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【連載小説】「青く、きらめく」Vol.4 第一章 風の章

「あ……ありがとうございます」
 美晴は、少し動揺したように目を泳がせた。
「どういたしまして」
 カケルは、本をひょい、と肩にかかげて閲覧席に座った。前の席には本が山と積まれている。その席に、美晴が後から来て座った。ちら、と背表紙を見ると、演劇関係の本が三冊、舞台の写真集が一冊、あと海外小説が三冊。美晴は、その上にチェーホフの著作を三冊乗せた。本の山は、美晴の顔が隠れるほどの高さになった。
「ずいぶん勉強熱心だな」
 カケルは、目線を自分の本に落としたまま、小声で話しかけた。
「ハイ。あの、先輩も時々、ここへ来るんですか?」
 本の向こうから、ちょっとだけ顔をのぞかせて、美晴はひそひそ声で返した。
「うん、たまにな」
 図書館でのおしゃべりは、想像以上に響く。そこで会話はとぎれた。周りの静けさが、また美晴の存在を忘れさせた。一時間も読んでいただろうか。そろそろ、本を借りて帰ろうと、席を立った。じゃ、と軽く美晴にあいさつをして場を離れた。
 カウンターで手続きをしていると、また後ろでばたばたと本を落とす音がする。美晴が少し慌てた様子で、本を拾い抱え直しているのが見えた。
 自転車に乗ろうとすると、ものすごく重そうな袋を背負うようにして、美晴が図書館から出てきた。
 あの本、全部借りたのか。黙って見ていると、こちらに気付く様子もなく、門を出て行った。よろけて、出て行った。ニット帽と長いワイドパンツという格好で、大荷物を背負うようによろよろ歩くその後ろ姿は、まるで浮浪者のそれに似ていた。
「何か危なっかしいなぁ」
 カケルはつぶやくと、思わず後ろを自転車でのろのろと追いかけた。
「おい」
 声をかけると、美晴は振り返り、驚いたように目をぱちくりさせた。
「それ。乗せてってやるよ」
 カケルの自転車にカゴはないので、無理やりカバンごとサドルに乗っけた。カケルは美晴と並んで歩くハメになった。
「家、どこ」
「元町の三丁目です」
「うちの近くじゃん」
「え、どこなんですか?」
「うちはもう少し行った四丁目の外れ」
「そうですか」
 美晴は、まだ少し緊張している様子だ。まだ、練習に五回ほど来たところで、あまり話もしていない。なじむまでに少し時間がかかるタイプなんだろう。
 小さな路地に入る交差点まで来て、カケルは、はた、と立ち止まった。この路地を入った先の喫茶店で書く予定だった。乗せて行ってやる、と言った手前、途中で荷物を返して別れるのも何だかな、と思ったので、同じように立ち止まった美晴に、こう言った。
「ちょっとコーヒー一杯、つき合わないか」
 美晴は、ぽかん、としてカケルの顔を見た。
「もしヒマだったら」
「あ、はい」
 美晴は、従順な様子でついて来た。

 そこは静かな緑に囲まれた昔ながらの喫茶店で、外で書くときはたいてい、ここで書く。店の中から緑が見えるのがいい。店内が少し入り組んでいて、どの席も比較的プライベートが守られる雰囲気なのがいい。小さくジャズが流れているのもいい。
 カケルは、窓ぎわの並びの席に座った。いつものブレンドを頼む。今日はミルクは入れない。美晴は、少し考えてカプチーノを頼んだ。
 カケルは、美晴に構わず、カバンから書きかけの脚本を取り出した。
「ここで、書くんですか?」
 美晴が目を丸くする。そうか。つき合え、と言っておいて、ほったらかしにして書くわけにはいかないか……。カケルは自分のバカさ加減にあきれて、思わずため息をもらした。
「そう。そのつもりだったけど、こんなことにつき合いたくないよな」
「いえ、いいです。気にしないでください。私、ここで借りてきた本、読んでますから」
 美晴が、やわらかく笑った。それから、前の庭に目を移して言った。
「あこがれていたんですよね。図書館帰りにこういう所で本読んだりするの。何か、おしゃれっていうか」
 カケルは少し笑った。地方から出てきた子独特の、静かな興奮が伝わってきた。
「北海道だったっけ。実家」
「はい」
「北海道では、五月でもそういう帽子かぶるの?」
 少しからかう調子で言うと、美晴は、慌てて帽子を脱いだ。
「いや、あの、これは……私、よく本に頭を直撃されるんで、防具というか」
 カケルはまた笑った。
「きみ、変わってるね」
「はぁ、時々言われます」
 美晴は、照れたようにうつむいた。
 注文のコーヒーが来て、カケルは執筆に入った。美晴は、興味があるのか、時々こちらの様子を伺っている。落ち着かない。
「悪いんだけどさ、ちょっと、気配を消してくれない? 何か落ち着かなくて」
 冗談のつもりで言ったのだが、美晴は本気にした。
「すみません。創作する人を間近に見たのが初めてだったので、つい。じゃあ、今から気配を消しますね」
 美晴は、ほんの少し、体を反対方向に向けた。
 驚いた。そこからは、二人はまるで隣の席に座った赤の他人同士だった。他の客から見ても、そう見えたに違いない。それは、音を立てないようにカップを置く仕草や、隣を気遣いながら干渉しない姿勢や、本をめくる静かな指先にも現れた。
 こいつ、演技している。しかもごく自然に。
 意外と、当たり、かもしれないな。カケルは、この不思議な新入生をまじまじと見つめた。

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