見出し画像

アニメ映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』感想 令和に蘇った昭和アニメのメッセージ

 『ガンダム』という作品が一般常識として知られているという前提で作られている作品。そう考えると『ガンダム』は伊達じゃないと感じます。アニメ映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』感想です。

 宇宙世紀79年、ジオン軍の地球侵攻本拠地であるオデッサに向けて、地球連邦軍は大規模な軍事作戦を進めていた。作戦前の最後の補給を受けるためベルファストへ航行していたホワイトベースは、とある任務を命令される。無人島であるはずの小さい島で、MSジムを含む部隊が残敵に掃討された恐れがあり、その島の調査に向かう事となる。
 アムロ・レイ(声:古谷徹)のガンダムと、カイ・シデン(声:古川登志夫)のガンキャノンは島へと足を踏み入れると、数人の幼い子どもたちを目撃する。潜伏していた、たった1機のザクとガンダムは交戦状態となり、足場を崩され崖へ落下、アムロは気を失う。悪天候となり、カイたちは止む無く連絡の途絶えたガンダムを残して、島からの撤退を余儀なくされる。
 アムロが目覚めると、そこでは大人の男性1人を筆頭に、島の子どもたちが共同生活をしていた。男はククルス・ドアン(声:武内駿輔)と名乗るザクのパイロットで、ジオン軍の脱走兵だった…という物語。

 『機動戦士ガンダム』のTV版第15話として放送された「ククルス・ドアンの島」をベースに長編アニメ映画としてリメイクした作品。初代ガンダムのキャラクター・デザインも手掛け、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』で監督も務めた漫画家の安彦良和さんが、再び監督を務めています。
 
 オリジナル版は、劇場版3部作ではカットされた本筋に絡まないエピソードであり、しかもドアンが乗るザクのデザインも、かなりおかしなものになっていて「作画崩壊」と揶揄されてきた回でした。そのザクのデザインを踏襲しつつ、ドアンが改造したザクを駆っているという設定にし、しっかりと連邦軍とジオン軍の戦争背景も組み込んで、現代に蘇らせた作品となっています。
 
 元のエピソードからかなり肉付けをされた脚本にはなっていますが、主となる部分は変わらず、ガンダムの物語の中でも最も「反戦」をわかりやすく提示したエピソードという印象はそのままとなっています。
 とはいえ、30分のアニメを劇場版に引き伸ばすのは、やや力業な脚本になっているのは否めない部分もあります。『THE ORIGIN』のようなスペクタクル感も少ないし、昨年公開された『閃光のハサウェイ』のようなMS戦描写もかなり少ないので、はっきり言ってエンタメ作品としては、やや退屈なものに感じられました。
 
 今作で重要視しているのは、ドアンと子どもたちの生活描写になっているんですよね。自動的にホワイトベースにもいる子どもたちとアムロの関係に重ね合わせられるようになっています。
 ただ、描写的には戦後昭和の教育方針という感じもあり、ちょっと古く感じてしまいました。ドアンの道徳的な標語を子どもたちが一緒に唱えるところとか、いかにも昔の学校っぽいし、現代の価値観で観ると、ちょっとカルトぽい感じを受けてしまいます。『地獄の黙示録』のカーツ大佐みたいになってしまうんじゃないかと不安を感じました。この辺りは安彦監督のご年齢によるものだろうとは思いますが。
 
 『THE ORIGIN』ではシャア・アズナブルの過去がメインだったので、今作が安彦作品としてのホワイトベースの面々を描いた初の映像作品なわけですが、面白いと思ったのは原作者でもある富野由悠季監督とのキャラ描写の違いですね。
 富野監督のガンダム作品でのキャラ描写は、どれだけ間違ったことを言っていたり、めちゃくちゃな失敗をしているキャラでも、取り乱したりする描写はあまりせず、カッコつけて涼しい顔をさせているんですね。だから、パッと観ていると、普通のカッコいいシーンに思えているんですけど、よくよく考えたら「こいつ結構なクズなんじゃないか?」と気付いたりすることがあるんです(『Zガンダム』『逆襲のシャア』でのシャア・アズナブルは、ほぼこのパターンです。二枚目に見えるけど、やっていることはめちゃくちゃカッコ悪い)。
 
 対する安彦監督のキャラ描写は、カッコ悪いところはしっかりとポンコツに描くのが特徴だと思います。上層部の命令を部下に伝えるブライト・ノア艦長(声:成田剣)の中間管理職な悲哀の滑稽さは富野作品にはなかったものでした。この辺りのわかりやすさは、漫画作家でもある安彦監督の特色だと思います。
 特にアムロの、人としてのポンコツっぷりは富野作品よりもはるかに鮮明ですね。ドアンや子どもたちに助けられているのに、モゴモゴとするだけでろくにお礼も言えないコミュ障振り、そういえばこういうオタク的少年の設定だったと、久々に思い出されました。
 
 クライマックス後、ドアンが戦争を断ち切るために、アムロがある提案をするのまで、オリジナルに忠実な脚本なんですけど、アムロの人としてのポンコツ描写が巧過ぎるので、急にそんなちゃんとした意見を言い出したことに、違和感を抱いてしまいました。
 さらに、その提案をしておきながら、アムロ自身は戦争を続けていかなければならないんですよね。もちろん主人公だからというのは大前提としてあるわけですが、ちょっとこの意見については、矛盾したものを感じてしまいます。オリジナルに忠実ではなくなっても、ドアン自らが決断するとか改変があっても良いのかなとも思いました。
 
 接近戦メインのMS戦は、チャンバラ殺陣のような様式美を感じさせるものであり、そもそもこの物語自体も時代劇の要素を多分に含んだものになっています。この辺りも安彦監督の御年を感じさせるものではありますが、個人的には、このロボットアニメで時代劇をやっている懐かしい感じ、それでいて映像は現代的というアンバランスさは変な魅力を放っていたと思います。
 
 それと、作中でもかなり酷い作戦をたてているマ・クベ(声:山﨑たくみ)が、憎めないキャラになっている演出が好きでしたね。芸術に造詣が深いという設定も活かしていて、キャラクター演出は素晴らしいものでした。マ・クベが芸術事業へ注力した政策を掲げて選挙に出馬したら、うっかり投票してしまうかもしれません。
 
 『機動戦士ガンダム』の中でも、最も日本国憲法九条を意識していたであろうエピソードを、現代に提示するのは安彦良和監督の強い意志を感じさせます。ご本人は最後のアニメ作品と話されているようですが、やはりここまで来たら、漫画作品で最後まで描き上げている『THE ORIGIN』の残りの部分、ファースト・ガンダムのリメイクを期待してしまいます。原作漫画があるのならば、安彦監督は無理でも、別な方の手で可能なのでは…と、無責任なガンダムファンの夢は膨らむばかりです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?