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【連載小説】「緑にゆれる」Vol.14 第二章


 このとき、今まではっきりと形をとっていなかった疑念が、マリの頭の中に、くっきりと浮かび上がってきた。

 やっぱり、会社を辞めたことが、失敗だったのではないだろうか。

 そのときの決断が、いかに重大なものだったのか、改めて実感として自分の中に沸き上がってきた。それと同時に、夫から言われたひと言も。

「会社辞めてもいいんじゃない? って。言ったの。夫が」

 マリは、うつむいて、カップに手をかけたまま、言った。

「ショックだった」

 マリは、先ほど流していた自分の涙が何なのか、ようやく分かった気がした。

「どっちでもいいよ、ってそのあと慌てて彼は言ったけど」

 それから、夫は少しいたわるような顔をして言ったのだ。保育園探しと、夜泣きとで、君があんまり辛そうだから、と。

 夫は、同じ会社の五年先輩だった。違う部署にいて、直接の先輩ではなかったが、新入社員のマリの里親制度としてのOJTだった。里親のOJTは、直接のOJTには相談しづらいことや悩みを聞いてくれる、という位置づけだった。

 時々、社員食堂で一緒に食事をしながら、仕事の悩みや、企画の話など、いろんな話をした。

「きみの企画、おもしろいね。いいもの持ってるよ、って。一緒の職場にいたときは、そう言ってくれたのに」

 社食でたびたび食事をするようになってから、しばらく経って、ある日突然、彼は食事を断るようになった。ごめん、今日は会議があるから、相談なら、メールでくれるかな、と。それが、二、三回続いた。避けられている、と思った。でも、どうしてだろう。何だかモヤモヤしたものを抱えたまま、ある日、廊下でばったり会った彼を呼び止めた。

「相田さん、あの」

 同期と一緒だった彼は、同期に、先に行ってて、と軽くうながしてから、マリに向き直った。

「何か、私のこと、避けてません?」

 突然の直球に、彼は面食らったようだ。

「私、何かしましたか。不都合なことや失礼があったら教えていただけませんか」

 すぐに追及したくなるのは、悪いくせだと思っている。けれど、今まで良好な関係で、身に覚えがないのに避けられているような気がするのは、何だかいい気がしなかった。

「いや、あの、そうじゃなくて」

 彼は、頭に手をやりながら、少し声を鈍らせて続けた。

「何か、君とあまり親しくしていると、目立っちゃうみたいで。同期や上司にまで、ずるいって言われるんだ。きみが……その、とてもきれいだから。そう言えば、そうだよね」

 そこまで言ってから、彼は失言に気づいて、慌ててフォローした。

「あっ、ごめんね、今、気づいたって意味じゃなくて、きみがきれいなのは最初から分かってたんだけど。ぼくももっと話したいと思っていたし、あ、ぼく、何、言ってるんだろう」

 しどろもどろしながら、だんだん顔が赤くなっていく彼を見て、思わず、ほうっとした。この人、かわいい。

「じゃあ、今度、社食以外でごはんしませんか?」

 あまり照れもなく、きっぱりした調子で言っていた。

 もっと話したかったから。君といると楽しいから。

 彼女にしたいから、じゃなくて、見た目が好みだから、じゃなくて。

 この人は、ちゃんと自分の中身を見てくれている。そう思っていたのに。


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