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映画『ミッシング』感想 世界の醜悪さと、わずかな美しさ

 観ている間、頭痛がするほどのストレス。それでも、ちゃんと美しさを描いてはいます。映画『ミッシング』感想です。

 6歳の森下美羽(有田麗未)の失踪事件から3カ月、懸命な捜索にも関わらず一向に手掛かりは掴めないままとなっていた。母親の沙織里(石原さとみ)は、世間の関心が薄れていくことに焦りを感じており、夫の豊(青木崇高)とも、温度差の違いを感じて衝突を繰り返す。沙織里の頼みの綱は、取材を続けてくれる地元ローカルTV局の記者・砂田(中村倫也)のみとなっていた。だが、その取材VTRの放送で、事件当日に沙織里が推しであるアーティストのライブに行っていた事実が知れ渡ると、世間から育児放棄の母親と誹謗中傷が沙織里に向かい始める。砂田は視聴率を求める上層部から、悲劇の母親としての沙織里の姿や、事件以降、様子のおかしい沙織里の弟・土居圭吾(森優作)への追及を命じられる。心が壊れ始める沙織里を前にして、砂田は激しく葛藤する…という物語。

 『ヒメアノ~ル』『神は見返りを求める』『空白』などで知られる𠮷田恵輔監督による最新作。以前感想にも書いた『空白』は、その年に観た作品でもベストに位置する作品であり、それに連なるテーマの作品ということは事前に聞いていたので、かなり期待をしていた作品でした。
 『空白』もそうでしたが、今作も実際にあった失踪事件を想起させるもので、物語そのものは𠮷田監督によるオリジナル脚本であるものの、どこか現実感を観ているものに常に意識させる作りになっていると思います。

 公開前から話題になっていたのが、主演の石原さとみさんの演技なわけですが、本人自ら監督に直談判オファーをし続けて参加されたそうで、いわゆる連ドラ女優的なパブリックイメージを壊すという、明確な目的がある演技になっています。髪も肌も荒れきっており、哀れ過ぎて悲劇的な美しさすら感じられないその姿は、世間にある石原さとみ像を破壊する、自傷行為のような演技でした。

 その演技が、ある意味では一辺倒なものになっている部分はありますが、その効果によって脇を固める青木崇高さんや、中村倫也さんの抑えた演技が際立つ作りになっていると思います。沙織里がとにかく感情を暴発させるのに対して、豊と砂田は水面下の見えない部分で感情が煮えたぎっているというドラマになっているんですよね。豊が眼に涙を溜めながら、タバコを根本まで吸い尽くすシーンは、観ていて堪らない気持ちにさせられます。

 あらすじだけを読むと沙織里という母親を描いた物語に思えますが、実はそれだけではなく、夫婦関係を描いた物語でもあるし、報道機関が持つ役割と暴力性を描いてもいるし、姉弟関係を描いてもいるんですよね。複数の主題が連なる群像劇的なものであり、それが幼女の失踪事件という1つの軸で成り立っている物語になっています。その軸となっている部分に、石原さとみさんの熱演が大きな役割を果たしているように感じられました。

 𠮷田監督は、コメディ部分が非常に巧く、しかもそれがブラックな要素を感じさせる笑いなんですよね。前々作に当たる『空白』はそのブラックユーモアをグッと抑えた作品で、前作の『神は見返りを求める』はそのブラックさを全開にした印象でした。
 今作の物語テーマ自体は『空白』の延長にある作品なのですが、そこにブラックユーモア的な要素が薄く入っているような印象があります。そして、それが強烈に悲劇性と世の中の醜悪さを増しているように思えます。
 『神は見返りを求める』でもインターネットの醜さを描いていましたが、今作ではそれをもっと広義なものとして、この世界そのものの醜さとして描いているように見えます。現場に立たない局の上層部はもちろんその1つですが、現場に立って間近に見ているはずの人間にも、その当事者意識の低さを露呈させています。カメラマン不破伸一郎(細川岳)による、虎舞竜の件はめちゃくちゃ悪意ある脚本ですよね。ここでブラックユーモアは、笑いでも皮肉でもなく、醜悪さを強調する仕掛けになっていると思います。

 散々、その世界の醜悪さを描きながら、それが光と美しさに向かうという脚本は流石のものですし、終盤はずっと涙してしまいましたが、ちょっと『空白』と比較すると美しさに反転し切れていない印象を受けてしまうものでした。
 『空白』での醜悪さは、主演の古田新太さんと松坂桃李さんが演じる人物が持つ要素であり、それが美しさに向かうという感動がありましたが、今作の主人公である沙織里、豊、砂田は、その醜悪さとは別なところに居た人間という部分が大きいんですよね。だから、あまり美しさに反転しても、外的な変化でしかないように思えます。

 大きく変化したのは、弟の圭吾によるものとして描かれているし、彼の変化がクライマックスにもなっています。今作は『空白』と同じ旋律を使用した変奏曲のような作品で、このクライマックスも『空白』と同じ結末のように思えます。だからこそ、そこに至るまでの違いで比較してしまう部分がありました(あと、態度悪そうなヤンキーが良いヤツというシーンも同じですね)。

 ちょっと『空白』のことを思い出す部分が多くなってしまいましたが、充分な力作であることは事実だと思います。もう1作くらい同じテーマのものを作って、悲劇3部作に仕立てるのも有りかもしれません。ちょっとまた観るのに覚悟が必要になりますが。
 𠮷田監督が、いかに人間というものに絶望しているか、いかに人間というものに希望を抱いているのか、その矛盾をこれからも表現し続けてもらいたいと願います。


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