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【連載小説】「緑にゆれる」Vol.20 第三章

 結局、そのまま晩ごはんまでいただくことになってしまった。食べつつ、会社が倒産したことを話した。

「同僚のカメラマンが湘南に住んでて、いいよ、っていうから、それもいいかな、と思って。今のところだと家賃高いし。物件、探しに来たってわけ」

 チキンのバジル風味のローストをほおばりながら言った。店内には、小さな音で音楽が流れている。やさしいギターのソロだ。

「いい物件、見つかりました?」

「んー、どうだろ。まぁまぁかな」

 美晴は、食後の飲み物を用意している。

「ひょっとして、ものすごく困ってます?」

 ギターの音色に乗せて、美晴はゆっくりとほほ笑む。カケルは、ほおづえをついたまま、美晴を見た。うつむいていても、自分の表情を気にかけているな、と感じる。

「ちょっとだけ、困ってるかも」

 住むところの問題だけじゃない。作っていく現場を失ったのだ。

本当は、自分たちで好きなものを撮れたら。

いつの頃からか、仲間内でつぶやき合っていた夢が浮かんでくる。そのためにも、今はできるだけ浪費したくないのだ。

「離れに、住みます?」

 仕事から夢につながることをぼんやり考えていた頭に、それは全く予想外の変化球だった。

「えっ?」

「あの離れ、使ってないんです。格安で、一万円でどうですか」

「いっ、一万円⁉」

 カケルは、思わず椅子から飛び上がった。

「あ、でも光熱費と、食費もいただいて……三万円かなぁ」

「……二万上乗せか。いや、でも、ありがたい」

「次、見つかるまでの仮の住み家、みたいな気楽さでいいですから」

 美晴は、うつむいて食後の紅茶をいれながら、こちらを見て、ふふっ、と笑った。


 引っ越しは、梅雨の晴れ間に自分で行った。谷崎と、奈美が手伝ってくれるという。借りたトラックで、必要最低限の荷物で鎌倉へ向かう。家電は、前妻と別れるとき、ほとんどあげてしまった。独り身になってからは、リサイクルショップで適当なものをそろえた。それも大していい物でもなかったので、今回売ってしまった。

「いいなー、鎌倉に住むなんて!」

 運転席で、谷崎とカケルの間に挟まれて、奈美はすっかり上機嫌だ。

「三十六歳で居候だぞ」

 カケルが自嘲気味に鼻で笑ってみせる。そう言いながらも、どこか心が軽い。

「知り合いの離れ、なんて、すごい物件見つけてきたよな」

 谷崎も笑う。ラジオからは、晴れ間にぴったりなポップスがリズムを刻む。運転席の谷崎が、車の窓を開ける。湿気を含んだ六月の風が吹き込んでくる。

「なんか、いい風、吹いてきたーっ」

 一人盛り上がる奈美に、男二人がつられて笑う。

 そうなんだ、ほんのひとときでも、こんな空気に気分が踊れば、これは決して人生の敗退ではなく、新しいスタートに思える。そして、気持ちと意志と行動力があれば、それは本当に新しい人生の再スタートになるかもしれないのだ。


 美晴の店に着いたのは、昼も一時を回ったころだった。緑の木々が、日の照り返しで光っている。美晴は、臨時休業にしますね、と言っていた。到着してすぐ、彼女は二階のベランダから顔を出すと、すぐに顔をひっこめた。

「おい。聞いてないぞ。知り合いが女なんて」

 ハンドルを握ったままの谷崎が、やや眉間にしわをよせて、奈美の向こうからカケルをのぞきこむ。

「しかも、前に言ってた、お弁当屋さんですよね? ここ」

 奈美も、まじまじとカケルを見た。

「何だよ、その目は」

 二人を代わる代わる見る。

「全く、すみにおけないやつだ」

「いや、だから、違うって」

 カケルの言い訳も聞かずに、運転席のドアを開けた谷崎は、降りるなり、もう出迎えた美晴に声をかけている。

「こんちは! トラック、ここで大丈夫ですか?」


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