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第52回 薔薇の名前(1986 仏)

 さて、ショーン・コネリー追悼企画も今回で最終章です。散々コネリーのハゲを弄ってきましたが、今回はあのヘアースタイルなくして絶対に成立しえなかった、そしてもっともBL的映画鑑賞というコンセプトに相応しい一作『薔薇の名前』でお送りします。

 文豪ウンベルト・エーコの恐ろしく分厚い同名の小説を原作として、変わったテーマに挑みたがりがちなジャン=ジャック・アノーがメガホンをとった映画です。

 『アンタッチャブル』の少し前に公開された作品で、コネリーはこの作品のヒットで英国アカデミー賞主演男優賞を獲得し、米英のアカデミー賞で一気に返り咲きを果たしたというわけです。

 14世紀の北イタリアの修道院を舞台に、コネリー演じるバスカヴィルのウィリアム修道士が修道院で起こる連続殺人事件を解決していくという書いてしまえば何という事のない筋書きです。

 しかし、何十億円もかけて14世紀の修道院を再現したというセットを舞台に徹底した時代考証に基づいて撮影され、聖書や古典への広範な知識、その他いろいろなオマージュが散りばめられた、何年か置いて観るとその度新たな発見のある味わい深い大人の映画です。

 脇を固める必要以上に個性にあふれた役者たちの演技も見事で、その世界観には不思議な中毒性があり、飽きさせません。

 そして、中世の修道院とくればもうBLどころではないのです。ガチのホモ描写の大安売りです。淀川先生はこの映画を「薔薇族の成れの果て」と評しましたが、まさにその通りです。

薔薇の名前を観よう!

今のところU-NEXTで配信があるのみです

真面目に解説

茶色い薔薇
 この映画を始めて観た人は、小汚くてみすぼらしいという印象を受けるのではないでしょうか?

 聖職者は清貧を旨とするものなればその持ち物が粗末なのは当然と言えば当然ですが、それにしたって舞台となる修道院はどこか貧相で不潔で、周囲に住む村人たちに至ってはほとんど原始人のような暮らしをしています。

 実はこれがリアルなのです。当時はヨーロッパ全体がそもそも不潔で貧しかったのです。

 理由は色々ですが、まず第一にこの時代は小氷期と言われる急激に地球が寒冷化した時期でした。食糧生産が落ち込めば貧乏になってしまうのは当然です。

 そしてもう一つは他ならぬキリスト教の存在です。聖書の教義を大切にするばかりに古代ローマ人が生み出した色々な技術や知識が失われ、時代が逆行してしまったのです。

 そうは言いつつ聖職者たちは過去の知識の保存を重視しているのですが、当然古書を紐解けばキリスト教の教義と矛盾した事がいっぱい書いてあり、それがこの映画の肝にもなってくるのです。


ああ紙様
 そんなイカれた時代の修道院での暮らしが描かれるのも非常に興味深い点です。今や教会はパワースポット以上の意味は持たなくなりつつありますが、当時は政治、文化、経済に密接に結びついていたのです。

 例えば当時は王権神授説という概念があり、王様は教皇のお墨付きがなければ王様で居られませんでした。いきおい教会は権力とズブズブになっていくのです。

 教会は独自の徴税権を持ち、作中でも付近の農民が修道院に税金を納める為に行列する陰鬱なシーンがあります。貨幣ではなく家畜や農作物で物納なのが当時のヨーロッパの文化水準を物語っています。

 教会は知識を独占する教育機関でもあり、また色々な商売をやってその財政を支えていました。

 有名なのが酒や薬の販売です。本作にも薬草係なる役職が存在しますが、当時の医療は医療というよりまじないに近い物でしたが、そうでもなければ村の長老の薬草の知識にでも頼る他ないのが現実だったのです。

 そして酒も百薬の長というくらいで薬の一種であり、また普通の薬以上の需要が見込める必需品なので教会の重要な収入源でした。

 例えば成金の燃料であるドンペリは、シャンパーニュのドン・ペリニヨンという盲目の修道士がたまたま教会のワインの在庫管理をしていて変な発酵をしたワインを発見したことに端を発します。

 一口飲んで「星のような味だ!」と叫んだそうですが、天文学もまた教会のシマであり、暦も教会の売り物でした。ただ、私は星を食べた事がないのでシャンパンと味が似ているのかは判断しかねます。

 本作の舞台となる修道院では本が収入源になっています。当時の書物は羊皮紙が使われ、手書きか精々木版という代物で恐ろしく貴重で高価でした。

 当時は貴族でも読み書きができないというのはざらで、古典の写本にはギリシャ語やラテン語の知識も求められ、インクも紙も手作りなので、教会で子供のうちから技術を仕込まれた修道士でもなければ作れなかったのです。

 そんな貴重な本なので散逸してしまったものも多く、名前だけしか残っていない本というのが世間にはたくさんあります。かのアリストテレスが創作について述べた『詩学』の散逸した第二部が本作の裏の主役です。

 とは言ったものの、そのうち世間も少しずつ豊かで利口になり、教会は徐々に舐められるようになって昔のようにはいかなくなります。

 そこで教会はどんな悪人も天国に行けるという保証書、つまり悪名高い免罪符の販売で金集めをおっぱじめ、そのせいで宗教改革が起きてキリスト教はカトリックとプロテスタントに完全に分裂したのは御存じのとおりです。

 そんな免罪符も色々な宗教が当然のように混在しているジパングでは落語のネタになってしまうのです。アリストテレスも腰を抜かすこと請け合いです。


キリストもつらいよ
 しかしながら、仏教にも宗派があるように、カトリックも一枚岩ではありません。当時はローマに居るはずの教皇がフランス国王に脅されてフランスのアヴィニョンに居るという不穏な状況でした。

 教皇の権威は著しく低下し、聖職者の風紀は乱れまくっていて、後の時代にはアヴィニョンとローマに教皇がそれぞれ別に立てられるという教会大分裂と呼ばれる騒動に至ります。

 聖職者もまた考え方の違いに応じて修道会という派閥を作り、その修道会がそれぞれ後ろ盾になる権力者を持ち、修道会内にも派閥があるというキリストが見たら頭を抱える有様です。

 本作はフランス国王の影響下にある教皇寄りのベネディクト会の修道院の元へ、神聖ローマ帝国寄りでキリスト教社会では非主流派であったフランシスコ会の対立を調停すべく、神聖ローマ皇帝の命を受けてコネリー演じるバスカヴィルのウィリアムが派遣された所から始まります。

 同じキリスト教でもフランシスコ会とベネディクト会では前述のとおり教義への解釈が違うので、ウィリアムは他の修道士たちと細々とした事で対立しては聖書を引用して言い争いしたりしちゃうのです。


画のテノール
 特にウィリアムと対立しがちなのが修道院の長老である盲目のホルヘです。演じるフェオドール・シャリアピン・ジュニアは日本ではあまり知られていない俳優ですが、父親のフェオドール・シャリアピンは伝説のオペラ歌手としてその筋では有名です。

 シャリアピンステーキというのがありますが、あれは歯の悪いシャリアピンが日本公演をしたときに、柔らかいステーキをという注文で帝国ホテルのシェフが作ったものです。

 音楽史と料理史を変えたレジェンドの息子は流石に単なる二世ではなく、まったくもって見事な演技です。不気味な盲目の爺さんなんて普通の役者には出来ません。

 そして、クライマックスの火事のシーンで焼けた材木にぶつかって周りは大騒ぎになりましたが、当のシャリアピンは「それより画は撮れたか」と言ってのけたという格好良いエピソードがあります。

 80過ぎてこの根性。〇〇の息子という肩書以外何も持っていない腑抜け連中に聞かせたいものです。


手前破門だ!
 キリスト教はかように勢力争いが激しく、思想が過激だったり偉い人に不都合だったりすると排除されてしまいます。

 よくあるのが破門です。たかだか宗教の破門など現代日本では怖くも何ともないですが、当時のキリスト教社会で破門は社会的な死を意味し、コミュニティから排除されて野垂れ死にを覚悟しなければいけませんでした。

 よく中世を舞台にした作品で聖職者が破門をちらつかせるのはそういう事なのです。王様でも破門されるとただでは済まないくらいの恐ろしい刑罰だったのです。

 教派ごと異端として破門されてしまう事もあります。こうなると悲惨で、教派の人間は改宗か死かを選ぶことになります。

 そんなもの改宗すればいいというのはやはり現代人の感覚で、かなりの割合で改宗を拒んで処刑か戦って死ぬかを選ぶのがやはり宗教が大きな影響力を持っていたという証明です。

 本作にも元異端派でこっそりまだ信仰しているサルバトーレなる修道士が出てきたりします。存在そのものがどこか異端のロン・パールマンが演じているのははまり役です。こういうアクの強い人が揃っている映画なのです。

 ちなみに現代日本で唯一破門が効力を持つ職業であろう芸人で、師弟関係の冷え切っている『兵隊やくざ』の浪曲師の彼にコメントを求めたところ、「ユダヤ人の格言に知識と技術は奪えないというのがある」と異端その物の返答でした。

 そして「イエス玉川師匠は浪曲やる時は神父の格好はしない」PRを入れるよう釘をさすのを欠かさないあたり、彼はユダヤ人向きなのかもしれません。


まさかの時の
 そういう異端者を取り締まるのが泣く子も黙る異端審問官です。異端審問というのは早い話が拷問で、実際どうあろうとある事ない事白状させられた挙句火あぶりです。

 本作でも修道院長がウィリアムの到着直前に起きた修道士の不可解な自殺をもみ消す為にウィリアムに泣きついて捜査してもらうのです。

 修道院長を演じるのがマイケル・ロンズデールなので、これはルベル警視とマローンの夢のタッグです。淀川先生も水野先生も大喜びですが、修道院長は無能な上に非協力的なので事態はどんどん深刻化し、異端審問官のベルナール・ギー(F・マーリー・エイブラハム)が駆けつけてきて大事になってしまいます。

 このギーという異端審問官は実在した人物で、実際は拷問に批判的なスタンスでしたが、本作では異端審問官という肩書に求められるものをフルに発揮して辣腕を振るい怖がられます。

 エイブラハムは『アマデウス』のサリエリを勝ち取って大当たりを取った直後なので絶好調です。彼の宗旨がカトリックとは仲の良いとは言えないシリア正教会なのはブラックジョークです。


名探偵コネリー

 ウィリアムは弟子として貴族の倅であるメルクのアドソという少年を連れています。演じるのはクリスチャン・スレーター

 彼のその後のイエスの教えの逆を行く人生を鑑みるとやっぱりブラックジョークとしか思えませんが、まだ17歳の彼は修道士たちの態度が余所余所しくなるほどの美少年です。淀川先生がこの点に着目したのは言うまでもありません。

 二人は早い話がホームズとワトソンです。病的な知的好奇心と推理力の持ち主のウィリアムにアドソが振り回されながらもいちゃいちゃと事件を捜査する。脇を固めるテーマは難解ですが根っこはこれだけです。

 物語は年老いたアドソの回想録の執筆という形で進むのもホームズと同じです。ウィリアムはバスカヴィル出身という事になっていますし、ギリシャ語通訳が殺されたりとオマージュがたくさん入っています。

 そして、ホームズとワトソンがホモである事は二世紀前から事実上の確定事項であり、この二人の関係についてはBL的解説の方に譲ります。


教会はヤリ部屋
 こんな腐ったキリスト教ですので、童貞のままで死ななければならない修道士たちもどいつも頭の中身は性欲で一杯です。

 村の小汚い名無しの美少女(ヴァレンティナ・ヴァルガス)が食い物と引き換えに売春してアドソと濡れ場を披露したりもするのですが、このnoteではそんなものに尺を割いている暇などありません。

 教会はやっぱり男同士です。修道院内には男色が蔓延していることが示唆され、検視官役のセヴェリノ修道士(エリヤ・バスキン)も同性愛を「修道士にありがちな」と言っちゃうあたりにキリスト教の腐敗が見て取れます。そして、こんな役が実に似合うあたりは流石に午後ローでよく見かけるバスキンです。

 実際男同士のあれやこれやがストーリーに直接関わってくるのがこの映画の凄い所です。とにかく、詳しい話はBL的の方に譲ります。

BL的に解説

ウィリアム×アドソ
 あまりにホモばっかり(公式設定)でカップリングが複雑なので、この際細々したカップリングはここに一本化させていただきます。

 アドソは貴族の末息子で、見分を広げる為という名目でウィリアムに預けられて旅をしています。もうこの時点でホモです。

 『人斬り』貧乏公家はホモ坊主に息子を売る旨を力説しましたが、これは万国共通なのです。アドソの親はウィリアムに慰み者にされるのを知りながらアドソをウィリアムに売り渡したのです。

 ただし、二人は相思相愛である事にこのカップルの肝はあります。二人は夫婦以上の深い関係にあるのが明白です。

 アリストテレスを敬愛するウィリアムなれば古代ギリシャがホモ祭りであり、ソクラテスがホモビッチであり、そんなソクラテスにヤンホモ気味に懸想するプラトンとの仲が間違ってもプラトニックではなく、アリストテレスが「受けは感じたらもう女」という旨の記述を残していることを知らないはずがないのです。

 ウィリアムはアドソの事は何もかもお見通しです。修道院に到着するやアドソが小便がしたいのを見抜き、修道院のトイレスポット(なんとそこら辺にする!)を見抜いて教えてやるのです。

 小便だけに飛ばし過ぎです。のっけからスカトロとはフランス映画は一味違います。流石は首都が犬の糞まみれの国です。

 そして、修道士として旅をする以上外肛もとい外交的な礼儀は欠かせません。小便帰りに院長の手にキスしちゃうのは明らかにウィリアムの調教の成果です。院長も満更ではありませんので、そりゃあペストが流行るのは当然です。

 アドソは事件にビビりまくりです。しかもフランシスコ会の創始者であるウベルティーノ司教(ウィリアム・ヒッキー)に「美少年が窓から突き落とされたからここにいてはいかん」と忠告され、ナンパされて恐れおののきます。

 司教の手つきが実にキモく、淀川先生が「事実上の愛撫」と表現したのも納得です。アドソはあの時のシュワちゃんと同じ気分に違いありません。

 ウィリアム以外の相手に身体を許すのが嫌なアドソは「ここは嫌な所だ」と嫌がりますが、もうウィリアムは病的好奇心でビンビンです。

 その夜、夕食でウィリアムの歓迎が堅苦しく行われ、何らかの過去があるのをアドソは知ってしまいます。ウィリアムは「修道士にとて過去はある」と煙に巻きますが、アドソは何か心配そうです。

 多分司教は若い頃ウィリアムに手を付けています。清貧なればこそ、性欲は手近な方法で解消するに限るのです。アドソは多分それを見抜いて一丁前にホモのジェラシーを燃やしたのでしょう。そんなところがウィリアムには可愛いのですが。

 この修道院は嫌な所なので、不気味な音がそこら中から聞こえてアドソは眠れず恐怖におののき、ウィリアムに抱き着いてしまいます。こんなの多少ノンケでもKOです。あの後絶対ヤってます。

 翌朝のミサの最中、第二の犠牲者が豚小屋で発見されます。豚の血の壺の中で犬神家スタイルで死んでいたのはヴェナンツィオという若いギリシャ語通訳。

 司教が二つの事件は黙示録の予言になぞらえていることに気付き、修道士たちは恐慌状態になります。これでよく修道会のリーダーがつとまるものです。

 薬草係のセヴェリノと検死をする二人。セヴェリノは刻んだタマネギには性欲亢進効果があるなどと下ネタのトリビアを挟んだりと陽気です。

 アデルモとヴェナンツィオは仕事仲間ですが「修道士の間によくある妙な関係」ではなかったとセヴェリノ断言します。怪しいものですが、この分だと修道院では性的なプライバシーを守るのは難しそうです。

 アドソは検死にビビって逃げ出しますが、悪魔像のある所へ行ってこれまた怖い思いをし、おまけにイカれているサルヴァトーレに絡まれて散々です。

 パールマンの怪奇派芝居が炸裂です。このままだとアドソは掘られるところですが、幸いウィリアムが都合よく駆けつけてきてアドソの貞操は守られます。ついでにサルヴァトーレが異端のドルチーノ派である事を見抜き、事件は徐々に核心に近付いて行きます。

 ウィリアムが怒り気味なのが独占欲の顕れです。俺のアドソをケチな異端野郎に渡すかという意思表示です。

 司書のマラキア(ヴォルカー・プレクテル)が嫌がる中犠牲者の机を捜索するウィリアム。眼鏡を使うのが萌えポイントです。

 しかし、ホルヘとの笑いを巡る論争デブで美声の副司書ベレンガーリオ(マイケル・ハベック)の妨害でヴェナンツィオの机は調べる事が出来ませんでした。

 しかしウィリアムは設備の割に蔵書がやけに少ない事に気付き、アドソになぞかけをします。「私を試す気ですか?」とアドソ。ウィリアムが質問をするときはいつもすでに答えはもうウィリアムの中で出ているのです。ホームズとワトソンがいつもやっているあれですね。愛情表現です。

 そこへなんと誰かがウィリアムを殺すべく石を落とします。若さと愛のパワーで追いかけて犯人をとっ捕まえるアドソ。愛の力は貴族の倅をゴリアテにするのです。

 犯人はサルヴァトーレでした。しかし、彼の上司であるレミージオ(ヘルムート・クヴァルティンガー)が仲裁に入り、この件を秘密にする代わり蔵書を探しに図書館に入る手引きをさせます。

 アドソはウィリアムが単に本が読みたかっただけとしか思えないと回想しますが、私はその一方で裏が見えます。そう、図書室は密室なのです。本当はページではなくアドソの尻の穴を開きたいのです。

 残念ながら本は見つかりませんでしたが、ヴェナンツィの机からギリシャ語の描かれた紙片を発見し、炙り出しの暗号が書かれているのを見つけます。

 しかし、ベレンガーリオが隠れていて、ヴェナンツィオの机の本を持って逃げていき、隠してしまいました。

 それを追うアドソが灯りを探しに来たところへ、レミージオから逃げてきた例の名無しの少女と鉢合わせします。そしてヤっちゃいます。流石フランス映画は濡れ場が気合入っていますが、こんな字のハッテン場では大した問題ではありません。

 一方ウィリアムは墓場で鼠を捕まえて食っているサルヴァトーレに遭遇し、有力な情報を得ます。

 アドソは少女が置き忘れていったレミージオから貰った牛の心臓を人の物と勘違いしてビビりますが、ウィリアムはこれを見て誰かがこれを餌に娘を誘惑したと全てお見通しです。

 そして「我々の捜査には関係ない」と強い語気で断言します。多分、ウィリアムはアドソが浮気したのに気付いているのです。

 男ならまだしも、汚らわしい田舎娘などと浮気するなど許せるものではありません。

 その夜、アドソは懺悔と称して少女との関係を告白しようとします、ウィリアムは「友人として話せ」とケツの穴の大きい所を見せます。

 「人を愛したことは?」と問われ、しょっちゅうで筆頭がアリストテレスと答えます。アドソはそういう意味ではないと困惑します。

 愛と情欲を混同しているとウィリアムは説いていますが、ホモは嘘つきです。多分ウィリアムはアリストテレスの著作でヌいてます。

 ウィリアムはアドソがあの少女に惚れたのもお見通しです。まあ無理からぬ話だとバイセクシャルの私は思うわけですが、ウィリアムが「修道士としては問題」とけん制します。

 それでも食い下がるアドソにウィリアムは聖書を引用して女は危険と抵抗しますが、最後は「お前のような経験は持たぬが」というガチホモ宣言を前置きし、何かしらの美徳を持って神は女を作ったと結びます。

 ここで少年時代のウィリアムのズリネタであったアリストテレス「受けが感じれば女」論が生きてきます。言って分からぬアドソには、身体で分からすしかないのです。

 ウィリアムは説きます。「女と交わるのは情欲だが男と交わるのは愛だ」と。詭弁と知りつつもアドソはウィリアムの前に抗う事が出来ないのです。

 翌朝、二人はベレンガーリオの捜索に向かいます。彼の部屋には怪しい鞭が残っていますがベレンガーリオは見つかりません。マラキーアも非協力的です。

 そしてフランシスコ会の使節が到着した直後、ベレンガーリオが風呂に沈んでいるのが発見されます。

 靴を調べてヴェナンツィオを沈めたのはベレンガーリオだと判明します。ついでにホモで左利きだという事も。更にヴェナンツィオ同様指と舌がインクで黒ずんでいるのを発見し、事件は確信にどんどん近づいて行きます。

 そして院長に一気に勝負を仕掛けます。アデルモが表に出せない禁書を読みたいと所望し、ベレンガーリオにケツを差し出したのです。そして良心の呵責で苦しんでヴェナンツィオにベレンガーリオに暗号を託して飛び降り自殺したというのです。

 そのショックでベレンガーリオは自分で自分を鞭打ったというわけですが、これは反則でしょう。ホモにはマゾが多いのでご褒美でノーリスクです。

 そしてその禁書を読んだヴェナンツィオもベレンガーリオも死んだ。後はその本を調べれば解決まであと一歩ですが、異端審問官のギーが到着したことで事件どころではなくなります。

 フランシスコ会の使節団が止めてもウィリアムは聞かず、ついに暗号を解いて秘密の図書館への入り口を発見します。ウィリアムは大量の本に大興奮です。この場でおっぱじめる勢いですが、アドソと来たら写本の挿絵の稚拙なオッパイに欲情してしまうのです。

 迷宮のような図書館で二人は迷子になってしまいますが、アドソがローブの糸を道しるべに残しておいたおかげで手っ取り早く出る事が出来、「古典を学んだおかげだ」とウィリアムに褒められてご機嫌です。

 この古典とはギリシャ神話のミノアの迷宮の事です。田亀源五郎先生の傑作『クレタの牝牛』で有名なあのミノタウロス退治の話です。時間に余裕が出来たので一発やる余裕は十分です。

 そこへ異端審問官がついに到着し、少女を使って悪魔崇拝の儀式をしていたサルヴァトーレがボヤ騒ぎを起こしたことで事態がややこしくなります。

 少女が魔女であるという嫌疑がかけられますが、立場上どうすることもできないウィリアムを女に迷うアドソはなじります。完全にホモの痴話喧嘩です。

 そしてウィリアムはギーとの対立と重い過去を語ります。この夜はさぞ熱く燃えたでしょうね。アドソを黙らす必要もありますし。

 翌朝教皇側の使節団も到着し、教会の財産を巡ってイエスが財布を持っていたかどうかなどしょうもない宗論を繰り広げる中、セヴェリノが本を発見したとウィリアムに知らせを持って行きますがセヴェリノはマラキーアに暗殺されてしまいます。

 再び捜査は暗礁に乗り上げ、切羽詰まって夫婦喧嘩になってしまいます。異端審問でもアドソは聖母像に少女の無事をお祈りしたりと二人の愛の乱れは明らかです。

 そしてウィリアムは三人の有罪を承認してしまいます。しかし、失望するアドソをしり目にレミージオがセヴェリノを殺したのではないと宣言し、探偵の矜持を見せます。

 しかし、ギーはケツの穴の小さい所を見せてこれを跳ね除け、火あぶりの準備が始まります。しかし、このケツの穴の小ささが因果応報の形でマラキーアを殺します。

 ウィリアムの予言通りしたと指が黒ずんでいます。騒ぎに乗じて図書館に再び戻った二人はついに暗号を解いて図書館の秘密の部屋を発見します。

 そこにはなんとホルヘが。本はホルヘが毛嫌いしていたアリストテレスの「詩学」第二部だったのです。

 ホルヘはこの本に毒を塗っておいたのです。当時の本は紙質が悪く、現代では下品な行為の横綱になっている指を舐めてめくる行為が必須でした。読む者は殺すというわけです。

 ウィリアムは既にそれを見抜いているので、読むのに手袋をつけ、ホルヘのアドソに読ませろという誘いにも乗りません。

 ウィリアムの「毒を塗ったページを弟子にめくらせたくない」という一言は何気ないですが強烈です。アドソの尻は唾を付けたわけでもないのに濡れてしまう事必定です。

 追い詰められたホルヘは本を持って逃走し、本を食べた挙句火事を起こし、レミージオとサルヴァトーレを焼き始めた所で修道院全体に延焼して大騒ぎになります。

 ウィリアムは火に巻かれて絶体絶命です。アドソに逃げろと指示しますが、アドソは躊躇います。当たり前です。最愛の師の危機です。この時点で少女は完全にコンドームに落ちたのです。

 ウィリアムはこの期に及んで写本が燃えるのに哀しい表情を浮かべながら無力感にうなだれます。

 ためらいながらも脱出したアドソは逃げていくギーを阻止しようとしますが、逃げられてしまいます。

 ウィリアムが命を捨てて真犯人を突き止めたというのに、このヨーロッパ一の小物は職務を放棄して逃げようというのです。アドソにそんな事を許せるはずがありません。

 しかし、ホモにもキリストは優しく、ウィリアムは目ぼしい本を一杯に抱えてどうにか逃げ出してきます。

 本も取り落として涙ながらに抱き合う二人。そう、この瞬間本さえも事後のティッシュに落ちたのです。しかし、アリストテレスは笑って許すでしょう。

 すべてが終わり、二人は再び旅に出ます。そしてアドソは上手い具合に助かった少女に見送られ、名残惜しそうにしながらウィリアムに続くのです。

 ウィリアムは後ろ姿だけなので確認はできませんが、もうギンギンのはずです。最後の最後に自分が勝ったのですから当たり前です。

 そして「師は父親のように私を抱いて」アドソとウィリアムは別れ、アドソはその時ウィリアムから貰った眼鏡をかけて回想録を書いているのです。

 こんな尊いBLそうはないですよ皆様。眼鏡フェチの作家諸氏は是非ともこれを参考にし、また越えんと筆を振るっていただきたいのです。

 そして「生涯最初にして最後の恋人の名を永遠に知る事はないだろう」と結びます。薔薇とはあの少女の事らしいのですが、違うでしょう。薔薇の名前は決まっています。ウィリアムです。


ウィリアム×修道院長
 二人はもう出会った瞬間合体です。だって挨拶の次にはキスですよ?マネーペニーも腐女子になる衝撃シーンです。しかも院長はアドソが出て行ったのを見計らって入ってくるのです。

 ウィリアムは元ボンドですのでこのタイミングを逃しません。誰か最近死人が出たのを墓の様子から見抜き、院長にカマかけて一気に距離を詰めに行きます。

 死んだのはアデルモという腕利きの写本を作る若い写字生。院長はドアを閉めて「内密なお話が」と来て、「あなたが来ると聞いて内心喜びを禁じ得なかった」と院長もノリノリです。

 ウィリアムの名探偵ぶりといい男ぶりはヨーロッパ中の教会の噂なのです。院長はエロビデオ屋でAV女優の握手会に参加するおじさんの気分でありましょう。

 しかし、これは難題です。ウィリアムの本来の仕事である教皇使節との調停の日までに解決しておかねばヨーロッパの危機です。しかし大丈夫。ジェームズ・ボンドは世界の危機と性欲を同時に解決することにかけては天才的です。

 ウィリアムは最初は嫌がりましたが、異端審問官が出張ってくると院長に泣きつかれて渋々引き受けます。

 結局事件解決の代わりに修道院は焼けてしまったわけです。どうやら院長は修道院の宝である聖遺物(聖人の死体やゆかりの品)は持ち出せたようなので、本を失った今この修道院の財産は聖遺物しかありません。

 聖遺物は巡礼者を集める我が国の寺社の御朱印以上のキラーコンテンツであり、キリストの身体など世界中に何十人分もあります。

 そこで院長は聖遺物で修道院を復興させることを考えねばなりません。そこで院長は考えるのです。この事件はきっと大ヨーロッパ中で有名になります。ウィリアムの聖遺物を先物買いしておきたいと。

 といってウィリアムに指詰めさせるとかそういう話ではありません。そう、聖遺物ならぬ性遺物、バスカヴィルのウィリアムの精子を所望するのです。

 キリストのチンポの皮がヨーロッパに何十枚もあったりするので、精子は十分聖遺物になりえます。てか、探せばキリストの精子もどこかの教会にありそうです。


ウィリアム×ギー

 二人は異端審問官として同僚同士であった過去があります。ウィリアムはその過去を隠していますが、ギーはウィリアムを未だライバル視しているホモ臭い関係にあります。

 サルヴァトーレの儀式を発見してウィリアム相手に勝ち誇るギー。ギーは一連の事件を悪魔のせいにする気満々です。

 そして少女を巡って痴話喧嘩をするアドソにウィリアムは聖書と矛盾する文献を翻訳したというしょうもない罪状の男の処遇を巡ってギーと対立し、敗訴して投獄されて拷問の挙句追放されたという重い過去を語ります。

 ギーはこの時ウィリアムを性的に拷問したに違いないと思うのです。ギーは拷問大好きのゲイのサディストなのです。

 そのゲイのサディストぶりを存分に発揮してサルヴァトーレを拷問して自白させ、ついでに別件で逮捕の命令が出ていたレミージオもとっ捕まえ、異端審問が始まります。

 立会人にわざわざウィリアムを指名するのが実にBLしてます。屈服させてやるというわけです。

 レミージオがセヴェリノを殺したのではないとウィリアムが宣言したのは、元凶はギリシャ語の本なのにレミージオはギリシャ語は出来ないという根拠があるにもかかわらず突っぱね、レミージオを拷問すると脅して悪魔に唆されたと偽証をさせてしまうのです。

 明らかにジェラシーによる非合理的な行為です。彼は異端審問官としての職務上の責任よりも男を選んでしまったのです。しかも教皇にチクる事まで宣言してケツの穴の小さい所を見せてしまいます。

 そのせいでマラキーアが死に、ギーはあろうことかウィリアムが犯人だと言いだします。死亡フラグです。流石サリエリは小物ぶりが違います。

 そして火あぶりの最中にウィリアムはギーの想定を上回る優秀さで事件の真相を突き止め、そのせいで大火事になります。

 異端審問官という重責にありながらギーはケツにセメダインでも入れたのかという勢いでアドソの制止も振り切り逃げ出します。ギーは敗北を事実上認めたのです。

 しかし、このケツの穴の小ささが仇になり、怒った群衆に馬車ごと崖から突き落とされて死にます。やっぱりサリエリは違います。

レミージオ×サルヴァトーレ
 二人は部下と上司である以前に離れ難い関係でした。というのもレミージオもまたドルチーノ派だったのです。

 異端であった過去は修道士にとって絶対に秘密にせねばならない事ですが、サルヴァトーレはアホなのでそれがなかなかできません。そこでレミージオが守ってやるのです。

 これがデキない方がどうかしています。けど大丈夫。ホモは実際の所修道院では異端ではないのですから

 ウィリアム抹殺を企てたサルヴァトーレをレミージオネがぶん殴り、ウィリアムにひざまずいて許しを請う様は愛する男を守る為の情念に満ちています。義経と弁慶を思わせます。

 二人仲良く名無しの少女を買っていたのもプレイの一環です。少女は単なる性具でしかなく、二人はお互いの事しか考えていないのです。

 しかし、サルヴァトーレはギーに尋問されて二人ともドルチーノ派であった事を吐いてしまい、レミージオは逃走しますが簡単に捕まってしまいます。

 異端審問でサルヴァトーレはイカれぶりにターボがかかって使い物になりませんが、レミージオは清貧を過激に推し進めて金持ちを殺したドルチーノ派らしく、少女と寝る事で代金として教会が農民から搾り取った物を返したと大胆に居直ります。

 火あぶりに際してもサルヴァトーレはやたら良い声で歌うばかりですが、レミージオは根性を見せてギーに散々恨み言を言って死んでいきます。

 こうしてみるとなかなか良い凸凹コンビです。この二人が逃避行の末修道院に辿り着く外伝でも書けばいい具合のホモ映画になりそうです。

 少女は焼け残りましたが、そのほうが良かったのです。この火あぶりは事実上の心中であり、一世一代のホモSMなのですから。


ウィリアム×ホルヘ
 実はこの二人にヤっている暇はなかったのですが、本番の有無はこの際BLにおいて問題にはなりません。

 二人のファーストコンタクトはあまり良い物ではありませんでした。写字室でベレンガーリオが鼠に驚いたのを見て写字生が笑ったのにブチ切れたのです。

 ホルヘは笑いを悪魔の風と称して嫌っており、「フランシスコ会は笑いに寛容なようだがね」と嫌味まで言います。

 笑う奴は猿、キリストが笑った記録はないと笑いを散々こき下ろしますが、ウィリアムは元ボンドなので性欲とユーモアが過剰であり、聖人のユーモアの逸話を披露し、アリストテレスの「詩学」第二部には喜劇を肯定する内容が書いてあるとやり返します。

 しかし、第二部は実在がはっきりしないのでホルヘは最初から存在しないと突っ張り、ウィリアムが根負けしてしまいます。

 ホルヘはしばらく居ない扱いですが、こういう奴が真犯人なのはミステリーの定石です。

 ウィリアムは図書室でホルヘに詰め寄りますが、問題の「詩学」を持ってホルヘは逃走します。

 ウィリアムは何故喜劇論の数ある中でこの本だけを恐れるのかといますが、ホルヘは「アリストテレスだからだ」との答えです。笑いを聖職者が肯定すると信仰が揺らぎ、またアリストテレスは権威がありすぎるというわけです。

 追い詰められたホルヘは毒を塗った本を食べた挙句火に投げ込み、火事を起こして焼け死にます。命がけだけあって凄い演技です。この映画のベストアクトだと私は確信しています。

 本を食べるのは田中角栄先生の専売特許だとばかり思っていました。そして、あの人はホモの権力者にケツを差し出して票を集めた武勇伝で知られています。

 しかし、ウィリアムも言いましたが本を隠したところで笑いは人間の本能に組み込まれているのでなくなるはずがありません。私はここにやっぱり裏を見るのです。

 堅物のホルヘは信仰心は群を抜いています。聖書にイエスが笑う記述がないのを根拠に笑いを許さないホルヘが、明確に駄目と書いてある同性愛など許すはずがありません。

 しかし、笑いと同様性欲もまた本能です。思うに、ホルヘはホモのホモ嫌いなのではないでしょうか?

 ウィリアムにやたらと突っかかっていったのも愛です。ホルヘは盲目ですが、だとすればショーン・コネリーのあの格好良い声に惚れるのは無理からぬ話です。

 吹替は今回は若山弦蔵ではなく石田太郎ですが、石田太郎くらい知的なイケボはこの世に何人も居るものではありません。結果は同じ事です。

 しかし、信仰心がホルヘを素直にさせてくれないのです。笑いが信仰を否定するものだとすれば、ホモなど以ての外です。

 しかし、ホモの首都アテナイでホモライフを満喫していたアリストテレスはそうは言わないわけです。現存しないのでこの際大胆に予測しますが、「詩学」第二部には陰間茶屋の素晴らしさでも書いてあったのではないでしょうか?

 だとすれば笑いよりよっぽど危険です。もしこの本が残っていると知れれば大ニュースになり、ヨーロッパ中のインテリが修道院に押しかけてその内容に大喜びです。

 そしてアリストテレスはホモOKと言ってると広く知られた日には教皇も強く反対できなくなり、キリスト×ユダのBL小説が流布してヨーロッパ中のご婦人までも大悦びさせてしまうのは必定です。

 ホルヘにはそんな事は耐えられようはずがありません。ホモのホモ嫌いの動機として最も多いのは、他のホモがエンジョイしているのが許せないというケツの穴の小さい了見だと言われています。

 だからこそ聖書に駄目と書くまでもない殺人を犯してでも本を葬ろうとしたのです。ホルヘの捨て身の焼身自殺のおかげでその後500年にもわたってヨーロッパはホモのホモ嫌いで通すことが出来ました。本望でしょう。

 そして余談ではありますが、シャリアピン・シニアはオペラ歌手なれば、宮廷のやんごとなきホモのお誘いを受けるのは必定であり、ユスポフ侯あたりとヤっていても驚きません。まあ、そうだとすればユスポフ侯は女装趣味なので受けですが。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介します

ショーン・コネリー追悼特集
『レッドオクトーバーを追え!』
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 帝国ホテルのシャリアピンステーキというのを一回食べたいです

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