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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第6章

 その次の言葉は、別の紙から始まっていた。恐る恐る、私は便箋を繰った。

 
 厳密には、いままで僕たちが思っていたような、姉と弟の関係ではなかった、ということです。いいですか。これから僕が書く話を、どうか冷静に受け止めて下さい。そして、これがはるか昔に起こったことで、いまとなっては誰にも、どんなことをしても、もう取り返しのつかないことだということを、肝に銘じておいて下さい。

 僕は5年ほど前に、パリである紳士に出会いました。当時僕は小さな美術館を経営していて、個人的に希望する顧客には、そこに展示してある絵を画家の了解のもとに売ったりしていました。
 その紳士は日本人で、たまたま僕の美術館に立ち寄ったのでした。年齢は多分、60歳を少し超えたくらい、物腰の柔らかい、落ち着いた品のいい方でした。
 それもそのとおり、お話を聞いていくと、日本のとある旧華族の家のご出身だということでした。日本にもう華族というものは存在しないということは承知していますが、便宜的に彼のことをM伯爵と呼ぶことにしましょう。差し支えがあるかもしれないので、名前は伏せておきますが。
 M伯爵は、趣味のいい皮のコートを着て、まるで足音を立てずにギャラリーじゅうを歩き回りました。ひととおり見回って、いくつかの絵を気に入ったようで、これとこれと、あとこれを……という感じに、購入を希望されました。
 作者である画家に連絡を取って、値段の交渉をする手配をすると僕が答えると、「あ、そう。わかった」と言って、喫茶スペースの椅子に腰かけました。
「日本人がやっている美術館なんて、ここいらでは珍しいものですね」
 と、伯爵は言いました。そのとき僕はコーヒーを運んできてテーブルの上に置いたのですが、これもまた、ただひとつの物音も立てずに、ソーサーを持ち上げ、ちょっとひと口だけブラックのままコーヒーをすすったのです。そして、汚れてもいない口を、コートの胸ポケットから出した真っ白なハンカチで押さえました。この一連の仕草はあまりにも流れるようで美しかったので、僕は心を打たれて、いまでもその光景をよく覚えています。
 そんな種類の人を目の当たりにするのは生まれて初めてだったので、ちょっと度肝を抜かれた感じで、僕はしばらく唖然としていました。
 すると相手は感じのいい微笑みを浮かべて、柔らかな声で話し始めました。
「私はもうヨーロッパに10年以上住んでいるのですよ。……いえ、あちこちですけれどね。昨年末まではベルギーにいましたし、半年前まではロンドンに住んでいました」
 あなたは? という風にうながされて、僕は素直に答えました。
「僕はもう、30年になります。ずっとパリにですけど」
 すると伯爵は、心から感心したように、ほう、と小さな声で言いました。
「……それではもう、ここヨーロッパの気候風土に、ずいぶん馴染んでいらっしゃることでしょう。そして、生まれ育った日本の気候風土からは、遠く隔たっている……」
「はあ」
 僕は答えました。それ以外に、何と返していいのかわからなかったのです。
「日本から遠く隔たって長い年月を過ごすと、自然わが祖国を広い外側の目で見ることになります。そして、かつて遠い日に起こった出来事も、より客観的に見つめることができるようになる」
「そうですね」
 僕は適当に答えました。伯爵が、何を言いたいのかは正直はっきりとはわかりませんでした。けれどコーヒーを飲みながら、彼はしきりに僕に対して何か話をしたがっているようだということは感じました。
「聞いてくれますか」
 突然伯爵は言いました。
「ええ。ですが……」
 僕が戸惑っていると、ははは、と自虐的に彼は笑い、
「遠い異国に身を置いて、時間的にも随分隔たっている状態であるいまだからこそ、口にできる事柄があります。もしご迷惑でなければ、今日ここで、私の若い時分のあやまちを、吐き出させてはいただけますまいか」
 と言いました。もう老境にさしかかり、どことなく弱々しく、人生に残された時間も少なくなりつつあるように見えるその方は、外国で長く暮らす同国人である僕に気を許したのでしょう。でも彼からは、どうしてもそれを聞いてもらいたいという焦燥のようなものも感じられました。
 ちょうどほかに客もなかったこともあって、僕は伯爵の話に耳を傾けることにしました。
「――私は若くして結婚しました。家柄の釣り合いが取れる某家から、三歳年下の妻をめとったとき、私は二十三歳でした」
 伯爵は、若き日を思い出すように、一点を見つめながら言いました。
「私はあまり体が丈夫でなかったので、早く孫の顔が見たかったのでしょうね、特に父は跡取りを確保することにはかなり固執していました。父には伯爵家の存続それ自体に妙味を見出すような傾向がありました」
 僕が黙って聞いていると、ともかく、と咳払いをし、伯爵はまた、彼一流の自虐的な微笑みを浮かべて続けました。
「結婚してすぐ……、次の年には玉のような男の子を授かりました。妻は健康体そのもので、そのことによって一家は大きな幸せに包まれたものです」
 しかし、と、伯爵の顔が曇った。
「私はいけませんでした。若かった、というのは言い訳に過ぎないのはわかっています。ところが私は、人生のまだ何も知らない時期に、何ひとつ自分らしい考えを持たず、親に言われるがまま結婚をし、子をもうけ、家族を喜ばせました。
 父も母も、昼も夜も息子のことひと筋に明け暮れていました。当然妻は、鼻高々に反り返って暮らしています。
 そんなとき、ふと私のなかにひとつの不安が芽生えたのです。
 こんな風に、家族を喜ばすことに成功はしたが、私は果たしてこの先、私自身のコアとなり得る考えを持って生きていけるのだろうか? ということです。
 当時私は、自我というものについて深く考えていました。もちろん自分の社会的な立場であるとか、これからになっていくべき仕事についての自覚はありました。けれど、自我を持たないということは、そのとき私にとってとても恐ろしいことに思えたのです。核を持たない男である私は、ある日人生に何らかの一大事件が起こったとき、それについて対処することができないのではないかと考えたのです。それは何とも見栄えの悪いことでもあるし、人生に対する敗北であると私は考えました。それで、何に対しても物怖じせず、これひとつだけは、どうしても譲れない、自分だけの確固たる考えを持ちたいと渇望していたのです。
 そんな折、私はある女性と出会いました。とある子爵夫人のパーティーだったと思います。ここだけの話ですが、彼女は日本でも5つの指に入る財閥の令嬢で、非常に美しい人でした。私たち若い男子の目は、パーティーで見かけるたびに、彼女に釘づけになっていたものです。
 むろん、私は既婚者ですから、それなりの距離を取って彼女を眺めていました。けれどある偶然から、彼女と近づきになる機会が訪れたのです。
 そしてそれをきっかけに、彼女のほうから私に近づいてきました。驚いたのは私のほうです。それこそ、天にも昇る気持ちというものでした。
 私に妻があることは先方も承知でしたが、だからといって、恋が燃え上がるのを誰にも止めることはできませんでした。そして、私自身、愚かなことに、彼女への想いを、こんなにも熱いものなのだから、きっとこれが私の求めていた〝どうしても譲れない自分だけの確固たる考え〟に違いないと思い込んでいたのですね。
 私たちはいつしか深い仲になっていきました。海岸沿いの夕暮れのコテージ、森の奥の密やかな別荘。そんな特別な場所で、我々は逢瀬おうせを重ねていたのです。
 当然のように、子どもができました。彼女は妊娠したことを、はじめは親に黙っていたのですが、もちろん隠しおおせることができるわけはありません。けれど両親が気づいて激怒したときには、もう彼女のお腹はかなり大きくなっており、「子どもを産む」という意志も、彼女のなかで固まっていました。
 私は、生まれた子どもを引き取ると申し出ました。でも正直言って、妻に何と説明するべきか、実際的な問題についてはいつまでも思い悩んでいました。生まれた子が女の子だったというのも都合のいいことではありませんでした。もし男児であれば、伯爵家は私の血を引くということで、庶子として引き取ったかもしれません。けれど女の子は、当時の社会的風潮としては、あまり有り難くない。そのことで、両親とも話せず私は悶々もんもんと手をこまねいて時を過ごすことしかできないでいました。
 ある日、彼女から、「あの子は養護施設にやった」と聞かされたときは、胸がつぶれそうになりました。彼女はもはや僕の目を見ず、心はすっかり離れてしまっていました。
 ――いや、若い日の、恥ずかしい苦い思い出です。ですが私は、彼女とああいう関係になったことを、後悔してはおりません。妻も古風過ぎるほど古風な女でしたし、旧家の女主人のたしなみとして、夫の浮気のひとつや二つで取り乱すなどみっともない、と考えるタイプの女でしたから、彼女との関係についてはほぼとがめられることはありませんでした。ただ、その後彼女から一切拒絶されるようになったことは、相当こたえました。彼女はいかなる場所でも、私の姿を見かけようものならきびすを返してその場から立ち去りましたし、パーティーの場では逃げ出すということもできませんからそこに居はしましたが、私のほうに一瞬でも視線を向けてくれるということは皆無でした。
 辛かったですね。でも、考えてみれば、私はそれ以上の苦しみを彼女に与えたのです。そして、……大分あとになってから噂に聞いたことですが……、彼女は家族内の問題も抱えていたようでした」
「家族内の、問題、ですか?」


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