いい大人がジダンダを踏んでしまった
まだまだ私は子供で心も器も小さい。
アラサーなんですけど
今日、久々にジダンダ踏んじゃいました。
アラサーがジダンダって・・・世も末だわ。
しかも公共の場で、駅の改札近くで…
(後ろを歩いていた20代前半くらいの女性のお方、大変お見苦しい姿をお見せして申し訳ありませんでした。)
「変な目で見られる」ってこの瞬間の為にあるのだと思いました。
きっかけは顧客からの要求。無理難題。
→電車に乗っている時、顧客から電話が・・・嫌な予感はしていましたが、電車をおり、電話に出たら案の定顧客から無理難題をツラツラと言われ、終わりの見えない仕事にストレスを感じてたのでしょうか。
気づいた時には
足をジダンダしていました。
サラリーマンしてたらそんなことは日常茶飯事で、上司やお客さんから無理難題を言われて、それでも歯を食いしばって生活の為に必死こいて日々の業務をこなしていく。
大学を卒業し、社会人になって早8年程でしょうか・・・
成長してないやん自分。
・死ぬほどお客さんに罵倒される
・上司に給料泥棒と言われる
・「早期退職どうだ?」と打診される
・5年間目標予算を達成できない
これくらいのレベルだったら納得できるんですが、ジダンダに至った自分の心のキャパシティが分からなかったのです笑
色々な要因はあると思います。
・コロナで奪われた楽しみにしていたプロ野球開幕の延期
・転職活動を進めたいのにエージェントからのレスポンスが遅い
・メルカリで出品したものが売れない
・急にきた寒気
・コロナの影響によって想定される少ナス(ボーナスが限りなく少ない事)
心の余裕、無くなっていたんですかね。
いずれにせよストレスはちりつもでジダンダに発展するということ。
さて、
小学校の頃に「なりたい自分」みたいなテーマで冊子みたいなの作ったと思うんですが、
わたしはそこに
心の広い人間になること
と書いた記憶があります。
「ジダンダ踏んどいてそれはないやろ」
ごもっともです。
でも、なんだか少し安心しました。
**「あぁ、まだ成長の余地あるんやなあ」
**
と。
「いい大人が何を成長て…」
受け入れます。私はまだまだ大人の仮面をかぶったガキ。
今日も新たな気づきありがとう。お客様。
再出発です。
”私はもっと心の広い器の大きい大人になる”
今日は夜風が寒いですね。みなさん風邪引かないように
agrimanでした。