横山大観の贋作を売っていた「共楽美術倶楽部」
飯島勇編『近代の美術10 横山大観』(至文堂、1972年5月)pp.117-118に横山大観の贋作事情について書かれています。
ここに書かれている「共楽倶楽部」という組織が気になり、グーグル検索したのですが、何も情報が出てきませんでした。
その後、与野冬彦編著『近現代ニセモノ年代記』(光芸出版、2005年7月)という本の「1935年」の項目に以下の記述を見つけました(p.203)。
ここに書いてある「京楽美術倶楽部」は前述の「共楽倶楽部」と同一組織ではないかと思い(満州国が建国されたのは1932年なので時期的にも合っています)、「京楽美術倶楽部」でグーグル検索したところ、1件もヒットしませんでした。
ひょっとしたら「京楽美術倶楽部」は「共楽美術倶楽部」の間違いではないかと思い、「共楽美術倶楽部」でグーグル検索したところ、以下のことが判明致しました。
共楽美術倶楽部は洋画家・辻永の弟の辻衛が設立した美術商で、もともと「カフェ・ロシア」や日本料理店「青柳」を経営していたものの関東大震災で閉店を余儀なくされ、震災後に「望紗瑠荘」という画廊を立ち上げ、その後身が共楽美術倶楽部です。辻衛は1929年8月に自動車事故でこの世を去っており、ひょっとしたら辻衛亡き後に画廊の性格が変質して横山大観の贋作など怪しげなものを扱うようになったのかもしれません。
ただし、ウィキペディアの「谷信一(美術史家)」の項目によると、「千葉市美術館には、谷が収集した近世日本美術コレクション51点が所蔵されている。そのうち10点は駒田家からの伝来品だが、残りは1941年から44年頃に共楽美術倶楽部(洋画家辻永の弟・辻衛が設立)で自身の眼で1点1点購入したものである。その絵師のマスターピースと呼べるような作品はないが、狩野派、谷文晁などの関東南画、英派、俳人の書画、来泊清人、南蘋派、長崎派など幅広い流派を含み、谷の関心の広さが窺える。また、『国史肖像集成』を編纂した谷らしく、人物画がやや多い。」とありますので、贋作だけではなくまともな美術品も扱っていたことが分かります。
辻衛については以下の記事をご参照下さい。
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