぜって、自分自身がそうだったから)」、だから「より魅力的なチームを生み出せる」のではと。


 で、「集団指導体制」を強調させて頂いたのは、「強化・普及でそれぞれに山積している諸問題の解決のためには、それぞれの人間が持つ知恵・叡智を持ち寄る・結集させること」が特に重要であるから、視点を変えれば「誰か1人のカリスマ性に依存することは、ベストな方法とは思えないから」なんですよね。
 それに、いま何人かの具体的な名前を挙げさせて頂いてますし、これは勿論、自分なりの理由がある訳ですけど(組織の中心・先頭を託す訳なので、「人間性を併せ持っていることがとても大切である」と思うからです。「選手である前に、人間であれ」が自分の価値観だからも正直ありますが)。


 いえることは、いまの日本水泳連盟の上層部は、「選手と同じ方向を向こうとしていることが、正直全く伝わらない」ことです。できることならば、「上層部の総退陣ができれば」と感じるほどです。でも、役員や評議員の数、リンク添付を拝読頂ければですけど、とても多い。これでは総退陣は正直に現実的とはいえません、でも少なくとも、「上層部の半数以上は退陣しないと、スタートラインにさえならない」、これははっきりといえます。








 何が言いたいのか。

 いまの「日本水泳連盟(JASF)」は、「日本相撲協会」と重なって映ること。
 たとえ「組織の内実(中身)が腐敗傾向」でも、「テレビで映る」「いつの時代でも必要」と、わかっている(なくなったら困るのは、いわばファン側、とわかっている)。組織の上層部が腐敗していても、変わらない(いわば、「悪しき岩盤」)のは、そのような構造があるから。
 「組織の上層部が変わらない限り、腐敗は加速度的に進むまま」。でも、上層部の顔触れが変わるには、恐らく相応の時間が必要。でも、上層部の顔触れが変わらないと、「構造的に抱えている病理の改善」は、恐らく永遠にあり得ない、この意味で「日本水泳連盟(JASF)」と「日本相撲協会」は共通していること。



 少し、相撲のことについて説明させて頂きますと(ちなみに自分も、相撲を楽しんでテレビ観戦している1人です)、いまの日本相撲協会の上層部も、ファンからの評判は「最悪に近い」のです。相撲の本場所は「年6回、2か月に1回ペース」での開催ですけど、本場所のたびに「八角よ去れ」は、ある種の様式美と化している感じがあります。
 八角というのは、日本相撲協会の現在の理事長(組織のno.1。トップ)。ですけど、「いまの相撲の諸問題の諸悪の根源=上層部=八角理事長」(現役時代の名前は北勝海。「優勝8回、横綱29場所」で、名横綱ではあったのです)、この評判はよく耳にしますし、少なくとも自分は、はっきりと明確にそう感じています。

 いま、相撲(相撲協会)が抱えている問題は、いくつもありますけど、その中でも最大の問題と自分が感じていることが、



 この「公傷制度」です(いまは存在していない制度ですが、この「公傷制度がないこと」が「諸悪の根源の大きな1つ」であると自分は強く、強く、強く思ってます!)。
 「公傷制度」は、確かに功罪の両面があります。ですけど、「公傷制度」がないことがなぜ問題なのかは、リンク添付とかを参照されたしの感じですし、公傷制度がないが故に選手生命を狂わされた力士が、実際に何人もいる訳です。

 かつて、相撲界では、「貴乃花の乱」がありました(2010年、2018年。後者である第2次で、貴乃花は最終的に失脚に追い込まれました)。これも話し出すととても長くなるのでここでは割愛ですし、確かに貴乃花の側にも非が全くなかった訳ではない、少なくとも「やり方としてはよいとはいえなかった」ことは否めません。ですけど、「貴乃花の乱」になった要因・背景の大きな1つが「公傷制度の復活の必要性」でした。
 結果、この「貴乃花の乱」が起きたが故に、八角政権は「長期政権になっている」。潜在的な不満の声はずっと存在し続けているけど(特にファンの側では)、でもいわば「言っても無駄」状態。

 これはどういうことかというと、いま、地上波テレビで安定して観られるスポーツが、「野球」「相撲」の2つに限定されているからであり(サッカー、バスケットボールは、BSで一定の試合数はあるが、基本的には「有料配信」が観る手段になっています。いわば「みんながみんな、観られるスポーツではない」現況があるけど、相撲は地上波[しかもNHK!]で観られるので、このことはとても大きいんですよね)、「地上波で相撲が楽しめることは、とても有難いこと」とわかっている。
 ですけど一方で、いまの相撲協会の上層部は、いわば「力士・ファンと同じ方向を向けているかといえば、はっきりと明確に『NO』」な訳です。その意味で、いまの水泳連盟(JASF)の上層部と、リンクして映る(デジャヴといえる)。


 相撲協会の上層部のことを、もう少し話を進めさせて頂きますと、いまの八角政権は、「残り1期2年」と事実上確定してます。これは「年齢的な理由」からで、相撲協会の理事長は「1期あたり2年」だからです。
 後継の候補ははっきりとはわからないですけど、恐らくは「藤島(武双山。元大関)」か「浅香山(魁皇。元大関)」あたりでしょう。ちなみに2人共に、いわゆる「若貴世代」ですけど。でもこの2人のいずれにせよ、恐らく「当たらず触らず」の立ち回りに終始する可能性が高い。まあ、貴乃花の乱のときに、理解を示すそぶりを示さなかった時点で「お察し」ではありますけど。
 魁皇、武双山のいずれにせよ、この後継政権は恐らく「2期4年」あるいは「3期6年」でしょう(これも年齢的な理由から。それにこの2人のいずれであろうとも、いわば「つなぎの存在」でしかないと自分は読んでます)。同じ世代で「玉ノ井(栃東。元大関)」がいて、栃東さんはいわゆる「良識派」(いま風でいえば「常識人」「進歩派」)と自分は解釈していますけど、もともと「病気持ち・怪我持ち」であること、それと「そもそも、いわゆる協会内の権力争いと、明確に距離を置いている姿勢が伝わる。自分は『1指導者でい続けることに生きがいを感じる』というタイプが明確なこと」ですので、栃東さんが就くことは恐らく「叶わぬ景色」でしょう。

 尤も、この「若貴世代」こそ、「公傷制度があった世代」です。ですので、「魁皇or武双山の政権」で、「公傷制度の復活」が叶って欲しいが本音ですけど、先述のように、いわば「当たらず触らずの姿勢・立ち回り」と想像されるので、正直自分は期待していません。
 それに、「相撲協会の上層部はくそだけど、相撲自体は観ていて楽しい」訳なので、それが「いつか、上層部の組織が変わる(替わる)タイミングを待つしかない」に陥っている構造的な要因の1つとも感じてます。


 そう、「日本相撲協会の上層部が変わるタイミング」=「『公傷制度の復活』『部屋の移籍を、一定程度の条件の下で許容できるルールへの改良(=相撲版のFA移籍の導入)』『ガチガチの一門制度の見直し』『再雇用制度の乱発などにより、親方株の取得がより難しくなっている現況の見直し』等」、これが実現するのは、はっきり述べれば、

 「『稀勢の里(二所ノ関)の政権』が誕生するとき。最短で『2030年』または『2032年』。このとき、稀勢の里は『44歳or46歳』であるので、『機が熟する』といえる。
 より厳密には、稀勢の里を中心に、『豪栄道(武隈)』『琴奨菊(秀ノ山)』等による『集団指導体制』が実現するとき。」
 (ちなみに稀勢の里、豪栄道らの世代は、「互助会の一掃=完全ガチンコ」「普段の所属部屋は異なるけど、横のつながりが強い」といわれている世代です。)


 自分は正直、「2030年または2032年に、稀勢の里の政権が誕生する、と信じている。そのときを、ただじっと待つんだ、ただずっと信じるんだ」と、言い聞かせています。
 稀勢の里たちの世代は、「貴乃花の乱がなぜ失敗したのか」を観ています。これをいわば「教訓」「反面教師」にしている、でも、言い訳はしていないとはいえ、「公傷制度がないことを、内心ではおかしいと思っている」ことを、端々から正直感じてます。
 「公傷制度の復活」は、相撲の現況の諸問題の1つに過ぎないともいえますが、これを含めて、いまの相撲は、「力士・ファンと同じ目線にできていない」といわざるを得ない。これを、「力士・ファンと同じ目線にする」雰囲気・システムの実現は、稀勢の里・豪栄道たちならば、きっと実現してくれるはずである、自分はそう強く信じているんですよね。



 …と、相撲の話が長くなってしまいましたけど(汗)、相撲はいわば、「切り札」が存在している訳です。時間は掛かるだろうけど、いつか「より望ましい方向性へと改善されるはず」だと。
 でも競泳は、「上層部の顔触れを抜本的に変える必要性」は明らかですけど、いま、なぜこうなっているかというと、そう、「萩原智子さん」「中村礼子さん」「松田丈志さん」「星奈津美さん」、この4人を名指ししていることに意味がある訳ですけど(適当に挙げているのではない!この4人は、「選手・ファンと同じ目線になれる人間性の持ち主」と思ってるから!)、4人共に、「いまの競泳界を救いたい」気持ちは、とても伝わる。でも一方で、「救いたいけど、いまの水泳連盟の上層部とは、できるだけ関係を持ちたくない」→「だから、大人の事情的に、救う一助になれない悔しさ」、これが伝わるのです。
 いわば、自分たちファンにはわからない、「とても根深い、よほどの事情」があること。


 この「とても根深い、よほどの事情」を打破できないと、「かつてない危機を乗り越える」ことの第一歩さえ、叶わない景色になることを意味します。
 どのようにすれば、打破できるのか。この妙案が、自分には思い浮かばないことが、とてももどかしいです。でもいえることは、

 「日本水泳連盟(JASF)の、いまの上層部側が、『自分たちのいまのやり方が、恐らく間違っていました』と失敗を認めて、『黄金期の世代を中心とする、競泳界をよりよくしたいと思う中堅・若手世代の人間へと、バトンタッチをすることの決断をすること』。」

 これ以外にはあり得ないから!と伝えたいのです。




 「いまの日本水泳連盟(JASF)のやばさ」は、「野球(NPB)の、埼玉西武ライオンズのやばさ」とも、重なって映ります(ちなみに、野球の埼玉西武は、ネタではなくてガチで「100敗ペース」の危機です)。
 リンク添付を参照されたしの感じですけど、いまの埼玉西武、なぜ「100敗ペース」になってるのかと申しますと、最大の理由は「『打線の酷さ』。つまり『とても打てないから』」。

 どのように酷いのかと申しますと、「RC27」という、いわば「得点貢献値」(このチームとして、何得点を創出できる能力があるのか)の指標がありますけど、

 12球団平均   (3.37)
 埼玉西武    (2.27)[最下位。勿論ダントツの]
 4.00超え    (ゼロ)
 12球団平均超え (外崎、源田、蛭間)
 [源田、蛭間もギリギリ12球団平均。超えているといえるのは、外崎の「3.62」のみ。外崎でさえ、「6,7番レベル」でしかない。]


 現行の12球団である「2005年以降」で、この惨状は正直、記憶にないです。というか、日本の野球って、「ドラフト制度による、ガチガチの戦力均衡システム」ですので(FA制度があるとはいえ、「移籍の流動性」が極端に乏しいことも特徴です)、これほどの惨状になることを、(システム的に)そもそも想定していないのです。

 だけどいわば、打線として、
 「外崎-源田-蛭間-(その後どうするの?)」
 4番以下は、「レギュラーレベルでない選手」を並べざるを得ない。
 というか、「RC27」で「4.00超えがゼロ」が意味するのは、「絶対的なポイントゲッター自体がゼロ」、つまり「得点を取る形がない」訳です。
 これでは、勝負になるはずがないと。


 なぜこうなったのかは、これを話し出すとすさまじく長くなることが目に見えていますし、今回の話の本題ではないので割愛ですけど、問題の1人(申し訳ないけど、「戦犯」と言っていいです)は「GMである、渡辺久信」であることは、正直否めません。
 野球というスポーツは、「得点を取れなければ勝てない」のです。しかも野球は「アメリカンスポーツ」ですのでなおさらそうです。少なくとも「得点を取る形」「日本人打者の中心軸」を確立できないと勝負にならないことは、歴史が証明しています。

 しかも、この渡辺久信さん。いま、監督代行です。ですので、スタメン発表の最後に、「監督、渡辺久信」とコールされます。
 このときに、自分の本音は、「できることならば、ありったけの怒号を飛ばしたい」。それこそ






 いま、リンク添付させて頂いた、山川へのブーイング(それこそ、恐らくすさまじいデシベル量と想像です)を、渡辺久信に飛ばしたいほどです、これが正直な想いです(「心の断頭台」がいくつあっても足らない、といってもいいです。ちなみに「ほんとうに断頭台がある社会」は自分は大嫌いですけど、「心の断頭台」はあってよいと思ってますので。自分は山田詠美さんの『風葬の教室』という物語が大好きですけど、『風葬の教室』を読んだことがある人間ならば、ニュアンスがわかって頂けるかなですが)。


 でも、確かにGMである渡辺久信さんも、「戦犯の1人」でしょう。
 ですけど、「最大の諸悪の根源」は、いま、リンク添付させて頂いたように、オーナーである「後藤高志」さんである(さん付けするのもおぞましい、が正直な本音ですけど)、と正直感じてます。
 はっきり述べれば、この後藤高志、「野球に対する、球団に対する愛情が、1ミリも伝わらない」んですよね。言い換えれば「人間らしさを感じない」んですよ。

 野球、スポーツというのは、いわば「いのちある人間がする営み」である訳です。ですので、球団経営は、確かに「資金力の壁」と向き合わざるを得ない感じではありますけど、でもだからこそなおさら、「人一倍の愛情と情熱を持って」がとても大切であると考える訳です(そもそも、球団を持てること自体が、「日本で12人しか叶わない」、いわば「当たり前ではない、とても感謝なこと」であるはずですけど。「愛情や情熱を持てない人間が、球団を持つな」ってことですよ)。

 うまく言葉に落とし込めないことが、正直とてももどかしいですけど、いま、埼玉西武が、なぜ「100敗の危機」に陥っているのかと申しますと、「選手の流出が、ほぼ毎年のように起きている」かつ「FAで移籍入団する選手が、ほとんどいない」訳です。そうなっている理由として、よくいわれているのが、「球場の立地」あるいは「球場の環境」です。立地もですけど、特にこの本拠地(「西武ドーム」。現在は「ベルーナドーム」の名称)は、「蒸し風呂ドーム」「サウナドーム」の別名と耳にします。
 この、「球場の環境」も、確かに理由の1つと想像です。でもそれ以上に、これほどに選手の流出が止まらないのは、「一緒に仕事をしたくない誰かがいるから」、そう想像するのがより自然でしょう。それが「誰か」というのは、想像でしかない訳ですけど、言えることは、「一緒に仕事をしたくない人間が、誰かしら存在する」、これって「風通しの良い職場」とは真逆であることを意味するんですよね。
 これでは、組織・チームとして腐敗に向かっていくことは明らか。その意味で、いまの埼玉西武が「100敗の危機」に陥るのは、なるべくしてなった、ともいえると映ってます。



 そう、「いまの日本水泳連盟の上層部のやばさ」と、「いまの野球の埼玉西武の上層部(というか、オーナーの後藤高志、GMの渡辺久信)のやばさ」って、とてもリンクして映ってるんですよね。
 埼玉西武も、オーナー、GM(及び、恐らくは球団社長も)が退陣しない限り、問題の病巣の打破からの第一歩さえ、恐らくとても厳しい。ただでさえ、「移籍の流動性にとても乏しい現行システム」「ドラフト1巡目指名は、完全くじ引きという時代遅れシステム」をも考慮すると、埼玉西武のチーム再建は、「5年スパン」を覚悟になるのでは?と想像です(現実論として、現況では「RC27で、4.00以上の日本人がゼロ」な訳ですから。まずは「ポイントゲッターを確立すること」から始める必要があるってことです)。





 【エッセイ#39A】

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