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映画『ケイコ 目を澄ませて』感想 眼差しだけで語られる想い

 2023年の映画始めは、言葉に頼らない映画・オブ・映画な表現作品。映画『ケイコ 目を澄ませて』感想です。

 生まれつき両耳が聞こえない小河ケイコ(岸井ゆきの)は、下町の小さなボクシングジムに通い、トレーニングを続けている。聴覚障害がありながらも、プロライセンスを得てプロとしてリングに立つケイコのひたむきに鍛錬を続ける姿に、会長(三浦友和)を始め、他のトレーナーも厚い信頼を抱いていた。だが、ケイコの心にはボクシングを続けることに迷いが生まれ始めていた。「一度お休みしたいです」と書きとめた会長宛ての手紙を出せずいたケイコだったが、ある日、ジムが閉鎖されること、会長が重い病気を抱えていることを知る…という物語。

  実際に聾者のプロボクサーである小笠原恵子さんの著書『負けないで!』を原案として、『きみの鳥はうたえる』で知られる三宅唱監督が、脚本と監督を務めた作品。小笠原恵子さんの本は、あくまで原案として、物語そのものはオリジナルのものと思われます。
 
 ボクシング映画は、役者が身体の作り込み、ボクサーとしてのトレーニングを身につけるところから行うため、撮影前の準備期間からスケジュールを取らなければならないので、役者からは敬遠されがちという話を聞いたことがあります。ただ名作『ロッキー』だけでなく、邦画でも『あゝ荒野』『アンダードッグ』『BLUE/ブルー』などの傑作も多く、出演を決めた役者や製作陣の覚悟のようなものが作品に反映されやすいのかもしれません。
 今作での岸井ゆきのさんのボクサーとしての動き、身体つきも、相当に作り込んでいる印象でした。女性ボクサーを描く作品は、安藤サクラさんの『百円の恋』なども傑作ですね。
 
 聾者を描いた物語というのは、ここ数年のヒット作品の傾向を狙ったようにも思えますが、そういう柳の下のドジョウ狙いでは全くない作品になっています。
 耳の聞こえないケイコの日常が淡々と描かれており、その中で聴者とは違う不便さも描写されているんですけど、あくまでそれはケイコにとっては普通の事なんですよね。それによってケイコがコンプレックスを感じているとか、不当な差別と感じる姿は全く描かれていません。ケイコが聞こえない事で他者とコミュニケーション不全となる場面もありますが、それはケイコにとっては普通の事、当たり前の事なんですよね。
 
 そもそものケイコが何を感じて、どう考えているのかという説明が全くない描き方になっています。観客がケイコの心情を推し量るしかないという距離感が、手話を出来ない人が聾者の人と会話がなかなか出来ない距離感と重なるように感じられました。
 ただ、ケイコの心理描写が物足りないというわけではなく、それはサブタイトルにある通り、ケイコの「目」に全ては表れているんですね。
 
 元々のボクシングを始めた切っ掛けを、会長が言及していますが、これも会長の類推でしかないし、何故ジムを休みたいと思ったかも、ケイコの手話から語られることはありません。
 それでも、ケイコの眼差しに映る様々な感情を、はっきりと言語化出来なくとも感じることが出来る作品になっています。岸井ゆきのさんは様々な役柄を演じてきましたが、その表現力の高まりが今作で際立っているように感じられました。
 
 この物語は、しっかりとコロナ禍真っ最中の現代日本を舞台にしているため、マスク姿、無観客で配信のみの試合などが描かれています。ただ、そうした感染症が蔓延した世界というものを、異常事態のような描き方をする作品が多かったのに対して、本作では全くの日常として描いているのが大きな特徴です。このフラットな描き方が、コロナの恐怖が薄れてきたというか、当たり前となった現在の空気と、とてもマッチするものになっています。
 さらに、撮影は16mmフィルムで行われているため、コロナ禍の現代日本を、とてもノスタルジックなものに感じられる映像に仕立て上げているのも斬新ですね。遠い昔の別世界のような距離感があります。
 
 劇的ではないコロナ禍の描き方と同調するように、物語も淡々としたまま、大きな変化もなく、小さな場所の終わりを描いたものになっています。けれども、それを言葉ではなくケイコの眼差しを通して描くことで、とても複雑な感情の物語になっているんですよね。
 描こうとしているメッセージは、至極真っ当なものだと思います。ケイコがボクシングを通じて得ていたものは、会長やその他の人との繋がりであり、その繋がりは家族や職場の人々にもある繋がり、殺したいと思いながら殴り合う試合相手とすらも繋がることが出来るという事実。これにケイコが気付くことで、人が生きていくことは、人と繋がっていく事というメッセージに感じられました。先述したコミュニケーション不全の場面がフリとなって、言葉でなくても繋がる事が出来るという物語になっているんだと思います。
 
 言葉にすると、道徳的で白々しくなってしまうものですが、やはり言葉ではない映像、言葉にならない感情の眼差しで表現することで、ストレートなメッセージが心に刺さる物語になっています。映画だからこそ出来る表現作品で、映画表現を改めて良いものと感じさせてくれました。


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