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第65回 赤い河(1948 米)

 さて、本日6月11日はミスター・アメリカことジョン・ウェインの命日です。

 ポリコレの問題でジョン・ウェインの評価は揺れていますが、それでも古き良きアメリカの象徴、男らしさの世界チャンピオン、そして何より西部劇のスーパースターであった氏の功績は計り知れないものがあります。

 と言うわけで、今回はジョン・ウェインの代表作の一本であり、西部劇の一つの到達点とも言うべき名作『赤い河』でお送りします。

 牧場主のジョン・ウェインがモンゴメリー・クリフトやウォルター・ブレナン達を引き連れて1万頭もの牛を輸送するスペクタクルを西部劇の巨匠、ハワード・ホークスが描く映画史上においても特筆すべき一本です。

 荒唐無稽で非生産的なマカロニウエスタンとは全く異質な、困難に立ち向かう(白人視点で)古き良きアメリカの開拓者精神を体現する典型的な西部劇であり、西部劇に求められる要素は全て詰まった入門編としてはまず最適の作品です。

 そして、古き良きアメリカの開拓者精神とはホモソーシャルの極致であり、ジョン・ウェインは世界最強の俺様であり、その出演作は差別云々を抜きにすれば極めて上質なBLなのです。

 しかも、ジョン・ウェインの小姓役のモンゴメリー・ウッドは本当にバイセクシャルなのです。

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真面目に解説

古典的西部劇
 ヤクザ映画に健さんの(任侠)と文太兄ぃの(実録)があり、西部劇も同様にジョン・ウェインとイーストウッドのがあるとは『夕陽のガンマン』でも説明したと思います。

 イーストウッドの出るようなマカロニウエスタンはお色気と暴力が売り物の開き直った娯楽映画ですが、ジョン・ウェインの時代の古典的な西部劇は全く違った性質のものなのです。

 古典的西部劇とはアメリカの建国神話と言えます。男の中の男が開拓者精神を頼みに西部の大自然を切り開き、あるいは町に巣食う悪を打ち倒す、そういう類の話です。

 西部劇自体は映画の歴史の始まりとほぼ同時に作られ始めましたが、40年代からら50年代にかけてが黄金時代と呼ばれ、この時期に作られたものが概ね西部劇のスタンダードとみなされます。

 そういう時代に生まれ、アメフト出身でガタイが良く、男性ホルモン過剰としか言いようのない男臭い容貌のジョン・ウェインがスターになるのは当然の帰結であり、まさにジョン・ウェインは時代が求めた男だったわけです。


カウボーイのお仕事
 イーストウッドやジェンマの演じるガンマンは基本的に単なるごろつきですが、ジョン・ウェイン達は開拓精神と正業を持っています。これが両者の決定的な違いです。

 本作はジョン・ウェイン演じるトーマス・ダンソンが開拓団を旧友のナディン・グルート(ウォルター・ブレナン)と抜け出して、孤児のマット(モンゴメリー・クリフト)を養子にしてテキサスに牧場を開くところから始まります。

 2頭の牛でスタートした牧場は十数年で1万頭にまで巨大化し、その牛を売る為に遠くミズーリまで1000マイルの道のりを牧場総出で牛を運んでいくのがストーリーの軸です。

 既にジョン・ウェインもハワード・ホークスも西部劇のトップランナーでしたので、本当に大量の牛が集められて撮られた輸送シーンは目を見張るものがあります。

 CGなしでこれを撮るのは今ではほぼ不可能なはずで、『ベン・ハー』の戦車競走のシーンのようなオーパーツ的な映画なのです。

 所謂雲待ちが何回も行われたのでも有名です。何しろ天気は人にコントロールできないので、理想の雲を求めて草原を走り回る羽目になり、撮影期間は長期に渡りました。これも今ではCGで済ます作業です。


肉食系アメリカ人
 このような牛の大輸送をロングトレイルと称します。牛の群れをコントロールしながら道路事情の悪い西部を進んでいくのは大変な難行であり、その上災害や襲撃の危険が付き纏う仕事です。

 それでもこのロングトレイルが盛んに行われたのはひとえに儲かったからです。この辺は当時のアメリカの社会情勢を理解しておかないと読み解けません。

 作中の時代は南北戦争の直後、東部やカリフォルニアが都市化して人口が急激に増えていた時期に当たります。つまり、都会には人が増えた分だけ肉の需要があるわけです。

 一方西部では南北戦争が終わったおかげで肉を食う兵隊が居なくなり、戦乱と奴隷制の廃止が重なって景気も悪く、牛が余っていました。というわけで、どうにか鉄道駅のある所まで牛を運んで行って都会に出荷すれば牛が高値で売れたのです。

 最初は牛が余って「1頭3セントにもならん」と嘆いていたのに、いざ売る段になれば1頭が21ドル(カウボーイの日当が1/3ドル)にもなってしまいます。

 凄まじい利益率ですがこれは大げさな数字ではありません。というよりも、本作は原作が付いていて実話がベースになっているのです。


ジョン・ウェインはなろう系
 ジョン・ウェインのキャラ造形は基本的に決まっています。殴り合いでも銃撃戦でも勝率ほぼ100%、情に篤くて面倒見が良く、如何なる困難にも屈さないタフガイです。

 と言って万能超人ではなく、己の強さの裏返しで頑固で仲間にも厳しすぎるためしばしば仲間割れを起こし、女性を大事にするあまり二言目には「女は駄目だ」と言ってホモソーシャル丸出しです。

 つまり、ジョン・ウェインとは最強の頑固オヤジであり、これが当時のアメリカの白人の理想とする男性像だったのです。

 しかしながら近頃流行りのポリコレとの相性は最悪で、ジョン・ウェインを否定する流れが出来つつあります。

 ですが、ジョン・ウェインをソフトにしたような主人公が活躍するなろう系が流行している今こそ、むしろジョン・ウェインは評価されるべきだと私は思うのです。

 ダンソンは正調のジョン・ウェインであり、ひとつがいの牛を連れて牧場を切り開き、敵対者との抗争(殺し合い)を幾度も切り抜けて大牧場に成長させ、マットを後継者として我が子同然に育て、1万頭の牛の輸送という大事業にも果敢に立ち向かう男の中の男です。

 そしてその男の中の男ぶりが却って裏目に出てトラブルが起きるのがジョン・ウェインの西部劇なのです。


二枚目はミステリアスに

 ダンソンの自慢の養子がモンゴメリー・クリフト演じるマットです。クリフトは早世したので若い映画ファンには知られていませんが、非常に高い演技力と二枚目のマスクを兼ね備えた名優です。

 クリフトは元々ブロードウェイで高い評価を得ていた舞台俳優でした。当然ハリウッドからお誘いがかかるわけですが、クリフトは変わり者で、この誘いを何回も断わり、本作でようやく引き受けたのです。

 ダンソンの後継者としてカウボーイスキルと男気を余すことなく継承しながら、根がダンソンより優しいので衝突するという難しい役どころですが、これをあの二枚目でやってのけるのがクリフトの底力なのです。

 本作で高い評価を得てキャリアを重ねていきますが、変わり者が過ぎて良いオファーを断る事も多く、交通事故やドラッグで身を持ち崩して50前に人生を終えました。

 晩年の彼はエリザベス・テイラーのヒモのような暮らしをしていましたが、そういうミステリアスな所がクリフトの耽美な魅力を際立てているのも確かです。


おやっさんには「はなし」上手
 ジョン・ウェイン作品に限った話ではありませんが、当時の西部劇に欠かせざる要素が主人公達を年長者の立場から支えるおやっさんの存在です。

 ダンソンの旧友で優秀なコックでもあるグルートを演じるウォルター・ブレナンはまさにおやっさん枠の頂点に位置する西部劇の陰の立役者です。

 史上唯一助演だけで三回オスカーを獲得した歴史的バイプレイヤーであり、ヴォードヴィル出身なのでコミカルな演技に強い、見かけると得した気になるタイプの役者です。

 そして、ブレナンの役者としての決定的な特徴は歯がない事です。馬に蹴られるという痛々しい事故で総入れ歯になってしまったのですが、これを逆手にとって役柄に生かし、唯一無二の個性に昇華させたのです。

 本作でもブレナンの総入れ歯は特徴的に活用され、重苦しい空気になりそうな原作をコミカルなムードで中和しているのです。


ウエスタンピラニア
 ダンソン達を取り巻く脇役にも個性的な面々が揃えられています。何と言ってもスターだけで映画は出来ないのです。

 特に印象深いのはダンソンの輸送に相乗りする近所の牧場主に雇われていたチェリー(ジョン・アイアランド)です。

 マットと銃で張り合うライバル枠で、『紳士は金髪がお好き』で有名なトミー・ヌーナンの異父兄であるアイアランドの初期のキャリアを代表する役になりました。二人の爽やかなライバル関係は非常に尊く、BL的の方に譲ります。

 もう一人、スクリーン外の事も相まって注目したいのがダンソンに雇われたカウボーイのラティマ―を演じるハリー・ケリー・ジュニアと、牛の買い主であるメルヴィル演じるハリー・ケリー・シニアの親子です。

 シニアはサイレント時代から活躍してきたジョン・ウェインより一世代前のスターであり、最晩年の当時はちょい役でオールドファンを喜ばせる役割を負っていました。

 そして、息子のジュニアは歌手志望でしたがこれを断念して本作で初めて本格的な役を貰い、最初で最後の親子共演を果たしました。

 これ以降ジュニアはホークスとシニアの盟友だったジョン・フォードに可愛がられて順調にキャリアを重ね、見事に跡継ぎをやってのけたのです。

 ちなみに、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』で酒場にたむろしている爺さんの一人が彼です。


先住民の色々
 ジョン・ウェインが悪く言われる要因が人種差別の問題です。というよりも、当時の西部劇は今のポリコレの基準から言えば許されざる代物なのです。

 そもそも西部開拓とは先住民から土地を取り上げる行為であり、西部劇においてインディアン(今後西部劇絡みでは敢えてこう表記する)は典型的な悪役です。

 派手な羽飾りをつけてアワアワと叫び、白人を馬で囲んでぐるぐると走りながら襲い、捕まえた白人の頭の皮を剥ぎ取り、最後は騎兵隊にやっつけられ、たまに出て来る話し合いの通じるインディアンは片言で「インディアン嘘つかない」と言う。つまり、住民の実態と沿わないステレオタイプはそのまま西部劇から直輸入されたものなのです。

 先住民は部族によってそれぞれ違う文化を持ち、また先住民にしてみれば後から来て土地を乗っ取る白人こそ悪です。なのに故郷を追いやられて映画で適当なディティールで悪者扱いされるのですから、先住民にしてみれば面白かろうはずがないのです。

 役者の方も問題でした。ダンソンに雇われたインディアンのカウボーイであるツー・ジョー・クオ演じるチーフ・ヨウラテは当時の西部劇の常連俳優で本物の先住民でしたが、インディアン役はフィリピン人辺りで間に合わせられることが多かったのです。今風に言えば「文化の盗用」というわけです。

 この件は人権意識の高まりとともに問題となり、西部劇が作られなくなる遠因となりました。昨今の西部劇のインディアンは先住民の文化と人権を尊重するキャラクター造形になるよう配慮されています。

 しかし、先住民の人権団体に言わせれば『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でも不十分であり、ポカホンタスは浦安でハブられてしまうのですから、これは日本人の感覚ではとても理解の及ばない難しい問題なのです。


白い西部
 インディアン同様に悪く描かれるのがメキシコ人です。とりわけ本作のようにテキサスが舞台の西部劇では地理的にも政治的にも因縁が深いので悪役として大活躍です。

 本作でもダンソンの牧場に「スペイン王から先祖が土地を受け継いだ」と称するメキシコ人がいちゃもんを付けに来ます。

 これに対して「インディアンから奪ったんだから今度はこっちの番だ」とダンソンが居直って銃で分からせるのが当時のアメリカの白人の倫理観なのです。

 そして、当時の西部劇に黒人はまず出てきません。と言うよりも当時のハリウッド映画にジャズミュージシャン以外の黒人が出てくること自体が稀な事でした。

 西部劇は娯楽映画なれば、奴隷制という深刻極まるテーマにはにおいそれと触れることが出来ませんし、また客の大半を占める白人も黒人の活躍する映画を望んでいませんでした。

 ちょっと開拓する場所が変わりますが『スタートレック』はここから一歩進んで、クルーを人種性別不問にした事が今でも高く評価されています。しかし、人種差別の激しい南部ではこれが不評でした。それがアメリカの病巣なのです。

 現実の西部で差別はあったにせよ人手は貴重な財産であり、カウボーイの半分までは黒人や先住民であったと言いますので、白人だけの西部劇は事情が複雑にせよ考証的には大間違いなのです。

 今やどんな映画でも黒人を一人は入れるように配慮され、それが新たな問題を呼んでいるのですから、とにかく人種とは難しいものです。


夢のホークス的女性像
 もう一つ西部劇が忌避される理由が女性の雑な扱いです。「私も戦う」と申し出る勇気ある女性をジョン・ウェインが「女は駄目だ」と拒絶するのが一つの型でさえあります。

 こういうノリの根底に女性蔑視がなかったとは言いませんが、少なくとも建前上は男たるものご婦人を危険に晒してはいけないという精神から来ている物です。

 男が身体を張り、女はサポートに回る。男らしさ、女らしさを大切にするのがカウボーイであり、この精神がカウボーイの子孫たる共和党のイデオロギーに直結しているのです。

 ところがハワード・ホークスは一味違います。ここから一歩進めてそれで引き下がらないメインヒロインという新ジャンルを作り出したのです。

 ダンソンの恋人のフェン(コリーン・グレイ)は女を危険に晒したくないダンソンの言葉に従って開拓団に残りますが、輸送中にマットが出会った踊り子のテス(ジョアン・ドルー)は違いました。

 インディアンの襲撃に自ら銃を取って立ち向かい、衝突するマットとダンソンに互角の物言いで助言を与え、大きくストーリーを動かします。彼女なくしてストーリーは収束しなかったでしょう。

 この種の口が立って肉食系の良い女はホークス的女性像と言われ、後の創作の世界に大きな影響を与える画期的な発明でした。アメリカの良い女の定義を塗り替えたのです。

 ホークス的女性像にあたるヒロインはホモソーシャルの極致のような映画であっても決してコンドーム扱いされず、むしろ積極的に二人の関係に介入してきます。この組み合わせを称してホークス的三角関係と称します。

 ちなみにグレイはホークス的女性像を体現した女優として本作以降人気者になり、アイアランドと結婚しました。大昔の横浜に居たダメ外人のラコックは二人の甥っ子に当たります。


男のブランド
 本作においてキーアイテムとなるのが牛に施す烙印です。日本で押されている牛馬を見かける事は稀ですが、焼き鏝で家畜の所有者を示す印を付けるものです。

 ダンソンは開拓地の近くを流れるレッドリバーに自分のイニシャルのDを添えた烙印を自分の牛に押します。これが西部においては家畜の所有権の根拠になるのです。

 烙印の偽造も行われ、鑑定家が職業として成立するほど重視されました。サミュエル・マーベリックという高名な牧場主は敢えて自分の牛に烙印をしない方針を貫き、この事から一匹狼気質の人物を英語で「マーベリック」と呼ぶのです。

 また、烙印を英語で言うと「ブランド」であり、これが一般に使われるブランドという言葉の語源でもあります。牛は生きていても皮になってもブランドからは縁が切れないのです。


耳に精子が詰まる

 さて、音楽も本作は非常に印象的です。モリコーネはセルジオをほったらかしてアメリカまでは来てくれませんが、アメリカにだって立派な作曲家は大勢いるのです。

 本作を担当したのはディミトリ・ティオムキン。オスカー受賞4回という巨匠ですが、日本で一番有名なのは『ローハイド』でしょう。

 クラシック畑から来た人なので格調高い、雄大な音楽がこの人の持ち味です。西部の大自然を表現するにはうってつけというわけです。画やセリフに音楽を合わせる技術の高さもこの人の特徴です。

 そして、西部劇のお約束として男声合唱が多用されます。西部劇は開拓者という男の中の男の賛歌なれば、女の声は不純物なのです。

 この手法はディミトリ・ティオムキンが亡命ロシア人である事と無関係ではないでしょう。男声合唱は古くからロシアの得意分野であり、ハリウッド映画でロシアのシーンがあれば取りあえず赤の広場で男声合唱です。

 とにかく、大自然の驚異と闘う男を象徴するのが男声合唱であり、これはマカロニウエスタンにもちゃんと受け継がれている伝統なのです。


男に言葉は要らない
 マカロニウエスタンと古典的西部劇の最も決定的な違いはストーリーの締め方です。

 マカロニウエスタンは盛大に銃撃戦をやってトリッキーなガンアクションで大ボスを始末して決着となるのが普通です。

 一方、ジョン・ウェインは男の中の男なので小手先の技に頼るような女々しい真似はしません。それどころか銃さえ不純物なのです。

 早い話が殴り合いで決着を付けます。殴り合いをしないジョン・ウェインなど殴り込みをしない健さんと一緒です。男の子は皆これに憧れたのです。

 勿論相手もひとかどの男であり、これに銃で対抗するようなみっともない真似はしません。西部に天津敏や金子信雄はいないのです。これぞ古き良きアメリカの美学であり、男らしさという物です。


嗚呼憧れのレッドリバーDバックル
 本作は映画賞こそ獲得できなかったものの映画史上においても特筆べすべき作品です。それはホークスにとっても同じ事であり、特別な作品でした。

 というわけでホークスは「レッドリバーにD」のダンソンの烙印をあしらった名前入りのベルトバックルを記念品として作り、関係者に配りました。

 というのも、刀は武士の魂と申しますが、カウボーイの魂は実は銃よりもこのバックルなのです。

 カウボーイは皆立派なバックルをベルトに着けています。当時は牧場がカウボーイに贈る物であり、身分証明に用いられました。

 また、現代においてはロデオ大会の優勝賞品など、各種の記念品としてもバックルは用いられ、酪農が機械化してなおカウボーイ文化に息づいているのです。

 この「レッドリバーDバックル」は西部劇マニアならぜひ欲しいと願うコレクターズアイテムであり、日本でもその手のイベントに行くと着けている人が散見されます。

 買う事も出来なくはないですが、どこで手に入れたのか聞くと手作りだったりします。これぞ開拓者精神というものです。


BL的に解説

スーパー攻め様ジョン・ウェイン
 この映画を見た腐女子はこの表題に納得するはずです。昔のアメリカ人はスーパー攻め様を理想としていたのです。

 ジョン・ウェインは言うまでもなくいい男であり、長身(193cm)で高学歴(南カリフォルニア大卒)、牧場主保安官や将校の役ばかりなので社会的地位も高く、なにより高圧的であり、アメフト選手なので肩幅も十分です。

 自分一人で何でもできると思っている俺様野郎のくせに、案外寂しがりで仲間を必要以上に大事にするヤンホモ体質なのも見逃せない点です。

 相棒がインディアンに誘拐されて東海岸のホモに売られようものなら、ボストンまで馬で走って行ってオークションをぶち壊して助け出すのは間違いありません。勿論奴隷商人は鉄拳制裁です。

 とは言え相手が女でもちゃんと助けそうなのがジョン・ウェインの男らしさなのです。


ダンソン牧場ハッテン場説
 ダンソンは実はガチホモではありません。少なくとも最初は開拓団で一緒だったフェンを愛していました。

 開拓団を抜ける決意をした時、当然フェンは付いてこうとしました。しかし、ダンソンは待ち受ける危険と困難を慮り、フェンを残してグルートと共に開拓団を後にしたのです。

 これはホモが適当な口実で女を切り捨てたなどという汚らわしい構図ではありません。ダンソンは男は別腹だとしてもフェンを心から愛しています

 ホークス的に食い下がるフェンに将来迎えに行くと約束し、母親の形見のブレスレットを託して去っていくのです。多くのゲイにとって母親は特別な女性であり、その形見を託すのはフェンもまたダンソンにとって特別な女性である証明に他ならないのです。

 この時点でダンソンはノンケ寄りのバイであったはずですが、出て行った直後に開拓団がインディアンに襲われ、フェンは死んでしまうのです。

 ダンソンたちを追って来たインディアンがフェンにあげたブレスレットを着けていたのですから、ダンソンの心中たるや想像するのも辛いものがあります。最愛の人を思う気持ちがもろに裏目に出てしまったのですから。

 愛する女性を失ったショックでホモに走るというのは非常に多いケースです。以来マットを養子に迎えたダンソンは嫁さんを貰う事もなく牧場経営に没頭します。もう他の女など愛せません。縁談など持って行ったら殴られます。

 ダンソン牧場に女っ気はゼロです。これは不自然な話で、女性が留守を守って下支えしてくれるからこそカウボーイは男を張れるのです。

 では何故ダンソン牧場に女が居ないのか?簡単な話で、彼らは皆ダンソンの「女」なのです。

 一応カウボーイの一人であるダンには嫁さんが居て、輸送の報酬(100ドル)が入ったら家と赤い靴を買ってやるんだなどと死亡フラグ丸出しの夢など語ってしまい、案の定牛の暴走事故で死んでしまうのです。

 ダンソンは100ドルをダンの嫁さんに届けてやるようにマットに命じます。女の家庭を壊さないのが良きホモの条件なのです。

 しかし、ダンの死を機にダンソンはメンタルを乱していきます。暴走事故の元凶となったカウボーイのケネリーを鞭打ちで処罰しようとするのです。

 これは実質上の死刑であり、痛いので銃殺より百倍残酷な刑罰です。マットが先回りして死なない程度に撃って執行は阻止されましたが、これはダンを殺されて壊れてしまった証拠です。

 ダンソンの俺様ぶりに嫌気が指してついには脱走者が出ます。これをダンソンは連れ戻して死刑にしようとしますが、これにマットがキレて反乱が起こり、ダンソンは輸送団を追われてしまうのです。

 しかし、ダンソンは置き去りにされながらも近くの街で仲間を集め、復讐するためにマットが率いる輸送団を追いかけるのです。このヤンホモぶりがジョン・ウェインの裏の魅力なのです。

ダンソン×マット
 勿論メインディッシュはここです。腐女子の皆様が見たらジョン・ウェインの子を妊娠するレベルの濃厚BLです。

 フェンの死に態度には出さずとも落ち込んでいるダンソンの下に唐突に現れたのがマットでした。

 ダンソンはビンタをかましますが、マットも隠し持っていた銃を出して抵抗します。中々に生意気なガキです

 ダンソンはさらに不意打ちをもう一発かまして「簡単に他人を信用するな」と警告を授けます。

 そして、マットが家族を殺されたと知ったダンソンはマットに銃を返し、「お前も来い」と出会って早々関白宣言を爆発させて屈服させます。

 ダンソンがこの生意気な少年にフェンの面影を見ていたのは明白です。そしてグルートに「役に立ちそうだ」とちょっと嬉しそうにこぼすのです。

 この夜、マットは早速襲われたに違いありません。ダンソンに掘られ、余りに強烈で倒錯した快楽の前にマットは完全にメロメロになり、彼のものになったのです。

 そしてダンソン達は理想的な牧草地に辿り着き、牧場の予定地に定めます。誰の土地かと心配するマットに「俺だ」と即答するのがジョン・ウェインのスーパー攻め様ぶりであり、先住民の怒りの種なのです。

 そしてレッドリバーDの烙印を牛に押します。1頭はマットが連れていた牛なのでマットはMの字を入れろと言いますが、ダンソンは「自分で稼いだら入れる」と独占欲をむき出しにします。そしてマットは「稼ぐ」と宣言するのですから、夜間教育は順調なようです。

 そこへ地権者と称するメキシコ人の使い走りが文句を言いに来ます。しかし、ダンソンはスペイン王の名前を持ち出すメキシコ人に「どうせインディアンから取り上げたんだからこっちの番だ」と先住民をコンドーム扱いしてジャイアニズム宣言です。

 そして脅しをかけてきたメキシコ人を撃ち殺し、マットに「目を見れば銃を抜くタイミングが分かる」というガンマンの心得とメキシコ人から剥ぎ取った銃をプレゼントし、格好良い所見せてマットの気を惹くのです。今度はメキシコ人の命をコンドームにするのですから、ジョン・ウェインが現代において批判されるのはまあ無理からぬ話です。

 それから14年経って牧場は大きくなり、マットは南北戦争への従軍も経験して完全にダンソンの後継者として腕利きイケメンカウボーイに成長します。

 ダンソンはインディアンから取り返したブレスレットをマットに贈り、牛の輸送の補佐を命じます。女物ですが大丈夫、マットはダンソンの前では女なのです。

 しかし、マットはダンソンにフィジカルで負ける代わりに頭が良いので、グルートともどもダンソンが博打同然の大輸送を内心恐れている事を見抜いています。

 ダンソンは他の牧場主の牛にも自分の烙印を押していきます。マットはあまりに強引なやり方に困惑しますが、ダンソンは1頭2ドルやるという条件で他の牧場主を納得させてしまうのです。

 男声合唱と共に出発する牛の群れに感慨深そうでもあり不安そうでもある複雑な表情を浮かべるダンソンにマットは「必ず着く」と断言して吸っていた煙草を渡します。何気ないやり取りですが非常に尊いシーンです。

 しかし、ダンソンはプレッシャーで段々俺様ぶりに拍車がかかり、マットや部下の助言を聞かないようになります。

 そして牛の暴走事件で400頭の牛とダンが死んだことで完全にダンソンはキレてしまいます。

 葬式の席で元凶になった砂糖泥棒の常習犯でもあるケネリーを「鞭で教育してやる」と宣言するのです。

 その上ケネリーに「後ろを向け」と迫るのが実にホモエロティックです。しかし、すんでのところでマットがケネリーの腕を撃って先回りし、ケネリーは旅からは脱落しますが命拾いします。

 この事件以降ダンソンは人望をなくし、食料の欠乏や襲撃の危険から離反者が現れ、ダンソンはこれを射殺します。これにはマットもドン引きし、ついにはダンソンに意見します。

 マットの「命令には従う外見は違う」という言葉が二人の爛れ切った関係を物語ります。しかし、これに恐れをなして脱走者が現れ、チェリーに捕まえてこさせます。

 「これから先は誰も逃がさない」とヤンホモ爆発のダンソンは捕まった脱走者を縛り首しようとしますが、ついにマットがこれに異を唱えます。

 先に仲間達が吹き上がって銃撃戦になりますが、マットがこれを制し、自ら隊長になって行き先を駅のあるというアビリーンへ変更するとリバ宣言を行います。

 ダンソンは置き去りにされますが、ダンソンは「俺を生かしておくとお前を殺すぞ」この期に及んでもスーパー攻め様です。そして「振り向けば俺がいると思え」とかまします。バックがお好きなんですね。

 マットも未練たらたらで、「彼の目が忘れられない」「こんなつもりじゃなかった」などとグルートに歪んだ愛を吐露してしまいます。

 ここまでホモ祭りだった本作にここで突然ノンケ要素がぶち込まれます。踊り子の一座がインディアンに襲撃されているのに出くわすのです。

 久々に飲む打つ買うができるというので大喜びでインディアンと闘うカウボーイたち。そしてマットは先頭切って戦うテスと出会い、口喧嘩しながらインディアンを撃退するのです。

 ちょっとお色気シーンも入りますが、テスはコンドームではなく実質男です。マットがダンソンを恐れているのをチェリーやグルートの協力もあって見抜き、自分にマットを依存させる戦術で狙い通りマットと寝ることに成功します。これがホークス的女性像なのです。

 寝物語にもダンソンの偉業を語るマットは末期的であり、女を連れて行くわけにはいかないのでダンソンから貰ったブレスレットをやって別れますが、テスはコンドームで収まるような安い女ではありません。

 仲間を連れて追って来たダンソンとテスたちの一座が出くわし、テスはマットを殺そうとするダンソンを説得にかかります。

 ダンソンもテスのブレスレットを見てマットのテスへの本気ぶりを悟り、フェンのトラウマもあるので男同士の問題に女が介入できないマンコントロールの原則を破って話し合いに応じてしまうのです。

 ダンソンもダンソンで「あいつに全てを教えてやった」などと自慢しちゃうので二人は共依存の関係にあるのです。

 そして、テスのような強い女をマットと縁付けたいととんでもない事を言い出し、テスはこれ幸いと揺さぶりをかけてダンソンに同行することに成功します。これがホークス的三角関係なのです。

 先行するマットたちはついに線路に突き当り、アビリーンの街へ辿り着きます。町の人達も儲かるので大喜びです。

 家畜商のメルヴィルとマットは1頭21ドルで売買契約を交わし、ダンソンに5万ドルの小切手を用意し、メルヴィルが調停を申し出ててダンソンを待ち構えますが、追いついたダンソンに先駆けてテスが町に入ってマットの説得を試みます。

 マットがダンソンを好きなのを嫌というほどわかっているテスは二人の決闘が避けられない事を悟って泣き、マットと爛れた一夜を過ごしますが、ダンソンがジョン・ウェインだったのが幸いします。

 町に乗り込んできたダンソンは横やりを入れてきたチェリーを死なない程度に撃って片付け、威嚇射撃に抵抗しようとしないマットに「それでも男か」と自分が女にしておきながらあまりに無責任な事を言って自分の銃をかなぐり捨て、ついでにマットの銃も捨てて殴り掛かります。

 この映画最高の濡れ場の始まりです。淀川先生が欲情しそうな殴り合いですが、これはホークス作品です。ここへテスが銃片手に介入してくるのです。

 銃を乱射して心配した自分が馬鹿だったと恨み言を言ったかと思うと今度は殴り合いをしろと焚き付け、二人は唖然として戦意を喪失してしまうのです。

 そしてダンソンは「彼女と結婚しと」と言えば、マットは「いつまで命令する気だ」とまたリバろうとします。

 しかし二人はもう心が妊娠しているも同然なので、ダンソンはレッドリバーDの烙印にMの字を加えることを提案し、爽やかかつホモ臭く映画は終わるのです。

 かようにコンドームどころかペニバンを付けて乱入してくる。それがホークス的女性像なのです。

 

正妻口マン爺グルート
 ダンソン牧場がホモサーだとしても、結局のところダンソンの股間のコルトは一つであり、野郎数十人の性欲を解消するにはあまりに不十分な体勢と言わざるを得ません。

 そこで登場するのがグルートです。彼は料理担当であり、ダンソンと「腐れ縁」というあやふやな口実でダンソンに付き従う男です。これは間違いなくホモです。

 フェンを失って失意に沈むダンソンを救ったのはグルートなのは言うまでもないでしょう。彼こそがテキサスのホモ大奥、ダンソン牧場の御台所様なのです。料理だけに。

 ここでブレナンの唯一無二の個性である入れ歯に注目です。口でするのに歯がないのは非常に好都合であり、奴隷の歯を抜いたなどという話はありふれています。

 そう、グルートはダンソン牧場の有り余る若い男の精液を独り占めする役得を有しているのです。ダンソンの男気とグルートのテクニックがブラックっぽいダンソン牧場にカウボーイを繋ぎ止めていたのです。

 マットの初夜もグルートの秘密のテクニックは如何なく発揮されたに違いありません。ダンソンが掘ってグルートがしゃぶる。もうマットは離れられません。

 グルートの正妻としての矜持は半端ではなく、牛の輸送は歳だから無理だというダンソンの忠告に加え、新しく調理人を雇ったと聞いてジェラシーを爆発させます。

 しかし、調理人は断ったと言ってグルートは同行することになります。辞めた調理人は山に埋められていても驚きません。

 その一方、ダンソンとマットの仲に嫉妬するどころかむしろ焚き付けて行くのが正妻の余裕です。自分が亡き後ダンソンの正妻になるのはマットであり、社会性に欠けるダンソンを補佐するマットのような賢い男が必要なのを分かっているのです。

 輸送に参加するカウボーイの連判状にもグルートが一番に署名します。これが正妻の証明なのです。

 正妻への信頼はダンソンも同じ事で、鞭打ち事件に際してグルートが「あんたは間違ってる」と直言しても怒らないのです。ダンソンは無償の愛に飢えているとも解釈できます。

 しかし、狂気に侵されたダンソンに反乱がおこり、グルートは「今までどんな命令でも従ってきた」と意味深な恨み言を言い、「気が楽になった」ときつーい一発をかましてケツ別してしまいます。

 しかし、一番ダンソンを知っているのはグルートであり、ダンソンは仲間を集めて追ってくると見抜き、日数まで計算して見せるのです。離れても二人は二人なのです。

 テスは側室たちの世話を焼くのも仕事なのでテスとマットを引っ付けるのにも協力します。もっとも、ダンソンを独り占めしようという策略もあったのでしょうが、グルートの協力なくしてテスとマットが引っ付かなかったのは確かです。

 最後の殴り合いに際してもグルートはテスの隣に居ました。そして「これでもう大丈夫」と大喜びです。こうなればひとしきり殴り合ったところで丸く収まるのを知っているのです。

 もっとも、ホークス作品では女の介入があるというのは想定の範囲外でしょうが、とにかく丸く収まり、グルートは正妻に戻るのです。


クオ×グルート
 ストーリーに直接寄与しないのに印象深いのが、そのグルートとインディアンのクオの入れ歯を巡る駆け引きでした。

 グルートは出発を前にしてクオに博打のカタに入れ歯を取られてしまいます。食事の時だけ返すというクオからどうにかグルートは入れ歯を取り戻そうとしますが、輸送の報酬は後払いなので返す金が無く、上手くいきません。

 ここで今度は美味しい情報です。ヴィレッジピープルがゲイの好むコスプレをしているのは知られた話ですが、何故インディアンが居るのかという話です。

 実はアメリカ先住民の間で同性愛は全くタブー視されていなかったのです。初期の移民は堅物のピューリタンなので汚らわしい事として記録に残されていますが、ホモのホモ嫌いには新大陸はユートピアに見えた事でしょう。

 そして、クオが頑なに入れ歯を返そうとしない点にも注目です。入れ歯など換金は事実上不可能であり、一緒に旅をしている以上は旅が終われば取りはぐれはあり得ません。グルートの働きが輸送の成功に不可欠である以上、グルートを困らせるのは非合理的です。

 これをBL的に読み解けば答えは一つ。クオはグルートに利子を身体で払わせる為に入れ歯を返そうとしないのです。入れ歯など返したくないはずです。入れ歯がない方が気持ち良いのですから。


マット×チェリー
 絵面の強烈な組み合わせばかりやってしまいましたので、美しい方向へ戻りましょう。

 マットとチェリーが会ったのは偶然でした。輸送他の牧場主の牛にもレイプ同然に自分の烙印を押していくダンソンにクレームを付けに来た牧場主に雇われていたのがチェリーです。

 チェリーは同行を志願して受け入れられますが、ダンソンはマットとチェリーは旅の道中で撃ちあいになると予測します。

 しかし、これは外れでした。二人は互いの銃を見せっこし、空き缶を撃って遊んで意気投合してしまうのです。

 チェリーの「良い銃より美しいのは女とスイスウォッチだけ」という言葉や「二人とも一番だ」という賛辞も相まって実にホモ臭いやり取りです。

 そもそもガンマンにとって銃はみだりに人に渡していい物ではなく、二人で交換して撃つというのはもうセックスと言っても過言ではありません。

 このシーンはクリフトの同性愛傾向をおちょくる為に撮られたシーンだと町山智浩氏は解説していましたが、例え事実だとしてもリベラルを自任している割には底意地の悪いコメントです。愛が足りません。

 そもそも、アイアランドだってノンケなのかと言うと怪しいものです。貧しい家に生まれ育ち、水泳の選手として頭角を現しながらターザンで有名なジョニー・ワイズミュラーに敗れて挫折し、俳優になる前は水中ショーの芸人でした。

 つまり、貧困家庭に育った男のシンクロ選手というわけです。男を知らないとは考えにくい経歴です。

 結局二人は銃撃戦など起こすどころか、いちゃいちゃしながらダンソン抜きで輸送を成功させてしまうのです。

 そう、チェリーはチェリーでホモであり、マットとお近付きになる為に危険を承知で輸送に参加したのです。

 参加動機を聞かれて「彼の銃が気に入った」というのはモロです。その目論見は大成功というわけで、二人はデキちゃうのです。

 ダンソンが二人に銃撃戦が起こると予測したのも、チェリーがカンザスに行けば鉄道があるからという進路変更の提案を拒絶したのも、ひとえにホモのジェラシーの産物です。

 ダンソンはマットがチェリーと気が合ってしまうのを分かっていたのです。独占欲の塊であるダンソンにとってこれは許しがたい裏切りに他なりません。

 チェリーの方も大概で、マットがケネリーを助けた時の「銃の腕は良いが優しすぎる」という言葉と、そんな二人に嫉妬の視線を送るダンソンの姿は、BL的に見れば西部劇はどろどろの愛憎劇である事を暗示しています。

 ダンソン相手の反乱でも最初に撃ったのはチェリーでした。ここでダンソンを始末すればもうしめたものです。

 しかし、ダンソンはアビリーンまで追いかけてきました。調停役のメルヴィルは流石にハリー・ケリーだけあってこういう時は殴り合いと知っていますが、チェリーは銃に訴えて返り討ちにあってしまいます。

 これはせっかく手に入れたマットを取り返されるというチェリーと、俺のマットを盗りやがってというダンソンのホモのジェラシーの交錯です。とにかく、マットは男にモテモテなのです。

 しかし、テスが上手い事事態を収束させ、チェリーは命拾いしました。この後どうなるでしょうか?

 牧場へ戻ったマットはおそらくテスと結婚式を挙げます。勿論チェリーが付添人です。そしてテスの捨て身の説得で丸くなったダンソンはマットにもハーレムを作る事を許し、ダンソン×マット×チェリーというラインが成立するのです。

 チェリーもひとかどのカウボーイなので間もなく自らの牧場を持つようになるでしょう。そうなればマットとチェリーはホモ達にしてビジネスパートナーとなり、テスが嫉妬するほどいちゃつくようになります。

 そして、チェリーが輸送から帰って来た朝、玄関先で濃厚なキスをかます所をテスは見てしまい、またテスは拳銃を振り回す事態になってしまうのです。それを笑って見守るダンソンとグルート。こうして男の尻は開拓されていくのです。


BL的に解説(ナマモノ注意)


ウェイン×ホークス

 共和党員が銃を手に襲ってくるかもしれませんが、これは案外あり得ると私は思うのです。

 『真夜中のカーボーイ』がカウボーイの格好をする奴はホモという偏見とジョン・ウェインがノンケである前提で成り立っているのは何度か紹介しましたが、ジョン・ウェインがノンケである証拠などどこにもありません。

 ノンケである可能性は男との性行為の証拠があればゼロになりますが、ノンケで無い可能性をゼロにするのは事実上不可能です。この勝負は我々が圧倒的に有利なのです。

 大体ウェインと同時代、やはりアメリカの男らしさの象徴的俳優であったロック・ハドソンがゲイだったのです。男らしさはノンケの証拠に等なりえません。

 ホークスがバックルを関係者に送ったのも中々怪しい愛情表現です。しかも、この話には非常に尊い続きがあるのです。

 ウェインは感動してホークスと自分のバックルの交換を申し出ました。そして、その後もホークス作品に出る時は必ずこのバックルを着けて撮影したのです。

 これはもう実質ホモセックスです。二人の友情の証が永遠にスクリーンには残るのですから。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介します

『夕陽のガンマン』(★★★★★)(マカロニウエスタンの典型)
『ブロークバックマウンテン』(★★★)(間違った方向に進んだ子孫たち)
『日本侠客伝』(★★★)(日本式の男らしさ)

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