市井の人

主に日本近代美術、画壇に関する記事を書いていますが、たまに美術以外の話題を取り上げるこ…

市井の人

主に日本近代美術、画壇に関する記事を書いていますが、たまに美術以外の話題を取り上げることもあります。記事に関する御意見・情報提供はコメント欄または下記のメールアドレスにお願い致します。 dyi58h74@yahoo.co.jp

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巻頭の辞

私は主に日本近代美術の資料収集をしている者です。本職の研究者でも何でもない一介のアマチュアに過ぎませんので「研究」とは敢えて書かず、「資料収集」にとどめておきます。 私が美術に興味を持つきっかけとなったのは1987年、9歳の時に自宅にあった『大日本百科事典』21巻「世界美術名宝事典」(小学館、1972年)という本をたまたま手に取ったことです。それを読んでルネサンス以降から20世紀前半までの西洋美術の主な画家はあらかた覚えました。 次の転機となるのは1989年、11歳の時に小

    • 【朗報】日本画家・落合朗風の久しぶりの回顧展が開催決定

      落合朗風(1896〜1937)という日本画家がいます。経歴を記し、作品を幾つか紹介致します。 森口多里『美術八十年史』(美術出版社、1954年5月)に以下の説明がなされています。 落合朗風に関する主な著作は以下のものです。 『落合朗風遺作集』(芸艸堂、1939年4月) 『落合朗風:魂の叫び(「NHK日曜美術館」幻の画家・回想の画家3)』(NHK出版、1992年7月) 『落合朗風生誕百年展』(平田市立旧本陣記念館、1995年11月) このことから分かる通り、落合朗風は大

      • 横山大観の贋作を売っていた「共楽美術倶楽部」

        飯島勇編『近代の美術10 横山大観』(至文堂、1972年5月)pp.117-118に横山大観の贋作事情について書かれています。 ここに書かれている「共楽倶楽部」という組織が気になり、グーグル検索したのですが、何も情報が出てきませんでした。 その後、与野冬彦編著『近現代ニセモノ年代記』(光芸出版、2005年7月)という本の「1935年」の項目に以下の記述を見つけました(p.203)。 ここに書いてある「京楽美術倶楽部」は前述の「共楽倶楽部」と同一組織ではないかと思い(満州

        • 戦前の京都画壇有数の個性派だが再評価が進んでいない日本画家・粥川伸二

          粥川伸二という戦前の京都画壇で活動した日本画家がいます。主な経歴は以下の通りです。 粥川伸二は国画創作協会時代は長崎をテーマとした異国情緒溢れる蘭画風の日本画を出品し、同会有数の個性派ですが、同じ国画創作協会の個性派として知られる甲斐庄楠音や岡本神草らと違い再評価が進んでおらず、回顧展図録も今のところ存在しません。戦前の京都画壇の知られざる日本画家を発掘・顕彰してきた星野画廊ですら回顧展が行われていないようです。 回顧展が開催されていない理由は分かりませんが(現存する作品

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        巻頭の辞

          点描画の大変な実力者であるにもかかわらず現状は無名の洋画家・田中惟之

          田中惟之(1935〜2013)という洋画家がいます。主な経歴は「國領經郎に師事。光風会を経て日洋会および日展で活動。日展会員、日洋会理事。」です。作品を幾つか御覧下さい。 田中惟之は生前、横浜市に住んでおり、海が好きで三浦半島の漁港、城ヶ島などの風景を多く作品にしたのですが、これらの絵を見れば分かるように、点描画の大変な実力者です。おそらく、日本の洋画家では岡鹿之助や牛島憲之に次ぐレベルだと思われます。しかし、現状は全くの無名で、わずかに冒頭に取り上げた横浜博をモチーフにし

          点描画の大変な実力者であるにもかかわらず現状は無名の洋画家・田中惟之

          ホキ美術館系のそれとは異質の迫真の写実絵画を描く洋画家・鈴木義伸氏

          鈴木義伸氏という洋画家がいます。光風会会員及び日展会友で、愛知県在住です。生年と詳細な経歴は把握しておりませんが、少なくとも1990年代前半から光風会展及び日展に出品しています。まずは作品を御覧下さい(注1)。 鈴木義伸氏は昨今流行のホキ美術館系の平板なそれとは異質の迫真の写実絵画を描き(例えるならアンドリュー・ワイエスとか三栖右嗣に近い存在でしょうか)、現在の日展洋画部門では間違いなくNo.1の画才を誇ります。鈴木義伸氏に比べたら同じ日展に所属する洋画壇の重鎮・中山忠彦氏

          ホキ美術館系のそれとは異質の迫真の写実絵画を描く洋画家・鈴木義伸氏

          藤田嗣治と親交のあったエコール・ド・パリの洋画家、板東敏雄

          板東敏雄(1895〜1973)という徳島県出身の洋画家がいます。今日、この画家の名前を知っている日本の美術ファンは殆どいないのではないかと思われます。何故かと言うと、若くして渡仏し、そのまま現地の女性と結婚して二度と帰国することが無かったためです。ただ、フランスでは一定の知名度があるようで、ウィキペディアの項目が存在します。まず、出身地の徳島県立近代美術館の公式サイトにある板東敏雄のプロフィールを引用致します。 次に、『毎日新聞』1996年11月2日「四国のびじゅつかん64

          藤田嗣治と親交のあったエコール・ド・パリの洋画家、板東敏雄

          スペインの写実画家、マリア・ホセ・コルテス

          先日、図録『スペインの現代写実絵画 バルセロナ・ヨーロッパ近代美術館(MEAM)コレクション』(ホキ美術館、2019年)を入手しました。これはホキ美術館で2019年5月17日(金)から同年9月1日(日)まで開催された企画展「スペインの現代写実絵画 バルセロナ・ヨーロッパ近代美術館(MEAM)コレクション」の図録です。この企画展の概要についてはホキ美術館の公式サイトに書かれていますので引用致します。また、後掲するこの企画展に関する記事と出品された作品数点もご覧下さい。 「千葉

          スペインの写実画家、マリア・ホセ・コルテス

          近年の石崎光瑤の新発見作品

          来年度、京都文化博物館などで石崎光瑤の大回顧展が開催されることは先日、noteに書きましたが、近年の石崎光瑤の新発見作品について備忘録代わりに書いておきます。 「石崎光瑤 技研究の屛風「扇面散図・観瀑図」を初公開 福光美術館」(『北陸中日新聞Web』2021年1月24日 05時00分) 「石崎光瑤の大作を初公開 福光美術館 帝展出品の「笹百合」」(『北陸中日新聞Web』2021年5月14日 05時00分) 《笹百合》は第11回帝展出品作ですが、このクラスの作品で150万

          近年の石崎光瑤の新発見作品

          【朗報】2024年度、日本画家・石崎光瑤の大回顧展が開催決定。

          石崎光瑤(1884〜1947)という日本画家がいます。まずは作品をご覧下さい。 石崎光瑤は1884年、富山県福光町(現在の南砺市)に生まれました。生家は藩政期から続く名家で、幼い頃から画才を発揮していたそうです。12歳で東京から金沢に招かれた江戸琳派の山本光一に師事し、のちに京都に出て1903年、19歳の時に竹内栖鳳に師事します。 日本画壇では1912年の第6回文展で初入選し、1918年の第12回文展で《熱国妍春》が特選を受賞し、1919年の第1回帝展で《燦雨》が2度目の

          【朗報】2024年度、日本画家・石崎光瑤の大回顧展が開催決定。

          洋画家・熊岡美彦及び過小評価されている戦前の官展系洋画家

          戦前、熊岡美彦(1889〜1944)という洋画家がいました。まず、作品を幾つか掲載致します。 「東文研アーカイブデータベース」の「熊岡美彦」の項目に経歴が書かれているので引用致します。 また、「UAG美術家研究所」の「熊岡美彦」の項目にも経歴が書かれているので引用致します。 あと、平園クリニック(神奈川県平塚市)の公式サイトの「絵のある待合室」に院長・平園賢一氏のコレクションである熊岡美彦《腰かけたる裸女》(油彩、1925年)の説明文があるので引用致します(作品画像は下

          洋画家・熊岡美彦及び過小評価されている戦前の官展系洋画家

          画家・石田徹也の村上隆及び草間彌生観

          私は1990年代以降のサブカル臭の強い日本の現代アートが大嫌いなのですが、その時代で唯一好きな現代アート作家が石田徹也です。先日、『石田徹也 聖者のような芸術家になりたい(別冊太陽 日本のこころ308)』(平凡社、2023年7月)という本が発売されたので早速読みました。石田徹也の学生時代の親友である平林勇氏(映画監督)による証言が載っているのですが、村上隆と草間彌生に関して非常に興味深いことが書かれているので引用致します(pp.150-153)。 記事に関する御意見・情報提

          画家・石田徹也の村上隆及び草間彌生観

          日本人離れしたユニークな絵を描く洋画家・大内青坡

          大内青坡(1896〜1974)という洋画家がいます。「おおうち・せいは」と読みます。この画家は経歴の詳細が良く分からなく、グーグル検索しても殆ど情報が得られないのですが、戦前のマイナーな洋画家に詳しい「いのは画廊」(東京・神保町)の公式サイトによると以下のプロフィールが書かれています。 これ以外でグーグル検索して得られる情報は1930年に大乗美術会の結成に、1935年に新興美術家協会の結成に参加したことぐらいでしょうか。あと、戦後、太平洋画会(太平洋美術会)の会員でもあった

          日本人離れしたユニークな絵を描く洋画家・大内青坡

          洋画家・辻永の政治力

          かつて、辻永(1884〜1974)という洋画家がいました。今日では忘れ去られており、僅かに「山羊の画家」として日本美術史に名をとどめる存在ですが、生前は巨匠で、特に1950年代から1960年代にかけて光風会及び日展と日本芸術院第一部に君臨し、洋画壇のドン的な存在でした。 辻永の経歴は「辻永:東文研アーカイブデータベース」の項目に詳しいので一部を引用致します。 辻永は絵そのものはあまり面白くなく、政治力で画壇に君臨するタイプの画家で、だからこそ没後に忘れ去られたのですが、「

          洋画家・辻永の政治力

          現代美術家・愛☆まどんな氏がミヅマアートギャラリーを提訴

          2023年6月17日に現代美術家の愛☆まどんな氏(本名・加藤愛)が以下のツイートをしました。 長いので、全文を引用致します。 これを受けて、ツイッター上で以下のツイートがなされました。 その後、6月19日に『美術手帖ウェブ版』が「愛☆まどんながミヅマアートギャラリーを提訴。販売委託契約違反など主張」という記事をアップしました。 記事のうち、愛☆まどんな氏の上記のツイート以外の部分を一部、引用致します。 これを受けて、ツイッター上で以下のツイートがなされました。 『

          現代美術家・愛☆まどんな氏がミヅマアートギャラリーを提訴

          現在の洋画壇屈指の鬼才・長谷川光一氏

          春陽会に長谷川光一氏という洋画家がいます。1963年生まれで、名古屋のガス会社に勤務しながら作品を発表していて、化学プラントをモチーフに生命が胎動するような不思議なイメージを独特のマチエールとともに描き出しています。公式サイトに作品が大量にアップされているのでご覧下さい。 これらの作品群を見れば、長谷川光一氏が洋画壇屈指の鬼才で、質的には現在の洋画壇の重鎮を凌ぐレベルであることが分かります。しかし、大手美術マスコミや美術館学芸員が団体展を無視している為か、現状は殆ど無名で、

          現在の洋画壇屈指の鬼才・長谷川光一氏