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第60回 ブロークバックマウンテン(2005 米)

 さて、本日は4月4日です。少し前まではよくオカマの日と称していましたが、最近ではこれは差別だということでLGBTの日と呼ぶのだそうです(現実的には当事者の解釈はまちまち)

 そして、先日亡くなったヒース・レジャーの誕生日でもあります。これは運命です。紹介する映画の選択肢は一つしかありません。

 というわけで、本日はガチのゲイ映画でお送りします。何度も名前を出している『ブロークバックマウンテン』です。

 ゲイ差別の熾烈だった60年代の西部を舞台に二人のカウボーイが恋に落ち、差別におびえながら愛を育み、滅んでいくという実に尊い物語です。

 巨匠アン・リーがハリウッド史上初めて同性愛というテーマに真正面から挑んで映画賞を総なめにした歴史的な作品であり、性癖を問わず映画好きを名乗るなら見ておかなければいけない映画でもあります。

 ヒース・レジャーとジェイク・ギレンホールの濃厚な絆は実に素晴らしく、腐女子であれば間違いなく満足いただけるはずです。

ブロークバックマウンテンを観よう!

Amazon、U-NEXTで配信がありますが字幕だけです。ここは吹替で観ましょう

真面目に解説

カウボーイという概念
 カウボーイは言うまでもなくアメリカの男らしさの象徴であり、日本における武士にあたる象徴でもあります。

 この両者には共通点があり、どちらも最初は職業であったはずが定義が広まっていき、現代においてはその定義はより観念的になっています。

 そもそも本来のカウボーイとは書いてその名の通り家畜の番をする仕事ですが、これがそのうち西部でああいう格好をしていれば開拓者だろうと強盗だろうと砂金採りだろうとカウボーイと認識されるようになっていきます。

 映画の世界においては基本的にこの定義で通っているのは、イーストウッドが牛の世話をする姿をあまりイメージできない事からも明らかです。

 しかし、これらの仕事も時代の流れでなくなっていき、今では西部の野郎は基本的にカウボーイであり、ニュージャージーの早撃ち芸人だろうと男娼だろうとゲイのミュージシャンだろうと、コスプレでカウボーイとみなされるまでになったのです。

 この映画はそうしてカウボーイが時代遅れの存在になっていく流れも切り取っている貴重な映画なのです。


最後のカウボーイ
 映画は1962年のワイオミング州、アギーレなる農場主(ランディ・クエイド)の元をイニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ギレンホール)が訪れ、羊の放牧の仕事を請け負うところから始まります。

 つまり二人は古式に則った本物のカウボーイであるわけです。しかし、この頃になると農業も機械化が進んでカウボーイの需要は少なくなり、労働条件も悪くなっています。

 寡黙な武骨物のイニスはそれでもカウボーイに拘る根っからのカウボーイですが、お調子者のジャックの本業はロデオの選手で、参加費を稼ぐためにオフシーズンにカウボーイをやっています。

 現代のカウボーイ志向の男達の受け皿が他ならぬロデオです。それっぽい格好で馬や牛に乗って賞金を稼ぐわけですから、これで俺はカウボーイだと強弁されれば逆らえません。

 しかしロデオも時代にの流れで徐々に変わっていき、作中でジャックは引退してしまいます。それでもジャックの住むテキサスではスーツにカウボーイハットが正装になっているのが興味深い点です。時代がどうなろうと西部の男はカウボーイの魂を捨てないのです。


誰も見ちゃいないさ
 雄大な大自然がこの映画前半の見せ場です。性格が正反対のイニスとジャックは最初はちょっと気まずい空気でしたが段々と打ち解けていき、ついには寒い夜に酔った勢いでテントの中でヤってしまうのです。

 開始15分で男同士の濡れ場です。西部劇と勘違いして観に来た人は腰を抜かしたことでしょう。

 誰も見ていないのをいい事に職場放棄して裸で戯れたりと大いにゲイと女性へのファンサービスも忘れませんが、これをたまたま様子を見に来たアギーレに見られてしまったせいで二人は次の年には雇ってもらえず、離れ離れになってしまい話がこじれていくのです。


アメリカのゲイ差別
 二人はその後別々に結婚して子供にも恵まれますが、家族が煩わしくなってジャックがイニスにブロークバックマウンテンの絵葉書を送って再会したことから二人の仲は再燃し、余計に家族関係が冷え込んでいきます。

 そこでジャックは女房の実家から手切れ金をせしめて二人で牧場をやろうと夢のプランをぶち上げるのですが、これが上手く行くと映画が成立しません。

 というのもイニスの父親は病的なホモフォビアで、近所のゲイカップルをリンチして殺した過去があり、イニスはこれを恐れてジャックの計画に賛同できないのです。

 恐ろしい話ですが、こんな話は当時のアメリカの田舎では珍しい話ではありませんでした。そしてもっと恐ろしいのはイニスの父親が処罰された気配がない事です。警察もホモなんて殺されても自業自得くらいに思っていたわけです。

 テキサスではゲイは犯罪という法律が21世紀まで生きていたというのはアメリカの法律の馬鹿っぷりを示す定番エピソードですが、笑い事ではなくアメリカの古手のゲイは命の危険を冒して愛を育んでいたのです。

 この映画を観ていると、命の危険まではない日本は良い国なんだなと良くない形で思ってしまいます。そして、この背徳感が二人の悲劇的な愛を美しいものにしているのもまた事実なのです。

 もう一つ興味深いのはイニスとのすれ違いで寂しいジャックがメキシコに男を買いに行くシーンがあるところです。テキサスではホモは殺されるというのに、メキシコではホモが楽しめる。これはまさしくアメリカの病巣であります。


コンドームはつらいよ
 イニスはジャックと強烈な初体験をしたのち、かねてから約束していたアルマ(ミシェル・ウィリアムズ)という女性と結婚します。

 ホモ落ちしてしまったイニスですが、何しろ若い頃のミシェル・ウィリアムズは凄く可愛いので濡れ場も用意され、二人の娘の製造にも成功し、牧場で働きながらちゃんと家庭を築いていきます。

 しかし、イニスの中での優先順位がカウボーイ=ジャック>>>妻子なのも確かで、カウボーイの仕事に拘る上に極度の武骨者であるイニスと、娘の教育と収入に不安を覚えるアルマの関係は徐々に冷え込んでいくのです。

 そして久々に再会した二人の濃厚なキスシーンを目撃してしまってからのアルマは見ていて気の毒になります。そのままモーテルに直行して朝帰りし、返す刀で釣り旅行と称して山奥で盛る為に二人旅立っていくのですからたまりません。

 手練れの腐女子でもこのシチュエーションの当事者になったら嫌になるでしょう。ましてホモはリンチという価値観で生きてきたアルマにとって、愛していた夫がホモで自分をコンドーム扱いしてくるというのは耐え難いものがあります。

 一方ジャックはロデオ大会に出場していたテキサスの富豪の娘のラリーン(アン・ハサウェイ)とカーセックスしてそのまま勢いで結婚してしまいます。

 若い頃はお嬢様役ばかりやっていたハサウェイでしたが、兄がゲイだったのが生きたのかこの役がはまって役者として飛躍し、ついにはオスカー女優になるわけです。ただ、ラリーンはアルマに比べると雑な扱いなのが否めません。

 ジャックはラリーンの実家のトラクター店に拾われて息子にも恵まれますが、義理の両親に「ロデオ」と呼ばれて馬鹿にされ、家庭内で立場がありません。そう、ジャックがコンドームなのです。


テキサスの掟
 結局イニスは離婚。行きつけの飲み屋でウェイトレスをしいているキャシー(リンダ・カーデリーニ)と良い仲になっていきますが、これも上手く行かず破局して遂に一人ぼっちになります。

 一方ジャックは養育費の支払いで忙しいイニスと会えない寂しさを浮気で紛らわします。なんとパーティーで出会った牧場主任のランドール(デヴィッド・ハーバー)というガタイの良い髭もじゃとデキてしまうのです。

 そして久々に会ってメキシコで男を買った疑惑で夫婦げんかになってしまった直後、唐突にジャックは死んだという知らせがイニスに届きます。いよいよ事態は深刻になっていくのです。

 死因は交通事故ということになっていますが、イニスはリンチで殺されたと推理します。これはおそらく本当でしょう。80年代になってもテキサスはそういう価値観で回っていたのです。


感謝できない感謝祭
 北米独自の祭りである感謝祭がストーリーのターニングポイントになります。何気に感謝祭の型がばっちり抑えられているので、この際説明しておきましょう。

 アメリカだと11月の第4木曜日となっていますが、カナダだと10月の第2日曜日に行われ、元々はインディアン(西部劇絡みなので敢えてこう称する)と開拓者が作物の収穫をお祝いしたことに由来します。

 まず感謝祭に欠かせないのが七面鳥の丸焼き。何故七面鳥なのかは諸説ありますが、取りあえず父親が電動ナイフで切り分けるのが型です。

 電動ナイフというのが実にアメリカ的ですが、この仕切る役目を義父に奪われてジャックは怒っちゃいます。馬鹿馬鹿しいようですがこれは重要事項なのです。

 そして七面鳥は家族全員で囲みます。ところがアメリカの離婚率は世界最高レベルであり、別れた相手にもお呼びがかかるので実に気まずいのです。

 イニスは娘達との仲は悪くないので招きに応じるわけですが、アルマとしてはホモの元亭主など顔も見たくないので再婚相手をほったらかして喧嘩になっちゃいます。この感謝祭絡みのごたごたは海外ドラマではやはり定番です。

 そして、多くの海外ドラマウォッチャーもスルーするのがフットボールです。一般にフットボールの試合は土曜はカレッジ、日曜はプロというスケジュールで行われますが、感謝祭に限って木曜日なのに数試合が行われるのです。

 これをサンクスギビング・ゲームと称し、戦前にデトロイト・ライオンズというチームが始めたのが最初で、ダラス・カウボーイズが60年代に追従し、現在ではもう1試合がチームを固定せずに組まれます。

 他の試合がないので全米の人がテレビで試合を見るわけです。これはもう感謝祭の一部であり、ひいてはアメリカの象徴なのです。

 しかもチームがカウボーイズです。もはやカウボーイの宗教と言ってもいい人気チームですが、これについてはちょっと面白い話もあるので次回以降にとっておきます。


BL的に解説

絶対吹替で
 絶対に吹替で観なければいけない映画というのが世の中にはあります。腐女子にとっての本作がそうなのです。

 なんたってイニスの吹替が帝王森川智之です。決めた人は何もかも知っていたとしか思えません。ヤンホモ森川なんて美味しいブツを逃すようなおっちょこちょいで腐女子がつとまりますか?

 そしてジャックが東地宏樹です。BLCDには基本的に出ない人がガチホモ誘い受けなんて、やはり見逃すわけにはいかないのです。

 しかし、残念なことに今のところ吹き替え版は配信されていないのです。TSUTAYAへ行きましょう。


カウボーイとゲイカルチャー

 武士がホモなのは気の利いた教科書にも載っている不動の事実ですが、カウボーイはどうなのか?少なくともゲイにとても人気があります。

 ヴィレッジピープルはアメリカのゲイの好むコスプレをしていますが、その中にカウボーイが居るのが全てです。ノンケの男にとってのナースとかメイドのような夢のあるコスチュームなのです。

 また、水野先生が邦題を付けた『真夜中のカーボーイ』カウボーイの格好をしている奴はホモという偏見が重大なテーマになっています。こういうストーリーが成立した以上そういうイメージがあったのは確かなのです。

 これに対してカウボーイサイドは「ジョン・ウェインもホモだってのか」と抵抗しますが、ジョン・ウェインがノンケである証拠などどこにもありません。

 むしろ何かというと根拠なく女は駄目だと言うのがホモ臭いのです。こういうホモソーシャルな価値観で動く野郎どもは却ってホモを惹き付けてしまいます。


カウボーイはゲイなのか?
 カウボーイというライフスタイルもゲイに走るきっかけを内包しています。何故根っからノンケのイニスがジャックの誘いに応じたのかということです。

 同性愛の中には機会的同性愛という物があります。同性しかいない環境下でノンケが同性愛に走ってしまう現象です。特に何もない環境下で二人きりにするとどんな組み合わせでも最後はセックスに至るとも言われています。

 カウボーイの職場環境は人里離れた山でラジオさえなし、周りには家畜と仲間だけで数か月というものですから、機会的同性愛の発生にはこれ以上ない環境なのです。さもなきゃ基本的馬権の侵害です。

 イニスも溜まっているところへジェイク・ギレンホールが水を向けて来るのですからこれはもうホモに走っても誰も文句は言えません。どうせ見てるのは家畜と空の雲だけです。

 そして期間限定のつもりがのめり込んでしまうといのもよくあるパターンです。こうやって西部同様カウボーイの尻の穴も開拓されていくのです。


イニス×ジャック
 作中で攻め受けが明示されるカップルは『県警対組織暴力』の遠藤太津朗×田中邦衛以来です。田中邦衛も追悼しようと思っています。

 さて、二人の出会いは偶然の産物であり、また決して好印象な物ではありませんでした。無口なイニスにとっておしゃべりのジャックは鬱陶しく思え、一方ジャックもイニスにとっつきにくい印象を持っていたのが見て取れます。

 しかし、山奥で二人きり、何も奥ないはずはなく…というわけで、イニスがクマと遭遇したり、食べ物がないのでシカを密漁したりと絆の深まりそうなイベントを経て打ち解けていきます。

 そしてお互いの身の上話をするに至り、もはや精神的にはホモに突入してしまういます。こうなればもうちょっとしたきっかけで肉体的ホモに突入してしまうのは当然の帰結です。

 原作ではジャックはホモであるばかりに父親に疎まれて虐待されたことが暗示され、映画でも父親と疎遠である事が語られます。これはつまり、ジャックはイニスに父性を求めているのです。

 山の神はブスの女神であり、嫉妬するので女人禁制というのはあちこちの文化圏で共通する事項でありますが、山の女神はまた腐女子でもあるのでしょう。その夜は寒く、二人は一つのテントで初めて同衾するのです。

 酔った勢いも手伝って寝ているイニスの手を自分の股間に持って行くジャック。最初こそ抵抗したイニスでしたが、申し訳ばかりの取っ組み合いの末に誘いに応じてそのまま互いのズボンを脱いでバックからいってしまいます。

 イニスが股間のコルトに唾を塗り込む腐女子の限界を超えた描写が実に生々しく、私的には100点です。

 そして獣のような唸り声をあげながら殆ど喧嘩ックス状態で僅かな時間で一発が終わってしまうのもリアルです。結局のところこの映画はBLではなくゲイなのです。

 ヤっている間に羊がコヨーテに食われてしまい、元々の労働条件の悪さも相まって二人はますます禁断の快楽にのめり込んでしまいます。

 次の夜にファーストキスを濃厚に終え、昨晩とは打って変わって甘い夜を過ごしてからはもう止められません。二人して裸にジーパンで本格的ガチムチジーンズレスリングに耽る姿を様子を見に来たアギーレに見られてしまうのです。

 そしてその直後に嵐が来るという口実で仕事の途中打ち切りを宣言され、賃金をカットされたイニスは不貞腐れてしまいます。

 そんなイニスに投げ縄で悪戯をしてしまうジャックですが、これに怒ったイニスと取っ組み合いの殴り合いになります。二人してシャツを血で汚してハードです。白昼堂々SMというのが二人の仲がただならぬ物になっていたのを物語ります。

 再会を約束して別れる二人ですが、車で去って行ったジャックを見てイニスが物陰で男泣きに泣くのが実に尊く、興奮させます。

 そしてイニスはアルマと結婚し、貧乏でも幸せな家庭を築きます。アルマはこの時点ではイニスを深く愛していますが、イニスは前のように長期間のカウボーイの仕事が出来なくなったのが不満であり、またジャックの事が忘れられません。

 アルマ相手でもバックなのが事態の深刻さを物語っています。これは実際偽装結婚した男によく見られる"習性"なのです。

 うっ憤を内面にため込むイニスと対照的に、ジャックはイニスと会えない寂しさのはけ口を他の男に求めてしまいます。

 ロデオ大会で世話になった進行役のピエロに言い寄って手酷くふられるシーンは印象的です。しかもバーのマスターに「投げ縄もやるのか?」などと嫌味まで言われてしまうのです。

 つまり、ジャックがホモなのはロデオ業界では公然の秘密なのです。その直後ラリーンと結婚して足を洗ってしまいますが、おそらく金持ちのラリーンと結婚したのが却って業界での立場を辛い物にしたのでしょう。

 ホモのくせにアン・ハサウェイ相手に逆玉では妬まれるのは明白です。ホモフォビアにとってはバイはホモと一緒なのです。

 イニスの方も娘たちが大きくなるにつれて牧場の仕事と家庭の両立が難しくなり、ジャックは息子の誕生でますます家庭内での立場を失っていきます。

 そしてジャックはブロークバックマウンテンの絵葉書に会いに行くとしたためてイニスに送ります。イニスの返事は「You bet」(いいとも)の一言。葉書一枚にも互いのキャラクターが現れて尊いですね。

 当日イニスはジャックを何時間も待ち受け、ジャックが来るや玄関先4年ぶりの濃厚なキスをかまします。明らかに本気度がアルマとのそれを上回っています。

 それを見てしまったアルマの動揺はコンドーム扱いという一言で片付けられません。いくら何でも可哀そうです。

 そして二人はそのままモーテルで甘い夜を過ごし、ブロークバックマウンテンに想いを馳せるのです。アルマが家で落ち込んでいるとも知らずに。

 そのまま二人は朝帰りして釣り旅行と称して出掛けて行き、アルマはついに泣いてしまいます。そしてそうとも知らずで川に飛び込んで股間の竿を振り回す二人。

 そしてジャックはラリーンから手切れ金を貰って離婚し、二人で牧場をやろうとぶち上げます。

 イニスは少年時代に父親がホモカップルを処刑した思い出を語り、またアルマへの愛も一応残っているので難色を示します。

 つまり、あそこで気を付けてさえいればこんな事態にはならなかったのです。そして、この思い出がイニスのセクシャリティに深刻な影響を及ぼしているのも確かです。二人の愛は荒っぽすぎます。

 以来イニスとアルマの関係は徐々に悪化し、そのせいでイニスはジャックとの年に数度の釣り旅行と称したセックスツアーに余計のめり込んでいくという悪循環に突入します。

 そして避妊をするしないを巡って遂にはセックスレスに陥ってしまい、離婚に至るのです。まだエイズはない時代なので、こういう観点からもイニスはホモの適性があったということなのでしょう。

 離婚したと聞いて大喜びで駆けつけるジャック。しかし、面会日とバッティングして門前払いを喰らってメキシコへ男を買いに行ってしまいます。ちなみに、ジャックに買われる逞しいメキシカンは本作のカメラマンであるロドリゴ・プリエトです。

 そしてある年の感謝祭、ついにアルマはイニスにホモの一件を問い詰めます。釣り竿がずっと未使用、魚も持って帰らないのでバレバレです。

 ハッキリ言ってイニスはホモバレは死と認識している割に脇が甘すぎます。おっちょこちょいの波平やマスオでさえ釣れない時は魚を買って体裁を整えるというのに。まあ、ほぼ毎回なので別の意味でバレバレですが。

 そして薄汚いと罵倒されて大喧嘩の末に決別してしまいます。アルマはコンドームはコンドームでもキラーコンドームだったのです。

 ジャックとの関係にも亀裂が入り、イニスは都合よくウェイトレスのキャシーと良い仲になり、一方ジャックはパーティーで知り合った牧場主任のランドールと怪しい関係になってしまうのです。

 ランドールの奥さんというのがマシンガンのごとくよくしゃべるご婦人で、ランドールも関係に疲れているのが窺えます。そして、ランドールの方から別荘に行こうと水を向けて来るのですからジャックは魔性のホモです。

 しかし、ジャックはウェイトレスと良い関係と語るイニスに対して牧場主任の女房とデキてると語るのがこれまた生々しいのです。何度も言った通り、互いの女関係はノータッチがゲイのリアルなのですから。

 しかし、なかなか会えない事からジャックは駄々をこね、ジャックがメキシコへ行った一件を問い詰められて夫婦喧嘩になってしまいます。

 イニスが何があったか知らないが、何があったか分かったらお前を殺すとブチ切れるのがBL的には本作最大の見どころです。女はどうでもいいが男となると命の取り合い。そんな価値観で動くヤンホモイニスなのです。

 それに対して寂しかったからだと居直るジャック。お前のせいでこんな事になったと泣き出すイニス。そしてまた取っ組み合いになって結局仲直りしてしまうのが二人のアブノーマルで爛れた愛なのです。

 このバイオレンスポルノの前にはキャシーなどコンドームの空き袋でしかなく、二人は間もなく破局。そしてイニスの元にジャックの訃報が届きます。

 遺灰はブロークバックマウンテンに散骨してほしいという遺言をラリーンから知らされ、イニスはジャックの実家に遺灰を受け取りに行きます。

 このやり取りからラリーンはジャックがホモである事をある程度容認しているのが見て取れます。関係上はジャックの方がコンドームでありましたが、ラリーンはコンドームになりに行ける度量があったのも確かなようです。

 イニスはジャックの実家に遺灰を取りに行きます。そしてジャックが両親にイニスとの愛の牧場計画を話していたこと、そして途中で他の男に方向転換した事を知らされます。多分ランドールなのでしょう。

 ハイレベルなNTR展開です。死せる孔明生ける仲達を走らすと申しますが、ジャックはまさにそれをやってのけたのです。

 遺灰の引き渡しは拒否されましたが、イニスはジャックの部屋でブロークバックマウンテンで無くしたと思っていた血の付いたシャツを見つけ、形見分けにもらって帰ります。ジャックが盗んで大事に持っていたのです。やはりジャックは変態度でイニスを大幅に上回っていたということなのでしょう。

 この時点で20年の月日が経っているので娘のアルマ・ジュニアが大きくなり、ケイト・マーラに成長して結婚する運びになります。

 その知らせをジュニアが持ってきて返ってきた後、イニスはトレーラーハウスのクローゼットにしまっておいた例のシャツを取り出して涙を流すのです。しかも、自分のシャツを上から掛けてあります。これは実質セックスです。

 そして「永遠に一緒だ」と最後の最後までヤンホモを爆発させながら映画は終わるのです。二人してシスコかカナダへでも駆け落ちすればよかったのにと思うのですが、それは野暮なのでしょう。


アギーレホモ説
 ケチで不愛想なアギーレですが、あいつは絶対ホモです。それもジャックに懸想しています。

 ランディ・クエイドは先日紹介した『デイズ・オブ・サンダー』にも出ていました。つまり彼はやんちゃで乗るのが得意なイケメンが好きなのです。

 決定打は仕事を求めてきたジャックをホモを理由に拒絶する時の断り文句です。字幕だと妙な事をするために雇ったんじゃないなどと味気ない表現をしていますが、原語や吹替だと薔薇の蕾を楽しむために雇ったんじゃないとぶち込んできます。

 カウボーイは金貰っても『市民ケーン』は観ないでしょうから、ノンケの言語感覚ではありません。まさにホモは文豪です。こんなホモ臭いワードを石田太郎ボイスで発しておいてノンケというのは無理筋でしょう。

 ケチで人使いが悪い癖に叔父危篤という知らせをわざわざ持って行ってやったのもホモであれば説明が付きます。恩を売っておいて薔薇の蕾を頂こうというプランです。ところが行ってみればなんとジャックはイニスと裸で戯れているのです。

 この時のアギーレの複雑な表情をご覧ください。驚きと悲しみと嫉妬が入り混じっています。アギーレは仕事を求めて翌年も訪ねてきたジャックを突き放し、件の恨み言をぶつけて追い払うのです。

 職場放棄をして快楽に耽っていた二人の落ち度は明白であり、アギーレの行為には正当性がありますが、根底にホモのジェラシーがあったのは否定できません。これもまたちょっとしたNTRです。

 そして問題は吹替の石田太郎です。石田太郎と言えばレクター博士であり、ロリコン伯爵であり、また生前は「ホモで悪いか」と豪語するサムライでした。BLなどという甘っちょろい言葉に収まらぬケツ物なのです。

 ただ、これについては安売りできない重要案件なので、今回はこの辺でよしておきます。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介します

『拝啓天皇陛下様』(★★★★)(日本バージョン)
『釣りバカ日誌』(★★)(本当に釣りに行くホモカップル)
『さすらいの用心棒/暁のガンマン 』(★★★)(ホモカップルの西部劇)

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 メキシコで体を売るのは嫌です

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