第24回 緋牡丹博徒(1968 東映)

 ヤクザ映画は任侠と実録の二種類に大別されると本noteでは何度か述べましたが、今回紹介する「緋牡丹博徒」は任侠映画ですがちょっと特殊です。というのも、主人公が女性なのです。

 時は明治中期、熊本は五木の侠客の娘で藤純子演じる緋牡丹お竜がその名のを通り緋牡丹の刺青を背に、父親を殺した辻斬りを探しつつ渡世修行で諸国を回るという筋です。

 藤純子の父親であり、かつて本物のヤクザであった俊藤浩滋が企画、ヤクザ映画の重鎮である加藤泰がメガホンを取り、鈴木則文が趣味丸出しで作り上げた男も女も別のベクトルで憧れる強く優しく美しい九州女像、そして何より藤純子の美しさは必見です。

 和の映像美に義理人情、ギャグパートにチャンバラも完備、古き良き日本映画の醍醐味が詰まった、ヤクザ映画は嫌いという人でもぜひ食わず嫌いせず見て欲しい一本です。

 女が主人公の映画でこのnote的にはどうなのかとお思いの方も居ましょうがご心配なく。脇を固める野郎どもがしっかりBLしてくれます。何しろゲストスターは健さんです。腐女子でもそうでなくても安心です。

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真面目に解説

女のヤクザ映画
 女性にヤクザ映画を執拗に勧めるnoteでこんな事を言うのはなんですが、ヤクザ映画は基本的に野郎向けです。しかし、世の中の半分は女性なのです。そこで女性も格好良いと思うような女侠客を主人公にという発想が産まれました。

 先にこのアイデアに気付いたのは大映で、江波杏子を主演に「女賭博師」シリーズが作られて当たりを取りました。これに乗っかって本作は作られたのです。 

 当時の東映は金!暴力!SEX!な野郎向けの映画ばかり撮っていて、女優はまさにコンドーム扱いされて冷遇されていました。こんなに美しい藤純子さえもポルノ映画に使っていたのですから勿体ない話です。

 逆転の発想で作られた今作は果たして大当たりを取ってシリーズ化され、藤純子が尾上菊五郎と結婚して引退するまで続きました。

 以来この手の男女とも集客を狙える戦う女主人公の映画は東映では一定の影響力を持つようになりました。梶芽衣子の「女囚さそり」シリーズや、志穂美悦子の「女必殺拳」シリーズといった作品群です。

 そしてヤクザ映画もすっかり衰退した昭和の終わりになってからは、ご存知岩下志麻の代名詞となる「極道の妻たち」へと繋がっていくのです。


鈴木則文的女性像
 お竜さんは美人で強くて優しくて凄腕の博徒で九州訛りという男も女も惚れるようなキャラクター造形になっています。欠点は音痴だけです。息子に遺伝しなくてよかったと歌舞伎ファンなら胸をなでおろすことでしょう。

 とにかくこのシリーズはお竜さんを観るための物です。賭場に出入りすれば見事な手並み、喧嘩となれば小太刀を振るい簪を投げ、時たま女の顔を見せて野郎どもを無自覚に惑わせ、女子供には優しく寄り添う。九州の女性が皆こうなら衆道など流行りません。

 『トラック野郎 御意見無用』でも述べましたが、この夢の九州女像は脚本の鈴木則文が作り上げたものです。今やあらゆる分野で用いられるようになっています。賞の類を嫌う氏の事ですから嫌がるでしょうが勲章物です。

 お竜さんは熊本は五木に一家を構える矢野仙蔵(村居京之輔)の娘で、豪商の若旦那との縁談が決まっていましたが、その矢先に矢野は辻斬りに襲われ命を落とします。

 一家は散り散り、縁談は破談。何もかも失ったお竜さんは緋牡丹の刺青を入れ、辻斬りの落としていった財布を手掛かりに、敵討ちと一家の再興の為の修行の旅に出るのです。


男女同権映画
 世の中の半分は女性ですが、残り半分は男性です。お竜さんが圧倒的存在感で躍動する一方で、野郎どもも負けてはいません。

 お竜さんサイドの男達は基本的に立派な侠客であり、それに加えて毎回ゲストスターがその男ぶりでバランスを取るのです。今作では高倉健が流れ者の一匹狼の片桐直治としてストーリーを盛り上げてくれます。

 当然健さんの男の中の男ぶりは性別不問で通じるわけです。女は強く、男は男らしくというスタンスで実にバランス良く、男女同権でこのシリーズは作られています。F1層にばかり群がっていては本当の名作は作れないのです。


道後の大親分
 お竜さんは岩国の賭場でイカサマを見抜き、不死身の富士松( 待田京介)という侠客を助け、それを恨んだ土地のヤクザに襲われたところを片桐に救われます。しかし、片桐はどさくさに手がかりの財布を持って行ってしまいます。

 そしてお竜さんは富士松の親分で道後に一家を構える熊虎(若山富三郎)の元へ向かいます。ところが熊虎一家は喧嘩の最中です。

 熊虎の元には矢野組の子分であった忠義者のフグ新(山本麟一)が身を寄せていましたが、松山の岩津組と揉めてしまったのです。

 この熊虎親分は鈴木則文が逆方向に気合を入れて作ったこのシリーズのもう一人の主人公です。人気が出てスピンオフが作られたほどでした。

 アホ丸出しのメイクで読み書きもできませんが、義理人情を心得ていていざ喧嘩になれば無茶苦茶強いという若山富三郎の為にあるような役です。

 フグ新もそれなりの侠客なので、責任を取るべく岩津組へ殴り込み行かせてくれと熊虎に頼みますが、熊虎は富士松がお竜さんに世話になった以上義理があるのでそれはできないと止めます。

 岩津組の方が大きく分の悪い喧嘩なので、熊虎は二人に巻き添えにすまいと金を渡して逃がそうとしますが、お竜さんは女なのに男の中の男なのでこれを拒絶します。


モテモテお竜さん
 そしお竜さんは拳銃を手に単身岩津組に乗り込み、手打ちを拒絶する岩津(金子信雄)相手に拳銃をぶっ放し、緋牡丹の刺青を見せて断るなら撃てと啖呵を切ります。

 そしてたまたま来ていた大阪は堂島のお神楽のおたか(清川虹子)という女侠客の大先輩がこの件を預かり、都合よく庭に咲いていた緋牡丹を撃つというとんちで岩津に手打ちを承知させます。これで笑って許す岩津は金子信雄にあるまじき潔さです。

 お竜さんの美しさと男ぶりに熊虎はぞっこんです。熊虎の妹の清子(若水ヤエ子)はフグ新が露骨に嫌そうにする中で熊虎とお竜さんの固めの杯を持ち掛けます。そして簡単に承知してしまうお竜さん。

 泣いて喜ぶ熊虎ですが、実はお竜さんは兄弟盃のつもりで承知したのでした。露骨に喜ぶフグ新と、露骨にガッカリする熊虎。まあ、藤純子では無理からぬ話です。

 かくして岩津を後見、おたかを媒酌人に四分六分の兄弟盃をしたお竜さんと熊虎。こんな立派な金子信雄は滅多に見れません。かくしてシリーズを通じて熊虎はギャグパートを一身に引き受けつつお竜さんを何かと助けてくれるようにます。


侠客という職業
 お竜さんは今度はおたかを頼ってフグ新と富士松を連れて大阪へ向かいます。おたかは千成組という組と反目して喧嘩しています。

 千成組組長の加倉井(大木実)は所謂経済ヤクザで、堂島の米会所の利権を狙っていますが、おたかは博徒なら堅気の仕事に手を出してはいけないと応じません

 忘れがちですが、ヤクザは博徒なら博打の寺銭で、的屋なら屋台の儲けで暮らすのが本当です。本来そういう職業なのです。

 しかし、俗にその本分で暮らすことができたのは明治まで、堅気に迷惑をかけずにやっていけたのは戦前までと言われています。侠客のライフスタイルと近代法は相性が悪いのです。

 加倉井は市会議員になろうとしています。明治から戦後にかけてはヤクザの親分が議員になるのはよくある話でした。今でもいないとは言いませんが…

 このシリーズの賭場や盃事のシーンは凄くリアルです。というのも、俊藤浩滋が昔の伝手で本物を招聘してアドバイスしてもらったのです。これは当時のヤクザ映画あるあるでした。


侠客の出自

 そんな加倉井の元に片桐が訪ねてきます。片桐は加倉井の兄貴分だったのです。しかし、加倉井は片桐が刑務所に入っている間に親分になってしまいました。

 兄弟関係と力関係が逆転するとヤクザは面倒なのですが、加倉井は片桐に命を助けてもらった事もあって丁重にもてなします。そしてさりげなく薩摩や長州を世間を変える事しか考えない田舎者とディスります。加倉井は元は会津藩士なのです。

 今も昔もヤクザは前歴を問わない稼業です。従って、常に社会の最底辺の人間が中心となります。今でもヤクザの多くは差別される出自の人物が多数を占めるのは知られた話です。

 当時は維新で失業した武家上がりがトレンドでした。教養があって喧嘩も強いので適性があったのです。

 そんな片桐が加倉井に差し出したのがお竜さんの財布です。これは元はと言えば片桐が加倉井に渡した物だというのです。

 加倉井は辻斬りに手を染めた過去を吐いてしまいます。辻斬りも失業した武家の転落先の定番でした。

 片桐は健さんなので男の中の男であり、義理人情を命より優先しますが、その一方で優しいので、お竜さんに会ったらどんな償いでもするという約束で目を瞑ります。かくして映画は悲しい方向へと進んでいくのです。


芸者とヤクザ映画
 富士松は大阪の出身で、芸者のお君という恋人が居ました。ところがお君はようやく居場所を突き止めた富士松を突き放します。

 なんとお君は加倉井が入れ揚げて身請けしてしまったのです。しかし、お君は富士松に未練があるので冷たく突き放すのです。ヤクザ映画ではもはや型というべき定番パターンです。

 すっかり仲良くなったフグ新相手にお君は死んだといじけ、四国へ帰るとお竜さんにこぼす富士松。お竜さんは女なのに男の中の男なので、こんな時こそ助け合うのが身内だと優しく富士松を励まし、またしてもお君と加倉井の元へ単身乗り込むのです。

 お竜さんは身請けの金を立て替え、加倉井に手を引くよう迫りますが、加倉井は外道なので片桐との約束を平気で破り、負けたら身を引くという条件で丁半博打の勝負を持ち掛けます。

 勝負はお竜さんが勝ってお君は助かりますが、加倉井はお竜さんにその代わりお酌をしろと迫るのです。お竜さんは女ですが男の中の男なので、加倉井に酒をぶちまけて帰ろうとします。

 しかし加倉井は外道なので、ドスを持った子分を使って脅しをかけて引き留めます。そして奥の間の襖を開けると布団が一つで枕は二つという臨戦態勢が整っています。会津藩は藩士にどんな教育をしていたのかと心配になります。

 そこへ片桐が待ったをかけて加倉井を殴り倒します。当然ながら無茶苦茶怒っています。これぞ健さんです。

 再会を喜びつつも、何故財布を持って行ったのか問い詰めるお竜さん。片桐は自分がやったと加倉井の罪をかぶります。

 お竜さんは得意の小太刀で仇を討とうとしますが、真犯人が別に居ることを見抜いて片桐を問い詰めます。しかし片桐は白状せず、人を殺すことの辛さを説き、しょせんあんたは女だと男論をぶって敵討ちを思いとどまらせようとします。

 お竜さんは誰が何と言おうと女なのに男の中の男なので、説得に応じません。健さんはこの際刺されて事を治めようとします。これぞ健さんです。お竜さんはそんな片桐を刺せず、悔し涙を流すのでした。


嗚呼チョメチョメ
 加倉井は外道なので、子分達には片桐が矢野を斬ったと説明して思い切り罪を擦り付けます。片桐をボロクソに言う子分たちをしり目に刀を手に取る加倉井。

 一方お竜さんサイドは親交を深めていきます。お君と一緒になった富士松に「お似合いの夫婦たい」とすっかり親友となったフグ新は嬉しそうです。

 フグ新はお君の妻帯の勧めに、親分の面倒を観なきゃいけないと独身宣言をしますが、富士松はフグ新がお竜さんに惚れているのはお見通しです。

 任侠映画はこういうハートフルなシーンが入ると誰か殺されてぶち壊しになる仕組みになっています。そう考えると悲しい映画です。

 一方、フグ新が子守を仰せつかっていたおたかのバカ息子の吉太郎(山城新伍)は馴染みの芸者に呼び出されます。この吉太郎は本当にアホです。山城新伍のバラエティ面が凝縮されています。

 そして吉太郎はチョメチョメしようとしている所を誘拐されます。オメコ芸者を利用した加倉井の罠だったのです。そして志賀勝以下東映の選りすぐりの人相の悪い連中を揃えた加倉井の子分たちは、堂島の権利を渡さないと吉太郎を殺すとおたかを脅迫に行きます。

 おたかも女なのに男の中の男なのでこの取引を拒絶します。しかし母親なので仏前で吉太郎を憐れんで涙を流します。こういうヒューマニズムと言うにはちょっと下品な義理人情が鈴木則文の得意技です。

 加倉井は外道なので、これに加えて冒頭でお竜さんにイカサマを見抜かれ、指を詰めさせられた挙句顔に傷を付けられた蛇政(沼田曜一)を呼び寄せ、お竜さんを闇討ちさせる算段をしています。


山本麟一という役者
 そこへ吉太郎の件で責任を感じたフグ新が忍び込んできます。そして加倉井が矢野殺しの真犯人だと見抜くのです。しかし多勢に無勢で、子分たちにめった刺しにされて虫の息です。

 しかし、片桐は加倉井が自分に罪を擦り付けた事をこの件で知ります。二人は決別し、片桐はフグ新を連れて出て行ってしまいます。

 そしてフグ新はお竜さんに加倉井が真犯人だと言い残し、お竜さんにお世辞にも上手とは言えない五木の子守唄をリクエストし、熊本時代の思い出に浸りながら息絶えます。

 回想シーンのお竜さんはそりゃあフグ新が惚れるのは無理もない可愛さです。すっかり親友となった富士松とお君の夫婦も泣いています。

 つくづくフグ新は忠義者です。そもそも一家離散に際してお竜さんの堅気になれという命令を拒否し、一家の再興を助けるべく修行に出たのです。

 演じる山本麟一は元は明大のラガーマンであり、そのガタイの良さと怖い顔を活かした悪役として活躍した人ですが、今作ではかように人情派です。

 大部屋役者ながら大学の先輩なので健さんも頭が上がらず、鶴田浩二の横柄さに怒ってタックルをかましてKOしたという伝説を持つ影の大物でした。

 健さんから信頼を置かれていたので健さんの映画にはよくお呼びがかかりました。悪役俳優なので普段は敵同士になることが多いのですが、たまにはこういう役もいいものです。


お待ちかねの殴り込み
 富士松は何処から仕入れたのかダイナマイトを持ち出し、フグ新に代わって殴り込みに行く決意をします。お竜さんは死んだらお君がどうなるのかと心配しますが、むしろお君が乗り気です。こんな奥さんが私も欲しいものです。

 一方片桐は単身加倉井の元に乗り込もうとして蛇政に襲撃されます。しかし、沼田曜一が健さんに勝つ法はないので簡単にひねられてしまいます。

 その間にお竜さんと富士松も支度が整い、オープニングでも流れた下手な「緋牡丹博徒」をバックに殴り込みへ向かいます。

 富士松が景気よくダイナマイトを爆発させて切り込み、その間にお竜さんが吉太郎を助け、拳銃を手に加倉井に迫ります。まずは拳銃で雑魚を整理して、小太刀パートに突入するのがお竜さんの殴り込みの型です。

 雑魚を富士松が片付けている間にお竜さんと加倉井が対峙します。しかし、片桐が蛇政を連れて駆けつけてきます。加倉井は外道なので蛇政を斬って始末してしまいます。

 何しろ健さんが相手なのでここではお竜さんも譲らざるを得ません。ここからはもう独断場で、雑魚をバッタバッタと斬りつつ加倉井に迫ります。

 それでもお竜さんは主役なので、加倉井に小太刀を折られつつも簪を投げつけて腕に突き刺してアシストです。最近和服は流行っていますが、着物女子の皆様は簪を投げる練習もしておくと差を付けられますよ。私みたいな変わり者の男はこれで落ちます。

 しかし最後は健さんがとどめを刺します。しかし、加倉井は外道なので生命力が強く、斬られても起き上がって後ろか最後の悪あがきを試みますが、結局斬られて息絶えます。

 そして手傷を負った片桐もお竜さんの腕の中で息絶えるのです。これまた都合よく庭には牡丹の花が咲き乱れています。

 そしてお竜さんは矢野組の二代目を襲名し、修行の旅に出ると口上を述べて続編を作る気満々で映画は終わります。

BL的に解説

加倉井×片桐
 お竜さんは女でありながら男の中の男ですが、結局は女性ですのでBLパートには登場しません。その代わり脇を固める野郎どもがこの部分をきっちり補完してくれます。

 何と言っても大トロはこの二人でしょう。二人が兄弟分となったきっかけは、ヤクザになって博多の組で病気になって死にかけていた加倉井を、客分の片桐が三日三晩に渡って寝ずに看病してくれたというものです。

 BL的には看病と言うのは勿論シモ込みとなっています。そしてここで注目したいのは、加倉井は元は会津藩士であったという事です。

 幕末の衆道と言えば一に薩摩で二に土佐と言う事になっていますが、会津も大変に衆道の盛んな土地でした。白虎隊の悲劇はショタホモの心中でもあったのです。

 健さんは私の中では総受けとは『日本侠客伝』でも熱弁しましたので、こういう掛け算となります。武士のプライドを捨てきれず、歪んだコンプレックスに支配された加倉井の股間の刀を優しく片桐は受け止めるのです。

 片桐はこの件で組に義理を作り、殴り込みに行かされて刑務所に入る事になります。そしてその殴り込みに際して例の財布を加倉井にくれてやったのです。

 どれだけ加倉井が好きなんだという話です。加倉井の外道ぶりは会津藩の藩士教育への疑念を抱かせるものですが、少なくとも股間の剣術については完璧であったことが伺えます。薩摩はともかく、衆道を藩法で禁じたばかりに反吐の出るような女狂いばかりの長州など目ではありません。

 加倉井もそんな片桐に恩義を感じ、片桐の母親の供養をして墓を建ててやり、パワーバランスの崩壊を厭わず片桐を組に迎え入れます。片桐も片桐で辻斬りの件を知りつつ「昔のまんまのお前で居て欲しい」と甘々です。この夜はお楽しみです。

 しかし、加倉井は苦労に苦労を重ねてますます歪んでしまい、二人は決別します。健さんは自分から杯を返して去っていき、加倉井を叩き切りますが、加倉井は最後に「兄貴」と言って息絶えるのです。

 こんな事になっても加倉井は片桐を大切な兄貴分だと思っていたのです。この映画の隠された悲恋物語です。しかし、加倉井は兄貴に殺されて本望だったことでしょう。


富士松×フグ新
 富士松は喧嘩を未然に防いだお竜さんへの恩義に報いる為に富士松をお供に付けて大阪に寄越します。そしてお竜さんに仕えるうちにフグ新とは無二の親友となります。

 一見美しい友情に見えますし、実際その通りなのでしょうが、腐りきった私にはその一方で熊虎の策謀が見えるのです。

 熊虎はシリーズを通してお竜さんにべた惚れですが、フグ新というあまりに強力なライバルが居ます。あのままフグ新が生きていたなら二人が引っ付くのは時間の問題だったでしょう。

 そこで富士松を付けてけん制したのです。フグ新を不幸にするような手を取る熊虎ではないので、穏便にフグ新を心変わりさせる戦術を取るのです。

 ヤクザがアンコ(受け)を飼う理由は『脱獄広島殺人囚』でも述べました。アンコはやり過ぎると不能になるのです。純朴な田舎青年であり、熊本の侠客であるフグ新をメロメロにするのは富士松にはさほど難しい事ではないのです。

 富士松の肥後ずいきのような不死身のドスがフグ新のケツのしびれフグにぶち込まれて二人が損得抜きの仲になったのは明白です。

 お君に富士松がフラれて帰って来た時も、フグ新は心から富士松を応援してたのが見て取れます。そしてお竜に二人は助けを求め、お竜さんの尽力でめでたくお君と富士松は結ばれるのです。

 フグ新はお竜さん愛を捨てずにいますが、その一方で二人の仲はますます親密になっていきます。お君もお君で「喧嘩相手がないちゅうて寂しがってる」「女より男の方が好きみたい」などと進んでコンドームになりに行きます。

 そしてフグ新はその直後に加倉井の元へ殴り込みに行って命を落とします。フグ新は臨終に際して富士松に「わしは役立たずたい」と弱音を吐きます。お竜さんではなく富士松にです。

 そして五木の子守唄でとどめを刺されたフグ新を前に富士松は「われが死んだらわいは誰と喧嘩するんじゃ」「一言相談してくれれば」と夫婦で泣きます。なんと美しい愛でしょうか。しかも嫁さん公認です。

 そして富士松は「死んだフグ新の代わりに」とダイナマイトを持ち出して殴り込みを決意するのです。もはやフグ新への愛が自分へのそれを上回っていることを知っているお君もむしろ焚き付けます。

 そして富士松は見事フグ新の仇を取りました。二人の愛は熊虎にも、お竜さんにも制御不能のダイナマイト級だったのです。

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 私は土佐藩士の子孫なので加倉井みたいにならないとも限りません

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