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【16週6日】家族への報告を振り返る

今日は雨で頭が痛かった。ただ原稿を書いていただけなので、家族への妊娠報告を振り返ってみようと思う。

北海道の実家に電話

12週を過ぎたころに自分の家族に妊娠を報告した。
私の家族は北海道にいるため、電話での報告となった。

我が家は私、弟1、弟2の3人きょうだいで、実家の近くに住む弟2のところにはすでに息子がおり、今秋娘も生まれる予定である。

遠く離れて住む私が3人目となる孫を産んだところで彼らの生活が変化することもあるまい。そんな家族の第一声を紹介したい。

母「あ、そう! 予定日いつ?」
父「エエー!!!!!!!  よし、お父さんが名前考えてやるわ」
弟2「あ、そうなの!? おめでとうございます」

弟1にはみんなより一足先にLINEで報告した。


かろうじて父が喜んでくれているのがわかる。たぶん喜んでいる。
東京で産む旨を伝えたところ母からは、「お母さん、猫がいるから手伝いに行けないからね」との言葉を賜った。

このドライさ、私は嫌いじゃない。
過度な期待や心配をされず、かなり気楽である。
我が家はいつもこういう感じだった。


義実家へ報告

自宅から車で30分ほどの夫の実家にも報告へ。

義実家とっては初孫となるバボ。
義父が近所の子に「おじいさん」と呼ばれるという話の流れから、夫が「お父さん、本当におじいちゃんになるよ」と報告したところ、義実家は大歓喜。

漫画だったら後ろにこういう効果音がついていたと思うくらい湧いた。


たまたま遊びに来ていた義弟と義妹は、なんと泣いて喜んでくれた。義母は「あらそう〜!いやー嬉しい!おめでとう!」と満面の笑みで、義父もなんとも言葉にしがたい表情で喜びを噛み締めながら、「そうかあ。名前考えなきゃなあ」と呟いていた。父は名前をつけたがる。

北海道砂漠で育った私にとって、こんなに喜んでもらえるなんてとても新鮮だった。異国の歓迎の儀に圧倒されるような、嬉しいのに素直に反応できず「サ、サンキュー…..」ともじもじするような、なんとも歯切れの悪い反応をしていたように思う。義実家のみなさんには申し訳ない。本当はとても嬉しかったです。

そしてバボってすごい。

まだ誰も見たことのない、人間のかたちにもなっていない架空の生物のような存在なのに、ただそこにいるというだけで泣いて喜んでくれる人がいる。純度100%の嬉しさを表現してくれる人がいる。
それってすごいことだよ、バボ。

「人間っているだけで誰かを幸せにするんだね」と帰りの車内で夫と話した。
生きてるだけで偉いとか、生きてるだけで希望があるとか、使い古されてきたさまざまな「生きる」に関する言葉に対して、こんなに実感を持ったのは初めてだった。

産んだ時や実際に会った時に、その言葉をより肉体的に捉えられるのだろうか。楽しみである。
知識としては知っているけど身体や心で知らない言葉がまだまだたくさんあるように思う。




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