キャリアプラン研修で分かったこと。天職でも転職でもなく「追わない」こと
「あなたは10年後どうなっていたいですか?」
会社の研修でこんなこと聞かれても…
なんとなく研修コースの流れに沿って答えて行くのが良さそうですが、たぶんみんな同じことを思っているはず。「キャリアプラン研修」と言って、“将来の姿を考えて、そこまでの経歴をどう積み上げていくか描いていく”のが狙いのようです。
こうやってキャリアプランを立てることで、自分の目標が明確になり、目標に達するにはいつ頃どんな業務に携わっていればいいのか、どんな資格が必要なのかなど、やるべきことを具体的にとらえることが出来る“らしい”です。
言いたいことはよく分かるし、頭では理解しているつもりでも、なんだか「心」がついていってくれないようです。
そもそも、今の仕事というか苦行を続けていたら、いつしかこれが「天職」にかわるとでもいうのでしょうか。それどころか隣の家の階段を登っているくらい道を誤っているような気もします。タイホされちゃいますよ(笑)
この仕事を突き詰めた先には天職があるのか、それとも転職か。
わかるわかる。うんうん。そもそも今の仕事に疑問を感じている時点で、この仕事に自分の生涯を捧げても良いのかわからないし、そもそも世の中に職業として追い求め続けられるような魅力があるものが存在するかどうかもわからない。
このキャリアプラン研修、いや「キャリアプラン」なるものは、果たして僕の人生を幸せにしてくれるのだろうか。
そもそも、キャリア理論の代表的なものに「キャリアアンカー」すなわち“自分の帰る場所、錨(いかり)を下す場所がある”という考え方や、“予想外のチャンスは一定の計画のもとに起こした行動から生まれるもの”という計画的偶発性理論(プランドハプンスタンス理論)など、さまざまな理論がありますので、好みに合ったものを極めていけばきっと何かが見えてくるのかもしれません。
しかし、10年も手に届くかどうかわからない夢を追い続けてばかりいて今の自分はダメだ、不幸だって言って孤高の人のまま人生を送るのが幸せなのかわからない。
フランスのノーベル賞作家のアルベール・カミュさんの言葉にこんなものがあります。
本当はキャリアというものは、どんなに探し求めても見つからないし、どんなに登り続けても頂上には何も無いのかもしれない。実はずっと身近なところにいっぱいあって、ずっと頂上しか見ていなかったせいであたり一面に広がる真っ青な「ネモフィラ」の花が全く見えていなかったのかもしれない。
だから、決して未来の自分に期待を寄せているばかりではなくて、今置かれた環境に気づいてそれに感謝する。気がつくと数年前の自分と置かれた状況は何も変わっていないかもしれないが、ほんのちょっとだけ心の成長が出来ていて、同時に幸せが一つ増えている。
そして僕は、決して人生の設計図は描かない。
日々の出来事にハッと驚いたり、興味のあることにのめり込んだり、コーヒーを飲んで美味しいと感じたり、人と人の触れ合いに感謝しながら毎日を精一杯過ごしたい。そして、いつかきっとキャリアは僕の人生の副産物になっているような気がする。
あっ、今はキャリアプラン研修中じゃ無いか…何を言っているんだ…(笑)
10年後の目標「今の苦行が天職になりますように」…泣
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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