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学習理論備忘録(21) 私が見た『宇宙兄弟とFFS理論が教えてくれる あなたの知らないあなたの強み』


さらにさらにさらに学習理論から離れて、聞き慣れぬ理論の話をする。『宇宙兄弟とFFS理論が教えてくれる あなたの知らないあなたの強み』という本に述べられていたFFS理論なる個人の特性とやらの理論についてである。

でも学習理論と「パーソナリティ」という言葉なら関係が深い。細かい話を言うと、「性格」と「パーソナリティ」はどちらも似たような概念ではあるが、「性格」は感情や意志の個人差という観点で捉えるものであるのに対し、「パーソナリティ」は環境にどう対応するかというひとまとまりの行動パターンという観点から捉えるものであるからである。


性格についての理論には類型論特性論というものがある。類型論は、「こんなタイプの人」「あんなタイプの人」と、人をいくつかのタイプに分類するものである。血液型占いや星占いといった占いでも用いられるものである。ロールプレイングゲームで例えれば、キャラクターをいつくかの種族に分けるようなものだ。

もうひとつの特性論は、様々な行動パターンを列挙していく。もう少し堅い言いかたをすると、ディメンジョナルに挙げていく。「この人は、礼節は高い、攻撃性は低い、社交性はそこそこ…」などといった具合に。ロールプレイングゲームで言えば、各種の能力が数字で表されるのと同じだ。


行動や思考の性質を明らかにしようとする試みは昔からいくつもある。類型論を述べたものなら、古くはテオプラストスの『人さまざま』という名著がある。もっともこれは学問的なものというよりは、ほぼ悪口を書いた枕草子的な読み物だ(30の性格の人が描かれれており、そのいずれもがかなり困った人たちである)。


学問的な類型論なら、ヒポクラテスの4体液説をガレノスが気質に関連づけたものがある。血液型占いの源泉もここにあると考えられる(多血質、粘液質、憂鬱質、胆汁質がそれぞれ、日本でO型, AB型, A型, B型の性格だと言われているものに対応している)。

これらの(テオプラストスを除く)初期の理論や占いなどによって知られている類型についての考え方は間違いだと見て良い。

実際、血液型占いや星占いについては研究があり、「当たっていない」という結果が出ている。(「当たるわけがない」ではなく「当たっていない」であることに注意)その他の細々とした理論や占いについては、研究者もいちいち研究していられないだろう。

四大元素だの、生まれた黄道十二星座だのを無理やり性格に結びつけるから誤った結論になる。「あなたの性格はこれですよ」というところに、根拠のない当てはめがあるわけだ。


では、ある人がどの類型に合うかを、無理に当てはめるのではなくじっくり考えてみたらどうなるだろう?言ってみれば、「誕生日は無視していいから、あなたは何座の性格だと思う?」と、12の性格類型からどれかひとつを検討して選ぶようなことだ。


そのような性格類型も次から次へと量産されている。最近で言えば、エニアグラムなんてのがそこそこ流行していた。知り合いにもそれをずいぶんと信じきっている者がいたが、あれは心理学の理論に組み込めるような妥当性のあるものではなかった。


ユングの「外向性」「内向性」という2類型も、科学的な手続きのない直感的な考案ではあったが、これくらいだと妥当である可能性も見えてくる。事実、後にそれに相応する因子が研究によって抽出されている。


ただそもそもどんな類型も、ある程度は真実を言い当てるはずだ。なぜなら人の性格にはたしかにいくつかの代表的なパターンがあるわけで、直感的にそれはある程度分かるので、ひどくハズレた類型を作ることはないからだ。

問題はそれがどれだけ正確で、そこからどれだけ本当に有用な情報を得られるか、である。常識をただ述べるだけでは新しい情報はない。「しみったれは奢らない」と言ったところでそれは、「奢らない人は奢らない」という同語反復でしかない。

しかもいらんレッテルを人に貼るだけで終わることもある。「人さまざま」つまり多様性を受け入れ、そのさまざまな人々にどう対応していこうかと考えていく為のツールにするならば結構なのだが。


もう少し言うと


「こんな人がいてさ、信じられる?」

「え?マジ?信じられなーい」


と言うべきはずのものが、


「こんな人がいてさ」

「あー、よくいるいる。そういう人」


となり、それに名前を付けていったものが性格類型なのである。

占いであれ学問風を装った新類型であれそれがもてはやされるのは、人がその手の噂話を好む上に、何らかの説得力があるからだろう。どうも我々は人を一旦分類し、その後そう決めつけて思考停止するのが好きなようだ。「県民性」などという言葉も全く同様の発想から生まれる危険なものである。個人的にも嫌いだ。

(和辻哲郎の『風土』くらいになると好きだけれどね)


私の好む性格類型もある。コーチングの世界でよく使われるDiSC assessmentは、妥当性はともかく、シンプルな原理で人を4つに分ける。その上で、「結果を重視するタイプと過程を重視するタイプとで話が噛み合わない」といったことも考えていく。たしかにそれは本当だ。

(ちなみに最近はTRUE COLORSなんていう4類型のものがあって、なぜか動機づけ面接界隈で流行っておった。あの4類型についてはDiSC 分析の4類型と重なることを統計的に示した研究がある。やはり新しいものではない)


ただ、DiSC assessmentは4類型というよりは、「外向ー内向」の軸と「自分ー他人」の軸の2軸の場合わけで4類型になっているので、小規模な特性論だと言ったほうがいいかもしれない。

(さらにこれと、教科書にも載っている三隅二不二のPM理論との類似も気になるが、一応、DiSC assessmentのほうが古いようだ。あとどうでもいいけどDiSC assessmentの原型を作ったとされる心理学者、ウィリアム・M・マーストンは『ワンダーウーマン』の原作者だ)


そこで、次は特性論に話を進める。


ここまで、かつての性格理論に結構否定的なことを述べてきたが、そもそも現時点でパーソナリティ理論の大統一理論は完成していない。ただ、最もエビデンスのある性格特性の理論としてビッグファイブがある。

性格の特性論は因子分析を用いることにより発展した。かつてキャッテルは12の基本的因子を見出したのを始めとして(因子分析以前にはオルポートの研究があった)そこから研究が進み、最終的に研究者間で5因子で良いだろうという結論にほぼ落ち着いたという経緯がある。

すなわち、ビッグファイブは性格の研究、特に性格の特性論の歴史的発展の先端にある理論であり、しかも臨床の応用にも耐えており、現時点ではアメリカ精神医学会の診断基準DSM-5にもその記載がある(パーソナリティ障害の診断の根拠として正式に用いるには至っていないが、DSM-6では採用される可能性がある)。

逆にその他のパーソナリティ特性理論は、「役に立つ!」という人がいるとしても、学術的には価値を見出し難いものであろう。屋上屋を架すようなことをしても、そもそもビッグファイブで事足りるのだし、おそらくはビッグファイブよりははるかに劣る理論であり、なんとなればインチキだ。


このような観点からこの本にある FFS理論を検証してみよう。


FFS理論の特性因子の数は5つである。おや?ビッグファイブと同じ。じゃあビッグファイブを分かりやすく言い換えたもの、もしくは焼き直しか?

比べてみよう。ビッグファイブが「外向性」「調和性」「誠実性」「神経症的傾向」「経験への開放性」の要素からなるのに対し、FFS理論は「凝縮性」「受容性」「弁別性」「拡散性」「保全性」である。この中で、経験への開放性は拡散性に対応しているし、誠実性は保全性に対応している、、かなあ。対応がうまくいかないものもある。


うーん、やっぱり焼き直しというよりは独自の因子くさいな。


ただ、ビッグファイブとまったく同じにならないのは、その作られた目的がそもそも違うので当たり前だとも擁護できる。FFSはチームビルディングのために作られた理論であり、ストレスというものに対してどう反応するかという観点からまとめあげられているから、心理学の礎となるパーソナリティー理論と同じになるわけはない、と。

ビッグファイブが「役に立つまでに洗練された基礎理論」ならば、FFSは「応用を目的として作られたちょっとした考え方」なのだ。

その点この本の作者も真摯で、理論には固執していない。独自理論の本にありがちな信仰めいた表現、大げさな表現は一切せず、とりあえず役に立てば良い、と思っているようで、その点については好感も持てる。


宇宙兄弟を引用するのも秀逸である。実は宇宙飛行士のチームビルディングをどう構築するかというのは大きな問題らしい(NASA でFFS理論が使われているわけではないが、テーマには合っている)。JAXAで宇宙医学をやっている医師に聞いたが、宇宙兄弟で描かれていることは、ほぼ正しいそうだ(ロシア人がISSにこっそりウォッカを持ち込むことまで!)。

アメリカ人以外のNASAの宇宙飛行士は各国で厳しい選抜を受けるため、能力・性格ともに優れた人が集まる。いっぽう、アメリカ人はそこまでの選抜を受けないので、性格に難のある人も集まり、クルーをまとめるのには苦労するのだという。

宇宙兄弟でNASA編になってどうして宇宙飛行士なのにムッタのチームにはああも偏屈な人々が集まるのか不思議に思っていたが、そういうことだったとは。

だから、人をうまく組み合わせ、また組み合わせた上でうまくチームを作っていくための方法論は、切実に必要とされているというのである。


FFS理論が多くの名だたる企業で使われ重宝されているというのが本当であれば、それは誠に結構な話であり、そこに学問的な正確性を云々いうのは、それこそFFS理論で言う「弁別性」が過ぎるのかもしれない。

とはいえ、企業が高い金を払って誤ったコンサルタントを受けることもしばしばである。かつてはバイオリズムが信じられて(今では完全に否定されている)運送会社などのシフトを決めるのに利用された時代もあった。作者の言う通り「役に立つかどうか」が問題である。

それに、役に立ったとしてもやっぱり引っかかる。ビッグファイブのおかげでやっとパーソナリティ研究が共通言語でできるようになったのに、わざわざオリジナルのパーソナリティ特性の因子と用語を用いた「理論」なるものを提唱するのは、混乱の元である。感心しない。

「ええー?先生はフェルデンクライス整体も知らないんですかあ?」みたいな、詳しく知っているほうが恥、みたいなことを、専門家お墨付きの理論と勘違いする素人が増えるのも困り者だし。


ここでふと思うのが、この役立つ「理論」とやらと心理学の性格理論の関係が、心理療法・精神療法の各種理論と基礎理論の関係に似ている、ということである。

各種の精神療法では、かなり勝手に独自の用語・概念・理論を生み出し、治療のほうで成果を挙げることでそれを正当化している。「効くんだからいいだろ!」という理屈だ。おかげで百花繚乱、雨後の筍、空き地の雑草のごとくに湧き出てくる理論の間で共通言語は成立せず、乱立した方言により互いにガラパゴスな展開をしているといった次第である。

学問をするということは人類の知の体系を構築する尊い作業なのだから、これれは少しお粗末にすぎる。とはいえ、物理学でさえ似たようなものだと聞いたこともあるから(各理論で独自の数学を作り上げ、互いに通じないのだという)、学問とはそんなものなのかもしれないのだが。


読書の秋、最終日にずいぶんと批判的な感想文で締めくくることになった。

まだまだ批判はできるが、トンデモ本とは一線を画している。この本の完成度は高い。ビッグファイブを用いた「由緒正しい」組織心理学の理論が構築されるまでは(たぶんされないだろう)、このFFS理論の行く末を見守っても良いかもしれない。うまく行ったら FFS理論をビッグファイブで書き換えたって良いのだから。

(でも、「まるあーる」とかつけていじれなくしたり引用できなくしたりしたら、仲間には入れてあげないからね、と釘は刺しておこう)



#読書の秋2020

#宇宙兄弟FFS


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