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第91回 300<スリーハンドレッド> (2007 米)

 さて、少し間が開きましたが5月5日は子供の日、男の子の日です。私も生物学上は男なので、男と生まれた責任として、最も男らしい映画をレビューしようと思います。

 とは言え、男らしさの定義というのは色々です。西部劇やヤクザ映画は典型的に男らしいですが、ホモセックスは男しかできないから男らしいという考えに基づけば流行りのゲイミュージシャンの伝記映画も男らしいわけです。

 そこで考えました。ここはビジュアルで選ぼうと。というわけで、近年で最も男らしいビジュアルの映画であろう『300<スリーハンドレッド>』でお送りします。

 大当たりしたので筋は多くの人が知っているでしょう。古代地中海世界最強を誇ったスパルタのレオニダス王がたった300人の手勢で百万のペルシア軍に立ち向かった史実をテーマにした分かりやすい映画です。

 モノクロ時代に一世を風靡した「ソード&サンダル」と呼ばれるジャンルをジェラルド・バトラーを筆頭に裸マントのムキムキ野郎どもが復興させた、映画史的にも意義のあるこの映画はまさに男性ホルモン爆発。スパルタの戦士のバーサーカーぶりをケレン味たっぷりに描いて飽きさせません。

殆どロケをせず3Dで間に合わせたというのですから、これは監督であるザック・スナイダーの名人芸で、スパルタ戦士の超人ぶりが爽快です。

 BL的にも非常に美味しいカップリングが多いので腐の皆様からも評価が高いですが、スパルタと男色にちょっとは詳しく、ホモは男らしいと信じる私に言わせると不十分です。

 ちゃんと予備知識を身に着けてスパルタがいかにホモだったか分かった上で見ると、エロさが300倍になります。それがスパルタの流儀なのです。それを知らしめるために私はこのレビューを書きました。

300<スリーハンドレッド>を観よう!

Amazon、Netflix、huluで配信があります。U-NEXTでは有料配信です。

真面目に解説

ダークホース(直球)

 案外知られていませんが、実はこの映画はアメコミ映画です。『アダムスファミリー』がアメコミかというと意見が分かれるでしょうから、私は今回晴れてアメコミ映画処女を捨てたわけです。

と言っても、もはや一ジャンルになっているマーベルでもDCでもなく、ダークホースコミックスなのでちょっとした珍品です。

 ダークホースは両社に比べると日本では目に触れる機会が少ないですが、アメコミと聞いてイメージされるスーパーヒーローを捨ててかかり、コアで通好みな作品を出しています。

 ダークホース産の映画としては『マスク』『ヘルボーイ』『シン・シティ』などが挙げられます。このラインナップだけでレーベルとしての性格はなんとなく察せるでしょう。

ソード&サンダルというジャンル

 剣と魔法は我が国が乗っ取ってしまった感がありますが、ソード&サンダルを作れるサムライは日本映画界にはそうは居ないでしょう。

 言ってしまえば神話や古代ギリシャローマを舞台にした時代劇で、主人公がサンダルはいて剣を振り回すのでこう呼ばれます。

 西洋人なら誰でも元ネタを知っているので映画の初期から盛んに作られ、戦後にピークに達しました。『ベン・ハー』もこのジャンルに属します。

 特にイタリアで盛んに作られ、ボディビルダーを使って安上りに女性とゲイを悦ばせる方法論がウケ、これがマカロニウエスタンに繋がっていきます。多くのイタリアの巨匠がソード&サンダルから世に出たのです。

 60年代に下火になりますが、80年代に入って一人のボディビルダーによってこのジャンルは一時的に再興を果たします。そう、我らがシュワちゃんです。この時ゲイがブロマイドを買って支持してくれたのでシュワちゃんはカリフォルニアの事実上の皇帝になれたのです。

 ですが、シュワちゃんが剣ではなく銃を持つようになると再びこのジャンルは化石化してしまいました。

ところが流行は繰り返すというやつで、2000年にもなって『グラディエーター』が大当たりし、ソード&サンダルは筋肉モリモリCGモリモリで第三次ブームを迎えます。

その最高到達点が本作であったわけです。本作は賞には恵まれませんでしたが、誰もが知っている名画になったのです。

スパルタというバーサーカーの里

 スパルタというのはもやは形容動詞と化していますが、その語源となったのが本作の舞台となる古代ギリシアの都市国家スパルタです。

 全てが戦争に特化された超軍事国家で、生まれた子供に過酷な教育を施して戦士に仕立てた事からスパルタ教育という言葉が生まれました。

 冒頭で主人公でスパルタの王であるレオニダス一世(ジェラルド・バトラー)が受けたスパルタ教育がつぶさに描写されます。

未熟児は育てる価値無しとみなされ間引き、7歳で共同生活に入り、飢えと鞭打ちに耐えて荒野に放り出されて狼を仕留めて一人前の戦士と認められるレオニダス。

 これらは制度化された物で、その後30歳まで兵営で共同生活を送り、60歳で退役します。しかし、戦死者しか墓に名前は刻まれない慣習でした。

 作中オミットされていますが、スパルタには王が二人居ます。開祖が双子であったのと、片方が戦死しても大丈夫なようにという発想によるものです。そして、スパルタ王は戦争関係を除いて権限が弱く、評議会が政治を担っていたのが映画の肝にもなって来るのです。

 ただ、一番美味しい部分を無かったことにしたのが許せないので私はこのレビューを書くのです。

This is Sparta!

 これはもう「君の瞳に乾杯」とか「騎兵隊の到着だ!」と同程度に慣用句化してしまっている本作を象徴するレオニダス王の名文句です。

 征服した国の王様の首を一杯ぶら下げてスパルタに服従を迫るペルシアの偉そうな使者(ピーター・メンサー)を広場にある謎の穴に蹴落とす時にレオニダス王が叫ぶのです。人を穴に落とす時は是非言いたいですね。

 そのインパクトに押されずにここで注目したいのは、后のゴルゴ(レナ・ヘディ)の扱いです。

 実はレオニダス王の腹違いの兄の娘で、半叔姪婚なのですが、これもなかった事にされています。

 アメリカは同性婚は全部の州で合法なのに、いとこ婚は駄目な州がまだ多いので正直にそうとは言えなかったのでしょう。もっとも、当時としては普通の話であり、レナ・ヘディは後に変態女王様になってしまうわけですが。

 彼女は使者の要求に口出しして侮辱されますが、彼女に心底惚れぬいているレオニダス王はもとより、他の市民も文句を言いません。

スパルタの戦士は短髪がおが好き

 これがまさにスパルタの流儀で、ガチホモバーサーカーの楽園のように思われているスパルタが実は古代ギリシアで最も女性を尊重したのです。

 レオニダス王は同じくペルシアの要求をはねつけたアテナイを「哲学と男色(原語じゃBoys love!)に耽る連中」と盛大にディスりますが、そのアテナイの女性の扱いときたら酷い物です。

 持参金を払って嫁ぎ、産む機械扱いされ、外にも出してもらえず、産む機械としての機能を果たしたら亭主は政治談議の出来る遊女と少年とばかり寝て正妻は飼い殺しにされました。

 その点スパルタでは戦士を産めるのは女性だけというゴルゴの言葉通り、女性を大切にしました。富国強兵という物を合理的に理解していたのです。

 スパルタの男は戦士である事が第一であり、経済を担うのは捕虜の奴隷と留守番の女性でした。スパルタ男児が男を張る為には女が留守をしっかり守る必要があるわけです。

 その女傑ぶりときたら戦場で無様を晒した亭主や息子を自らぶっ殺す程度は当たり前で、お産で死んだ女性もまた戦死者と共に墓に名前を刻まれる名誉を得ました。事実ゴルゴが政治に口出ししたというエピソードは無数に残っているのです。

 当然女性の方も男同様身体頑健である事が求められ、子供の頃から裸で走り回り、陸上競技や格闘技で身体を鍛えて強い戦士を産むための鍛錬に余念がありませんでした。強い子供が産めそうというのが男女ともモテる条件だったのです。

 ちなみに、女性はショートカットが好まれたそうです。何しろここは古代ギリシアですから理由は何をいわんやですが、それを無かったことにしたから私はこのレビューを書いたのです。

政治は60歳になってから

 本作でイケメンのセロン(ドミニク・ウェスト)という胡散臭い評議員が政治をコントロールしてがバックグラウンドで暗躍します。

 吹替えが内田直哉なので一層胡散臭いですが、これこそ大人の都合の産物で、評議会は兵役を終えた古強者の中から市民の投票で選ばれるものでした。若者は戦争だけ考えていろというのがスパルタなのです。

 セロンは原作には居ないキャラクターです。ですがそのヒールぶりは見事であり、またBL的には非常に美味しいのですが、それは後にとっておきましょう。

困った事が神頼み

 さて、使者をぶっ殺してしまったレオニダス王ですが、古代ギリシアというのは宗教が強く、戦争をするには聖地デルポイの神官からお告げでお墨付きをもらう必要がありました。

 いくらリアリストのスパルタ王とてこれには従わねばいけないので、必要以上に醜く描かれて豚呼ばわりされる神官に黄金と処女を差し出して望むお告げを貰おうとします。

 これは本当にあった話しで、デルポイは都市間の揉め事を時に調停し、時に金で望むお告げを売ってしてギリシアをコントロールしていました。

 賄賂に差し出された処女がラリって踊るシーンはあまりに男臭いこの映画を中和する役目を負い、水中で撮られたという踊りは見事ですが、神官は普段から反抗的なレオニダスが嫌いなうえ、他にも賄賂をあちこちから貰っているので、祭りの最中だから戦争は駄目とつれない返事をします。

 無茶苦茶な理由かというと案外そうでもなく、スパルタはヘラクレスが作ったとされ、他の都市国家も似たり寄ったりで神話にルーツを持っているので、祭りの間は休戦になるのが常でした。

 その最たるものがそのヘラクレスが始めたオリンピックで、その間はギリシア中が休戦になりました。

元祖楯の会

 仕方がないのでレオニダス王は300人の近衛兵と散歩という名目で決戦の舞台であるテルモピュライへ出かけて行きます。

 赤いマントに黒パンツ、楯に脛当てに兜というお馴染みのスタイルです。この格好で散歩したら間違いなくわいせつ物陳列罪です。

 CGだと噂されるほど皆筋肉ムキムキです。戦闘になると兜をかぶり、本当は胴も着けていて重装備なのですが、そこは大人の都合です。胴は邪魔です。

 ちなみに、原作並びに史実では逆にパンツは無しのフルチンです。服は必要に応じて着る。それが古代地中海世界とムーミン谷の流儀なのです。

 スパルタではこの楯が非常に大きな意味を持ちます。戦場に行った男は「楯を持って帰るか(勝利)楯に乗って帰るか(死傷)」というくらいで、シンボルなのです。

 障害を持って生まれた為にスパルタを追われたエフィアルテス(アンドリュー・ティアナン)がレオニダス王に加勢を断られた時も楯を捨てて怒っていました。

 つまり、スパルタの戦士にとって楯とは日本刀やコルトSAAなのです。それだけ戦場でも価値を持ちます。

ファランクスはギリシアの華

 さて、たった300人なので工夫が要ります。そこでレオニダス王は「灼熱の門」という出来過ぎた名前の狭い谷間に陣取ります。

 ペルシア軍は百万人の大軍ですが、狭い所に居れば一度には入ってこれないので有利というわけです。

 ここでレオニダス王が取ったのが教科書にも出てくるファランクス(密集隊)という陣形です。

 即ち、縦横に固まって四角形を作り、左手に持った楯で左の仲間を守りつつ槍で敵を迎え撃つという戦術です。だから楯が大事なのです。

 そして、この陣形は右端は守ってくれる相手が居ないので最も優秀な兵士が置かれ、それは大変な名誉でした。

 当然戦死率が高いのですが、ギリシアにおいてこの位置に居る立派な兵士は社会的地位も付随して高く、それが定期的に死ぬので独裁が起きにくくなるというご利益もありました。

 絵的都合でレオニダスは最前列の真ん中に居ましたが、スパルタ王の数少ない特権の一つが、最前列右側を指定席にできるという物でした。そりゃあ二人王様が居ないと不安になりますね。

 また、同じく文字通りカットされていますが、スパルタが無敵を誇ったのはその猛訓練によって他所より長い槍を使うことが出来たのが大きかったとされます。

 これは我が国を代表するホモである織田信長もそうだったそうで、色んな意味でホモは長い槍が好きという事なのでしょう。

War!War!War!

 さて、ペルシアが侵攻してくるとなると他人事ではないので、祭りで人手不足と言っても他の諸都市も援軍を送ってくれます。

 援軍の代表がアルカディアのダクソス(アンドリュー・プレヴィン)というハゲのおっさんで、レオニダス王は友と呼びますが、内心彼を舐めています。

 たった300人しか居ないと驚くダクソスを相手にダクソスが連れて来た兵士の職業をいちいち訪ね、自分達の兵士に職業を訪ねると有名な表題の回答です。

 そもそも、古代ギリシアで兵役に就くのは義務であると同時社会的地位を示す名誉なのです。従ってカタギの仕事を持っているのが本当で、国民皆兵のスパルタがおかしいのです。

 ダクソスはレオニダス王に馬鹿にされるのも我慢して一応仕事をこなし、常識人枠として映画を引き締める役目を負っているのです。

お父さんは名無し

 さて、300人は近衛兵とあって精鋭揃いです。その最たるものが隊長(ヴィンセント・リーガン)です。名前は原作でも映画でもありません。ですがレオニダス王とは初陣を共にした仲であり、心の底から友と認めています。

 従って正妻ポジションであり、他の連中もまた負けずに大暴れしていちゃいちゃするのが実にBL的に美味しいのです。

 そして、私は彼が名無しである理由をBL的見地から解き明かしました。ですので是非後半もご覧ください。

 300人は死んでも後継ぎが居る墓碑銘は欲しいけど命は要らない連中ですが、その中に隊長の末の息子であるアスティノス(トム・ウィズダム)が混じっています。

 うら若き青年ですが流石に隊長が連れて来た息子だけあって無茶苦茶強く、大活躍です。大活躍し過ぎて話しがややこしくなってしまうのです。

 ですが、レオニダスが彼を評して「まだ女の肌も知るまい」というのが私は許せません。これについては後で徹底的にやります。

ヘタレは人気者

 一番活躍するのがステリオス(マイケル・ファスベンダー)です。原作ではやらかしては足を引っ張るヘタレキャラでしたが、何しろ今や人気者のファスベンダーですから大変に優遇されています。

 特に石垣を築いているところへ輿に乗って鞭を持参でやって来たペルシアの使節とやり合って、走り幅跳びをしながら鞭を持った腕を叩き切るシーンは必見です。スティーブ・ジョブスのやる事とは思えません。

 その後も最後までレオニダス王に可愛がられ、見せ場を大いに作っていきます。あるいは、メインヒロインは彼かも知れません。

スパルタ男児は口下手

 さて、スパルタ男児は寡黙である事が求められるのですが、例外的に口が上手いという事になっていて、尚且つ実在した人物がモデルになっているのがイケメン担当のディリオス(デビッド・ウェナム)です。

 例えイケメンでも、当時あの辺には居なさそうな金髪だとしても、そこはスパルタの精鋭なのでちゃんと見せ場を作り、片目を失くしても闘志満々です。心までイケメンです。

 そして口が上手いのでレオニダス王に伝令役を仰せつかって生き延びます。彼は史実では臆病者呼ばわりされて肩身の狭い余生を送ったそうですが、本作では違います。彼こそレオニダス王が真に認めた男です。

国辱モノの変態

 さて、この映画はイランではペルシア人を侮辱しているというので激しく非難されました。アメリカとイランが不仲なのも無関係ではないでしょうが、確かにペルシアの変態軍団ぶりは仮面ライダーレベルで、怒りたくなる気持ちはわかります。

 最初は普通に歩兵で押し寄せてファランクスに屈し、対ファランクスの定石である騎兵突撃もスパルタなのでなんのその。空が暗くなるような矢の雨も自慢の盾で防がれ、変態軍団がついに投入されます。

 最初は本当にペルシアが擁していた「不死隊」という精鋭が過剰にドレスアップして投入されます。

 これは定員が1万人で死んだだけ必ず補充されるのでこういう名前なのですが、レオニダス王は本当に不死身か試してやるとやる気満々です。

 続いて過度に戯画化されたアジアアフリカ軍団手りゅう弾を投げる魔法使い、巨人やサイに象と、まるで昭和の見世物小屋ですが、スパルタは全部退けてしまうのです。

変態王クセルクセス

 特にイランを怒らせたのはペルシアの王であるクセルクセス(ロドリゴ・サントロ)でした。全身無毛で体中に金のピアスやアクセサリーをじゃらじゃらさせ、神の王を自称するまごう事なき変態です。

 どう見てもホモです。フレディ・マーキュリーでもあそこまでの金含有率じゃありません。

 王様だけあって太っ腹であり、レオニダス王にギリシャの王にしてやるから従えと条件の良い和平話しを持ってきますが、レオニダス王は意地っ張りなのでこれを突っぱねます。

 結局エフィアルテスにエロエロの女どもと兵士の地位を与えて抱き込み、裏道を教えさせて形勢を逆転させますが、そうなってからが見せ場です。

BL的に解説(バックボーン篇)

事実は映画よりホモなり

 この映画は見た目のインパクトが余りに強烈過ぎ、それ故にホモ映画認定されてしまう事もしばしばです。そして男の絆が強調されるので腐の皆様も満足する。つまり稀に見る上質なBL映画です。

 しかし、私に言わせればそれは思考停止であり、全く逆の意見です。見掛け倒しで中身がノンケ臭すぎます。

 スパルタで女性が尊重されたのもレオニダス王がゴルゴに惚れぬいていたのも事実ですし、それは大いに結構です。

 しかし、本作ではスパルタの美しき男色の伝統を一切オミットし、全員ノンケで女に振り回されます。貴様らそれでもギリシア男児か!と私は怒りを禁じ得ません。

腐よ、歴史を学んで史劇を観ろ!

 哀しい事ですが本作の措置は異常とは言えません。この種の史劇映画において、古代地中海世界における崇高にして甘美な男色文化は、汚らわしいキリスト教原理主義によって全てなかった事にされてしまうのが常です。

 コード上同性愛が描けなかった昔ならまだしも、2008年にもなってまだそんな事をやっていていいのかという話です。腰抜けです。スパルタの女は夫や息子がこんな軟弱な演劇をやったらぶっ殺すでしょう。

 世界はよりリアルなホモを求めています。本物のバイであるゴア・ヴィダルが裁判沙汰さえ乗り越えてベンハーとメッサラの隠れたホモ関係を描き切った『ベン・ハー』が人類史上不朽の名作になったのに対して、わざわざ「ノンケで行く」という宣言したリメイクが映画史上不朽の大赤字を出したのが全てです。

 従って、私は腐の皆様は史劇を観るに当たって当時の男色の風習について良く勉強する事をお勧めします。作り手をアテにしてはいけません。知識と創造力こそが武器です。

 男は全員ガチホモかホモ寄りのバイと考えて間違いありません。ちゃんとその辺りを踏まえると、モノクロ映画から本作まで全ての史劇が上質なゲイポルノに大変身です。

 私がこのnoteで度々言っていきた事ですが、見えるものを増やすのがBL的映画鑑賞のコツなのです。

古代はホモが普通

 さて、まず何故同性愛が悪い事などというアホな価値観が2000年もの長きに渡って幅を利かせていたのでしょうか?

 ホモフォビアの開祖は実はユダヤ人なのです。今やホモのユダヤ人と言えばブランドなのに笑っちゃいますね。

 ユダヤ人は昔から脅かされる存在だったので、民族的連帯感と人口を維持するために、当時当たり前の事だった同性愛を禁じてしまったのです。

 彼らが後生大事にする旧約聖書を紐解けば、イスラエル一の美少年であったサウル王と息子のヨナタン、そしてダヴィデのあからさま三角関係を筆頭に濃厚なBLエピソードが沢山が記述される一方で、神殿から神殿娼婦と神殿男娼を追い出した自慢話が書いてあったりします。

 この自慢話とヒトラーがユダヤ人を殺したのは果たして何が違うというのでしょうか?こんな事をやっているからユダヤ人は嫌がられた側面を否定できません。

 反ユダヤ主義などと言われると嫌なので話を戻しますが、とにかく当時は男も女も愛するのが普通であり、このバラ色の時代が大工の倅の弟子が威張り始めるまで長く長く続いたのです。

 その大工の倅とて男を知らないではなかったことも近年は分かりつつありますが、これは安売りできないのでとっておきます。

スパルタではノンケが犯罪

 さて、冒頭でレオニダス王が受けたスパルタ教育が描写されます。しかし、この映画は一番大事な12歳の儀式を無視しています。

 スパルタでは12歳に達した少年は年長者の恋人を持つことが義務付けられていました。つまり、史上稀に見るホモを義務付けた偉大なる先進国がスパルタだったわけです。

 スパルタでは立派な戦士の精子をケツに注がれた少年は強くなると信じられ、恋人を抱える青年は少年の成長に責任を負い、もし恋人が戦場で無様を晒そうものならその責任を怠ったとして鞭で打たれたのです。

 少年一人に恋人複数人という事もしばしばありましたが、この場合取り合いはせず、むしろ文字通り義兄弟として友情を深めたというのですから、美少年の取り合いで殺し合いをしていた我が国の武士さえ超えています。

 勿論、そのまま兄弟が恋人になってしまう事も普通であり、少年同士だってデキちゃうのは当然です。そうして乱交状態になる程彼らは絆を深め、戦場で勇気を示すのです。

アテナイのオカマと一緒にするな

 ギリシアで男色が普通だったという所で理解の止まっている人は、レオニダス王がアテナイ人を「男色と哲学に耽る連中」と罵ったのを自分の事を棚に上げたスパルタの王にあるまじき行いと言いますが、これもスパルタにおける男色の仕組みを理解すれば意味合いが変わってくるのです。

 原語では「Boys love」と言っていますが、アテナイの男色というのは美少年を買うとか、哲学者や詩人が一門でヤっちゃうとか、突き詰めれば生殖を求めないセックスに過ぎません。

 そこへ行くとスパルタの戦士にとって男色とは、お互いが強き戦士たる為に欠かせざる神聖な儀式であって、男同士でセックスするという表層は同じでも根本は全く違うのです。

 とすれば、戦士の中の戦士であるレオニダス王がアテナイの連中を軽蔑するのは当然です。哲学も、己の快楽の為の少年愛も、スパルタの戦士にとっては唾棄すべき汚らわしい遊戯に過ぎないのです。

尊重されても女はちょっと…

 さて、男色を義務付けたスパルタですが、ガチホモもまた不道徳とみなされました。戦士を増やすという義務を怠る戦士は半端者なのです。

 名誉の負傷を負った戦士は養生も兼ねて美女(スパルタ基準)軍団とヤり放題という一石二鳥の福利厚生もありました。これが褒美になる程度にスパルタの戦士は女性を尊重し、またスパルタの女性は強い男の子種を求めたわけです。

 とは言え、スパルタの戦士は30歳の適齢期を迎えて妻と家を持っても、夜だけ小作りに行って兵営で寝起きする通い婚でした。

 スパルタの女は髪を短くし、男物の装いをして、暗い中で夫を迎えるのが常でした。そして夫婦らしい事をして夫は兵営に帰るのです。

 まあ無理からぬ話です。12歳からホモセックスに明け暮れて、30歳になって突然女もしろと言われれば、相手がどんな美少女だとしてもスパルタの戦士は困惑するでしょう。

 ノンケでそこそこモテる30歳男性の元に、いきなり何でもしてくれる美少年を送り込んでもその男は困ると思います。まあ頂くなら女装くらいはさせるでしょう。それと同じ事です。

 とすればレオニダス王はちょっとマニアックです。ゴルゴと濃厚な濡れ場なんて披露しちゃいますが、ああいうルックスはスパルタではウケないのです。

 デルポイの神官に差し出す国一番の処女からもレオニダス王のセクシャリティが観て取れます。引き締まった身体の赤毛の美少女ですが、赤毛女は気が強いというのは西洋では知られた俗説です。きっとスパルタの女の典型というべき跳ね返り娘でしょう。

 つまり、国一番というのはレオニダス王の好みによるのです。私ならどんなお告げでもホイホイ出しちゃうと思いますが、相手はデルポイの神官です。そもそも女など欲しがるわけがありません。

 つまり、神官が良いお告げをくれなかったのはそれだけが理由ではないとしても、レオニダス王が自分の趣味を押し付けて神官がへそを曲げたからとも取れます。戦士として使い物になりそうにない線の細い美少年を差し出していれば歴史は変わったかもしれません。

本場はギリシアに非ず

 さて、相手方のペルシアにクローズアップしてみましょう。中東だからノンケだろうと思って居る人は修行が足りません。考えてみてください。彼らは石油王の祖先なのです。

 ことホモにかけては本場はペルシアの方です。当地が産んだ最古の物語であるギルガメッシュ叙事詩はギルガメッシュとエンキドゥのBLですが、和訳された者は腰抜けで、原文だと二人はヤってるとされます。ともすれば、人類の歴史はホモの歴史なのです。

 ペルシア帝国も開祖のキュロス王から始まってホモばかりであり、クセルクセスがあんなホモ丸出しのルックスなのもおかしな話ではありません。

 ペルシアの場合アテナイよりも更に数段進んで宦官が愛される点でスパルタとは対照的です。気持ち良さに全振りです。

 そして彼の子孫であのポンペイの壁画で有名なダレイオス三世はバゴアスという宦官に入れ挙げて政治をしっちゃかめっちゃかにした挙句アレクサンダー大王に追い回されて死んだのです。

 そしてバゴアスはそのアレクサンダー大王に拾われて寵愛されてマケドニアもぐちゃぐちゃにしました。

 アレクサンダー大王は女狂いという事になっていますが、実際は男狂いでもありました。つまり古代のチャーリー・シーンです。世界はホモが支配していたわけです。

ファランクスはホモ

 さて、勘の良い読者はファランクスという戦術を知っただけで思ったでしょう。これはホモだと。

 考えてみてください。ガチムチのフルチン野郎どもが盾で互いを守りながら押し合いへし合いするのは入っていないだけでセックスです。一番危険な場所に一番立派な男が陣取るというのも男らしさを示しています。

 灼熱の門なる狭い場所で押し寄せるペルシア軍を300人一丸になって押しとどめて激しく抵抗する様は視覚的なホモ臭さ以上に色々と意味深な物を感じさせます。

また、一か所が崩れればそこから崩れるというレオニダス王の説明はまぎれもない事実で、崩した方が僅かな損害で崩された方を皆殺しにするのがファランクスという物なのです。

 当然ながら素人に出来る芸当ではありません。高度な訓練とそれなりの装備が求められるエリートのみが取れる戦術だったのです。

 つまり、スパルタの戦士はファランクスを組む為に生涯を捧げるのであり、ホモが義務付けられていたのはファランクスを強固にするためにはホモの絆が必要であった証明です。

 事実、後世に無敵を誇ったスパルタを打ち破った強敵が現れました。150組のホモカップルで構成されたその名も高きテーバイの神聖隊です。

 恋人は必ず隣り合わせで配置され、互いを守る為、勇気を示すために死を恐れない勇者たちでした。女にもリソースを割かねばならないスパルタの戦士がホモ一直線の彼らに敗れたのは無理からぬ話でしょう。

 大谷翔平が二刀流と言いつつ特別扱いで休みを貰うようなもので、所詮両刀とは中途半端の裏返しなのです。

BL的に解説(カップリング篇)

レオニダス王×隊長

 さて、バックボーンで気合いを入れ過ぎましたが、あれだけ読めばこの映画は300倍楽しめます。

 ゴルゴは別腹としても、誰がレオニダス王の本当の后なのかと考えてれば、それはやはり隊長でしょう。

 近衛隊長ですから、王の信任が厚くて強くなければいけないわけです。そして、スパルタの戦士にとって信任とはホモとイコールなのです。

 従って死ぬのを承知で付いて来た300人はレオニダス王のハーレムと考えるべきです。愛する王と一緒なら死ぬのも怖くないというわけです。

 人選は隊長がしました。なので息子のアスティノスが混じっています。レオニダスは若すぎて「女の肌も知らんだろう」などといらぬ心配をしますが、これがこの映画の一番許せない所です。

 先述の通り、30歳までスパルタの男は結婚せずにホモ一筋です。これは先述の通りホモで絆を深めるとともに、30歳まで生き延びれないような軟弱者に子孫を残す資格なしという合理的な理由に基づいています。

 つまり、30歳に達さないアスティノスが女を知らないのは当たり前なのです。イケメンで隊長の息子なので男の肌は良く知っているでしょうが。

 奴隷女に欲情して犯しちゃうとかのケースはあったでしょうが、そんな事をすれば鞭打ちでは済まなかったでしょう。

 奴隷の人権どうこうではなく、スパルタの戦士たらん者が下等な奴隷女などに精を漏らすのは許されない事です。生きている資格がありません。

 精子は立派なスパルタ人同士で全て消費しなければいけないのです。アスティノスがそんな不品行なアホノンケであるはずがありません。

 話しがずれましたが、最も勇敢で兄が居るから大丈夫というのが隊長のレオニダス王ラブを物語ります。

 息子が王を守れる立派な男である事を証明するのは隊長にとって最高の愛情表現なのです。

 私達の初陣の時はもっと若かったというのも露骨な正妻アピールです。俺は王と初陣を共にしたんだぞというのをこの一言で300人全員に示します。もっとも、スパルタで誰と誰がデキているなどという話しとチンコは隠さなかったと思いますが。

 挙句レオニダス王は立派な父親だが隊長としてはもっと立派などと露骨なお褒めの言葉まで授けます。スパルタの戦士として隊長は表情を崩しませんが、きっと画面に映っていない下のスパルタ魂はビンビンです。

 戦場でもレオニダス王の右腕として大活躍し、ついでに父親としての顔も見せる隊長。しかし、アスティノスは不意打ちであっけなく首を落とされてしまいます。

 ブチ切れた隊長は突出してに大暴れし、息子の亡骸を前に泣き崩れて三人がかりで引き剥がされます。まるで高倉健です。

 しかし、私はこれでどうして隊長だけ名無しなのか分かりました。スパルタで墓に名前が刻まれるの男は名誉の戦死を遂げた者だけです。

この振る舞いは父親としては正しいですが、スパルタの戦士としては失格です。息子が不覚を取って討ち取られたのに逆上して統制を乱すなど、許されぬ失態と言わねばなりません。

 夜になっても神を呪って落ち込み、親の愛を伝えられなかったとポエムを語っちゃう女々しい隊長。何しろホモ達なのでレオニダスも心が痛いとスパルタ王にあるまじきフォローを入れますが、隊長は「心を満たすのは憎しみ」ますます女々しい事を言ってメンヘラ一直線です。

 きっとこの後慰めックスです。かかる時には強い男の精子が最高の良薬である。それがスパルタ式医学であり、また正しいのです。

 最後の悪あがきで壮絶な討ち死にを遂げ、あの世で息子と愛を語らう隊長。この美しき物語にアテナイ人はビンビンになるでしょうが、やはりスパルタの戦士としては女々しすぎます。だから墓に名前を刻んでもらえなかったのでしょう。

レオニダス王×ステリオス

 正室が隊長なら、寵姫はステリオスをおいて他なりません。原作でのヘタレ扱いが嘘のように模範的スパルタの戦士としてレオニダス王から全幅の信頼を置かれています。

 集合するなり「ご一緒します」などと叫ぶ有様です。忠義心はマックスですが、抜け駆けとはスパルタ的ではありません。ですが、レオニダス王はそういう蛮勇を愛している節があります。

 それが分かるステリオスなので非常に生意気で可愛い所を見せたがります。

 石垣の補強中に指揮官を出せと鞭持った使節が怒鳴り込んできた時に腕をぶった切るシーンはレオニダス王のみならずスパルタの戦士が一様にイカれているのを示す名シーンですが、これもそういう点を踏まえると意味深です。

 これはいい所見せようとしたのが明白です。挙句クセルクセスに我々は自由だと伝えろと勝手に啖呵まで切っちゃいます。

 明らかにレオニダス王のスパルタの流儀を再現しようとしています。きっとこの話はレオニダス王の耳に入り、今晩のお相手を勝ち取ったに違いありません。

 クセルクセスが和睦交渉に来たという知らせを届けるのにも全力疾走で息も絶え絶えです。これはレオニダス王に知らせに行く栄誉を恋敵と争った結果でしょう。

 ステリオスがアスティノスと死体掃除をしながらいちゃついているところへレオニダス王がやってきてぐずぐずするなと激を飛ばすのは萌えポイントです。

 お前らはまず俺の物であるという前提をはっきりさせるためのアピールです。そして、ちょっと反抗的なのに燃えちゃうのがレオニダス王であり、スパルタの戦士なのです。

 ステリオスは最後の最後までレオニダス王のお気に入りであり、クセルクセスを直接仕留めんする最後の悪あがきに際して鉄砲玉としてご指名を受けてファランクスから飛び出したのが誰あろうステリオスでした。

 メンタルが弱っているとはいえ、隊長よりもステリオスを選んだ。これはステリオスも死んで本望でしょう。愛する王の為に死ぬ。それこそ武人の本懐であります。

 挙句互いに手を取り合ってから死にます。もうこれは事実上后の座を勝ち取ったも同然です。最後にゴルゴへの愛を叫んで死んでいったような気もしますが、まあそれはどうでもいい事です。

 だって考えてみてください。レオニダス王がゴルゴを愛したのは事実だとしても、男より愛したとはヘロドトスも書き残していません。

ステリオス×アスティノス

 さて、レオニダス王も流石に実質自分の息子のアスティノスには手を出しづらい所ですが、アスティノスもやる事はやっています。

 アスティノスはいつもステリオスと一緒に居て、兄弟のように仲良さげです。そう、つまりこれが互いの行動に責任を負うスパルタ的愛なのです。

 肢体を片付けながらステリオスはアスティノスに「女にしてはよく戦った」と軽口を叩いてしまいます。これは重要です。文字通りに捉えるべきです。

 そしてアスティノスも「アルカディア人と後ろに居たくせに」と軽口で返し、いちゃいちゃしながら死体を片付けて楽しそうです。

 このシーンにスパルタの男色観が凝縮されています。スパルタの女はこうなのです。男にやり返すくらいが良いのです。何と良きカップルでしょうか。

 初日を勝利で終えてステリオスはアスティノスとディリオスを肩を組んで勝どきを挙げて実に楽しそうです。この夜は乱交パーティー間違いなしです。

 多分レオニダス王も混じったので強い精子でアスティノスは強くなったのでしょう。翌日の変態軍団の目玉であるサイの突進をファランクスの外に出て投げやりの一撃で仕留めます。

 身じろぎせず確信をもって突進してくるサイが倒れ伏すのを見守るアスティノス。流石に隊長が一番勇敢と言い切っただけの事はあります。

 こういう時に恋人もいい所見せなきゃスパルタの戦士じゃありません。ステリオスが手りゅう弾を投げる魔術師に単身切り込んで手りゅう弾を誘爆させて始末します。

 挙句背中合わせに暴れん坊将軍並みの大立ち回りをしてステリオスが「お前の背中を守ってる」ときます。背中です。何をいわんやです。

 しかし、その直後にアスティノスは後ろから唐突に斬られて首を失くします。それからのステリオスは隊長に隠れていますが捨て鉢で、明らかに命は要らんという状態になります。

 アスティノスの戦死は明らかな不覚でした。こういう場合、スパルタの流儀に則ればステリオスは責任を問われます。

 だからステリオスはレオニダス王の鉄砲玉のような真似をしたのです。闘わずして死ぬのが許されないのであれば、必ず死ぬと分かっていてもやらねばならない任務を引き受ける。これぞスパルタの流儀です。

 隊長のメンヘラポエムも後ろで露骨に落ち込みながら聞いています。隊長と同じくらい悲しんでいるのは明白です。

 ジョブスとウォズニアックのように二人で一人だったあアスティノスはあの世でステリオスに不覚を詫び、300人の勇者と共に終わらないホモ祭りに耽るのです。ティム・クックも腰を抜かします。

レオニダス王×ディリオス

 何しろディリオスは伝令役兼語り部として一人帰されてゴルゴに形見を手渡す役です。そしてレオニダス王亡き後の弔い合戦で指揮官に抜擢されます。

大変なケツ物です。口が上手いという理由で選ばれ、事実格好良いレオニダス王の物語を語って狂言回しを務めますが、それだけが理由ではないでしょう。

 初日の夜に精鋭の不死隊に殺されかけながらレオニダス王に直々に助けてもらって槍を拾ってもらうディリオスの、レオニダス王を見つめる表情は完全にメスです。

 そして不死隊が連れて来た鎖に繋がれるくらい狂ってる割に器用な巨人に斧を投げつけられたレオニダスをすんでのところで庇うディリオス。

 お分かりでしょう。こうしてスパルタの戦士は愛を育むのです。そりゃあ妻など構っておれません。

 そして、史実のレオニダス王は出陣に際して「良い男と結婚し子供を産め」と言い残し、ゴルゴのその後について記録はありません。

 そして、互いの命を助けたディリオスを伝令役に命じた。これはもうゴルゴを頼むと言っているも同然です。

 史実では臆病者呼ばわりでも映画では生き延びた英雄として将軍に抜擢されたくらいなので、ゴルゴと再婚しても全然OKです。

 しかし、そうなったとしてもディリオスはレオニダス王ほどゴルゴを愛してくれません。ディリオスはレオニダス王しか見ていないのですから。これに我慢できなければスパルタで女は張れません。

 むしろ、ディリオスの愛はレオニダスの遺児であるプレイスタルコスに向けられるはずです。そしてデキちゃうのは時間の問題であり、それがスパルタの流儀なのです。

レオニダス王×ダクソス

 ダクソスは見下されているにせよ、レオニダス王に一応友にして格下の戦力として認めてもらえるだけの実力者です。

 きっと過去何回も戦場を共にしてきたのでしょう。そうなればもうデキてても驚く事ではありません。

 スパルタが闘いに赴くと聞いて援軍に来てくれたのです。これはギリシア全体の危機だと言ってもなかなか出来る事ではありません。

 スパルタの戦士が少ないのを部下が馬鹿にして怒りさえします。つまり、この関係は誘い受けです。レオニダス王のバーサーカーぶりに内心惚れぬいているのです。

 何だかんだダクソスはスパルタの戦士と一緒に居て、その野蛮さに驚きつつも決して居心地は悪そうにありません。つまり、ダクソスもスパルタの究極のホモソーシャルが楽しいのです。

 初日にスパルタ軍が奮戦を見せた事からダクソス達も士気が上がり、不死隊の襲撃に際して横から奇襲を仕掛けて戦果を挙げます。レオニダスはちょっとは見直したでしょう。

 しかし、その夜エフィアルテスが裏切り、ペルシア人が裏道から迂回してきたというので泡食ってレオニダス王にダクソスが知らせに行きます。

 見張りのフォキス人は闘いもせず逃げたと言い添えるのもBL的に言えば正妻は無理でも側室アピールです。俺達は根性あるから逃げなかったよ褒めて褒めてというわけです。

 暗に撤退を勧めるダクソスの申し出をレオニダスは断固拒否し、「スパルタ人は逃げないし降伏もしない」とギリシア中に言いふらせとダクソスに撤退を促し、ダクソスに「お前も魂を見つけよ」と言い添えて別れます。

 これは何気に美味しいシーンです。スパルタ人が玉砕したという英雄譚は嫌でも広まりますし、この役目はディリオスで十分です。

 しかし、ダクソスに頼んだというのはスパルタカスがダクソスをある程度認めた証拠です。

 ダクソスは灼熱の門で死んだレオニダス王との戦いを誇りにし、魂を探すつもりで言いふらしたのでしょう。それが男色と哲学の都、アテナイのヘロドトスの耳にも届き、永遠に歴史に残る事になったのです。

 テルモピュライの地には記念碑が建てられ、今尚残っていて観光名所になっています。ダクソスにとって、レオニダス王との思い出が記念碑なのです。

レオニダス王×セロン

 セロンは若いくせに兵役にも就かず政治に耽り、あまつさえペルシアと通じて王座を狙うという外道です。

 町内会長程の権限もなく、贅沢が出来るでもないスパルタ王などなっても良い事は無いと思いますが、これもホモで説明できます。

 つまり、セロンはレオニダス王が好きで好きで仕方ないのです。しかし、どういういきさつかは知りませんが兵役にも就かない腰抜けなどレオニダス王が相手にするわけがありません。

 なのでレオニダス王に成り代わって一体化しようとしたのです。こいつは稀に見る高レベルのヤンホモです。

 セロンを胡散臭く思う評議員の協力のもとレオニダス王に援軍を送る為に評議会で演説をする約束を取り付けたゴルゴの元にセロンが迫ります。

 そして評議員は自分の思うままで評議員の心は女に動かせないとアテナイ人みたいな事を言います。オメコ芸者、わりゃあ黙っとれというわけです。

 これは相当です。評議員は60歳まで戦い続けて生き残った勇者の中の勇者であり、当然ホモ寄りのバイですが、女がどれ程スパルタで重要か知らぬはずがありません。それが女傑のゴルゴなら尚の事です。

 だというのにセロンはゴルゴの言う事など聞かないという。これは何故か?そう、セロンは尻で政治をしているのです。

 セロンはゴルゴにレオニダス王を帰って来ても罪に問うと脅し、ゴルゴをその場で犯します。これはノルマの濡れ場ですが、BL的に言えば違います。

 セロンの本命はあくまでレオニダス王なのです。本人に相手してもらえないので間接ホモセックスです。ゴルゴはコンドームなのです。

 我慢して身体を任せて翌朝評議会で援軍を求める演説をぶつゴルゴ。思ったより評議員がゴルゴのいう事を聞くのに焦り、自分に色仕掛けをしてきたとアテナイ的いちゃもんを付けるセロン。

 挙句セロンはふしらだらの卑しいだのと徹底的にゴルゴをディスり、ゴルゴに刺し殺されてしまいます。腹からペルシアの金貨が出てきて万々歳です。

 レオニダス王ばかりを見ていたのでセロンは忘れていたのでしょう。レオニダス王が惚れぬく女がキラーコンドームであるという不都合な事実を。

クセルクセス×レオニダス王

 クセルクセスは議論の余地なきホモです。あのルックスでノンケならそれは事件でしょう。続編もそれを裏付ける作りです。ただし、宦官に狂わされる国なので攻めです。

 攻め対攻めですが、受けの方もきっちり履修しているレオニダス王が迎え撃つ立場なのでこうなります。

 クセルクセスは初日の戦いが終わって早々、巨大な輿に乗って仁王立ちでレオニダス王に対面します。

 クセルクセスはレオニダス達の勇猛を誉め殺しにし、家来さえ殺す私に逆らうなと脅しをかけますが、レオニダスは家来の為に死ぬとやり返します。

 スーパー攻め様同士のシーソーゲームの開幕です。クセルクセスはレオニダス王にギリシアの王になってヨーロッパ侵略の先頭を切れと挙句「私に跪け」とかまします。

 常に仁王立ちのクセルクセスに跪いてやる事は一つしかありません。上手い具合に身長差もあります。

 これを突っぱねられてクセルクセスはスパルタを歴史から抹消すると激怒します。そんな事をしたら戦利品が取れないし復興の手間がかかるしで元も子もありません。

 つまり、領土などは枝葉の話で、クセルクセスはレオニダス王という極上の雄が欲しくて来たのです。

 きっと拒絶されたのは初めてだったのでしょう。そうしてクセルクセスはレオニダスに執着するようになります。ヤンホモです。

 クセルクセスがいきなり精鋭を不死隊をその夜差し向けたのがクセルクセスの拗らせっぷりを物語ります。

 本来こういう精鋭は勝利を確実にするために最後の最後に投入すべきであって、早くに出すのは無駄遣いです。ですが、クセルクセスの頭の中にはレオニダス王を屈服させる事しかないのです。

 しかし不死隊の投入は失敗で、それを崖から見物しているクセルクセスは不安げです。これは攻め様力の闘いであって、一筋縄では行きません。

 ここから急激にペルシア軍が変態化していくのは完全にスーパー攻め様の方法論です。俺は凄いという張り合いを制したものが掘るという愛のシーソーゲームです。

 しかし、勝つ為に部下を殺すクセルクセスに対して部下の為に死ねるレオニダス王はチーム力で優位があり、クセルクセスは変態軍団を全滅させられて悔しさに悶えるのです。

 あれだけ変態を見せておいてその次に来るのが実際に大いに活用された戦象なのは言うまでもなく男根のメタファーです。つまり、崖から滑り落ちて瞬殺なのもそういう事です。

 しかし、レオニダス王がエフィアルテスをスパルタ的でない為に冷たくあしらったのを拾ったのが勝敗を分けました。

 ホモソーシャルを突き詰めて排他性という袋小路に入ったレオニダス王と、アラブ的太っ腹を見せたクセルクセスの方向性の違いです。

 しかし、クセルクセスはエフィアルテスその人を買っているわけではないのに注目です。むしろスパルタ人の風上にも置けない裏切り者と見たはずです。

 ここでペルシアの使者は突き落とされた方も腕を切り落とされた方も女を奴隷にすると殊更に強調していたのに注目です。

 スパルタ人にこいつらがやられるのは明白です。とすれば、クセルクセスは女狂いの変態を粛清する為に差し向けたのではないかと思うのです。

 つまり、クセルクセスは女は下劣な物と捉えるガチホモであり、エフィアルテスに女しかくれなかったのはそういう事なのです。続編もそれを裏付けています。

 そして、エフィアルテスの協力でレオニダスを追い詰めて降伏を促すクセルクセス。レオニダスは装備を捨てて跪き、油断させてクセルクセスに槍を投げつけて顔に傷を残して死にます。

ク セルクセスはレオニダスを討ち取った事を誇りとし、続編でもレオニダスの事ばかり考えています。クセルクセスは勝ちましたが、心はレオニダス王に占拠されて生涯そのままだったことでしょう。極めて高級なバイオレンスポルノです。

 クセルクセスは物理的にはレオニダスを掘る事に成功しましたが、スパルタの戦士は神の王のご神体を肛門括約筋で引きちぎったのです。

レオニダス王×エフィアルテス

 エフィアルテスは裏切り者ですが、彼を単純な悪役として片づけるのは間違いだと私は思うのです。

エフィアルテスは灼熱の門の後ろに回れる裏道を知っていて、自分を生かす為にスパルタを去った父の遺品の装備を身に着けてそれを忠告し、加勢を申し出ます。

 エフィアルテスを化け物扱いして殺そうとする隊長をいさめたまではレオニダス王も格好良かったのですが何しろエフィアルテスは障害を抱えているのでファランクスに加われません。なので掃除や補給をしろとかなり冷たくあしらって怒らせてしまいます。

 それが回り回って300人は全滅したのです。これはレオニダス王が筋金入りのスパルタの戦士であるが為の失敗でしょう。

 スパルタの戦士は狂気がかった鍛錬で作り上げられた規格品であり、チェスで言えば全員クイーン(意味深)なのがスパルタ軍です。

 それ故にエフィアルテスという規格外の兵士を扱う事がレオニダス王には出来ず、また自らも規格品であるがゆえに、そこから外れて殺されるべきはずだったエフィアルテスに内心軽蔑を抱きもしたのでしょう。

 我が国を代表するガチホモバーサーカーであり、ホモである事がラブレターで証拠に残っている武田信玄は、戦を怖がる家臣を無理に戦に出さず留守番にして、その家臣は城中の仕事に大いに精を出して武田家中に大いに貢献したという美談があります。

 適当な出番を考えてやり、夜に陰の功労者とか何とか言って褒めてやればエフィアルテスは裏切ろうなどとは考えなかったでしょう。

 エフィアルテスは両親とレオニダス王を呪い、クセルクセスの元に走ってハーレムと兵士の地位を頂戴して裏切ります。

 レオニダスは前線指揮官としては最強かもしれませんが、政治は評議員任せなので統治者としては駄目だったという事です。スパルタの戦士ばかりとホモってたから感覚がマヒしたのです。つまり、スーパー攻め様が過ぎてレオニダス王は少々ケツの穴が小さすぎたのです。

 しかし、エフィアルテスもスパルタの戦士の血筋には違いないので、降伏勧告にやって来てそれを受け入れるよう懇願さえします。

 エフィアルテスのスパルタの血は心の底からレオニダス王への忠誠を捨てていなかった証拠です。

 しかし、レオニダスはエフィアルテスに「永遠に生きろ」と名誉の死を奪う呪いの言葉を遺し、クセルクセスに槍を投げつけて名誉の死を遂げます。

 史実だとエフィアルテスにはギリシア諸都市が懸賞金をかけ、殺されてしまいます。ギリシャ語でエフィアルテスとは「悪夢」というスラングになり、裏切り者の代名詞として「ユダ」のようにも使われます。

 しかし、考証がアテナイの美少年奴隷の肛門のようにガバガバの続編『300<スリーハンドレッド> 帝国の進撃』ではエフィアルテスは裏切りを後悔していて、ギリシアとペルシアを行ったり来たりして一応ギリシアの勝利に一定の役割を果たします。

 レオニダス王は地獄でエフィアルテスに再会し、自分のケツの穴の小ささを詫びるくらいはすると私は思うのです。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介し

『ベン・ハー』(1959 米)(★★★★★)(ソード&サンダルの最高峰)
『SF超人ヘラクレス』(1970 米)(★★★)(第二次ソード&サンダルブームの原点)
『戦国自衛隊』(1979 東宝)(★★★★)(東洋のガチホモバーサーカーの宴)

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