見出し画像

【連載小説】「緑にゆれる」Vol.16 第二章

 うつむいて黙っていると、カケルが場の空気を変えるように笑った。

「何で、お前が深刻になってんだよ」

 え、と顔をあげた。風がかさこそと緑をゆらし、かすかに薫った。

「今、思い出したけど」

 カケルの目が、かすかにきらっと光った。

「冬の木立の中で、あなたとは一緒に行けない、って言われたとき」

 マリは、思わず赤くなった。別れるとき、マリはカケルにそう言ったのだ。

「あれは、見事だったよ。あの、鮮やかさ」

 カケルは、気まずい思いをしているマリの様子を楽しむように、続けた。

「なかなか男前だった」

「もう、止めて」

 カケルは、くすくす笑った。

「あのとき、ああ、この子は、おれを捨ててこのまま新しい世界へ飛び出していくんだな、と思った。自力で、自分の向かうところへ行きたい子なんだろうな、って」

 ひとつひとつ、言葉を選んで語る彼。マリの中に、不思議な静寂が訪れる。ゆっくり呼吸する。その言葉を、ゆっくり自分の中に落とし込むように。

「この前、ドラマの撮影が終わったんだけど。ラスト、桜の下で、女の子が彼に別れを告げるんだ。そのあと、桜の中で彼を見つめるとき、妙にうるうるしてるからさ、何か違うな、って。もっと、こう、女の子が何か決意するときって、凛としてるんじゃないかな、と思って。そのイメージを分かってもらうとき、たぶん、お前がおれに見せた表情とか、立ち姿が頭にあったんだと思う。今、気づいたけど」

 そこまで一気に言うと、カケルは少し照れたようにマリを見てから、手元に目線を落とした。

「自分は、今、何の社会の役にも立ってないかも、って思っているかもしれないけど、どこかで誰かに影響を与えていることも、あるよ」

 胸のどこか奥が、甘くせつなく、くしゃっとつかまれたような気がした。それを味わう間もなく、カケルは腕時計を見て言った。

「あ、やべ。そろそろ時間だ」

 公園の出口へ向かって、並んで歩いた。

 ぶらぶら歩きながら、彼は手持ちぶさたな手を、ポケットにかける。

「話してみたら」

 どこかで、鳥のさえずりが聞こえる。

「さっき、おれに言ったようなこと」

 後ろ手に持ったバッグを揺らしながら、少しだけ、もったいぶって歩く。何か、もっと言ってほしいのだ。そう思っている自分がいる。

「仲は良いんだろ」

 うん、とうなずいてから、マリは口を開いた。君が、あんまり辛そうだったから。そう言ったときの、夫の顔を思い出す。自分を思っての言葉だったのだ。

「でも言えるかなぁ。家の中じゃ、もうパパとママよ。タイミングもなかなかない」

 ふと、思う。夫と、こんな風に公園を歩いたのは、いつが最後だっただろう。そういえば、もうずっと手もつないでない。

「もしかして、お前、だんなのことパパって呼んでるのか?」

 一瞬、言葉につまった。けれど、今さら隠してもしょうがない。

「そうだけど」

「それ、やめよう」

 間髪入れずに、明るく堂々とカケルが言ったので、マリは思わず笑ってしまった。

「だめ?」

「だめだろうー。たぶん、結婚して男が一番呼ばれたくない呼ばれ方だな」

「そうかな」

 公園の出口が見えてくる。緑の静寂の向こうに、赤い車が通り過ぎていく。ここを出れば、二人は、また別の世界へ歩いていくのだ。


(Vol.15 第二章 へもどる)     (Vol.17 第二章 へすすむ)

読んでくださって、本当にありがとうございます! 感想など、お気軽にコメントください(^^)お待ちしています!