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第70回 地獄(1960 新東宝)

 お盆です。日本が最も暑くなる季節であり、ご先祖様が娑婆に戻ってくる季節であり、お盆休みに合わせて大作映画が封切られる季節です。

 即ち第六の映画会社、新東宝の得意とする怪談映画の季節であります。というわけで、ノンケ女に渡すわけにはいかない私達の天知茂主演による怪談映画の金字塔『地獄』でお送りします。

 公開後まもなく倒産の憂き目を見た新東宝の集大成というべき作品であり、もはや倒産は時間の問題と作る方も分かっているので大変に気合が入った作りになっています。

 時代が時代なので地獄のシーンはチープに見えますが、怪談映画の大家中川信夫による不気味な演出と救いようのない陰惨な脚本はそれを補って余りある強烈な印象を残し、とにかく凄い物を見てしまったと思わせます。

 また、仏教の地獄をこれ程気合を入れて描いた映画は他に例がなく、海外でもカルトムービーとして高い評価を得ている、まさに日本を代表するホラー映画です。

 そして、本作は名目上は天知茂が主演ですが、その実彼を執拗に地獄に誘う沼田曜一こそが真の主役であり、彼の映画史上まれにみるヤンホモぶりこそが本noteにおけるこの映画のポイントなのです。

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真面目に解説

怪談という文化
 怪談というのは本邦の文学の草創期には既に存在した大変に歴史ある文化でありますが、何故夏がシーズンになっているのか考えた事があるでしょうか?

 これはちゃんと合理的理由があって、怖い話を見聞きすると人間血の気が引くので寒気を感じます。言うなれば昔の人にとって怪談は冷房だったのです。

 エアコンが普及したのは案外最近の事で、半世紀も前の地方都市だとクーラーは金持ちの家と気の利いた喫茶店にしかないのが普通でした。

 従って、映画館もクーラーの代わりに怪談映画で涼を提供しようというのは当然の発想で、怪談映画というのが昔は盛んに作られました。その怪談映画に一番力を入れたのが他ならぬ新東宝だったのです。


新東宝という映画会社
 本noteは東映からスタートし、各映画会社のカラーを紹介すると称して大映東宝松竹日活と各社のカラーを象徴するような映画をレビューしました。

 しかし、配信されていないだろうという思い込みから新東宝だけパスしてしまい、この度ようやくレビューする運びになったわけです。

 新東宝が売りにしていたのがエログロと古臭さです。新東宝の社長だった大蔵貢は浅草の活動弁士出身で、映画興行は見世物小屋の延長線上にあるというイデオロギーに基づいて映画を作っていました。

 私の母親は祭りで見世物小屋に触れた世代で、脚は見せないけどオッパイを見せるタコ女に野郎どもが欲情して大人気だったという思い出を事あるごとに話してくれたものです。見世物小屋とはそういうノリの興行なのです。

 従って新東宝の映画もそういうノリで作られています。本作も特に必然性もなくOPに裸の姉ちゃんを出したり、エロい格好のダンサーをローアングルからじっくり撮ったりしてお色気を欠かしません。

 そして本作にストーリーは有って無いに等しく、ひたすら現世での登場人物の醜い所業と、地獄に落ちた彼らが責め苦を受ける様が続くのみです。とにかく客を驚かせれば勝ちというわけです。

 本作に限らず怪談は新東宝の得意分野で、こんなのを沢山作り、飽きられた頃に短く編集して改題の上で三本立てで興行するような商売をしていました。つまり、新東宝は映画という物に対するスタンスが他の会社と根本的に違うのです。

 そして、古さが売りと言うとまさかと思われるでしょうが、これも誇張ではありません。新東宝の映画は同年代の他社の映画と比べて明らかに古臭い作風です。これに需要があったのです。

 当然他社は当時の最先端を行く映画を作っていました。流行を追い求める大衆はそういう映画を求めるわけですが、いつの世も流行に乗らず、あるいは乗れずに生きる人が居ます。

 昭和30年代の地方格差は今の比ではなく、NHKしか入らないラジオ、芝居小屋を転用した映画館、旅回りの下手な浪曲師だけしか娯楽の無い農村が一杯ありました。

 そういう流行もへったくれも無い土地で一番喜ばれたのが他ならぬ新東宝の映画だったのです。新東宝の映画はどこか野暮ったくて大袈裟ですが、それが新東宝のカラーであり、値打ちなのです。


モテモテ茂様
 名目上の主人公が大学生の清水四郎(天知茂)です。既に三十路の天知茂が大学生です。それも60年代にもなって学ラン姿で。

 新東宝の映画に対するスタンスがこれだけで察せると思います。それに違和感を感じないような人たちに向けて映画を作っていたのが新東宝です。

 清水は我らが天知茂だけあってギリギリ20代だというのに男のフェロモンは既に異常分泌で、当然ながらモテモテ。婚約者の教授の娘を皮切りに4人に言い寄られるという色男ぶりです。

 この清水が殆ど貰い事故の形で罪を重ね、実行犯共々地獄に落ちて仲良く責め苦を受けるわけですが、本作の天知茂は新東宝怪談映画の両横綱というべき『東海道四谷怪談』での外道ぶりと比べれば基本的に善良な男であり、存在感が希薄です。


新東宝の綺麗どころ
 新東宝の社長である大蔵貢は「女優を二号にしたのではなく二号を女優にした」というMetooも糞もない映画史に残るパワーワードを残しています。

 それだけに新東宝の女優はムチムチの良い身体をした綺麗どころが揃えられています。男の方も目付きの鋭いちょい悪風の二枚目が揃っている件についての危険な考察『座頭市物語』でもうしました。

 本作の主演女優は清水の婚約者の幸子(ゆきこ)と最後の女のサチ子で一人二役の三ツ矢歌子です。

 新東宝女優陣は大蔵の二号という前提があるのでちょっと演技が怪しく、新東宝倒産後は他社での脇役を経てフェードアウトしてしまった人が多いのですが、彼女は特に有望だったとされ、新東宝倒産後も昼ドラで大活躍した名女優です。

 その他亭主の敵と清水を狙う洋子(小野彰子)、清水の父親剛造(林寛)の妾絹子(山下明子)と、まさにフェードアウトしてしまった女優陣がエロく怪しく花を添えます。スクリーンの中では彼女達は永遠に美しいのです。


中川信夫という熟練工
 本作の監督である中川信夫は怪談映画の大家として歴史に名を残していますが、映画だけで100本近くの監督作品を持ち、言われるままに何でも撮ってきた職人型の監督です。

 他の監督が断った企画が全部回ってくるとは本人の弁ですが、それはあまり期待されない映画を撮り続けたという事であり、その立場を利用して実験的な手法で好き放題撮ってきたので非常に癖の強い仕上がりになります。

 本作はハッキリ言って中身のない映画ですが、モンタージュが多用されて視覚的に非常に強烈な印象を残します。気の弱い人は見ていて嫌になってくる事請け合いです。つまり怪談映画としてはこれで正解です。

 あまりにどぎつい仕上がりになったので大蔵社長は変なのが出来てしまったと頭を抱えたそうですが、結果として後世に残ったのが名画です。新東宝という会社を象徴する映画は本作をおいて他にないのですから。


まだ地獄は御免だよ
 本作の音楽を手掛けたのは渡辺宙明。90歳を超えているというのに2chの自分のスレで自演をして顰蹙を買い、アイドルマスターに楽曲提供しちゃう驚異の元気の持ち主であり、特撮の世界では知らぬ人の無い巨匠です。

 まだ特撮というジャンルは未発達なので、当時は専ら新東宝で映画音楽を手掛けていました。和のテイストが強い反面、要所要所で我々の知るジャジーな宙明サウンドも聞こえてくる本作のサウンドトラックは非常に秀逸です。

 とりわけ要所要所で入る不気味な歌は本作の胡散臭くも只事ではない空気への貢献大です。外国の人にはさぞ気味悪く聞こえるはずで、本作が海外でも高く評価されているのと無関係とは思えません。

 ちなみに、冒頭で流れるナレーターを担当しているのは先日亡くなった若山弦蔵です。


ベストアクト
 本作における清水はむしろ巻き込まれる被害者であり、名目上の主演に過ぎません。では事実上の主演は誰か?これが沼田曜一演じる同級生の田村です。

 得体の知れない不気味な男で、清水に付き纏い、清水を地獄送りにする直接の引き金になった男で、『ファウスト』のメフィストフェレスをイメージして作られたキャラクターだと言われています。

 大酒飲み同士で気が合ったのか、沼田は配役に頓着しない中川信夫の数少ないお気に入りでした。しかし、その一方で中川信夫という人は演技に「さりげなく」というざっくりした注文しか付けずに役者を試すような事をするので、この役に沼田は大変に苦しんだそうです。

 苦しんだ甲斐あって沼田の芝居は完全に天知茂を食っています。沼田は酒癖が悪くて大成できなかったと言われますが、本作の一世一代の名演がそれを補ってきたのは明らかで、日本のホラー映画のもう一つの金字塔である『リング』に出演したのもそれを物語っています。


生きても地獄死んでも地獄
 登場人物は次々適当に死んでいきます。病弱な清水の母のイト(徳大寺君枝)もその一人で、剛造が経営する養老院で惨めに病没します。

 この養老院というのがまた酷く、剛造は補助金をピンハネし、藪医者を使って入っているお年寄りを粗末に扱い、最後はそのお年寄り諸共全員死んで地獄に落とされます。

 現代日本の抱える深刻な介護問題を先取りするような実に嫌な演出です。適当な脚本の反面、こうして徹底的に人を不快にさせる工夫が凝らされています。

 地獄というのは嫌な奴が落ちることを期待して創造されたものなので、厳密に基準と照らし合わせれば極楽に行ける人間など滅多に居ません。従って全員地獄行きです。尺の実に半分が地獄の責め苦に費やされます。

 仏教の地獄は八大地獄という地獄にそれぞれ十六小地獄が付属していて責め苦のバリエーションは非常に豊富であり、映画の後半はまさにグロの見本市が繰り広げられるのです。

 閻魔大王は新東宝の看板スターだった嵐寛寿郎ですが、メイクバリバリの上に声も加工され、おまけにノークレジットなので全然判別できません。

 とにかく閻魔大王が色々と罪状を延べて地獄のガイドも入れつつ責め苦が繰り返され、全く救いなく映画は終わってしまうのです。


BL的に解説

田村×清水
 何故清水が地獄に落ちる羽目になったか?これは元を辿れば田村が清水に執着してトラブルを呼び込んだからです。

 考え見て下さい。地獄に落ちろだの地獄で会おうだのというセリフは午後ローで週1回は聞きますが、本当に一緒に地獄に落ちたカップルというのは他に居ません。つまり、田村は映画史上最強クラスのヤンホモなのです。

 田村のヤンホモは開始早々凄まじく、清水が幸子と婚約した夜、幸子の父の矢島教授(中村虎彦)に嫌われているのを承知でお祝いに訪れます。

 赤い薔薇一輪と、矢島教授が戦時中に仲間を殺した証拠写真を携えて勝手に家に入って来てケレン味過剰で清水を祝福する田村。このワンシーンだけで詰め込み過ぎです。

 第一に赤い薔薇一輪というチョイスです。こんなの私はホモですと言っているも同然です。それを婚約の祝いに持ってくる。これは一塁ランナーの頭めがけた150キロの牽制球です。

 第二に証拠写真です。写真には矢島教授が戦友とわずかな水の入った水筒を奪い合う光景が写っていますが、そんな写真を誰が撮り、どうやって田村が手に入れたのかは全くの謎です。

 田村は戦友会で尻を売ったのか、悪魔と取引したのか、とにかく写真を手に入れて現れたのです。これは明確な嫌がらせであり、田村がこの縁談について本心から祝う気は毛頭ない事が明らかです。

 そして田村は清水を車で送って帰します。そしてちょっと苦学している清水に金を押し付けて「俺は君が気に入ってんだよ」とドライブデートに大はしゃぎです。

 その上で田村は清水が幸子と既に肉体関係があり、事によっては妊娠していると揺さぶりをかけます。

 何でも知っていると自称しますが、どうやって調べたのでしょうか?覗いたのか、臭いで気付いたのか、それともゴミ捨て場で怪しいチリ紙でも見つけたのか、いずれにしても半端ではありません。

 その矢先事故が起こります。田村は酔っ払いのヤクザ(泉田洋司)を車ではねてしまい、そのままひき逃げします。

 清水は基本的に善良な男なのでこれを咎めますが、田村は聞き入れません。ここにも私は田村のヤンホモを見てしまうのです。

 このケースで清水が罪に問われることはないのですが、本作では清水は田村と同罪として扱われ、ひいては地獄に落ちる契機になります。ここに田村の狙いがあったのです。

 つまり、田村は清水を無理矢理共犯者にする事で関係の強化を狙ったのです。ヤクザの命はワセリンでしかないのです。幸子は身ごもっているので恋敵の田村がコンドームを使うはずがありません。

 清水は田村を告発するために出頭しようとします。それも自分も共犯だから一緒になどといじらしい事を言うのです。これは嫌な奴だなんだと言いつつ清水も田村を憎からず思っていた証拠のように思えます。

 ケンカップルBLの定法、嫌いな奴の事ばかり考えているうちにそいつの事しか考えられなくなる現象です。

 しかし、そんな清水の献身を田村はヤクザなんかと我々の精神を引き換えにするのは御免と突っぱねます。

 呆れて帰ってしまう清水ですが、田村は「俺が運を開いてやったんだから落ちる時も一緒」とヤンホモを爆発させながら高笑いです。そう、田村は有言実行なのです。

 清水は幸子に泣きつき、矢島教授に相談しようという事になります。しかし、虫が知らせるのか車に乗るのを嫌がる幸子を無理にタクシーに乗せて警視庁へ向かったのが間違いの下でした。

 清水には運転手が一瞬田村に見えます。その次の瞬間タクシーはクラッシュし、幸子は死んでしまうのです。

 まさに田村の怨霊のなせる業。車をぶつけるくらいならヤンホモのやりそうな事ですが、これは文字通り呪い殺したわけです。桁が違います。

 ショックでエロダンサーの踊る怪しいバーで飲んだくれる清水。ダンサーがサービスしてくれるというのに、田村が「俺を売ろうとした」と脳に直接恨み言を語りかけてきます。

 そこへ例のヤクザの情婦だった洋子が因果も知らず言い寄って来て、ホテルで爛れた一夜を過ごしてしまいます。この分だとヤってる最中にも時々洋子が田村になって揺さぶりをかけたのでしょう。

 清水がひき逃げ犯と知った洋子はヤクザの母やす(津路清子)と共謀して清水の毒殺を狙いますが、そこへ母危篤の電報が届き、慌てて里帰りして清水は難を逃れます。

 明らかに長くない母、それをいい事に妾の絹子を囲う外道の剛造、そして剛造の旧友で居候の画家の円斎(大友純)と、その娘のサチ子に出会います。

 絹子は若い身体を持て余して清水に言い寄り、清水は清水で幸子と生き写しのサチ子と接近しますが、そこへ唐突に田村が追ってきます。桃太郎侍並みのタイミングの良さです。ホモ特有の第六感としか言いようがありません。

 それなのに母親がついに死んだメンタルの乱れからか実家に田村を招き入れてしまうのが清水のお人好しぶりであり、田村が清水に執着する所以でしょう。

 そして、田村はこれから地獄に落ちる糞野郎連中がどいつもこいつも法的な罪に問われるかはともかく殺人を犯しているのを糾弾します。

 とりわけ剛造にねっとり手厳しくかますのが清水への愛です。俺の清水にこんな汚らわしい父親が居るのが許せないという田村の純情なのです。そして、初対面の連中の罪状をどうやって調べたのかはやっぱり謎です。

 その翌日、養老園の創立十周年の祭りが能天気に執り行われます。喪に服すという概念がないのとブラスバンドの稚拙な演奏が狂気を演出します。

 そこへ洋子が追ってきて、吊り橋の上で清水を射殺しようと狙い、失敗して橋から落ちて死にます。

 それを見計らったように今度は田村がやって来ます。田村にしてみれば洋子も許せない女なのでこれはやりそうな事です。

 田村のせいでこんな事になったと怒る清水に田村は「君はいつでも俺の言う通りに行動してればいいんだ」とスーパー攻め様宣言をしますが、揉み合いになって撃たれた挙句洋子同様落ちてしまいます。

 田村の名を呼び罪の意識に泣き崩れる清水。死して相手の心に消えない傷跡を残すのはヤンホモの王道ですが、田村はこれで終わらないから映画史上最強レベルなのです。

 その夜、十周年記念の死ぬほど能天気な宴会が行われ、一層の狂気を感じさせます。そこへ死んだはずの田村が現れてサチ子を射殺してしまうのです。

 おどろどろしい白塗りで決めた田村の首を絞める清水。養老院の全員に毒を盛ってこれまた清水の首を絞めるやす。かくして登場人物全員地獄送りとなります。

 三途の川でも清水を待ち受けている田村。「俺と一緒に」地獄へ落ちていくのだと宣言する田村がここへきて清水君から四郎と呼び捨てになっているのにも注目です。

 幸子の生まれてこなかった子供も交えていよいよ地獄絵図が展開されます。田村は子供を探して地獄をさまよう清水の行く先々に現れてひたすら揺さぶりをかけて盛り上げます。

 田村にとっては清水と一緒に居れば地獄もエデンというわけか、田村は「お前は俺といつまでもこの地獄に住むのだ」と重すぎる愛を語り、痴話喧嘩なんてしちゃいます。もはや天知茂は完全に脇に回ってしまっています。

 ついでにサチ子が清水と異父兄妹と判明しますが、そうなると今度は田村はやっちまえと焚き付けて絶好調です。「そうしたら俺と同じ地獄の虫になる」という分かったような分からないような理論に田村の狂いっぷりが見て取れます。

 「お前はどこまでも俺と一緒に行くんだ」と完全に勝った気でいた田村でしたが、長子に乗り過ぎました。閻魔大王に「人間の良心を悪魔に売り渡した」という罪でいよいよ責め苦を受ける運びになります。

 しかし、責め苦を受けながらも田村はひたすら四郎の名を唱え、助けを求めるのです。しかし決して死ぬことはできず、田村はいつまでも四郎を求めながら責め苦を受け続けるのです。

 本作はカルトムービーの歴史に永遠に残る一作ですが、永遠に死ぬことのできない田村の清水への愛はまさにカルト。ホモ地獄なのです。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介します

『座頭市物語』(★★★★)(その後の天知茂)
『女囚701号/さそり』(★★★★★)(その後の沼田曜一)
『ベン・ハー』(★★★)(西洋最強のヤンホモ)

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 良い映画だと思った。解説が良かった。憐れみを感じた。その他の理由はともかく、モチベーションアップと資料代他諸経費回収の為にご支援ください。

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