【連載小説】「緑にゆれる」Vol.15 第二章
カケルは、椅子の背もたれに寄りかかって黙って話を聞いている。
「働いていたときは、同じ方向を向いていた気がするのに、今は同じ空間にいても別の方を向いている気がする」
結婚して五年間は、子どもができなかった。正確に言えば、できないようにしていた。ディンクスを楽しみたい、という気持ちの方が強かったのだ。恋人の雰囲気を残しながら、一緒に生活をする。今よりずっと身軽で、ほんのり幸せだったころを思い出す。
「それ、やばいな」
突然、ぽつりと言ったカケルの言葉に、どきんとした。
「え?」
しゃべりすぎた、と思った。別の方を向いている、なんて、普段は意識のないことだ。ただ、夫は前と変わらず、新聞を見てパソコンで情報収集をしているかたわら、自分は娘のトイレを気にして、イヤイヤと投げつけたスプーンを拾って床をふいている。そのずれを表した言葉が、こんなにも鋭く真意を突いてしまうなんて。
「いや。おれがそうだったから」
そこで、初めてカケルは自分のことを口にした。
「三年前に別れたの。聞いただろ、たぶん」
マリは、しばし固まったのち、ゆっくりとうなずいた。
「どうして、別れちゃったの」
沈黙が怖くて、おそるおそる聞く。
「よくある言葉で言うと、価値観の不一致? 性格の不一致、かな?」
三年経って、心の整理は出来ているのだろう。半分茶化すように言って笑うカケルの顔を見つめた。
「でも」
そう言ってから、カケルはほおづえをついて、テラスに視線をさまよわせた。
「決定的だとしたら、誕生日を忘れていたことかな」
「えーっ」
非難するようなマリの反応に、カケルは苦笑した。
「やっぱり、なしか。そのとき、初めて映画の企画が動いていて、脚本書いたり、ロケしたり、とにかく忙しかった。でも、結局、その企画はポシャるし、離婚話は浮上するし、最悪な年になったよ」
「誕生日かぁ……でも、それだけで、別れるかな」
「別れないよな。ふつうは」
何か挑戦的な目をしたカケルは、口元にほほえみさえ浮かべていた。しまった、と思った。マリは、ほとんど無意識に出た言葉が、相手の傷に強く触れてしまったことに気づいた。けれど、もう遅かった。
「〝あなたは、薄情なのよ〟って、言われた」
そう言って、カケルは静かにコーヒーを飲んだ。それきり黙ってしまったカケルを、切ない気持ちで見つめた。
おそらく、一番、彼を傷つけたであろう、その言葉を、まるで自分の痛みのように感じた。そんな傷を隠すことなく、さらっと口にできるほどに、自分たちは大人になってしまった。そのことも、何だか寂しかった。そして、ここで一つの世間話のように、何か軽いフォローを入れなければならない。
けれど、マリにはそれができなかった。彼にとって、決して軽い話ではないことは分かりきっていたから。
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