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最期まで口から食べる生き方

地元の総合病院を退職した後、就職した職場はちょっと変な所だった。トップが医療従事者じゃなかったので、病院のようで病院じゃない病院だった(ややこしい説明でごめんなさい)。どっちかというと企業寄りで、営業マンが居たり、企画戦略にめっぽう強い人が居たり・・・事務職員は有名な大学を卒業している人や、大手企業に勤めていた実績がある人など能力の高い人ばかりだった。ほかに才能を活かせる職場はあっただろうにと感じながらもみんなイキイキと働いている。その反面医療従事者からするとやりにくい所があったのも事実。ちょっとブラックかもという疑惑は前にNOTEに書いた。

理不尽なこともたくさんあった中でも4年半くらい働いた。それはこの病院の理念に心を動かされるものがあったから。なんだかんだ言っても最終的には患者さんのことを第一に考えられる精神が根付いていたところ。当たり前って思うかもしれないけど、患者さんのことを考えるって簡単なようで難しい。総合病院などの一次救急のような病院(簡単に言うと最先端の治療ができる病院)は患者の気持ちよりも最善の治療を第一に考える。それも正解なんだろうけど、患者さんの目線で考えると果たしてその治療を本当に望まれているのかという微かな疑問はある。どんな治療も多かれ少なかれ苦痛が伴って、ガマンして少しでも健康でいたいと思う人もいればそこまでしなくてもいいと思う人もいる。その人によって優先するものが違うからこの仕事は難しい。看護師として働いてきた中でやっぱり患者さんの思いに寄り添って働きたいと思っていたので、治療を第一に考える病院は少し納得のいかないところがあって、その点では理想と重なるところがあった。


「どこまでも成長し続ける病院でありたい」

というのはトップである社長の考え。

なので新しいことに挑戦する事が多かった。私が就職してきたころに一丸となって取り組んでいたことが”口から食べるを取り戻す”という活動。食べるって当たり前に満たされる欲求で生きるためになくてはならないもの。だけど医療の進歩で口から食べなくても生きる手段が出来てしまった。栄養補給という面ではメリットだけど、目で見て味わって食べるという楽しみは奪われる。病気の後遺症で能力が低下し食べれなくなった人、治療のため絶食・点滴となり機能がはたらかなくなった人に口から食べられる手段がないかと医師が検査・診断し、理学療法士が残存機能を高めるリハビリをし、言語聴覚士が摂食機能訓練(口の中の筋トレ)し、栄養士がその人にあった形態で食事を提供し、看護師が食べやすい環境を提供・全身状態の管理をするというようにチームで協力し合い1人でもと積極的にサポートを行っていた。

口から食べるを取り戻す活動で、私の記憶に色濃く残る患者の鈴木さんがいた。

鈴木さんは脳梗塞による後遺症にて右半身に麻痺があった。介護施設で療養生活を行っていたが徐々に食事中に誤嚥(むせること)し発熱することが多くなった。今回は胃瘻造設(胃に直接管を入れてそこから栄養剤を注入する)目的のために入院する。鈴木さんは手術後元の施設に戻るための準備をするため、私の勤務する病棟に移動してきた。初めて会った時の鈴木さんの印象は「よくしゃべって面白い人だな」。会話も成立し思ったよりもしっかりしている印象だった。口から食事がとれず胃瘻からの栄養注入に関しては

「口からは食べたいけど、この栄養剤もなかなかおいしいよ」と。

私はなんとなく違和感を感じていた。会話もある程度成立しているし寝たきりの割には頭をあげたり麻痺がありながらも声をかけると寝返りも打てる。何よりはっきりと喋れる。話せるということは口や舌をある程度動かせるからできること。

「この人口から食べられるんじゃないかな」と思った。

担当の医師にこの分析を話してみると

先生「私もそう思う」

と食事摂取を目標とする治療方針にし、介入が始まった。

鈴木さんはめんどくさがりな性格がありながらも毎日のリハビリや嚥下訓練を頑張った。最初はベッド上で口から食べる食事も小鉢2品のペースト状のものから始まる。最初のころは口から摂取して誤嚥性肺炎が起こらないか十分に観察を行った(食事を食べるという機能に障害があった場合、むせた時に肺の方に残渣物が入っていき肺炎を起こす可能性が高い。高齢者は肺炎によって死亡する事も多く侮ることが出来ない)。特に発熱する様子もなく口から食べる活動は順調に進んだ。

2か月ほど経つと、鈴木さんは車いすに座り食事を行えるまでになった。前まではペースト状のものしか食べられなかったけど、細かく刻んだものまで食べれるようになり、食事中に声をかけると

「やっぱり自分で食べたほうが美味しいね」と自力で食べられるようにもなっていた。

「これも美味しいけど、粒のご飯が食べたいな」

鈴木さんは脳梗塞の影響で呑み込む機能をつかさどる脳がひどく損傷を受けていた。鈴木さんの食事に対する会議の時にもこれ以上の回復はできず、お粥をミキサーしたご飯と細かく刻んだおかずを食べるのが限度という結果になった。しかし、鈴木さんの粒のご飯を食べたいという願いをどうしても叶えたかった私は、担当の言語聴覚士(食べる訓練をする専門家)にどうにかできないかと話を持ち掛けた。

「あいかもさんは、まだあきらめてないと思っていました。もうちょっと頑張ってみます」と、心強い返事が来た。

それから数週間後、鈴木さんは粒のご飯を食べれるようになる。久しぶりにご飯を口の中に入れ

「美味しい」と涙を流しながら食べていた風景が今でも浮かんでくる。

鈴木さんとの出会いで患者さんの強い思いは不可能を可能にする力があるのだなと感じた。

手術や治療のために絶食が必要なことはある、だけど長期間の点滴のみの栄養管理、もう食べられないと医療側が判断してしまう環境で残された能力を発揮できなくなる事例は多々ある。安易に胃瘻を使用してしまえば患者の可能性は途絶えてしまう。良かれと思ってしている行為がその人らしい人生を送ることの足かせになっている現実があることを知った。

小さな違和感だった出来事がこんなにも患者の未来を変えることになるなんて・・・。自分の仕事が患者のその後を大きく変える役割にあると改めて感じることが出来た。

その後、鈴木さんは元の施設に戻り再入院する事泣く穏やかに療養生活を送っていると風の知らせで聞いた。


ある勉強会で学んだことがある。

「病気を患い、病院で治療する期間は、その人の人生の中でのほんの短い時間です。私たち看護師はそのことを頭の片隅に置きながら患者さんと向き合わなければいけません。その人が今までどんな風に生活していたのか?病気と付き合いながら在宅で生活するためには何が足りないのか?どんなサポートが必要になるのか。今までと変わらない生活ができるように支援することで患者さんのQOL(生活の質)が保たれるのです。それを私たちは忘れてはいけません。」

その人の思いを汲み取り最後までその人らしく生きれるように支援していく。鈴木さんとの触れ合いの中で、最後まで口から食べる人が1人でも多くなるように真摯に向き合い、笑って過ごせる1日を守っていかなければと思えてならない。

最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!