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【連載小説】「青く、きらめく」Vol.22 第四章 風の章、再び

「あ。カケル部長、復活」
 練習室のドアをバタン、と開けると、ファッション誌をめくっていた由莉奈が、真面目な顔つきで第一声を発した。
 病み上がりだからだろうか。体が少しだるく、吹き抜ける風がいつもよりくっきり澄んで感じる。何か自分の悪い殻が一枚はがれ落ちていったよう。いや、季節も、変わったんだな。ただ単にそう考えようとして、カケルの頭に、昨日、自分が人知れず涙を流したことがよぎった。美晴がいる。彼女は、気づいただろうか。佳乃と頭を突き合わせて、小道具の相談でもしていたのだろう。

 その向こうの窓には、早くも色が変わり始めた構内の木が、かすかに葉をふるわせている。美晴は、あえてこちらを見ないようにしているようだった。そう言えば、礼も言ってなかったな。何を言ったらいいものか、考えもまとまらないまま一歩を踏み出したとき、由莉奈が甲高い声を飛ばしてきた。
「マリちゃん!」
 振り返ると、すぐ後ろに、マリが立っていた。少しだけすまなそうな、でも、目だけはきらきら輝いていて居心地の悪そうな、微妙な笑顔でカケルを見ている。
「マリちゃんもここ三、四日音信不通でさぁ。どこ行ってたの? 最初、カケルと旅行⁉ ってみんなでうわさしてたんだけど」
 言葉より先に、由莉奈の頭をはたいていた。
「痛っ! 何すんのよ。女の子に対して」
「うるさい。べらべらてきとーなことしゃべるんじゃねーよ」
 部活仲間は、みな笑いをかみ殺している。佳乃などは、表情に出ていなくても、下を向いたまま、内心にんまりしているのが分かる。カケルは軽くめまいを覚えて、目を閉じた。

 ――バレてる。うすうす感じてなくはなかったけど。

 ふと目を開くと、こちらを見つめていた美晴と目が合った。美晴だけは、笑っていなかった。ただ、不思議そうな目をして自分を見つめている。
「父の知り合いのアメリカ人の夫婦が遊びに来ていて。ちょっと、家族交流で忙しかったんです。すみません」
 マリは、上目づかいで由莉奈に笑いかけた。
「へぇー、かっこイイー。そっか、お父さん、アメリカに赴任中だったもんね」
「そうなんです。一緒に一時帰国して来てて」
 楽しい時を過ごしたんだろう。珍しく興奮した様子のマリと由莉奈の会話をさえぎって、練習が始まった。

 初めて、男が少女の存在を気にとめ、一本のバラを買うシーン。男にだけ、少女が見える。連れ立っている同僚にも、通行人にも、見えない。少女は、男のことだけ、見える。見えているものと、見えていないもの。それを、視線と、体全体の線と、意識で表現する。
 マリが、すっと背筋を伸ばして立っている。マリの立ち姿は、きれいだ。昔、バレエを習っていたの、と、マリが言っていた。練習がだんだんきつくなってきて、中学生でやめちゃったけど。
 マリが、ジェスチュアで、胸元から、バラを一本とって前へ差し出す。その瞳は、真っすぐにカケルを見ている。視線を向けられていることに気づいた男は、最初からは少女を見ない。気づいた、という意識の瞬間は、うつむいたまま、やがて、雑踏のその先にいる少女に、視線を合わせる。歩みよる。と、突然、ガラスのように目を見張っていたマリの顔が崩れ、笑い出してしまった。同時にカケルはおいおい、と天井を仰ぎ見て、場に笑いが広がる。
「ごめんなさい、もう一度」
 マリが笑いを抑えこみながら、拝むように手を合わせる。

 きっと、由莉奈やみんなに、もう知れてしまった気安さが、マリを楽にしたのだろう。それと同時に、公認になったことへの優越感――仲間内でも特別な二人になれたことの嬉しさが、マリの体全体からあふれだしていた。
 普通に恋している女の子なんだな、と、この時改めてマリのことを発見したような心持ちで眺めた。まるで当事者ではないかのように、自分の心が冷めている。周りも、二人をからかうようなムードが流れていて、それは明るくて決して悪くはないんだけど、何だか当てが外れている。
「分かった、分かった。もう一回」
 気を取り直した自分の声だけが、浮いたように天井に響いた。

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