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いつか見た風景 81

「偽の記憶に花が咲く」


 騒々しい私の記憶たちがリビングからいなくなった。壁紙の張り替え準備のために業者の男たちが記憶たちを隣の部屋に移動させたからだ。写真や絵画、旅行先で買い求めた食器や置き物たち。彼らは再び私に選ばれて、然るべき場所に戻って来る事を本当に望んでいるのだろうか。

               スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス


「私の潜在意識のトリックスターたちだな。新たな記憶を植え付けてやろうか」


 小さな破裂音がリビングから聞こえた。時限タイマー付きの小型爆弾かなんかだろうか。だとしたら深夜に私を亡き者にしようと企んでいる謎の組織の正体を探らないとな。ちょうどいい、トイレに行ったついでに冷蔵庫でも覗いてみようかと思っていたところだったからね。

 寝室を出てリビングを見渡した。リビングのあまりの異変に私は驚愕し、その場に崩れ落ちそうになった。そこはまるで突然ブラックホールが発生したかのように全てが一瞬で吸い込まれていた。見事なまでに何もないのだ。いや、正確にはリビングの壁という壁に飾ってあったモノたちが消滅していた。サイドボードや飾り棚までもがすっかり消えていたのだ。

 気持ちが落ち着くのにどれくらいの時間が経っただろうか。とにかく少しばかり状況が飲み込めて来た。消滅したのはリビングの全てではなかった。ソファにテーブル、それから位置こそ変わっていたがテレビは残ってそのままリビングに存在している。それにいつものように照明代わりにテレビ画面は点いていた。

「ドゴン族はなぜシリウスBの存在を知っていたのかな…君に分かるかい?」 

 画面の中から不揃いの顎髭をたくわえた痩せた老紳士が私に声をかけて来た。何だか今夜も奇妙な事に巻き込まれそうな気がしたから、彼とは目線を合わせないようにして、私はそっとその場を離れようとしたが無駄だった。無視は出来ないよ、君の性格はよく知っているからねと老紳士が言った。


「不思議が不思議になるには理由がある」


 その昔、フランスの人類学者M・グリオールがアフリカのマリ共和国に住むドゴン族の盲目の長老オゴトメリに長期取材し聞き出したとされる神話は、天文学の最新情報と奇妙に一致する世界の誰もが驚愕する内容だった。まるで太古の宇宙人からドゴン族だけに授けられたかのような情報。天空で光輝くシリウス星にはポ・トロ(シリウスB)と呼ばれる白色で高密度の重金属で出来たやたらと重くて小さな恒星が楕円の軌道でシリウスの回りをゆっくりと伴走していると。

 肉眼では見る事が不可能なシリウスB。天体望遠鏡などなかった時代からあまりに正確にシリウスBの情報が語り継がれていたドゴン族の神話に注目が集まった事は言うまでもない。しかしその後の調査で盲目の長老が語ったとされるその神話は眉唾物だと判明した。ポ・トロの事はグリオールに情報を提供したドゴンの一部のグループ以外には全く知られていなかったし、何よりシリウスが連星である事(シリウスCの存在の有無も議論を呼んでいる)やシリウスBの質量や軌道に関する情報はグループ内でも全く共有されてはいなかったんだよ。

「それじゃあ一体誰が何のためにそんな話をでっち上げたのかな?」と画面の中の老紳士が言った。私への質問かと思いきやそうではない。得意げに、まるでサイエンス特番のナビゲーターのような振る舞いで話を進めて行く。ポ・トロ(シリウスB)は50年かけてシリウスを1周し、木星には4つの衛星があり、土星の輪っかの存在すらも彼らドゴン族が知っていたのは、きっと人類学者グリオールによる知識の混入があったに違いないと解説した。ノンモと呼ばれるシリウス系宇宙人が太古に地球を訪れたと言うドゴン族の神話に、何かの理由で後から意図的に異物を混入したであろうと。さらにはグリオールがドゴン族と接触する前に既に怪しい宣教師が彼らに会ってたって話もあるくらいなんだってさ。

 だから勝手に記憶に何かを混ぜるのは危険な事だと言いたいんだなと私は思った。数分後に私がやらかしそうな事を察知して、こうして夜中にメッセージを送って来たのかと。それにしても随分と回りくどいじゃないか。そうかそうか、混入された情報がその後に誰かに利用される事を危惧しているんだな。

 私のリビングに突然発生したブラックホールが私の大事な記憶たちを一瞬で連れ去ってしまったと言う私の仮説に、誰かが余計な情報を混入して私の存在や人格を脅かそうとするかも知れないと。


「深夜にお昼寝したっていいんだよ」


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