【連載小説】「青く、きらめく」Vol.5 第一章 風の章
その週の金曜日、部で美晴の歓迎会が行われた。
美晴と、先に入った一年生の優、あと二年生より上の部員十名が集まった。もう一人の一年生は来なかった。
「じゃ、美晴ちゃんの入部に、カンパーイ」
由莉奈が明るく乾杯の音頭をとった。美晴は、飲み会というものがおそらく初めてなのだろう、小さい体をますます小さくして、少し恥ずかしそうにグラスをかかげた。
「美晴ちゃん、何飲んでるの? ウーロン茶? えー、何かお酒頼みなよ」
飲み会好きの由莉奈は、すでに隣の美晴にからみ口調だ。
「無理しなくていいからね、美晴ちゃん」
「そうそう、由莉奈さんにつき合ってたら一時間もしないうちにつぶれちゃうから」
「ってか、未成年だし」
美晴の反対から、二年生の徹とまさるが交互に口を挟む。
カケルの隣には、二年生のお調子者の庄司が座り、その隣にマリがいる。
こういう席で、カケルとマリはたいてい離れて座った。二人が会っていることは、部の皆には内緒だった。だから、部の中では自然に距離をとっていた。それはどちらが言い出したわけでもなく、二人の間では暗黙の了解になっていた。カケルは一応、皆をまとめる位置にいるわけだし、部内で特別な関係がバレると何かと面倒くさい。こちらが言わなくても、マリはそれが分かっている風だった。むしろ、皆の前ではマリの方からわざとそっけなく接している感もあった。部内でベタベタなんてとんでもない。そんな雰囲気を前面に出していた。マリがツンデレ嬢と呼ばれる所以もそんな態度にあるのだろう。
「優、ゼッタイ、マリ狙いだよな」
優の真向かいに座っているまさるがニヤニヤしながらビールを傾ける。飲み会でも練習でも、何気にマリの隣や後ろにひっついていくのは、新入生の優だ。今日も、しっかり隣をキープして、食べ物の皿を回したりしている。
「や~、うちのツンデレラさんは手ごわいからな。まぁ、せいぜいがんばれ」
三年生の蔵之助が優の肩をたたく。
「やめてくださいよー。蔵之助さん。そんなんじゃないですってば」
優がくにゃくにゃと手を左右に振る。
「そうだ、こいつあのナンパなテニスサークルにも入ってるもんな。どうせそっちでも女の子物色してんだろ」
「そうだ。そんなヒマあるんならもうちょっとこっちにも顔出せ」
徹とまさるの二年生コンビにけちょんけちょんに言われている。
まさるの隣では、同じ二年生の佳乃が静かにほほえみながら梅酒を飲み、その隣では、少し遅れてきた時宗さんがバーボンのグラスを傾けている。時宗さんは、やや謎の存在で、ずっと留年している四年生で、ごくたまにフラ~っと部室にやってくる。で、やってきて隅でマンガを読んだりしている。いつも目深にキャップをかぶっていて、よくヘッドホンで音楽を聴いたりもしている。そして本番近くになると、無言で作曲したデモテープを差し出してきたりする。
「これ、梅酒たのんだのだれ?」
時宗さんの向かい、テーブルのふちの席に座っていたぼんさんが、店員から梅酒のグラスを受け取って、高くかかげた。体のデカいぼんさんの手にとられると、梅酒のグラスはまるでおちょこのように見える。
「あ、はーい。こっち。美晴ちゃんに頼んだの」
由莉奈が元気よく手を上げる。飲み会は次第にエスカレートし、話し声も誰が何を言っているのか聞き取れないぐらいになってきた。
カケルは、そんなに騒ぐ方ではないが、たいてい由莉奈と庄司というにぎやかなコンビに挟まれ、正気を失っていることが多々ある。由莉奈は、酔うと誰彼構わず抱きつくのだが、今日もそんなテンションになってきた。カケルも何度も襲われた。由莉奈も、見た目には、キレイでイケてる女子なのに、どうして襲われた感が否めないのか。それはカケルにも謎だ。男女にはどうしようもない相性がある。きっと永遠に謎のままだろう。
美晴は、はい、とか、いえ、とか言いながら、ずっともくもくと食べたり飲んだりしていた。
そんな彼女が豹変したのは、二軒目のカラオケの時だ。たぶん、飲み屋を出るときには、ナチュラルハイになっていて、大分あやしかった。カラオケに入ると、美晴は、自分の選んだ曲を大熱唱した。しかも、ものすごく音痴だった。部員の皆は、お腹をかかえて笑い転げた。ほぼ同じ音程がえんえんと続く。
「美晴ちゃん、サイコー! おっもしろーい」
由莉奈は、目に涙をためて笑い、歌い終わった美晴を抱き寄せて頭をよしよしした。
「お酒を飲んで歌うと、こんなに気持ちいいんですねー」
美晴は、ほとんど目をなくしてニコニコしながら、皆の歌に合わせて手拍子をしている。そして自分の番になると、いきり立って小さなステージに向かった。
「次、天城越え、行きますっ」
曲の初めから爆笑の渦は広がり、ラストの部分は、爆笑から悲鳴が上がった。
ところが、ラストを歌い終えたと同時に、美晴はふらつき、なだれこむように倒れた。
「やばいっ、美晴ちゃん」
「大丈夫?」
「飲みすぎたかなー」
部員たちは口々に言いながら、美晴をのぞきこんだ。
「おい、立てるか」
カケルが軽く美晴の肩を揺する。
美晴が目を開けた。とろん、としている。これはやばい。何とかカケルの手を借りて立ち上がったが、壁伝いにしか歩けない様子だ。
「しょうがないな。ほら」
カケルは、よろける美晴に背を向けた。倒れるように、美晴が背におぶさる。カケルは、ひょい、と美晴を背負い上げた。美晴は、カケルの背中でぐったりしている。
「このまま送ってくよ」
「え? カケルさんこそ大丈夫っすか?」
庄司が声をかける。
「たぶんな」
「二人で沈没しないことを祈る!」
蔵之助の叫び声を後ろに、カラオケボックスのドアは閉まった。次の曲のイントロが聞こえたが、すぐ防音室の向こうへ消えた。
店の外へ出ると、少し冷たい風が首をかすめた。上弦の月がやけに冴えて見える。カケルは、歩き出して、自分もやっぱり意外と酔っていることに気づいた。背中の美晴が、ぶつぶつ何か歌っているのが聞こえる。
わたしは自分が大きらい
ちがう自分になりたいの
わたしは自分が大きらい
遠いどこかへ行きたいの
さっきカラオケで歌っていた歌の替え歌らしい。
「まるで酔っ払いのオヤジだな」
一人つぶやきながら、なぜかカケルの心は、しんとした。まだ肌寒い五月の夜風が吹き抜けていく。カケルの上着のすそが強くはためき、舞い上がる。熱気を帯びたままの美晴の体が、ほんわかと温かく感じた。
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