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言葉は人の心の水から育まれるもので。


心って、水でできているんじゃないかと思う。
また何を言っているのか、と言う話なのだけれど、わたしは本気で思っていることで。
梅雨の時期だからなのだろうか、少しだけ今日は綴りたくなったから書いてみる。
いつも、こう何かを伝えたいとなると、かしこまってしまって、ちゃんと書かなきゃとか構えがちなのだけれど、今日はライトな気持ちで書いてみる。
そんな記事もきっと悪くない。

脳みそと心臓があることは医学的に証明されているのに、心の行方はレントゲンでは確認できない。目では見えなくて、あるのかどうかさえもはっきりしない。

でも、ある日ぎゅっと何かを掴まれる瞬間に、確かに身体のどこかが痛くなって、おさえるのは胸で、目には見えないけれどきっとどこかにあるもの。動く音がするもの。
決して殺しちゃいけない、人間の核となる部分。
それが「心」。

人体のほとんどが水で構成されているのならば、
それは心が水でできているからなんだと思います。
荒れる時には波が立ち、動揺した時には水面が揺れて、俯く時には濁り、スッとした時には透明になって。
感動するような、感情が動く時には、水滴が落ちるような音がする。それが、心が動くってことだと思うんです。

「言葉」ということばが好きなのですが、よく考えると「葉を言う」と書くなぁって。すごく深くて、好きなんです。
葉っぱって、水がないと枯れてしまうものが多いから、言葉も人の心の水と通じている気がします。
心が濁っていたら葉っぱも濁るし、栄養が足りてなかったら言葉にもでる。なんだか自然が人間と繋がる気がしていて、だからわたしは「言葉」ということばが好きです。
自分の心と、発する言葉はつながっている。
同じ言葉を発しても、自分の水が濁っていたら、きっと言葉にもでる。そういうものなのかも知れない。

言の葉。
梅雨はきっと、世界を潤すための慈しみ。
雨の日を好きになりたい。
言葉を大事にできるように、自分の心の中にある水の音から、大切な人の心の中にある水から、目を背けたくない。

そんなことを思いながら、低気圧を乗り越える日々。
わたしの言葉はいま、どうなんだろう。
わたしの心はどうなんだろう。
耳を澄まして生きていきたい。
水の音、匂い、温度。
わたしの中にある水が枯れないように、どうかあなたの心に溢れるほどの水があるように。
地球に生かされ、自然に生かされ、人間が人間である理由、心があるってことだと思うから。

その一滴に、感謝をして生きていきたい。

いつも応援ありがとうございます。