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怒りをしずめる(10)〜我が身を守るために。

その前に

私のnoteにこのようなマガジンがあります。

怒りの鉄拳というタイトルの記事を投稿しながら怒りをしずめるという記事をまとめたマガジンを作るというダブルスタンダード(?)は置いといて、自分の方向性として怒りをぶちまけたいのか?それとも怒りをしずめたいのか?…どっちなんだい!ってなかやまきんに君みたいな命題にとらわれています。


怒りとは?

私なりの解釈

ここでChatGPTに頼る前に私なりに考えてみると、ある事象に対する恨みや妬み、嫉みの感情と思うのです。
それらを内に秘めておくか外に発散する違いはあれど、上記の感情が怒りだと思うのです。

怒りを内に秘めると自身の心を痛めてしまいます。
一方で外に発散すると一時的にすっきりしますけれども拡散された側はもやもやした空気になります。それがブーメランの如く自身に返ってくることもあります。

落ち着いてこの記事を書いていると、怒りとは「自身を疲れさせ傷つけてしまう」…なんて愚かなものだと気づいてしまいます。

…ChatGPTに頼らなくても書けたことに驚きます。

怒りの拡散

さきの怒りを外に発散するというを拡散という言葉に置き換えてみると、1対1の口論であれば当事者同士の範囲内で(外部への)拡散はないでしょう。

けれども、書面なり画像なり外部に公表したとすると無関係な第三者にまで拡散してしまいます。


ここからは自戒を含めての話になりますが、SNSによってその無関係な第三者の範囲が全世界的に広まってしまうのが現代社会の恐ろしいところです。

数ヶ月前に我が身に降りかかった作業所の退所も、元はと言えばここnoteの記事にして拡散してしまったことが発端でした。

最近の話題で言えば、幾人かの有名人が日航機の炎上事故で貨物室にいたペットが亡くなったことを指摘したことで炎上しているのがいい例です。
私もこの話題をnoteの記事にしてしまいました。


特にX(旧Twitter)の発言を見るにつけ、有名無名に関わらずリプライの形で拡散され、怒りの矛先が無関係な第三者にまで影響を与えてしまうのが現代社会の怖いところです。

怒りから身を守るために

最近、X(旧Twitter)を見ていると怒りから身を守るための自衛策を解く発言も少なくありません。

怒りの事象から離れる

最近よくある自衛策は怒りの事象から離れるというのがいいのかな?と思うのです。この方法は一見簡単ではないように思うのですが、わかりやすい例でいえばテレビの情報番組を見ないこともひとつの例でしょうか。
テレビの情報番組、特にワイドショーは痴話話が多く感情の波を奮い立てさせられます。よく◯◯が不祥事を起こしたとかで怒りが湧いたこともあるでしょう。そういう情報番組を見なければ怒ることもなかったかもしれません。

心の安定を保つために

怒りの事象から離れることを身につけるということで、あらゆる怒りの幾つかは避けることが出来るでしょう。

私も最近はテレビの代わりにラジオの音楽番組を聞いたりしています。ラジオはながら聞きがしやすくテレビほど集中することもないので心に刻まれるモノも少なく済みます(個人の感想です)。

怒りが少なくなることで心が楽になっていることが実感している今日この頃です。

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