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2024年3月8日の学び

オープニング

今回は、3月8日に東京で行われた『POTLUCK FES’2024 Spring』で刺激・衝撃を受けたことをまとめていく。前回のAutumnに参加したこともあって、前よりかは緊張もせずに挑めたし、何より気づいたことをメモに残せたのが大きい。

ということで、早速記していく。


POTLUCK FES’2024 Spring

はじめに

まず、全体の感想というか率直な感想として、このイベントでは「想い」を残すことの重要性を痛感させられた。全体的に令和6年能登半島地震の話が重要な鍵になっていて、その復興に対する我々のあり方について深く考えさせられる機会でもあった。

どういうきっかけで行ったのかを、参加者によく質問されたので、ここでも書いておくと、とあるイベントで、ひょんなことから八重洲街づくり推進室事業グループ主任の上垣和さんと繋がることができて、その繋がりを通して前回の”POTLUCK YAESU 2023 Autumn”に招待された。そのことをきっかけに今回もこのイベントに招待され、参加することができた。

※参加した時の感想は、以下のNoteから読み返すことができます。

OPENING SESSION

個人的にこの時間が一番実りのある時間だったし、エネルギーを使った時間になった。このsessionでお話しされていた高橋博之さんの熱弁には本当に圧倒されたし、終始思考をぐるぐる巡らせていた時間になった。その中でも特に印象的な言葉をここに残しておく。

  • 『今回の震災は日本の分水嶺になる』

ここで日本全体が震災に向けてどのように取り組むのかが、今後の日本の未来を大きく変える、という旨で言われていた。この場で恥ずかしながら『創造的復興』というフレーズを初めて聞いた。この復旧・復興によって日本を再構築していくことの大事さを改めて感じた。(『創造的復興』とは、3.11の震災時にも言われていた概念、考え方である。震災前の元に戻すだけの復興とは異なり、被災前の構造的問題を外部資源によって解決する復興である。前者の場合、人口も戻らない過疎な状態になってしまう。一方後者は、社会性と経済性を巻き込んだ取り組みになりうる。さらに、外部資源がたくさん流入できる機会でもあるため、たくさんの関係人口が生まれるきっかけにもなる。)

現状の問題として、被災地が静かすぎることと、能登との関係人口が少なすぎることが挙げられていた。被災地が地理的問題で人やテクノロジーの流れが滞っているという根本的問題があることや、輪島塗を代表とした日本古来の文化が残っているという能登の魅力についても語られていて、すごく他人事にはできない、したくない気持ちが湧いた。

また、県民性や土地柄の影響か、現地の人々の声がなかなか多くの人に届かないという課題も声高に言われていて、そこが個人的にはかなり気になったポイントだった。

  • 『地方と都市との分断』

現代日本において、異質なものとの対立”Conflict”が希少になっている、避けられているという状況である、という新しい発見というか大きな衝撃を受けた。高橋さんが言うには、成熟社会への舵取りができていない状態で時間が流れていることで引き起こされた弊害・問題とのこと。これによって35年程度足踏みした状態に陥っていると言われていたが、次世代への種まきの準備ができずに腐っていったと自分は解釈した。

  • 『消費者的人格と受贈的人格』

現代日本における生産者と消費者とのバリューチェーンの壁が厚いというか、生産者と消費者が繋がっているという感覚を味わえないといった課題について、高橋さんが立ち上げた「マルシェ」との関わりを含めて語っていた。個人的には『消費は選挙と同じ』という【自分ごとにできるか、他人ごとにしているのか】という心を揺るがす言葉にドキッとさせられた。その話の流れで出てきたのが『人格』の話で、『手間と時間をかければ人間関係が生まれる』という【間の考え方】には非常に日本味というか日本の根本的な精神性を垣間見えた。

たくさんの具体例を聞く中で、ここにおける“受贈的”とは一種の“贈与”に近い考え方である、と解釈できた。それによって、先述したバリューチェーンの話の解像度が上がった。さらには、消費的とは自己の世界で完結した円の中での行動であり、受贈的とは自己と複数の他者が入り込んだ立体的な世界での循環した行動とも解釈でき、後述する「自治」の話がより理解できるものになった。

  • 『「自治」とは自ら稼ぐ力であり、自ら考えて価値にする力である』

辞書には「地方公共団体が、その範囲内の行政・事務を公選された人によって行なうこと」と記述されているから、この考え方は「“新しい”自治」とも解釈できる。さらにはお話の中で【新しい資本主義とは、社会課題をエネルギーにして自治していくこと】という非常に興味深い考え方が出ていた。以前の岸田首相のお話の中に出てきた“単に今までの資本主義の課題を解決するだけの経済活動とも言える抽象的な考え方”ではなく、“スタートアップや民間団体の影響力の重要性を訴えていることや、我々は今まで以上に社会課題について認知するためのレイヤーを高める必要があることを理解させられるような力強い言葉が出ていることなど、ある程度具体的な要素がある考え方”だった。

「新しい自治」の形をより具体例を用いて説明しているとも思えるお話が、後述する能登震災復興のパートで度々現れていた。

  • 『社会に出ている人々の背中が死んでいる』

この言葉は、度々大きな自然災害が起きる日本において、中央集権制の弊害として社会的自発性が喪失している傾向が見られるというお話の中で出てきた言葉で、すごく今改めて振り返ってもすごく鋭利な言葉だなと思う。実際に社会人は言うまでもなく、学生や子供たちもどこか諦観というか心苦しさを持った状態でいるのを、度々目にする。ここから、この一つの要因として、数字やすでにある客観的な意味だけが価値を持つといった思考に陥り、そこから脱却できていないのではないかという仮説が生まれた。アレントの研究をその仮説とともに進めるのも面白そうと考えた。

阪神・淡路大震災のボランティア元年が一つの転機となってよりその喪失について自覚させられたとのこと。その自覚によって「大“生”奉還」というテーゼが生まれたというお話もあった。そのテーゼについては初めて聞いて、この10年でより大きなパワーを持てる言葉になると感じられた。

このテーマの中にはミシェル・フーコーの「生権力」という考え方も登場していて、高橋さんの持つ教養の凄さというか幅広さに圧倒させられた。「生権力」についての詳細はここでは省くが、その考え方の流れで、国有化された“生”の奪還という話が出てきて、これはニーチェの『権力への意志』に出てくる「生」の考え方、アレントの『人間の条件』に出てくる「人間像」の考え方にもすごく刺さるのではないかと気づかされた。


このsessionの根幹部分を切り取っただけの話になったかもしれない。しかしその分、改めて自分でじっくり考える時間になったし、高橋さんの登壇が大変価値のある時間だったことを再確認できた。ただ、言語化していく中でかなり大雑把になった分、消化不良感を与えてしまったら申し訳ない。今回の振り返りの時に知ったが、高橋さんがPodcast をやっていて、ためになる要素が非常に多く含まれているので、まずはそこから高橋さんについて知ってもらえたらと思います。

“プレイフルドリブン”

このトークセッションでは、以下の4本柱で繰り広げられていた。
ここからは、その柱の中での気づきを記していく。

  1. プレイフルドリヴンとは?

  2.  外部が地方創生に参入するには?

  3. 地方創生で経済はどうまわるのか?

  4. 何を取って何を捨てるのか?

  1. 登壇者の一人である丑田さんの造語で、有意性や必要性から外れた遊びでもって、地域での取り組みや営みを動かしていくこととのこと。これは意義や存在価値を一度保留して取り組んでいるとも言えると考えた。またこの考え方はヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス論」に通ずる部分があり、トーク後に直接丑田さんにお伺いしたら、その点も意識していると言っていた。

  2. “遊びの有力者”や“その土地のキーマン”を、その土地の中での取り組みや生活を通して見出し、どれだけ会えるかが大切と言っていた。その中で、苦手な人との関わりもいつかはプレイフルなものに変えられるとも言っていた。地域特有の“空気の社会性”とどのように相対するのか?という質問が参加者から投げられ、チームで地域に参戦することでn対nの形に持っていくという回答だった。これは、チーム特有の空気感を自分たちも創っていくことになると解釈した。

  3. Opening Sessionの高橋さんのお話にも出てきたが、外部から第三者が参入することで新たなつながりが生まれ、その関係人口でもって経済を回すことが可能になるというニュアンスでお話が進んでいた。個人的にはこのお話の中で、「根を張れ」という考え方が一番興味深いものだった。それは、その地域の歴史的背景を深掘りすることで、販売方法や販路、企業のストーリーを広げたり深めたりすることを指す。そこで、それらによって文化がより高次的なものにできるのでは、という仮説が生まれた。そして、高次的な文化では自然と人間との関係がより密接になると考える。

  4. その問いは現代の日本行政が苦手なアクションと言われていて、すごく他人事にはできないとも感じさせられた。その話の中では、狩猟採取民のOSと農耕民の脳のOSとの併用という、非常に興味深い話があった。前者の話は、“特定の山を100%所有するのではない”“遊牧民的な生活様式を持つ”といった「マタギの思想」にも通ずる部分があり、”POTLUCK YAESU 2023 Autumn”の「多拠点生活」の話ともつながった。

大雑把にまとめると、“プレイフルドリヴン”=感性的・好き←→“意義・意味を求める行動”=理論的・ロジカル、であり、“プレイフルドリヴン”時にはあまり意味づけを急がない方が良い、ということ。
質疑応答の時間では先の質問以外にも色々質問があって、その中で気になったお話として、“パクッとするアクション”のお話を挙げて、このセッションの気づきを締めくくる。このお話での質問は、初学者向けにお勧めする“プレイフルドリブン”のアクションには何があるのか?ということで、回答は、町おこしをすでに大きいスケールで実行している地域に参入しながら学んでいくこと、という非常にシンプルな話だった。その補足として出てきたのが、「地域にいる“開いている”視点を持つ人を“パクッとする”」という話だった。このお話は、今まで参加してきた『Feel→Do(フィールド)』にも通ずると感じ、自分ごとしていきたいと思えたものだった。

また、海外評価の高い日本の要素やファクターを、日本国民が理解できていない状況に少し危機感を抱いていた分、日本人の多くの人からコンセンサスを得られるような“プレイフルドリヴン”アクションを積極的に取りたい!と思った。
お話のラストには元京都大学総長で、地球研の代表である山極壽一さんのお話が出てきて、『共感革命』についての概要を理解できていたので、すごく楽しく終わることができた。


能登震災復興

最初は、トイレや食事の問題について丁寧な議論が繰り広げられていて、後半は「希望」をキーワードにして、どのように外部の民間たちが被災された方々に対応していくのか、という議論になっていった。

前半の議論の中では、トイレがないことによる精神的負担の大きさや軽食さえ被災地に行き届かない状況といった話が出てきて、普段は特別に意識していない生活要素がいかに大事でありがたいことなのか、ということを考えさせられた。さらに、トイレの場所は知っておくだけで気分的に和らぐということや、栄養バランスが偏ってしまう問題が生まれたことなども教えてくれた。

被災地には行政が動けない状況も多いから、民間が積極的に動いていく必要があるという話もあった中で、なぜ被災地に来てはいけないのか?という考えを持った中で被災地に行くことが大事であるという発想にすごく衝撃を受けた。(この場合むしろ臨むという表現の方がいいのかなとも思った)こういった行動の背景を探って次の行動に臨むことはどのケースにおいても大事であることを再認識した。セッションの後半にも出てきたが、迷惑をかけないボランティアとは、自分の力で自分を守ることができるボランテイアである、という発想にはすごく納得させられた。

後半の議論の中では、被災地では未来の希望や未来の方針さえも構築できない状況になっているという話があった。そういった希望を持てない人に対する外部の人からのアプローチ、ここでは「受援力」が重要になるという考え方がとても気になった。受援力とは、支援を積極的に受け入れることができる姿勢のことで、さまざまなつながりを持てているからこそできるアプローチであることがわかった。これは自分には持てていない姿勢というか、意識さえしていなかった姿勢だったから、これからは少しずつ意識してみようと思った。

あと近年は特に、希望を持てていない人は被災地といった特定の場所に限らず、日本中に蔓延しているかのようにいるようにも思える。先の話の続きにも出てきたが、無くなったものに対する悲しみをずっと引き摺ってその場で足踏みしている人が多いことがその要因になっていると考える。だからこそ、震災を通した自分ごとが非常に大事であることが、今回のセッションの中で強く気づかされた。その自分ごとによって、震災や防災に対する向き合い方が変わるし、直接体験していないとわからないという、距離の置いた思考停止段階から一歩抜け出すことができる、と考える。

OPENING SESSIONでも述べたが、能登半島が非常に自然豊かであること、日本文化の根幹が未だに根付いていることなどから、自然による再生の取り組み、「復耕」という取り組みや姿勢があるという話があった。この視点は初めて聞いて少し面白そうと思った。ただ、立地的に一方通行な場所であるために、被災地と他の地域との連携が困難であるという側面を持っているという話もあった。その中で、災害関連死が爆発的な増加という課題を聞いて、震災発生から2ヶ月経った今でも非常に大きな課題があることを思い知らされた。

このセッションですごく興味深いと思ったのは、先述した課題の対策として集落ごとの移動が挙げられていて、その流れで集落ごとでのお祭りでもって地域を盛り上げる、希望をエネルギーに変えるという話。祭りの復旧が早ければ早いほど、町の復旧も早くなるという事例もあり、祭りが持つスゴ味を感じた。能登にも暴れ祭りという祭があるとのことで、それを皮切りに地域を盛り上げる取り組みをやってみたいというお話も出て、その祭を支援してみたい気持ちにさせてくれた。

最後に、能登への関心を絶やさない工夫が大事であるという話には、すごく心動かされた。メディア媒体以外でも情報を集める努力や「忘れないであげてほしい」という被災者たちの想いに応える行動をとることなど、いろいろ自分ごとできる余地があることにも気づかされた。


アフターパーティー・交流会

前回もそうだったが、非常に多くの方が参加されていて全然時間が足りないように感じられた。今回はそんな中で、たくさんの方と短い時間話すというよりも、特定の人と長く深く話すことができたのが個人的にはかなり満足できた。


このイベントで配布された新聞みたいなチラシ
(撮影者:自分 帰りの新幹線の車内で撮影しました)

雑談

NewsPicks×北海道上川町のイベント【なぜ、上川町におもしろい人が集まるのか?-関係人口から「感動人口」へ-】に参加して

ここからはPOTLUCK FES’2024 Springの前日に行われたイベントで、気になったことを簡単に書き残しておこうと思う。

  • 「令和のバーチャル大合併」構想

人口不足や労働力不足といった問題が糾弾されて久しくなったからこそのアプローチ。ただ、人が少ない分、自治のために奔走することで処理能力の高さが生き残るための力になるという意見も出ていた。
また、“Local 5000 Project”という新たな構想も言及されていた。ここでの5000とは、地方自治体が維持できる・自治できる最小の人口数を指す。

  • 「役場」のあり方

DX化がもっと広まる、もっとみんなが使えると、役場自体がなくなるということが考えられる。だからこそ、どこでも誰でもが集まれるし、仕事ができる役場を作っていくというスタンスに衝撃を受けた。
そのスタンスは20年前における「オフィスのあり方」にも通ずるという意見も出ていて、あらかじめ議論の余地を作っておくことに価値があるとも解釈できた。

  • 巻き込み方

他者を巻き込むには、すでに他者を巻き込んでいる人を先に巻き込んでおくことが良さそう。ここで大事なことは、インパクトを大きく生み出せるかどうかである。

  • まとめ:楽しいことしか続かない。


エンディング

久しぶりの東京だった。観光する余裕がなかったので、あまり気の抜けた瞬間がなかったなぁと今になって振り返る。2月に入ってからかなり忙しい日々が続いていたから、いいリフレッシュになったし非常にたくさんの刺激を受けることができた。

なかなかじっくり文章を書く時間や習慣も消えつつあったから、今回の記事作成もいい時間になった。今年の2月3月についてもどこかで記事にできればなぁと思えるほど色んなことが立て続けに起きているし、濃い時間を過ごせている。

かなり長めになりましたが、ここで終わりにしようと思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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