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【怪談】 新宿のホテル

これは、十五年ほど前の話です

秋に、姉と二人で東京に遊びに行きました

特にどこに行って何をするという計画は一切立てず、山手線に乗って気の向いた駅で降り、そこから何をするか決めるという行き当たりばったりの旅でした

私達はとりあえず新宿で電車を降り、ちょうどお昼どきだったので新宿駅近くのショッピングモールの中にある飲食店に入りました

そこはカジュアルなタイプの居酒屋がランチタイム営業をしているといった感じのお店でした

メニューの中にもつ鍋があるのを見つけ、食指の動いた私達はそれを注文することにしました

折しも世間では中国のダンボール肉まんの件が盛んに報道されていた時期で、どういうわけか日本国内でもいくつかの飲食店でもつ鍋にダンボールが混入しているとニュースになったばかりの頃でした

そんなときになぜわざわざもつ鍋を頼んだのかわからないのですが、
大衆心理とでもいうのか、話題になっているものについ目が行ったのでしょう
秋口の東京の肌寒さも手伝って、無性にもつ鍋が食べたくなってしまった私達は、「あれだけニュースになってるんだからお店側も逆に
気をつけてるだろう」ぐらいに思い、軽い気持ちで注文したのでした

そしてもつ鍋が運ばれてきました
まさかとは思いながら、一応鍋の中をチェックすると……

信じられないことですが、鍋の中にはもつの下になって、
明らかにこれはダンボールだというような、
いくつかの小さな断片が入っていたのでした

あまりの出来事に動転してしまった私達は、ビビるあまり店員に文句を言うことも出来ず、何も見なかったふりをして箸でそのダンボール取り除き、お互いに黙ったまま見つめ合いながらそのもつ鍋を平らげました

よりにもよってそのタイミングでリアルにダンボールが入っていたことも恐ろしいですが、
全部取り除いたとはいえ実際にそのもつ鍋を食べた自分達も、今考えると怖いです

これだけでも既にゾッとする出来事ではあったのですが、この新宿で私は更に奇妙な体験をすることになりました

お店を出た後、しばらく街ブラをしていると、突然雨が降り出しました
雨足は次第に速くなり、傘を持っていなかった私達は、慌てて一番近くの建物に避難しました

そこは新宿の通りに面した大きなホテルで、エントランス越しのロビーの奥に見える受付は、いかにも「ホスピタリティ豊かにお客様をお迎えいたします」と言っているように見えて、
心地良さそうに感じられました

雨にけっこう濡れてしまい、どこかに落ち着いて身支度を整えたい気分だった私達は、二人して思わずロビーに足を踏み入れていました

行き当たりばったりノープランの旅です、勢いに任せて、「今日はここに泊まっちゃう?」
ということになりました

ホテルはとても綺麗で高級感があり、一泊の予算がちょっと心配なくらいでした
でも、せっかくの東京だし、今日くらい贅沢しよう、とお互いに話し合い、私達はクレジットカードでチェックインして部屋へ上がりました

部屋もとても清潔で、ベッドシーツも完璧に整えられ、床にはチリひとつありませんでした

私達はホッとして荷物を置き、交代でシャワーを浴びて、濡れた服を着替えました

そうしてしばらくの間荷物の整理をしたり、ベッドの上でくつろぎながらTVを見たりして過ごしていたのですが、旅の疲れが出たのか、二人とも急激に眠くなって寝落ちしてしまいました

どれくらい眠ったのでしょうか
私はふと目が覚めました

窓のカーテンは開けないままだったので部屋は真っ暗で、今何時ぐらいなのかも全然わかりません

闇の中で唯一光っているベッドサイドの時計に目をやると、午前2時半を過ぎていました

暗闇に光る時計のデジタル表示を見ている内に
だんだん意識がハッキリしてきた私は、自分の目を覚まさせた何かがあったことに気づきました

それはどうやら人の声で、
若い男女が外で口論しているようなのです

声のする方角からすると、ホテルの真ん前の路上で大きな声で言い争っているようです

何と言っているかはわからないのですが、
とにかくその声が尋常ではないのでした

特に女性の方は、男性を追い詰めるように激しい口調でまくし立てています
そして時々、かなりヒステリックな声も上げていました

新宿という土地柄、近隣に繁華街も多いことから、カップルが酔っ払った勢いでケンカでも始めたのだろう
ぐらいに思っていました

でもそれにしても、声のうるささは本当に尋常ではありませんでした
聞いていればいるほど、女性の方の声はその声量も攻撃性も
どんどん増していくのです

男性の方も、時々応戦していますが、すぐにおっ被せるように女性の声が責め上げ返します

……何だ何だ 大丈夫か? ……少しずつ、聞いている方も怖くなってきました

起きて見に行ってみようかとも思ったのですが、昼間の疲れが意外と残っていて、体を起こすのが億劫でした

それに他人のケンカを見たからといって、別に何になるものでもないしな……という思いも先行して、根が面倒くさがりな私は、知らんぷりをして目を閉じ、しばらくの間その騒音を我慢しました

それからも、女性が圧倒的に優勢なその口論はかなり長い間続きました
とうとう男性の方も相当大きな怒声を吐きましたが、女性はその上を行くヒステリックさで圧倒していました

……強いな~……何て激しいケンカをするんだろ……
そんでいつまで続けるんだろ 体力あるな
……東京の若いカップルは恐ろしいな……

などと思いながら、耳に突き刺さるような声に必死に耐えていると、いつの間にか眠りに落ちていました

朝になり、ぐっすり眠ってすっきりした顔をしている姉に、私は夕べのことを話しました

「え? そんなことあったの? 全然気づかなかった」
姉は言いました

「えーっ? あれに気づかなかったの? 嘘でしょ」
私は驚いて言いました 姉は眠りが浅く、寝る時の騒音には人一倍気づきやすい人だったからです

しかも姉は私よりも外に近い窓際のベッドで寝ていました

あれほどの音量であんなに長時間大騒ぎしていたというのに、私が窓の外を気にしていた間も、姉が目を覚ますことなく寝ていたのは不思議でした

「一晩中、相当うるさかったんだよ」
言いながら、カップルがケンカしていた場所を確かめるように、私は窓に近づいてカーテンに手をかけました

昨日は雨が降っていたし室内は既に空調が効いていて快適だったので窓を開けることもなかったのです

カーテンを開けて、私はハッとしました

窓からは、はるか下にホテルの前の通りが見下ろせました
通りを歩いている人々が、親指の爪ぐらいの大きさに見えます

すっかり忘れていたのですが、
私達が泊まった部屋は14階だったのです

しかも、窓は高層ホテルの造りによくある
開く幅が制限されたぶ厚くて頑丈なサッシでした

私はゾッとしました

いくら夜中の大声だったとはいえ、14階の、そのような密閉性の高い窓がピッタリ閉まった部屋で寝ている人間に、路上のケンカが聞こえるものでしょうか?

しかもそれは耳をつんざくような声量で、、肉迫する生々しい印象さえ持っていたのです

もう一度姉に聞きましたが、やはり
そんなの聞いてない そんな大きな声がしたなら、目が覚めているはずと言われ、

「あんた疲れ過ぎて夢でも見たんじゃない? それか、隣の部屋の人とか」
そう言って片づけられてしまいました

確かに両側には部屋がありましたが、ケンカの声は壁の向こうではなく窓の方から聞こえてきたというハッキリとした自覚がありました

いくら部屋が真っ暗でも、声がどちらから来るかくらいはわかります

…今思い返しても、どうしても腑に落ちない不思議な出来事です

私が聞いたあのケンカは、いったい何だったのでしょう

ふと思ったのですが

カップルが前の通りで起こしていると思っていた騒ぎは、もしかすると外ではなく

あの部屋の中で行われていたのではないでしょうか

……人の異常に強い感情や思念というものは、
それが発せられた場所に残ることがあるそうです

かつてこの部屋で熾烈な言い争いをしたカップルの思念が残っていてたまたま波長の合った私に聞こえてしまったということでしょうか

それとも既にこの世のものでない二人が実際にそこでケンカしていたのでしょうか

本当のことを知るすべはありませんが

あの女性の罵声に込められたものの強烈な印象だけは

今でも忘れることが出来ません

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