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『符丁を集めて旅する話』/短編小説

世界と符丁
符丁だ。世界は暗示と符丁に溢れている。
それらをあつめて進んでいけば、いずれ大きな幸せにたどり着けるのではないか。
それが大学四年間で僕が没頭した研究したテーマだった。

量子力学研究によれば、あらゆる可能性は同時に存在しており、客観的なただひとつの世界というものは存在しない。不確定性原理の示すように、あらゆるものは不確かで、多重に存在する世界を観測して固定するのは、紛れもない僕自身だ。僕の目についた符丁をもとに人生を歩むことは、至極真っ当な考えだと思った。

そして、卒業の日、この研究を実地で検証する機会をうかがっていた僕は、就職活動もせず大学を卒業し、無事に無職兼現実研究者となった。空は今日も青くひろがって、すべての可能性をたたえていた。


旅立ち
まず僕は、大学四年間を過ごした小さな安アパートを解約し、荷物をまとめた。
余計なものはいらなかった。
学科の教科書や参考書、鍋や食器、卒業証書すらも捨てて、身軽になった僕はホームセンターへ行き、大きなリュックサックと水筒、ミネラルウォーター(二リットル)、ブルーシート、ガムテープ、軍手、懐中電灯、手回しラジオ、乾電池、日焼け対策の帽子、着替えの下着とシャツに靴下、それからハイカロリーなチョコレートバーをいくつか買った。取り合えず役にたちそうなものを揃えたのだった。サークル活動もせずにバイトに明け暮れたお陰で、当面の資金の心配はなかった。

学部生のなかで、資格習得も進学も就職もしない僕は、最も浮いた存在だった。普段からまわりの友人たちが協力し合いながら、器用にレポートや研究論文などの課題をクリアしていく中、僕はそれらの課題に一人立ち向かった。そんな四年間で鍛えられた強靭なメンタルとそこそこの頭をもって、僕は期限のない実地研究へ旅立とうとしていた。

この旅において、なにを符丁として見つけ、どこへ向かうかは最も大事な問題だった。
僕は駅前の本屋に寄って、手帳とノート、軽く書きやすそうなペンを数本買った。この旅の符丁と目的地を記録として残すためだ。フィールドワークとして、研究結果をしっかりと残す必要があった。
ある程度の成果が出たら、本にまとめて発表するつもりだ。
僕は世界一自由だった。時間のある時には文章だけでなく、符丁の簡単な絵も描くことにした。

はじめの符丁
準備を整えた僕は、記念すべき最初の符丁を探すことにした。
これはこの先の旅の行く末を示す重要なものでなければならない。と思うと同時に、もっと力の抜けた、自然と心惹かれるものがいいと思った。
僕は歩きながら見つけた公園のベンチでリュックサックからチョコレートバーを一本取り出し、袋を開けてかじった。おなかがすいていたのだ。張り切りすぎもいけない。

昼一時過ぎ、うららかな陽気だったが公園に人影はほとんどなかった。植え込みのきれいな緑を眺めながら頬張り、食べ終わるとゴミをくしゃっとしてベンチの横に置かれているゴミ箱に捨てた。ふと丸まったチョコレートバーの赤いパッケージに目が止まる。そこには白い手が指差すマークが印刷されていた。
これだ。僕はこれを最初の符丁として、指先の示す方角へ向かうことにした。
最初の符丁は僕の空腹を満たしてくれたチョコレートのゴミ。行く先のない僕にちょうど良い気がした。ノートを開いて指先のマークを描く。
それから僕は匿名のソーシャルアカウントを作ってこの旅の写真と記録を投稿することにした。最初の投稿はこの、ゴミ箱に捨てたチョコレートのゴミだ。
数分後、「ゴミは持って帰れ」というコメントがついた。


コンニャクお守り
僕は公園を出ると指先の示すとおり、最寄りの駅とは逆方向へ向かった。コンクリートで舗装された線路わきの道を歩き、しばらくするとぼろぼろの公民館が見えた。
入口の門の前には、背丈の低いおばあさんが立ってこちらを見ている。不審に思った僕は方向転換して別の道を行きたかったが、符丁の示す通り行動しなくてはならない。
僕が近づくと、予想通りおばあさんは話しかけてきた。
聞けば近所の子供たちに昔ながらの遊びを引き継ごうと、飴を参加景品に公民館をつかわせてもらって”坊主めくり”のイベントを開催しているらしい。そして今日は一人も来ていない。最近では百人一首の大会はあっても、わざわざ娯楽として坊主めくりを楽しむ人はいないという。なんだか坊主とおばあさんがかわいそうになった僕は、飴は賞味期限も長く、エネルギー源になる、非常食にもらっておこうと一応の理屈をつけて、そのイベントに参加することにした。
こうしておばあさんにルールを教えてもらいながら、めくるめく坊主めくりが始まった。坊主や蝉丸、弓持ちが出るたび盛り上がってなかなか楽しい。これは後世に引き継ぐべきものだった。その後は一日中坊主が頭のなかをめぐった。
公民館でだいぶ時間をつぶし日も沈みかけたころ、やかんで沸かしてもらったあたたかい麦茶を水筒にいれて、僕は次の符丁を探しに出ることにした。
別れ際、おばあさんはなにやらコンニャク色のお守りのような布切れを渡してきた。
「これを持っていれば安心だ」
そう言ってシャツのポケットにねじ込まれるお守りを、雑巾の切れはしじゃないだろうねと思いながらも僕は素直に受け取った。

かばん持ちとの出会い
僕はすべてを含有する深い黒が好きだった。色鮮やかな絵の具をいくつも混ぜると真っ黒な絵の具になるけれど、それは赤や青や緑や黄色が消えてなくなってしまったわけではない。それらは真っ黒な黒の中に変わらず存在していた。黒はすべてを同時に存在させる。黒は一色であり全色であり、無であり有であった。
僕が雨上がりの夜の真っ黒な水たまりを覗くとき、水溜まりの中の僕もまたこちらを見ている。水たまりを見ているのが僕なのか、水たまりから見ているのが僕なのか、わからなくなったが、それはどちらでも同じことだった。

公民館を後にし、次の符丁を探す僕は、冷たいコンクリートで舗装された道端をそそくさと跳ねる"かばん持ち"と出会った。
彼はほとんどまっ黒だった。そこが僕が彼を気に入った理由の多くを占める。
かばん持ちというのはお尻の方にかばんの持ち手のような模様があるからだ。
彼の黒さが、多重性を許容する深さと、ブラックボックスのような不可視性を示していた。これも一つの符丁かもしれない。そう考えた僕は、かばん持ちの前にコロンと公民館でもらった飴を差し出した。
「あめじゃなくてきびだんごくれよ」
そんな声が聞こえたような気がしたが、耳鳴りだろう。かばん持ちは飴を両手で口に押し込むと、僕のリュックサックのポケットに飛び乗った。


冷たい雨とバス
日も落ちた夜道、僕はひとまず寝場所を探すことにした。といっても次の符丁に、"蛙には雨"と、雨雲を追って数時間歩いて着いたこの場所は、駅前のホテルや宿泊施設からは遠く離れた田舎道だった。

ぽつぽつときた雨の中、やっとのことでバス停を見つけた僕は、ここで一晩を明かすことにした。バス停の色褪せた赤いプラスチックのイスにホームセンターで買ったブルーシートを被せ、かじかむ手に軍手をして、僕は猫のように丸くなった。
リュックサックからチョコレートバーを出してかじる。本日二本目の食事だ。水筒の麦茶が身に染みる。明日はまともな食事をとった方がいいかもしれない。
かばん持ちにはまた飴をコロンとあげた。
本降りになってきた雨の音がうるさく、ラジオをつけてみたが電波が悪いのだろう。これもザアザアとうるさいだけだった。


葉っぱとたぬきそば
日も高くなったころ、虫の鳴く声に目を覚ました僕は、新しい靴下を履き、冷えた体を気遣いながら、あたたかい食事を求めて田舎道を歩きだした。
欲を言えばあつあつのラーメン。卵とろけるカツ丼でもいい。このあたりにのぼりのでた食事処はあるだろうか。
見つからなければバスを待ってもう少し開けた場所へ戻ろう。

そんなとき、深緑色ののぼりが奥の山の方に見えた。目を凝らすと白字で"たぬきそば"とかいてある。
空腹を抱えて店に入った僕は、海老天が二本のったたぬきそばを注文した。あたたかい汁が食道を通って胃に落ちる。
不思議と居心地のよい店だった。
かばん持ちには薄く切られたかまぼこと、海老を千切って少しあげた。
しばらくゆっくりとした僕は、支払いをしようと店主に声をかけた。
「金30枚」
ねじり鉢巻をして腕を組む店主はそういった。
金?30万円?ぼったくりそばーだったかと焦る僕に
「これだよ。30枚!」
店主は五円玉を目の前につきだした。
五円玉を30枚も要求された僕は、戸惑いながらも百円玉と五十円玉を1枚ずつ差し出すも、
「銀はだめだ。」
と、一蹴される。

「一枚たりともまけらんねえよ」
これは符丁かもしれない。次は五円玉だ。頭では冷静に考えながらも急いで財布をひっくり返す僕のシャツのポケットから、坊主めくりのおばあさんからもらったコンニャクお守りがはらりと落ちた。

「なんでえこれは。粋な端切れじゃねえか。」
店主が言った。
「支払いはこれでいいよ。」
おばあさんにもらったコンニャクお守りのことなどすっかり忘れていた僕は、この提案をありがたく受け入れた。店主の気の変わらないうちにそそくさと店を出ようとする僕に、
「お釣りだよ」
そういって店主は黄色い大きな葉っぱを一枚、手裏剣のように投げて寄越した。


研究ノートより:現実の展開
ここまで、僕のもくろみは外れていた。なぜだか僕の現実は、わらしべ長者のような様相を呈してきた。わらしべ長者とは、AをBと交換し、BをCと交換し、CをDと交換する……というように出会う人とつぎつぎ持ち物を交換していって、最後にはとんでもなく大きなものを手にするというお話だ。
こうして話してみると僕の研究テーマと符合している部分がないとは言えないかもしれない。僕の研究はもっと真理と深淵に迫るもののはずなのだけど。
この黄色い葉っぱがこの先なんの役に立つのかは分からない。なにかの符丁だろうか。たぶん役には立たないと思う。


トンネルの先
店を出た僕は五円玉を符丁として、歩きだした。店主が僕の目の前に突き出した、五円玉のまあるい黒い穴が気になっていた。かばん持ちになんともなく一人で話しかけながらたどり着いたのは、古いトンネルだった。研究のための旅をはじめてまだ二日、小旅行にも満たない短い時間だったが、ここにたどり着くことが、ひとつの目標であったような気がした。
地図を持たない僕には、このトンネルがどのくらい長いのか予想もつかなかった。数メートルかもしれないし数百、数千メートルもあるかもしれない。
ただ、トンネルは僕の好きな真っ黒だった。
ここには世界中のあらゆる可能性が詰め込まれている気がした。それほどに深い黒で、一寸先すら見えなかった。
すべての多重性が機織り機の糸のように細かく折り重なって、この闇をつくっていた。

リュックサックの中から、ホームセンターで買った懐中電灯を取り出して、トンネルのなかに向けてみる。まっすぐな光は深い闇に吸い込まれてぷつんと消えた。
トンネルに足を踏み入れたら最後、あまりの闇に前も後ろも分からなくなって、さ迷い続けるかもしれない。トンネルの向こうから真っ黒な僕がこちらをじっと覗いている。
尻込みする僕の頭の上で、かばん持ちがぴょんぴょん跳ねた。
このぴょんぴょんは、モールス信号でいうと"進め"かもしれない。たぶん。おそらく。
そう決めた僕はトンネルの中へ一歩踏み出した。


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