【連載小説】「緑にゆれる」Vol.19 第三章
ふらりと、また来てしまったのはなぜだろう。
二ヶ月ほど前にたどっていた道を、またこうして歩いている。日は、ほとんど暮れかけている。
緑は、よりいっそう、深くなっていて、つい先ほどまで雨に濡れそぼっていた葉先は、重たくその影を道路に垂らす。古いトンネルをくぐりぬけたとたん、気温がすーっと下がる。鳥の声がひびいている。その環境の変化に、驚く。
今の季節は、いいだろうな。鳥の声を聞きつつ、緑を見ながらのコーヒーなんて。
しかし、着いてみると店の前の道路には、看板が出ておらず、石段を上ると、木の扉には「CLOSE」のふだが下がっていた。
「定休日だったか」
確認もしないで来てしまったことに、後悔する。店内も二階もひっそりしていて、まるで人の気配がしない。カケルは、軽く一つ息を吐くと、石段を下りてそのまま帰路へと向かった。
湘南、いいよ。
谷崎が言った言葉は、なにかカケルの心にすとん、と落ちた。
学生時代、過ごした土地。人生の夏休みには、もってこいの場所かもしれない。そこで、今後の人生や、やりたいことを考えて暮らすのも悪くないな、そう思った。
美晴のところへ足が向いたのは、物件を探し歩いたあとだった。ついで、というには距離があったが、つい来てしまった。
何となく、彼女はいつでもそこにいるような気がしていたので、当てが外れて、ぼんやりした気分で、薄暗い木立の道をまた戻った。
そのとき、耳がとらえたのは、ざざざっという音と何か蹴るような音。それは、うっすらと暮れていく梅雨の景色の中に、不自然に響いた。
ふと、音のした方を見上げると、そこは少し小高い台地になっていて、「売地」とある。木が茂っているので、下からは全部が見えない。複数の人の気配がする。不審に思って、台地のふちに足をかけると、小学生の男の子たちが三人、はしゃぎながら下りてきた。カケルに気をとめるともなく、ふざけあいながら、走り去って行った。
台地を上っていくと、開けたところに、うつむいて突っ立っている少年がいた。
圭だった。泥だらけになって、顔も汚れていた。近くに、ふたの開いたランドセルが転がっている。
何があったのかは分からない。
かける言葉が、すぐ見つからなかったので、すぐ側に転がっていたランドセルを拾い上げ、ふたを閉めた。カケルは、それを自分の肩に引っかけて、背を向けた。歩を進めたとき、服のすそを強く引っ張られた。
「言わないで」
強く握られた手は、固く、カケルを放さなかった。強い決意を感じた。
「お母さんには、言わないで」
つばを飲み込む自分ののどが、ごくりと大きく上下した。カケルは、黙って振り返ると、少年と真っすぐに向かい合って言った。
「言わない」
家まで圭を送っていくと、美晴がちょうど帰ってきたところだった。
「ただいま」
小さな声で言う圭に目を向けると同時に、美晴は少し驚いた顔で言った。
「カケルさん?」
「あぁ」
「どうしたんですか?」
「そこでちょうど圭に会って」
つくづく、自分は嘘が下手だな、と思う。
「ていうか、圭、どうしたの? その格好」
黙っている圭に代わって、口を挟む。
「何か、そこの台地の向こうの崖登って遊んでたぞ」
「もう。危ないとこ行かないで、っていつも言ってるのに」
初めてのことじゃないのかもしれない。カケルの中に、よくない予感がよぎる。
「で、カケルさんは……」
「おれは用事でこっち方面に来たから。ついでに、と思って」
美晴は、買ってきたパンを戸棚にしまいながら、話しかける。
「また撮影ですか?」
「いや、その」
口ごもるカケルに、美晴は一瞬手を止めて、ん? という顔でこちらを見た。言いにくい事情を察したのか、美晴は手を動かしながら視線を外した。
「コーヒー、飲んでいってください。圭を送ってきてくれて、ありがとうございます」
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