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第69回 関東テキヤ一家(1969 東映)

 夏は祭りの季節、とは言いながらこういう時節柄ですので何処へ行っても祭りなどお目にかかる事はありません。

 こういう時には祭りの映画です。というわけで、菅原文太のキャリアの分岐点である『関東テキヤ一家』でお送りします。

 菅原文太が南利明を連れてテキヤをする。ついでにライバルといちゃつき、女といちゃつき、腐った外道に親分を殺されて殴り込み。

 つまりは文太兄ぃの任侠映画というわけです。任侠映画と実録映画の過渡期にあたる作品であり、菅原文太にとっても監督の鈴木則文にとっても初期の代表作であり、ここから『仁義なき戦い』『トラック野郎』に繋がっていく歴史的意義の高い映画なのです。

 例にもよってプロデューサーの俊藤浩滋が本物に頼んで作り込んだテキヤリアルは注目すべき点であり、いつものヤクザ映画とは細かい所で色々違います。

 何より鈴木則文特有の笑いあり涙ありのアナーキーな娯楽性は既に完成されており、どういう見方をしても楽しめる完成度の高い映画になっています。健さんの映画の併映からのスタートでしたが、ヒットしてシリーズ5作が作られました。

 そして、本シリーズの文太兄ぃ硬派の極みであり、トルコどころか女を寄せ付けようとせず男にモテモテです。ホモ祭りです。

関東テキヤ一家を観よう!


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真面目に解説


ハイブリッドヤクザ映画
 ヤクザ映画には健さんの任侠文太兄ぃの実録があると散々説明してきましたが、本作は中間的な作りになっています。

 第一に、菅原文太が主演という事です。当時の東映は健さんと関係が悪化し、任侠映画自体も飽きられ始めていたので新しい人材とシリーズを求めていたのです。

 その一環で新東宝から移籍してきたものの役が付かずにいた菅原文太が引き上げられたわけです。この少し前に実録映画の源流の一つとされる『現代やくざ 与太者の掟』で初主演を果たしていて、この1969年が菅原文太飛躍の年となりました。

 話の筋は健さんの任侠映画を踏襲していますが、現代が舞台である点や、ギャグやお色気の要素が入っているあたりは健さん離れするための工夫の顕れであり、健さんの映画と同じ話とは絶対言えない作りです。


テキヤという存在
 しかし、何と言っても本作を特徴づけているのはテキヤが主役である事です。ヤクザには博徒、テキヤ、愚連隊、その他とあるわけですが、テキヤだけは映画になる機会に恵まれず、そういう意味でも本作は貴重です。

 ヤクザ映画に出てくるのは基本博徒か愚連隊であり、テキヤはそれらとは全く違った習性を持っています。

 第一に、テキヤは全うな商売人であるという意識です。ヤクザが何抜かすと思う方も多いでしょうが、テキヤの本分は露店を仕切り、また自ら露店を出す事です。

 本来これは立派な正業で、違法な賭博を本分とする博徒や、本分も糞もない愚連隊とは根本的に違います。従って喧嘩にも消極的で、テキヤの世界では喧嘩を「間違い」と称して戒めるのです。

 用語も普通のヤクザ映画とは違います。「縄張り」が「庭場」になり、「親分」が「帳元」になり、「若頭」が「実子分」になり、「代貸」が「帳脇」になり、初心者は混乱必至です。

 そもそもテキヤは任侠道ではなく神農道を標榜し、侠客が天照大神を信仰するのに対して神農を信仰しているので、東映名物やたらにリアルな盃事のシーンもいつもの形とはかなり違います。テキヤ式はああなのです。


楽しい菊水一家
 主人公国分勝(菅原文太)が身を置くのが浅草を庭場とする三代目菊水一家ですが、浅草の風景が今と大して変わっていないのが驚くべきポイントです。

 もっとも、シリーズを通して浅草のシーンは限定的です。テキヤは各地の大きな祭りを追って全国を転々とする旅商売なのです。

 任侠映画のお約束ではありますが、帳元の市井治助(嵐寛寿郎)は子分にも町の人々にも慕われて大変なカリスマを誇っています。

 同じ文太兄ぃが子分でカリスマではあっても『ダイナマイトどんどん』ではよぼよぼでしたが、当時のアラカンはまだ60代なので元気です。

 むしろ男の中の男ぶりでは国分を上回る勢いです。子分たちは市井に100%の忠誠を誓っており、浅草の街は幸せ一杯なのですが、これをぶち壊すことで話が進むのが任侠映画なのです。


ヤクザの正統性
 任侠映画はこういうカタギ衆にも信頼される良いヤクザ悪いヤクザに嫌がらせされて最終的に殴り込みで〆になるわけですが、本作もこれを踏襲しています。

 今回の悪い組担当が菊水一家と縄張りを接している行儀の悪い源田組です。そりゃあもう救いようのない外道で、どうしてヤクザ社会で組として認められているのか不思議なレベルです。

 特攻隊崩れの源田(渡辺文雄)が戦後のどさくさに大きくした組ですが、そういう経緯なのでテキヤ社会では愚連隊呼ばわりされて軽く見られています。

 ヤクザ、わけてもテキヤはこういう格式を大事にするので、それが面白くなくて源田はいじけて凶暴化している側面があります。

 そこで菊水一家と同じく浅草に根を張る大物の銭村(河津清三郎)と結託して後ろ盾になってもらい、神農睦会なるテキヤの連合会を作ってテキヤを支配しようと狙うのです。


代紋違いの幼馴染
 源田組には国分の幼馴染の時枝(寺島達夫)が居ます。寺島達夫は元東映フライヤーズの選手で、新東宝で菅原文太と一緒にハンサム・タワーズと称して売り出だされた間柄なのでしっくり来てます。

 幼馴染なのに組が敵同士。これはもう揉め事が起きないはずがありません。『県警対組織暴力』の室田日出男と山城新伍はヤクザと警官に別れてしまいましたが、こういうヤクザ同士のパターンもやはり田舎の方では少なくありません。

 私は高知出身なので、山一抗争の折には友達同士が敵味方に分かれて抗争をしたという悲話も幾つか聞いたことがあります。あの件は組が分裂した結果なので余計哀しいものがあります。

 この時枝が菊水一家と源田組の板挟みになり、調停をしようとして苦しむ様はこの映画最大の見せ場かもしれません。


お控えなすって
 国分は喧嘩早いのを市井に心配されていますが、神農道を大事にしていて下の者への面倒見も良く、商売と仁義を切るのも上手いので一目置かれています。

 映画は国分が弟分に仁義の切り方を教えるシーンから始まります。仁義と書いてメンツと読むのがポイントです。

 本作より数か月早く封切られた『男はつらいよ』で「私生まれも育ちも葛飾柴又」とかますあれです。

 これを単なるヤクザのオサレな挨拶と思っている人が多いです。実際その側面はありますが、単なる挨拶という軽々しいものではなく、国分の言葉を借りると「一家の金看板がかかった手形」なのです。

 旅を打つ渡世人は道中で土地の一家に立ち寄ってこの仁義を切るわけですが、口上やその前後にも色々と細かい作法があり、間違える事は許されません。間違えると殺されても文句を言えない建前になっています。

 その代わり、正しく仁義を切った相手には一宿一飯の恩義といくらかの草鞋銭を与える事になっています。これは彼らの相互扶助であり、仁義はその為の暗号でもあるのです。

 なので国分は仁義が上手いという事になっていますが、明らかに寅さんよりぎこちないのが見て取れます。これは格好良さより正確さが大事というテキヤリアルなのです。

 もっとも、現実には本作の作られた頃にはヤクザ社会も合理化の波が押し寄せ、名刺で事足りるようになってしまい、今ではヤクザの旅自体存在するかも怪しい過去の風習です。


浅草の香り
 国分を兄貴と呼び慕って行動を共にするのが名古屋弁でギャグ要員の佐賀五郎(南利明)です。

 「ハヤシもあるでよ」で有名なあの人です。喜劇役者であって映画俳優ではないのですが実にいい味を出しています。これが縁で鈴木則文作品の常連になり、『トラック野郎』シリーズの大半に出演を果たしています。

 硬派な兄貴分国分とアホの子の弟分五郎の凸凹コンビが一番星とジョナサンのように毎回盛り上げる、と言いたいところですが、五郎は相棒というよりコメディリリーフです。

 しかし、その使い捨ての相棒(毎回死ぬ)というのが東映実録映画を支えたスターたちなので、やはりこの映画は歴史的に有意義なのです。

 また、本シリーズの特徴はこの人の人脈があってか毎回喜劇役者が美味しい役でゲスト出演します。

 本作だとスケベ刑事役の由利徹がそうですが、この人もまた『トラック野郎』の常連です。あのシリーズの型は本作を元に作られているわけです。


旅するテキヤ
 国分と五郎は女狂いで謹慎していた引地(待田京介)と一緒に群馬から福島にかけての祭りを巡る旅に出ます。各一家は自分の庭場での大きな祭りに地元の露天商に混じってこのように各地の一家に露店を出す場所を提供することで相互扶助を行うのです。

 当然国分たちは店を出して自ら啖呵売を行います。何しろインテリの菅原文太なので上手いという設定になっていますが無理があります。というより、渥美清がハードルを上げ過ぎたのです。

 こうした祭りを高町と称し、露店を転び売る物をネタと称します。ガセネタというのは素人目にはそれらしく見える粗悪品の事で、昔はガセネタを作る専門の業者さえあったそうです。

 国分達が向かった群馬の松井田を仕切っているのが女親分の明石操(桜町弘子)です。九州弁じゃないですがこの辺は完全に『緋牡丹博徒』を狙っており、鈴木則文の趣味です。

 これにちょっかいをかけるのが源田組と兄弟分になる矢倉(天津敏)で、流石に悪い方の組は東映選りすぐりの悪そうな人が揃っています。

 更に市井の兄弟分の大島(大木実)が絡んできますが、こっちは大木実のくせに味方サイドで、一応型通りの任侠映画から一歩踏み出そうとしていたのかもしれません。珍しいパターンです。


華の女子プロレス
 国分の一行は群馬のへ行く途中にトミ子(石井富子)なるマネージャーが率いる女子プロレスの一行を拾い、一緒に連れて行って興行を打つのが話の中盤のキーになります。

 全日本女子プロレスが全面協力し、当時のトップレスラーが出演しています。当時の女子プロレスの映像はほとんど残っていないので、本作には資料的価値もあります。

 嫌がらせに来た矢倉の子分をレスラーたちがリング上でぶちのめすシーンに注目してください。プロレスなんて八百長だと言う人もありましょうが、それだけにプロレス技は互いの信頼関係が無いと事故を引き起こし危険なのです。

 それをバンバン受けちゃうのが東映大部屋役者の心意気であり、先頭に立っている川谷拓三の特殊技能なのです。我らが拓ボンはこうやって地位を築いたわけですが、相手の技を盛大に食らい続けるのは実はプロレスの世界では定番の出世法なのです。

 ちなみに、国分は極度の女嫌いなので女子プロレスに関わるのをちょっと嫌そうにしていましたが、菅原文太は大のプロレス好きであり、わざわざプロレスラーを借りてきて付き人にするほどでした。


反トルコ主義
 健さんの向こうを張ってホモ一歩手前の超硬派を志向する国分ですが、露天商の娘で昔馴染みの志津(土田早苗)なる娘と久しぶりに再会すると様子がおかしくなります。

 健さんもストーリーの必要上一人だけカタギの女を好きになります。それがこの志津なのです。まあ20歳の土田早苗ですから多少ホモでも無理からぬ話であります。

 しかし、国分は硬派な上にプロトタイプ桃次郎なのでこの恋はすんなりいかず、非常にややこしい事態になってしまいます。


喧嘩仁義
 最後は重要人物が軒並み殺されて国分が殴り込むわけです。これを外しちゃお客さんが許しません。

 メインウェポンが刃物なのも、ゲストスターが助っ人に来るのも同じですが、血の量が多かったり、カメラワークや殺陣に作家性が感じられたりと、後の実録路線のエッセンスがところどころに感じられます。

 そして国分は「喧嘩仁義(ゴロメンツ)」は省かせてもらうぜと前置きするのがお約束です。この読みは防御をしないヤクザのオリジナルではなかったのです。そもそも、あの人のモデルは愚連隊です。

 そして、シリーズ通して喧嘩仁義は聞けず終いなのがちょっと面白い所です。

BL的に解説


市井×国分
 『ダイナマイトどんどん』と同じ構図になってしまいますが、菊水一家の市井ラブは度を越しています。アラカンの夜のチャンバラで浅草新劇場は今夜もハッテン場に変身するのです。

 特に国分の忠誠心は飛びぬけています。国分の忠誠心がストーリーの軸になるのです。

 仁義の下手な下の者に怒鳴り散らし、「仁義は金看板をかけた手形だ」と叱るのも下より上を見た発言です。市井の顔に泥を塗られるのが許せないのです。

 口より先に手が出るのは悪い癖だと市井に叱られて謝る国分の姿は主君と小姓そのものです。市井は国分が可愛くて仕方がないからこそ国分の悪い癖を叱るのであり、国分もまた市井への愛が行き過ぎて手が出るのです。

 市井への襲撃と源田組との抗争を目前にし、国分は責任を感じて殴り込みを志願します。しかし、市井は露天商が流れ弾で死んだ事を問題にし、組の問題ではないと許しません。

 しかし、これでハイ分かりましたと言う国分ではないので抜け駆けで殴り込みに行きます。引地と五郎が察知して同行するのが菊水一家の菊花の契りの激しさを物語っています。

 時枝が立ちはだかりますが、そこへ国分の行動を察知した市井が追いかけてきて、時枝の詫びを受け入れて手打ちを決定します。

 そして市井は「テキヤは暴力団ではなく商人だ」とテキヤ哲学を披露し国分に「お前にしては良い友達を持った」と褒めちゃいます。あまりの名親分ぶりにもう国分は濡れ濡れです。

 国分は旅に出発しますが、市井はドスに封印を施し、旅中の喧嘩を禁じ、「腹が立ったらこのドスを見て俺の顔を見て思い出せ」とくらくらするようなことを言います。

 こんなの実質射精管理です。夜のチャンバラ王アラカンはアブノーマルプレイもお手の物なのです。しかし、国分にとってはそれが快感なのです。

 旅で何度も国分は喧嘩を吹っかけられながらもドスを見て我慢します。半端ではない愛です。

 市井の子分への愛も半端ではなく、源田組に殴り込んで死んだ引地の死体を前に涙ながらに「もう二度とこんな思いは誰にもさせたかねえ」と言って庭場を露天商に返すことを宣言します。

 しかし、市井は銭村とその話し合いをしに行く車中、源田の子分に車で並走されて射殺されます。

 市井に倣って庭場を返納するつもりだった明石と大島が駆けつけてきて、二人で交渉すると言いますが、国分は遂に封印を切り、国枝の家を訪ねて源田たちが会合をしている料亭に殴り込みます。

 明石と大島も助っ人に来て盛大に殺しまくり、見事三悪を殺して本懐を遂げます。安保推進大会と称する右翼の演説会のポスターが一杯張ってあるところで殺してポスターを血まみれにするのが鈴木則文のアナーキズムです。

 国分はいくら切られても死なずに旅を続けますが、徹頭徹尾市井の子分を名乗り続け、墓参りもします。国分はどこまで行っても市井の物なのです。

国分×引地
 女狂いで謹慎を命じられていた引地を、旅に連れていくように申し出て救ったのが国分でした。

 何故か?国分は引地が好きなのです。しかし、自分だけを見ていてほしい国分の思いと裏腹に引地は女狂いなので二人はしばしば衝突します。ケンカップルです。

 男を磨き直すチャンスだの、自分が責任を持つだのと大層な事を言って市井の許可を取付け、謹慎中の癖にクラブで踊り狂っている引地を引っ張っていこうとします。

 極度の硬派である国分に対し、引地は軟派そのものですので一緒に踊ろうなどと言って殴られてしまうのです。

 国分の「人の気も知らねえで」と怒る国分を殴り返す引地。殴り合いの痴話喧嘩になってもバンドが動じず陽気な菊地俊介サウンドを奏で続けるのがマカロニウエスタン風です。

 しかし、五郎が表で源田組がカタギをいじめていると知らせるや二人で源田組のチンピラをぶちのめしてしまうのですから、二人の仲はその実強固です。

 旅に出ると引地は女狂いの評判が嘘のように真面目にやります。矢倉の興行を妨害して国分がリンチされる一幕もありましたが、却って絆は深まってしまうのです。

 ところが、リンチで当面安静の国分と女子プロレスに引っ付いて行ってしまった五郎を残して引地が志津と母親(東龍子)を連れて旅に出たのが間違いの下でした。

 二人は同じ岩手の生まれと知り急激に接近します。悪い事に志津は国分を兄のように思っていたのです。肉食女子志津は引地に迫り、デキてしまうのです。

 大島が仕切る福島で国分は引地たちに合流しますが、二人がデキているのを見て引地を河原に連れ出し、「志津ちゃんみたいないい娘をおもちゃにしやがって」男のジェラシーをむき出しにして怒ります。

 引地は今回は真剣だと弁明しますが、国分と来たら「お前本気で女に惚れた事があるのかよ」根拠なく逆上して殴り掛かる有様です。

 何を言っても殴ります。健さんは絶対やらない女々しい行為です。完全に桃次郎モードです。土田早苗も出てましたし。

 しかし、夫婦の約束をしたと聞いて負けを悟り、「幸せにしねえと承知しねえぞ」と軌道修正します。

 これはもうホークス的三角関係です。つまり、志津はコンドームじゃないとしても国分と引地の間には友情では説明のつかない絆があるのです。

 東京へ帰って二世代同棲を始めて幸せいっぱいの引地ですが、そんな矢先に国枝の市井暗殺未遂事件が発生し、国分が殴り込みに行こうとします。

 しかし、引地は市井に背いてはいけないと諭して止めようとします。引地もまた市井ラブには違いないのです。

 挙句の果てに「今まで俺に尽くしてくれたお前の気持ちはどうなるんだ」分かったような分からないような、しかしとてつもなく重い事を言って止めます。

 それでも国分は言う事を聞かないので、引地は国分をぶん殴って気絶させ、こうしないと俺の男が立たねえと言い残し、志津達を遠目に見て最後の別れをし、源田組に盛大に殴り込みます。

 しかし、待田京介はやはり健さんより一枚落ちるので源田を殺すに至らず、仏になって一家に帰ってきます。

 国分は涙ながらに自分に封印を切らせまいとして身代わりになったと語れば、市井もこれには思わず目に涙を浮かべます。

 結局国分は志津と引っ付くことはなく、彼女は使い捨てヒロインで終わりました。引地の女に手を付けるなど、国分に出来ようはずがないのです。


国分×時枝
 源田組のチンピラの悪行に立ち向かった国分と引地に慌てて止めに入ったのがチンピラの兄貴分である時枝でした。

 国分はドスまで持って殺すか殺されるかの体勢を整えていたというのに、国枝の仲裁であっさり引き下がるあたり二人は本当の親友だったのでしょう。

 しかし、源田は外道なのでチンピラたちに報復を命じます。そしてあろうことか浅草寺の縁日の人だかりの中で拳銃で市井を襲撃します。市井は腕に弾を食らっただけで命拾いしましたが、露天商の爺さんが流れ弾で死に、抗争寸前になります。

 市井が止めるのも聞かず早々と殴り込みに行こうとする国分に立ちふさがったのが時枝でした。

 市井に取り次いでくれと頼む時枝ですが、源田を殺しに行くつもりの国分はこれを当然拒否。しかし、時枝は「どうしても行くなら俺を殺してから行ってくれ」と重い事を言い出します。

 そこへ市井が国分を追いかけて来たので時枝は詫び、市井は許す。そして「良い友達を持ったな」とお褒めの言葉が出ます。

 市井もゲイの本場浅草の親分なれば、男同士の機微には明るいわけです。国分と時枝の秘めたる関係を見抜き、そのひょうたん池のようにデカい器で仲人をしたのです。

 張れて公認の仲となった二人は時枝のアパートで時枝の奥さん(岡田千代)と息子をほったらかして二人きりの世界に浸ります。

 時枝は亭主関白を炸裂させて惚れている女が居るなら紹介しろなどとウキウキです。しかし、任侠映画で妻子持ちは死亡フラグです。女はコンドームなのです。

 源田と矢倉の盃の為に群馬まで付いて来た時枝は、国分を源田が私怨丸出しでリンチするのを見て複雑な表情を浮かべ、責任を感じてしまい見舞いに行きます。

 志津との仲を冷やかされて「そんなんじゃねえよ」と国分は小学校高学年レベルです。何しろ国分は超硬派なので、同様に愛している国枝の手前気まずいのです。

 しかし、神農睦会結成を市井の反対で阻止された源田は市井暗殺を時枝に命じます。

 菊水一家を訪れた時枝は市井との面会を申し出て市井にドスを向けます。これはヤクザ社会でも反則です。

 国分は必至に時枝を止めようとしますが、ドスの封印があるのでたじろいでいるうちに他の組員が駆けつけてきて時枝を刺し殺します。それを見て「馬鹿野郎」と涙を流す国分。あまりに哀しい幕切れです。

 遂に殴りに行く国分が最後に訪ねたのは国枝の家でした。最後に国枝を拝んで死地に赴くつもりだったのですが、奥さんはこれを拒否します。

 おまけに息子は国分に「お父ちゃんいつ帰ってくるの」と笑顔で聞くものですからたまりません。財布を残して退散です。これで国分が死ねば蓮の葉の上で盛るとか何とか言って取り繕う道があるのですが、国分は死なずにシリーズが続くのです。

源田×国枝
 源田は外道ではありますが、特攻隊の生き残りで闇市で修羅場をくぐって組を大きくしてきた傑物でもあります。

 当然人に言えない苦労もしてきたでしょう。金子信雄なら200%連れているはずの愛人も居る気配がありません。つまり、源田はホモなのです。

 時枝は戦災孤児であり、飢えて街をさまよっているところを源田が銀シャリを与え、引き取って育てた自慢の子分です。まさに食いしん坊万歳というわけです。

 嫌な話ですが、こういう経歴のヤクザは珍しい物ではありません。しかし、BLとなれば当然ここは食わせてやった代わりにお前を食わせろという展開になるのです。

 あのシャリの白さが今でも目から離れねえとは時枝の弁ですが、他の白さも目から離れねえわけです。恐らく他の子分達もそうなのでしょう。つまり、源田組は源田の大奥なのです。

 菊水一家との不利な抗争を前にして時枝は仲裁を申し出ますが、源田は成り上がりと蔑まれても力でのし上がって来たと歪んだコンプレックスをまぶした特攻精神を吐露します。

 そういう本音を吐けるくらい源田は国枝に心を許しているという事です。しかし、源田の外道ぶりと国分との友情が源田への忠誠を揺るがせます。

 その矢先に国枝は絶対に生きて帰れない市井暗殺を命令され、失敗して命を落とします。何故こんな死にに行くも同然の仕事を源田はやらせたのか?

 国分と友達だから油断するかもというのが表向きの理由ですが、私の解釈は当然違います。ホモのジェラシーです。

 国枝の心が国分に、ひいては市井に傾いているのを源田は見抜いていたのです。可愛さ余って憎さ百倍。共倒れにして葬ってやろうという訳です。

 しかし、そんな卑怯な源田の行いに怒った国分によって源田は葬られたのですから、ケツの穴の小さい奴は駄目という教訓です。

国分×五郎
 五郎は常に二番手三番手であり、殴り込みにも参加できないコンドーム、というのは近視眼的発想です。

 今回の助っ人陣は大物なので生き残りましたが、以後のシリーズで一緒に殴り込みに行く池辺良枠は全員死ぬのです。

 ヒロインも使い捨て、旅先の親分衆も使い捨て、しかし、五郎だけは常に国分と共にあります。そう、五郎こそ国分の正妻なのです。

 国分が市井ラブでイキるように五郎も国分ラブでイキるのですから、菊水一家はまさに菊花の契りで鋼のケツ束を築いているのです。

 頼りない五郎と旅に出るのを国分は嫌がりますが、五郎と来たら「兄貴の男らしさに全てを捧げてもええ」などと剛速球をかまして抱き着いて気持ち悪がられる有様です。

 しかし、何だかんだと言いつつ国分もドジな五郎を大事にします。この辺の相性が五郎の正妻ポジションの根幹になっているのです。

 五郎は最後は国分が自分に帰って来るのを知っているので他の男いちゃついていても平気です。国分に惚れた男は死あるのみなのですから。

 五郎が引地と共謀して女子プロレスをキャンセルしてストリップを興行する矢倉の劇場に偽刑事として潜り込み、捕まった時には商売を放り出して駆けつけて救出します。

 しかし、ドスは封印されています。それをおもんばかって五郎は「俺の事はどうでもいいでよ」と捨て身の愛です。

 国分も国分で煮るなり焼くなりとリンチを肩代わりするのです。この二人の愛はもはや深すぎていちいち表面化しないレベルに到達しています。

 これを最後に五郎は女子プロレスに付いて行ってしまい作中から姿を消しますが、次作以降も毎回現れて国分といちゃつく事でギャグパートを引き締めます。

 生き残った者が勝ちです。五郎は生きている限り国分にどんどん近づいて行けるのです。

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 草鞋銭程度でいいんで

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