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【長編小説】 春雷 8

 朝、店に出ると、事務机の上に一匹の大きな蚊が死んでいた。
 おそらく昨日の夕方液体蚊取り器を点けっぱなしにしていて、夜のあいだに死んだものらしい。
 真咲は左手を机の端に添え、右手の腹を使って丁寧に蚊の遺骸を回収した。その蚊はこの夏に見られたもののなかでも特大のもので、重量こそないものの、ほかの蚊たちにはない妙な存在感があった。
その動作をするあいだ、真咲は命の不思議に心を囚われていた。
 この一匹の蚊の命と、人間の命と、儚さの程度においてどれほどの違いがあるのだろう。蚊は簡単に死ぬ。蚊取り器をつけておくだけで、手でぴしゃりと叩いただけで、いとも簡単に絶命してしまう。どう長く見積もっても蚊の寿命はひと夏のあいだという短い時間に過ぎないのに、それさえもまっとうできない。人間に比べれば、あまりにも儚い命だと思う。
 ……けれど、考えてみれば、人間にしてみても、死ぬときには簡単に死ぬ。毒性のガスを吸えば死ぬし、転んだだけでも打ちどころが悪ければ脆くも絶命してしまう。
 体のサイズ・形態と一般的な寿命の長さの違いというだけで、命の脆さと儚さという点では、蚊と私たちに違いはないのではないだろうか、と真咲は考えて、不思議な気持ちになった。すると、また少し神経が高ぶってきているのを感じた。
 止めよう。あんたがこんなことを考えようが考えまいが、世の中は回り、巡っている。誰もその正体をつかむことはできない大きな何かによって、生き物の生き死にはあらかじめ決められているのだ。それ、、が、蚊の命を短く、人間の命を長くしているというだけのことなのだ。
 深呼吸をして、真咲はそう考えた。
 今朝も工事は続いている。旧振興局の建物を取り壊しているのだ。五月の連休明けから始まったこの一大事業は、八月になったいまでも続いている。梅雨のあいだ中断せざるを得なかった期間を取り戻すかのように、この猛暑のなか、炎天下で作業は続けられている。
 振興局の建物は、真咲たちが生まれる前からそこにあった。子どものころ予防接種を受けに行ったり、歯の検査を受けに行ったりしていたときも、建物はすでに相当古かった。
 三階建ての立派な建物で、中央には物見台のような塔が聳え、この浦では一番の威容を誇っていた。総鉄筋コンクリート造りで、夏場には玄関の横の壁に、一階から三階まで届くほど、ピンクのブーゲンビリアが枝を広げて咲き誇っていた。
 まず始めに、消防署が移動した。真咲たちの家から徒歩一分のところ、湾のもっとも入り込んだところの左手に当たる場所にあった消防署は、高広山の方角、猿本地区のほうへ移っていった。ほどなくして、振興局も移動した。先に猿本地区の消防署の隣に新しい建物を建ててから、相次いで浦の行政の中心は移っていった。新しい振興局の建物は二階建てで、こざっぱりとして美しいが、旧振興局のような威容は感じられない。旧振興局の取り壊し工事が行われていたあいだは、流石に寂しさが胸に迫った。
 さらに、先月にはスーパー〝みよし〟が長い歴史に幕を下ろし、店を閉めた。真咲の家は、普段あまりこのスーパーを利用しなかったのでそう大きな影響は受けなかったが、近所隣でよく利用していた人たちは、相当に不便になっただろうと浦の人々は話した。
 生まれたときから変わらずずっとそこにあったものが、立て続けになくなっていった。
 本当に何もかも、なくなってしまいそうだった。十年二十年先……五十年先には、この地区も住む人間がひとりもいなくなって、廃墟のようになってしまっているのではないかと真咲は想像する。
 ふと、モントリオールで友人のジャン・フィリップが言っていた言葉を思い出した。
「もし地球上から人類がいなくなったら、百年ぐらい経てばすっかり元の美しい地球に戻るらしいよ」
 原始の、人間によって汚される前の美しい姿に地球は戻るというのだ。彼は特に環境保護推進者というわけでもなかったが、どこかで聞き知ったその説を、自らも大いに賛同するといった、ややスノッブな態度で皆に知らせた。
 いかにも西洋人らしいストレートな、少し乱暴な物言いにも感じられたが、そのときなぜか素直に〝そうだろうな〟と思ったのをいまでも覚えている。人間に汚される前の原始の地球は、さぞ美しかっただろう。そしてふと考える。地球上から人間がいなくなるという事態に至ったとき、この地区などは真っ先にその先陣を切っているのではないだろうか、と。
 真咲は、この地区に人がいなくなって、徐々に野生の植物に侵食され、廃墟と呼ばれるものになって、いつしか原始の姿に戻っていくところを想像してみた。それがいいことなのか悪いことなのかは、わからなかった。ただそれが自然の摂理に従って進む方向なら、そうなることが正しいのかもしれないという気はしないでもなかった。人間を含むすべての生き物は、それこそ蚊の一匹に至るまで、人智の及ばない何かダイナミックな力の法則の下でしか生きられないのだ。法則に従うなら、いっそ滅ぶという選択も、悲しみという感情抜きに受け容れられるのではないだろうか。
 この浦も変わりつつある。戻ってくるたび、ここは何ひとつ変わらない、真咲にとっては永遠に続く桃源郷にほかならなかった。けれどそれは幻だということを、真咲は近ごろじわじわと知りつつあった。
 いま、現実にこの浦は大きな変化を遂げようとしているし、その流れを変えることはできそうにない。人口は減り続け、浦を出て行く人の数も多い。気がつけば真咲たちの家は、東西南北がすべて人の住まぬ空き地や空き屋になり果てている。前の進藤という家は去年とうとう、長年打ち捨ててあった家屋を取り壊したし、南側の旧農協の建物は公文式の塾として使われているものの、月曜と木曜に子どもたちが出入りする以外は、ひっそりとしてほとんど人の気配がない。北側の入瀬タクシーの事務所だったところには、二階にアパートの設備があるものの、入居者は絶えてない。西側は湾に面した船着き場である。
 言ってみれば、この湾だけが、昔から変わらぬ、そして未来にも変わらずにいてくれる可能性の高い場所なのかもしれない。ぼんやりと真咲はそう思った。
 ある種の崩壊や不可逆性は、いつも目に見えないところで進んでいく。それは、当事者たちの怠惰によるものか、不注意によるものか、それとも意図的に見過ごされるという陰に篭った冷淡な仕打ちの積み重ねによるものなのか。そのどれでもないかもしれないし、そのすべてのせいかもしれない。それともその内の幾つかの要因が複雑に絡み合った末の結果なのかもしれない。
 でも実際に崩壊は起きた。
 考えはいつしか、自分の人生のことに横滑りしていた。人生は崩壊した、不可逆的に。真咲はもうあの街に戻ることはないし、あの人たちと触れ合うこともない。ひとりだけ、愛していたのかもしれないと思うあの男とも。
あのころの状況も心も、もう二度と手の届かないところへ離れていってしまったのだ。
 ……街にしろ人にしろ、いつどこでほころび、、、、が生じてしまったのだろう? 真咲は考える、もしこのほころび、、、、が始まったときに、誰かが気づくことができていたら、いまあるこんな形になることは避けられただろうに。そして内部告発者ホイッスルブロウワーさながらに、差し迫った危険な状態に警鐘を鳴らしていてくれたなら、あるいはいまのように空虚な気持ちを抱えて生きていかなければならぬようなことにはならなかったかもしれないのに。
 本当に、いつ、どこで生じたのだろう。
 このほころび、、、、は――。真咲は考え続ける。

 盆踊りは、近づいている台風のために順延となっていた。
 十三日の昼にかけて、真咲と咲子は二人して汗みどろになりながら、店の表と裏とにある花鉢を店のなかに入れた。ざっと数えても百は下らない数の大小の鉢をすべて屋内に入れ込むのは、毎年台風がやってくるたびにやらなければならない重労働だった。それは体を悪くする前の母が、率先して行ってきた家の伝統行事のようなものになっており、ひとりでは玄関を出ることもできなくなってしまった母の代わりに、それを姉妹が行うようになってから数年が経っていた。
 いまや花の世話も日常的に行っている姉妹は、黙々とその作業を行う。
 咲子が店の表から対になったハツユキカズラの鉢を、片手にひとつずつ持って運び入れる。あらかじめ敷いておいた新聞紙の上にそれらを優しく置く。次いで、赤いゼラニウムの大きな鉢を、腰を入れて持ち上げ運ぶ。星座草の植えてある丸い足付きの鉢、ピンクのゼラニウムと縄張り争いをしている君子蘭の丸い鉢……。
 裏の船着き場側からは、真咲が一生懸命沢山の鉢を運び入れている。四種類ほどの薔薇、ミントやレモンバームにチャイブなどのハーブ類、大切に育ててきた、いまや大輪となった日日草……。ブーゲンビリアや山椒の大きな鉢植えを運ぶときには、鋭い棘に気をつけなければならない。
 船着き場側の出入り口から店を出て左手側に、家の三階に上がる階段がある。そこはシャッターで閉め切ることができるので、その一段一段にも新聞を敷いて、小型で軽量の鉢などを運び込む。上のほうにめ殺しの明かり取りの窓があるので、特に日の光を欲しがる植物は、窓からの光が当たる優先席に置いてやる。階段の作業を担当するのは、自然と咲子の役目になっていた。が、何が気に入ったのか、その作業をするときには文句も言わず、楽しそうに積極的に行った。台風が過ぎて片付けをする際にも、新聞紙を取り除いたあとを綺麗に箒で掃いたりもするのだった。
 十四日の朝から、湾内にはいつもよりざわめきがあった。それは人の声のみのざわめきなのか、それとも風と雨が押し寄せてくる前の、大気の摩擦による微少な振動も組み合わさったものだろうか、咲子にはわからない。
 八時を過ぎると、船着き場で漁師たちの声が聞こえ始めた。闊達で威勢はいいが、各々の陽気で寛容な気質を表しているような声の柔らかさのせいで、何を言っているのかまでは聞き取れない。きっと台風の話をしているのには違いないのだけれど……。
 裏に出て、聞いてみようかと一瞬思う。台風の情報を仕入れるわけだから、それは一種の手柄であって、母親も眉をひそめることはないとわかっていた。
 けれど、実際足を踏み出そうとすると、漁師たちのあいだに入っていって話しかける自分の場違いさが想像されて気後れし、ついその思いつきも引っ込めてしまった。そんな風にして、情報を得られないのは歯がゆいことだった。
 何にせよ、湾内を見渡せば、気象庁が大袈裟に騒ぎ立てているような過酷な自然現象は起こるべくもないほど空は晴れ渡り、風は凪いでいる。ただ漁師たちの船がぎっしりと湾内に並び、〝ともつなぎ〟と呼ばれる独特の方法で互いの船をしっかりとロープでつないでいることだけが、不穏な災害の到来を予感させる唯一の印だった。
 台風が近づいていた。
 
 午後三時。
 真咲はスマートフォンの気象情報アプリを開いて、雨雲の動きを見た。予報再生モードという機能をオンにすると、一時間ごとの雲の動きの予報動画が表示される。鹿児島の左下辺りに位置している丸い形をした台風の雨雲は、反時計回りに回りながら刻一刻と北上して、九州全域を巻き込んで対馬列島当たりを目がけて右フックを打ち込むような動きを見せていた。
 風速は一秒間に七〇メートルと言われている。
 こんな大きな台風は初めてだ、と真咲は思った。
 
 ――十四日から十五日にかけて到来すると予報されていた台風は、途中西側の海上に大きく逸れ、肩透かしをくらわせた。十三日の夕方から船着場側の大きな防災用シャッターまで閉め、ラジオや懐中電灯を身近に置いて完璧な備えをし、十四日も店を開けずにいたというのに、十五日の朝になってもそよとも風は吹かず、雨も降らなかった。
 台風が来なくて腹を立てるというのも変な話だが、これほどの備えをして風も吹かないとは、あんまりではないかと家中の者が思った。
 
 ――優しい気持ちを持っている人は、間違いなく善人だ、と真咲は思う。
順延になっていた盆踊りは、十六日の夜に開催された。歌い手の立つやぐらの周りを囲んで輪になって踊る人々を、見物人に混じって真咲は眺めていた。踊り手は主に、今年初盆を迎える家の人々だが、年々浦の人口が減っていることから、自然その人数も減り続けている。それで、近年では故人とつきあいのあった人や仲良くしていた人たち、その子どもや孫などが出て、踊りの輪に加わるようになっている。
 人々の情けや思いが、拡声マイクから放たれるものがなしい歌声に合わせて、櫓の周りを行きつ戻りつしながら回っていく。
 真咲は考え続ける。
 そういう人たちは、他人の不幸や困難について聞いたり、困っている人を目の当たりにしたとき、自然に湧いてくる慈悲や憐憫の心を上手に表現することができる。そしてその心を使って、実際に何か相手のためになることをすることもできるだろう。
 けれどわたしは生憎そういうものを持ち合わせていない。自分でもなぜだかわからないけれど、苦境にある人に対して本気で同情心を抱いたことなど一度もなかったし、トラブルの渦中にある人を見るとき、わたしのなかにただ浮かぶのは、〝なぜこの人はこんな厄介ごとを引き寄せてしまうのだろう?〟という、純粋な、、、疑問だけだった。
 真咲はこうも思った。多分、生まれ持った性質に加えて、穏やかな内海の、一年じゅう温暖な地方で生まれ育ったことで、温かな海風に甘やかされて人の痛みがわからないのだ。
 ……けれど、この〝浦〟で暮らす人たちが、死んだ人や大昔の先祖のために毎年輪になって踊るさまを目の前に見ていると、人の痛みも不幸も、真咲の神経症的な感傷さえも、この浦の人々に通底する〝性根しょうね〟と土地柄の混交のなかに、溶け去っていくような気がしてくる。自分もいつか、浦の亡くなった誰かのために、自らこの輪のなかに入って踊るようになるのだろうか、と真咲は思った。
「いいことよ」
 と、よく土地の人々は口にする。冗長な音韻でありながら、有無を言わさぬ説得力を持つその言葉が表わすのは、全面的な肯定である。
 (そんなことは気にせんでも)いいことよ、とか、(それはそれで)いいことよ(放っとけ)、ぐらいのニュアンスを含んでいて、主にここの人々の緩やかな気質の表れだ。
 この土地の人々の言葉を外の人が理解するのは難しい。言葉自体が聞いたこともない珍妙なものであったりするからというのもあろうけれど、一番には、何と言っても人々のあいだに行き交っている言外のテレパシーのようなものがあるからだ。

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